【序章:専門家としての心得】
専門家として質疑応答をする際に最も大切にしていること。それは、「分かりません」と正直に伝える勇気を持つことです。ただ「分かりません」で終わるのではなく、次のように続けます。
「そのご質問について、私の知識の中を検索してみましたが、現時点では明確な回答が見当たりません。分からないことを知っているかのように装うのは、誤った情報を提供することになりかねませんので、正直に『分かりません』とお伝えします。その上で、現在持っている情報から推論できること、考えられることをお話ししてみます。」
【第1章:正直さが生む「推論」と「対話」】
明確な答えがない場合でも、それで終わりではありません。質問に関連しそうな周辺情報や、類似のケースをいくつか提示します。そして、それらの情報を援用することで、「仮にAという結論が導けるかもしれません」と可能性を示唆します。しかし同時に、「一方で、逆の視点や反証もあるため、Not Aという結論も考えられます」と多角的な視点も提示します。
最終的には、「現時点での私の直観としては、わずかながらAの可能性が高いように感じます。感覚的には51対49くらいの僅差ですが」といった形で、個人的な見解は述べつつも、それが絶対ではないことを明確にします。
【第2章:「知ったかぶり」の罠 − 人間版ハルシネーション】
これはAIが事実に基づかない情報を生成する「ハルシネーション」と似ています。人間もまた、知らないことを知っているかのように振る舞ってしまうことがあります。厄介なのは、一度ついた嘘が、自分の中でさえ「信じたい事実」にすり替わるのに、それほど時間はかからないということです。
「分からないことを『分からない』と言えない状況は、自分自身をも欺くことにつながります。その結果、自分が本当に何を分かっていないのかさえ、曖昧になってしまう。」
この自己矛盾に陥らないためには、「分からない」と正直に言える姿勢が不可欠です。分からないことを認められない立場に身を置くことは、常に綱渡りを強いられるような、非常に困難な状況を招きます。
【第3章:無知の告白が拓く「知識創造の場」】
「分かりません。でも、このように考えることはできます。あなたはどう思いますか?」
このように問いかけることで、質疑応答は一方的な知識伝達の場から、双方向の対話の場へと変化します。すると、会場から「はい」と手が挙がり、「私はNot Aだと思います。なぜなら、こういう論文(あるいは事例)がありまして…」といった意見が出てくることがあります。講師と質問者だけでなく、参加者全体を巻き込んだ「知識創造」の瞬間が生まれるのです。
もし専門家が知ったかぶりをして押し切ろうとすれば、このような発展的な対話は生まれません。さらに言えば、聡明な参加者は、その嘘や知識不足に気づきながらも、あえて指摘はせず、「この人は議論する価値がない」と静かに見限るでしょう。
【第4章:専門家の三段階 − 一流、二流、三流】
理想的な専門家は、あらゆる質問に答えられる「一流」の人物でしょう。しかし、それは非常に稀有な存在です。次に価値があるのは、分からないことを「分からない」と正直に言える「二流」の専門家です。そして最も避けるべきは、分からないことを分かったふりでごまかす「三流」の専門家です。
注目すべきは、「二流」であることは、特別な才能ではなく、心がけ次第で誰でも到達できるということです。そして皮肉なことに、場を「知識創造の空間」に変える力は、時として完璧な「一流」よりも、正直な「二流」の専門家が持つ場合があるのです。
【終章:正直さという礎 − ビジネスにおける教訓】
「お客様に絶対に嘘を言うな」
これは、私が新卒で入社した商社で、指導担当の先輩から繰り返し、厳しく教えられた言葉です。その場を取り繕うためにごまかして受注し、後で辻褄を合わせようとしたり、実は対応できないことが発覚したりすれば、一瞬で信頼を失い、顧客を永遠に失うことになります。
当時の商社での仕事は、想像を絶する忙しさとタフさが求められましたが、「嘘をつかない」という原則は、ビジネスパーソンとしての基礎体力のように叩き込まれました。この経験は、後に独立してからも大きく役立っています。
独立後に気づいたことですが、大企業に勤める人々は、(稟議が遅いといった組織的な問題はあっても)基本的には嘘をつきません。一方で、小さな会社の担当者の中には、その場を乗り切るために安易に嘘をつく人がいるように感じます。(もちろん、誠実な人もいっぱいいますが。)そして、後でそれを指摘すると、「え、そうでしたっけ? まあ、何とかしますよ(結局、何もしない)」といった形で、さらなる不誠実さが露呈することさえあります。
最初に大企業で「基本と正道」としての「正直さ」を学べたことは、本当に幸運だったと感謝しています。専門家としての姿勢も、ビジネスにおける信頼関係も、その根底には「正直さ」があるのです。
「分かりません。しかし、一緒に考えることはできます。」そう言えるようになると、学会の質疑応答でも、仕事でも、そして日常生活でも、選択肢が作り出せる、頭を使う話し合いがもっと楽しくなる。と、思うのです。誰かにほんの少しでも役立つならと思い文字にしてみました。石井私見です。

(挿絵:FOLON展(名古屋)での一枚)