オンラインショップの発信を私が言及するのは、商業的すぎるので避ける心理がいつも働きますが、今回は紹介します。
オンラインショップの店長(4代目)から、”311の震災復興の時のように、熊本に売り上げの一部を寄付したい”という相談が入りました。石井としては、素敵ですね、という回答以外はありえないので、そう返事をしました。
そして、その日のうちに公式サイトから次のように発信されました。
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タイトル:売上の一部を、熊本地震災害の被災地支援として寄付いたします
発表:2016年04月18日
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アイデアプラント(私石井)とオンラインショップ(運営はマグネットデザインさん)は、ともに仙台拠点です。
311においては、東北は、世界中から様々な支援を受けました。
当時、毎日人が死ぬ(遺体が発見される)という日々を生きていた数週間でしたし、社会が壊れ日常が壊れ長い回復の途にあった被災者の方々とともに同じ地域で暮らす数年間でもありました。
被災された方々にとって最もありがたい支援は、貨幣でしょう。
物資よりも、未来に明るいものをより描き出せる原資となるのは、何にでも交換できるモノ、です。
それは復興の中から挑戦してきた地域のリーダたちからもよく感じました。
微力ではありましょうが、今度は我々東北が、志しを届けます。
((この文章は、4月18日の時点で、私のFacebookで書いたものを、わずかに修正して、私のこのブログに掲載したものです。))
((ここからは、ブログ用に追記します。))
仙台で震災と復興長い道のり(未だ続く)を、見てきて思います。
「物体は新たに同じものが作れるけれど、愛する人たちは再生できない。」と。
”グリーフ(愛するものを失った悲嘆)というのは、乗り越えて消すことができるもの、ではなく、生涯同居していく気持ちなのだ”ということを、グリーフケアの専門のお話を伺ったのを思い出します。当時は、まだ街に大きな余震が続き、余震が来るたびにみな気もそぞろ、そんな環境でした。
現在、5年の月日が経ち、沿岸部の友人を失った悲しさを忘れることはありませんが、常にそれが大きく心を圧迫することはなく、気持ちの上で整理がついています。きっとご家族にしてみたらまだまだかかるだろうと思われますが。
復興初期の数年間は、仙台の皆は、悲しい気持ちがかなり大きく心にありました。
が、生き残った人々(年齢の低い人の方が沢山生き残った)が、たくさんご飯を食べられるようにするには、頑張って経済的に発展し、納税し、個人的に支援をし、ということが、復興の中から動き始めた人々の心にはありました。
今振り返ってみても
◎事業の手法を通じて、社会課題に取り組んでゆく。
◎継続可能な支援方法で、長く続ける。
そういうことが、大事だと思いました。
株式会社というものは、経済原理の観点から見れば、限られてたステークのための収益装置です。
ですが、ステークホルダーを非常に広くとらえた場合、カンパニーというのは、公器に近いものとして捉えられます。
事業が社会をより良くするものであれば、こういう時代には、むしろ自社の事業に深く邁進することが、最大の貢献であろうと思います。
ちなみに、ものすごく余談ですが・・・
震災から数日、心が戦慄状態だったころ、意外なことに”屋外映画上映でもやってないかなー”と、思ったりしました。
子どもたちが笑って歓喜する姿をずいぶん見ていないなぁと思ったのが当時の心理の背景にあったかもしれません。
一方、復興の本格化した時期に文化イベントが目白押しになっていくのですが、それには地域の人たちは”もっと実際に役立つものにその資金を使っていけばいいのに”というムードもあったようにおもいます。
すぐに現地に入れて貴重なスキルか多彩な才能を発揮できる人以外は、外部の人ができることは「実利的なこと」だろう、と、経験から思うのです。追記が長くなりました。