夜のワットポーに来ています。滞在している川辺の宿から徒歩2分のところにあります。
さて、アイデアプラントの海外渡航、と銘打って、感性の仕入れのために、空き時間を見つけては、知らない世界を見に行くことをここ数年しています。
今年は、3月のオーストラリア、夏と秋の3度の台湾、と展開しまして、今日からは、タイ(のバンコク)に来ています。
王宮といわれる中心地からは遠い川の近くの宿に滞在しはじめました。このブログを書いている部屋の窓からは、川の向かいのワット・アルンがライトアップされて見えています。
昨日の東京の仕事を終え、次の仕事が京都なんですが、その移動の間の5日で別の街に寄ろう、という感じで来たのでした。その5日間、東京での仕事の予定が3カ月前からあったのですが急遽すっぽりなくなったので。(こういうタイミングをどん欲に拾っていかないと、海外の街へいきづつけるのは難しいのです。二週間前に渡航を決めたのですが、けっこう何とかなります。)
さて、海外レポなんて報告しても、もっといいブログが旅人界隈にはありますので、やめておいて、石井なりの気づきを。
刺激を入れるための海外渡航、です。
世界遺産を見ることよりも、「何を感じたか」が旅費で買っているものなんです。
新しい国に入ったとき独特の「もどかしさ、うまくいかない体験」を、今日は、思い出せました。
このところ、台湾が連続したので、初めての国へ行くときの心の動きを忘れていたな、と。
まず、つい、ニイハオ、謝謝、と、中国語の挨拶が出てしまう、ということ。
これは、前にヨーロッパの各国を3日づつ移動した時に良くおこりました。
覚えてしまった外国語が、新しい国に入ってしばらくは、口をついて出てしまいます。
次に、「その国独特の英語が、ほとんど聞き取れない」現象です。
英語でしゃべっているはずなんですが、タイ語っぽい”にゃむにゃむ”とした英語で、全然ききとれず「え?え?」を繰り返すことに。
これは、今年の3月、オーストラリアでも強く感じました。
初めに降り立った街、ホバート(タスマニア)で、タクシードライバーが、明瞭にしゃべる言葉がなにも一つもわからず脳出血で脳の異常でも起こしてもしてるのか?と不安になったほどです。
そんな試練で始まったオーストラリア旅も2週間が終わるころはかなり聞き取れて、少し会話ができていました。
英語といっても、どの国も母国語なまりがきつい。
この国では英語の発音がこうなる、という傾向がしみ込むまでは、聞けなくなるわけです。
しみ込みさえすれば、「英語」を「その国の母国語側に補正して聞く」ようになって、わかり始めます。
今日降り立ったドンムアン空港では、SIM屋のねえさんたちの言うこと全然わからなかったけれど、夜には2割ぐらい、単語が聞こえるようになりました。(英語が、です。)
三つめは、「いい人もいるし、悪い人もいる。相手にとって面倒な外人であるが故に、雑に扱われることはままあるさ。言葉の通じない最初のころに、その国の人の人当たりを決め手はいけない」という気づきをまた思い出しました。
初めての国に着いたら、まず、その国の人たちに弟子入りしたような心持ちで、学ぼう、としなくては、言葉の吸収補正が遅くなります。そんなことも思い出しました。
四つ目は、「新しい国には、田舎から入るべし」という自分の中の経験則を思い出しました。
どの国も都会は忙しい。基礎すらわからぬ外人に付き合う時間があまりない。
その点、田舎だと相対的に時間がゆっくりで、人々が外人のもたつきに対応してくれる傾向にあります。
なので、ヨーロッパにしろアジアににしろ、旅程を首都だけにせず、その国の地方も旅程に入れておくといいんだ、と。
(今回は滞在時間が限られていて、バンコクのみになってしまいましたが)
他にもありますが、長くなるのでこの辺で。
海外渡航、いいですね、とよく言われるのですが、もちろんその通りなんですがそれだけでもないんです。
「地縁も知人もいない環境に一人ぼっちで、言葉もろくにできない。名もなき一人の異邦人になる。母国のようにはものごとがはかどらない辛さ・さみしさ。」
そういう「ガイジンの苦しさ」を味わうことも、じつは多くて、それも大事な「何を感じたか」なんです。これを買いに旅費を出している側面もあります。
起き上がりこぼしを立てる重し石のような「にがさ・辛さ」。
そんな時間も、大事に味わいたいです。
経験的に知っています、数日でその国に対する辛さの瓦解が起きてしまうことを。
そうして、二度目以降のその国の渡航では、もう、わかんなくなっちゃうんですよね。
そんなわけで(多分)今年の最後の海外渡航、頑張って、感性の仕入れをしてきます。
いろんなものを見て、物を食べ、人に会い、さらにアイデアプラントの事業を発展させる力にしてゆきます。
追記:
12月15日の夜、帰国しました。関空について、次の仕事の京都へ。
タイに滞在した最初の夜にこのブログをかいています。
その後24時間が過ぎた時点、48時間が過ぎた時点での心理変化もメモしています。紹介します。
(追記1:タイ入り24時間を過ぎた今は、もう、ここに書いた気待ちが薄れてわからなくなりつつあります。)
(追記2:タイ入り48時間を過ぎた今は、最初に無意識に出てくる言葉は、「ニイハオ、シェシェ」から「サワディカッp、コープンカッp」になった。宿の近所のセブンイレブンで店員に顔を覚えられて、バイトリーダー風の兄さんに「どこからきたの?」と声をかけられるようになった。(初日はものすごく無愛想だった女の子も挨拶してくれるようになった。)もう「初めて行った国で感じる孤独」は、タイについては消えてしまった。)
この2つのメモは「始めていく国で感じる強いストレスのその後の急速な馴化」を示しています。
多くの場合、こういう見知らぬ土地で一人ぼっちに感じることは、後になってしまうと思い出せないものなんだ。と、今回気付きました。
いろんなものを感じることのできる、良い海外渡航でした。