思うのです。天職は、「欲達衆益」である、と。
自分の「欲」望の三昧をする。
その日々で極点に「達」する。
あふれ出るものに特殊性が出る。
多くの人々(「衆」)の仕事や暮らしの役に立ち『ありがとう』を生み出す。
次第に、他のものでは代替えできない価値を生む(「益」)
そして、本人にも、食うに足る分のお金がやってくる。
しかし、本人は、三昧の境地に遊ぶだけで、仕事をしたつもりがない。
贅沢には執着がなく、また三昧にふける。
そうして、特殊性はますます前衛的に、未踏を切り開いていく。
こういう「欲が達して社会の益になる」ことが天職のメカニズムであろう、と。
(篆書体で「欲達衆益」。白川フォント)
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今日のブログは恒例の、誕生日に展望を考える内容です。
今日で、49歳になりました。
父母が70代後半でピンピンコロリ的になくなったのを思うと、私の使える時間は四半世紀ぐらい、だと思うのです。
無駄に過ごしていい日などなく、
今、囚われなく思うのは、『有限の人生で、好きなことを全力でやり、それによって社会をより発展させたい』ーーというものです。
私には、昔から奇妙な欲求があります。
『面白いアイデアを見たい・聞きたい。それに触発されて、自分もたくさんアイデアを出したい。』
というものです。
若い日に『アイデアだけ朝から晩まで出し合っていたら、それで飯が食えたらいいのになあ』と思ったその理想の道を、歩んでいます。そういう職業が世の中に見当たらなかったので、アイデアプラント、という事業を作ったんです。
もちろん、仕事としてやるからには、ビジネス上のいろんな整備もいるし、堅い守秘義務など、徹底したものも要ります。なので、ふわっふわのままの奔放、芸術的才人、のようにはできませんが、心の真ん中はいつも、そういうものがありました。
すこしフォーマットをもってしゃべりますと、
「X仕放題」が誰かのためになる。
天職とは、突き詰めるとそういうことだと思うのです。
多分、
X=表現すること、だと、芸術家に。
X=コーヒーを入れる、だと、喫茶店マスターに。
私の場合は、
X=アイデア、でした。それで、アイデアプラントに。
多くの人が、新しい「Xで生きる職業」をつくる時代も、くるんだろうと思います。
何かにのめり込み没頭する。
そこから生まれるものを、価値に変換する知性を持つ。
ビジネスの「型枠」はくみ上げてしまって、
後は、三昧。
人工知能の人間凌駕時点と目される2035年を超えるあたりでは、そういうのは当たり前になっているような気もします。
人材育成の場で、創造力の教育をしますが、彼ら彼女らが未来においてより良い選択肢を捕まえられるように、現在と未来の労働環境を意識して、知見を提供したいと思います。
<<一年前の展望の、到達度合いを振り返る>>
2021年8月22日の展望は「子どもに見せたい背中」でした。
その到達度はどうだろう。自問自答してみて、自己評価は難しいなと。
『父(=私)が楽しそうに、自分の仕事に没頭している姿』は、娘たちに見せられている感じもします。
また、次女の学校には、特別授業で呼んでもらい、学年全体へのワークショップ授業を提供でき、娘にも仕事の姿を見せられる機会もありました。
この目標は1年で終わるものではなく、ずっと、続くタイプの物でしょう。
この先も、アイデアプラントという職業に邁進してゆく。シンプルにそれを行っていこうと思います。
<<余談の話し>>
この前、大阪で展覧会・岡本太郎、を見ました。
そして時期を同じくしてNHKでTAROMAN(若い太陽の塔が顔で、でたらめなことをするヒーロー。最終話の10話では怪獣もろとも地球を爆破する)も楽しんでいみていました。
岡本太郎の残した言葉には、すごく力があるし、保守的になっている自分の心に、バシッと喝をもらったような気がしました。
一年後にこのブログを見る時に思い出すように、記しました。