最終回:
“この先20年経ったときに”のご回答、とても示唆深く、いろんなことを考える材料をもらいました。ありがとうございます。その部分だけでも言及していくと長文を紡ぎだしてしまいますので、その回答を読んだ私の反応については、石井のブログ、にてつづらせてもらいました。
さて、最終の本題。
「どうやったら習慣化できるのか?(アイデアをたくさん出す、という行為を至って普通の、誰にでもできる習慣にしたい)」について。
ひと夏、時間をかけて考えてみました。
クリエイティブのエキスパート層
まず、私の周りにいる「習慣化された状態を生きている人々」を見まわしてみました。彼らは「ちょっと刺激がくれば次々発想する人々」。
彼らの多くは、もともとブレスト体質です。その結果、どういう組織にいるのであれ、自然ともたらされる仕事が、新しいアイデアを発想する仕事になっていきます。気質を活かして日々仕事をする。日々の仕事が鍛錬となり気質を才能に昇華させていく。
そんなサイクルのイメージが、彼らの成長の軌道をみていて、浮かびます。
そういう人たちは、アイデア発想法の新しいものを手に入れると、ものすごく高度に使いこなしてくれたりします。
ただし、メソッドの習慣化はなされず「たくさんの繰り出せる技の一つ」としてストックされる感じです。
習慣=必然、の生き方をしている、といったところでしょうか。
クリエイティブの潜在層
今度は、一つ下の層に光を当ててみると「頑張って使いこなそうと努力する人」が登場してきます。
技法を習ったし、職場でも“そういうこと(アイデア創出)をもっとやれ”、と言われている。なので、頑張って使おうとする。
途中で現実の多様性に適用しようとして、迷いが出る。それでも試してみてうまくいくケースもあり、うまくいかないケースもあり。ここで、分岐があります。
わがままな人はうまくいきやすい。習ったことを我流にかえて、状況に合うようにカスタマイズして、自分の能力を100%発揮できるように、技法を仕立て直す。
きまじめな人はうまくいかない。習ったままの、正統流儀を繰り返し、突破しようとして、うまくいかず、次第に使わなくなる。中には、状況がぴたっとあって、それを乗り越える人もいますが、次の別の状況では、落ちてしまいます。
我流に、わがままに使う
大事なことは「発想法というのは、我流に、わがままに使うこと」だ、と私は研修でよく伝えています。
学びて熟達すれば、いずれ窮屈になり脱ぎ捨てられる。それが「型」というものだと思います。
万人が使えるような「思考ツール」というのは、極限まで単純化されています。
即時利用性は高いけれど、使い込みから派生していく複雑なニーズへの許容力は乏しい。
いい意味でわがままな人というのは、熟達の過程で、ステップを増やしたり、要らない手順を省略したり。そうして使い込んでいくと、ほとんど原形をとどめていないけれど、自分のものにはなる。
自分のやり方、に昇華するので、教本がもうなくてもよく、そらで使える。無意識のうちに、必要な思考テクニックとして、思考の裏側でそれが走っている。
そういう人は、普段の会話でも、たくさんアイデアを出します。
そうして、徐々にクリエイティブのエキスパート層に進んでいきます。
このことを振り返ってまとめると「習った技法を、わがままに、我流に使う。」というのが、習慣化(正確には、無意図的な常時利用)へのよいアプローチに思えます。
エントリー層について
先にあげた2つの層は、社会全般の中では、限られた人たちです。そうではない人たち、つまり、“職務で「アイデア創出」を求められたりしていない人たち”について、光を当ててみます。
日々アイデア創出をするわけでもない、という働き方をしている方々はたくさんいます。その中でも、「私はアイデアを出すことが好き」とか「アイデアを出すのは苦手だけれど、クリエイティブな事例を聞くのは好きで、自分もアイデアを思いつけるようになりたい」という方々います。
アイデア発想法、という文脈で語るなら、この方々が、エントリー層でしょう。
(補足:MECEでいえば、普段発想する仕事じゃないし、アイデア創出の行為に興味もない、という人々が、セグメントとしては残りますが、それはこの議論の対象外にしておきます。本当にそれでいいのかは、議論が別途ありうべきでしょうけれども。)
こういう方々が、アイデア発想法を体験して、手法を獲得すると、すごく喜んでくれます。このやり方をすると大量にアイデアを思いつけるぞ、と。
で、普段の生活に戻りますと、日々活用するシーンがない。
なので、非日常的な「研修・ワークショップ」から時間がたてば、ほとんど使われなくなります。
日々使う必要性がない。こういう場合は人は独りで、創造的努力を長く続けることが困難なものなんです。
そういう場合は、「共同作業者」の存在が、一つの光になりそうです。
共同作業者の存在
ブレストを作ったA.F.オズボーン。彼の文献群から、想像性を刺激するファクターを抽出分類したことがあります。
そこには、環境ファクター、行動ファクター、心理ファクター、物体ファクターに加えて、“人的ファクター”がありました。
“共同作業者がいること”はイマジネーションの促進要因である、という趣旨のことが述べられています。
また、CPS(Creative Problem Solving)という創造技法の大きな体系の一つにおいて「創造的組織風土の要素群」が整理されています。そこには、「支援集団」という概念があります。創造活動を支えるような人の集団を作れ、という概念です。
それらを踏まえていえば、エントリー層については、長く創造的努力を続けてもらうには、「発想行為を含む活動を、一緒にする人々のコミュニティー」を作ることが効果的かもしれません。
難しく言いましたが、「気軽にブレストをしあえる友人を得る」ことだ、と。
そういう友人が複数人いると、人は創造的な努力を行くためのエネルギーがずっと得られて、長くその道を行くことができるでしょう。
アイデア発想というのは、「生成の瞬間」というのは、どうやっても「一つの脳味噌の中での概念操作」であるので、「孤独な行為」としての側面を、必ず持つのですが、実は、その活動のエネルギーを注ぎ続けてくれるのは、「周囲の他者のクリエイティブ愉快な呼応」なんだろう、と思います。
終わりに
加藤さんの最後の問いは、創造活動の基礎を形成する大事な問いで、この往復書簡にふさわしい話題を振っていただきました。
石井の描き出した「3つの層、3つのアプローチ」は、「習慣化へのヒント」集として、この紙面を読んでくださっている方々に何らかのものを提供できていたならば幸いです。
石井の最初のブレスト友人は、仮想人格でした。
今、幸いなことに、私にはブレストしあえる友人や師がたくさんいて、アイデアフルな日々を送っているうちに、そういうことで飯が食えるようになりました。
10年前、ブレストしあえる友人はいませんでした。創造工学の研究にターゲットを定める前夜ぐらい。
そのころ人から紹介された「考具」に感銘を受けました。当時は、博士課程で創造工学の研究を続けられたのは、「(この本の著者の)かとうさんなら、ここで、どうアイデアを返してくれるかな」とまだ見ぬ著者さんとシャドーボクシングをしてきたから、かもしれません。
気に入ったアイデアの本の著者を、最初のブレストの(仮想)友人にする。
そうしているうちに、本当に気持ちよくブレストできる友人が次々できていったのでした。
なにより、まず、ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。編集をしてくれた亀田さんありがとうございました。加藤さん、貴重な体験をありがとうございました、10年前の自分には夢のような往復書簡でした。
9月の旅仕事の東北新幹線にて