積み上げた文献と辞書の山の谷間にあるノートPCから、これを書いています。
この数日は、毎日8時間ぐらい、本、辞書、ペン、紙、コーヒー、だけの静寂の部屋で過ごしています。
ある文献で、シンプルながらに的を射ていて、心に残るものがありました。
「問題」
↓
〔洞察〕
↓
『解決策』
世の中には、この〔洞察〕の部分がない問題解決アクションがひしめいています。
いわば、即物的な解決法です。
例えば、こういうスタイルのものです。
「熱が出た」→『冷水をぶっかけよう』
「歪んだ」→『でっぱりを切り落とそう』
洞察、というステップをとるなら、
「熱が出た」→〔ウイルスかもしれない〕→(検査をしてそうだとなれば)→『薬を投与しよう』
「歪んだ」→〔土台の強度不足かもしれない〕→(検査をしてそうだとなれば)→『土台補強をしよう』(一度解体するか、ジャッキアップで行うかのいずれにしても)
と、なるでしょう。
<<大辞泉より引用>>
洞察:
物事を観察して、その本質や、奥底にあるものを見抜くこと。見通すこと。
別の文献で、ぐうの音も出ない、良い言葉がありました。
「われわれが課した制約によって解決不可能になる問題が確かに存在する」
これは、実にあることです。
心の中に巣くう心理的惰性※が勢力をふるうことをゆるしている時、自己都合による制約条件を課して、問題解決にあたっています。真の制約条件ではなく。
それで、「解けないな・・・」と悩み、それ以上一歩も先に進まない。そういうことが、本当によくあります。
ミニ・コラム「心理的惰性について」
人には心理的惰性があります。
TRIZなどによく出てくる創造的心理をめぐる表現の一つです。
本格的な創造的取り組みは、大抵、問題をじっくり吟味するフェーズがあります。
目の前の”それ”の解決の前に、根底にあるものを見定める、という作業です。
心理上、「それは面倒なことをすることになるので、嫌だ」という反応が起きます。
「ちゃっちゃと、目の前の問題だけを解消したい」という気持ちがおこってきます。
木箱の中に、分解したら取り出せる大きなおもちゃがあり、それを強引に狭い穴から引っ張り出そうと、ガチャガチャやっているみたいなものです。出てこないので力任せに引っ張る式アプローチ。特に、眠い時、疲れている時、面倒な時、人はこういう荒っぽいことをします。
(石井風に説明しました。正式な表現はTRIZの教科書的文献を。 『TRIZ 実践と効用(1) 創造的技術革新』)
さて、・・・
と書きかけてやめました。
今、読み込んでいる文献群は、異種の領域(ビジネス、テクノロジー)のものです。
ここに書いたものは、まだ概念の整合性を見ていない段階の「断片的な知識」と感想メモです。
使い込み、本質を得て、技法に昇華させられた暁には、この先の話をもう少し書きます。