今、1万字ぐらいの依頼原稿を書き続けています。
PCで打ってはプリントアウトして、ボールペンと蛍光ペンで推敲をする、ということを繰り返しています。
振り返ると、推敲しながら文章を深く書いていく、ということを、かつてITmedaのWEB連載「アイデア創発の素振り」では、よくやっていました。
最初に出会っていた編集者さんがすごい人だったのだ、ということ痛切に感じました。彼が引き出してくれる、そんな感じで書いていました。
その後、その後処女作となる『アイデア・スイッチ』を書き上げて、それからは加速度的に忙しくなってしまい、原稿を引き受けても納得できる文章を書けないでいました。
その時期、いくつかの媒体にお渡しした自分の文章が、あまりに雑な表現で、論理構造もねじれているような、粗い仕事をしてしまっています。
そうして、近年は、質の悪い文章を本や媒体にすることを避けるようになりました。
しかし、最近、ある共著作業にかかわっていまして、優秀な文筆家さんと出会いました。
その本における私のパートは、彼が私のアイデアワークショップに参加しに来てくれ、書き起こして、きれいに編集してくださったものをベースにしています。
私はほぼ、執筆することなく、彼の文章をつぶさに拝読し、わずかな修正のディスカッションをしていくだけです。私がどうしても回りくどく表現してしまうようなところを、すぱっときれいに表現してくれます。
きれいな文を読むうちに、「練って深める、文章執筆の作業を、またやりたい」と思うようになりました。
自分の筆が前よりはましになっているはずだと信じ、こうして、冒頭の作業に取り組み始めたのでした。
それがいい文章かどうかは、私以外の世の中が決めることですが、執筆したい気持ちを十分に開放して、丁寧過ぎる仕事を、この原稿に限ってはしてみようと思います。
やってみると、一日に10回も20回も辞書を引く、というのは、気持ちのいいものです。
揺らいでいた、記憶の中のストック言葉が、はっきりと頭の中の概念空間にピン止めされていくかのようです。