5月頭の連休中、昼はいろんな場所で感性の仕入れをして歩き、夜は書斎へ行きあれこれと構想を練ったり、思いついたアイデアを試作したりしていました。
アイデアをメモする程度ならば、日々大量にします。
そのうち、ツールとしてデザインするところまで行くのは10%。
そして、実際にカードやボード上にデザインして、加工して試作してみるところまで行くのは1%。
その1%が出現するほどには、普段は時間が取れません。旅仕事や、案件山積みの中で。
連休のいいところは、することなく書斎に向かえる、というところです。
創業間もないころ、案件が数えるほどしかなく、今日は対外的なやることが何もないな、という、時間がけっこうありました。僕はその頃、いつかその日々を懐かしく思うだろうと思っていました。実際にいまそうです。
そういう「締め切り仕事の何もない日」というのは、意識と無意識の広大な思考領域の奥に芽生え始めている次のアイデアが、考えの主題として浮かび上がってくる時間でもあるようです。
GWやお盆やお正月、には、いわば、疑似創業期を出現させる精神と時の部屋、みたいに使うことが出来るなぁと、近年思います。世が休みの間、書斎で一人、心を回遊させて思索し、即興でそれを手書きとPCで作りラフに試作をする、のが楽しみです。


作品を生み出していくという作業だけは、難しいものでマネージメントなんてできません。
計画的にやろうとしても、全くうまくいきません。
だから、こういう心の奥の、いわば「つくるひと」というプログラムがやおら起動しはじめたら、それを止めないように、一気呵成にそこに没頭していきます。
だから、こういう心の奥の、いわば「つくるひと」というプログラムがやおら起動しはじめたら、それを止めないように、一気呵成にそこに没頭していきます。
旅の日々、大量の読書、人との出会い、が混沌となって思考の欠片、アイデアの核となって、結像していく。すべてはこの時間のためなんじゃないかとさえ、こういう生み出す時間の中にいる時には、思うのでした。