本日は創業記念日です。創業10年目になりました。
居酒屋で友人に話すように、すこし内省をつづろうと思います。
下手なエッセイみたいなものですので、(このブログを、知識を求めて読んでくださっている奇特な読者さんは)読み飛ばしてください。
日中のオフィスで時間を使って読む価値は無さそうです。
石井の行動原理が、よくわからない、という方には、もしかしたら、合点がいくかもしれない話です。
【創業時代の志し】
今をさかのぼること、9年前の今日、
2009年4月1日に、仙台南税務署に開業届を出し、
この事業(アイデアプラント)を開始しました。
創業日のブログに書いていたことと、現在の私で、志しは何ら変わりません。
志していることの中で、人前では、言わなくなった部分もあります。
「世界中から尊敬される企業が次々と生まれてくるような社会にしたい」
当時は「社会」ではなく「地域」と表現していました。
仙台圏を指していましたが、
創業してすぐに各地に、地縁ができ、
日本中がそうなってほしい、と思うように。
そして現在では、日本だけが、ではなく、近隣アジア諸国にも縁ができ
なので、世界のいろんな場所が、そうなってほしい、と思うようになりました。
なので「社会」と広い範囲を指す言葉にしています。
登壇するときに、この部分を言わなくなったのは、
メッセージをいう尺が短いことが一因です。
すこしでもおおく、聴講される方に役立つ情報に時間を取りたい、と。
もう一つは、伝わるメッセージがぼやけることです。
「尊敬される会社が次々と」を究極目標にしています。
そのために私ができることは、私の専門性をフルに活かすこと。
なので「創造的な人や組織が次々生まれてくる、そのお手伝いを全力でしよう」と。
そう考えています。
2つのことを伝えると、メッセージの明快さに欠ける。
そう判断したことが、もう一つの要因です。
【やはり、伝えよう】
究極目標を、他の人に言わなくなったことは、誤りであった、と思います。
夜の飲み会で、そういう話を隣に座っている人とする。
それはそれで、「石井はそういうフィロソフィーで動いているのか」と知ってもらえたりしますが、
酒の席で気が大きくなって語る戯言、と捉えられたりもしているでしょう。
なにより、私自身が、お酒が好きで飲むと飲みすぎてしまうので。
10年目の今年は、私が究極的にかなえたいと思っている志も、
折に触れて、やはりしゃべろうと思います。
しかし、講演中の30秒を使うのは、貴重な時間を割いて参加してくださっているお客さんがたへの不義理だと思いますので、
こういう、活動報告の場(ブログ)で、やろうと思います。
【石井の中の原風景】
「世界中から尊敬される企業」
とは、なにか。
ですが、私はこう思っています。
「その製品がなかったら本当に困っていた。その会社があって本当に助かった」ーーそう社会から求められ、感謝される会社。それが、石井にとっての『尊敬される企業』です。
それを求める人が万人でなくてもいい。
ニッチだけれど、世界中の、そのニーズを持った人たちにとっては、なくてはならない物を、生み出し、提供する。
そういう会社。
私の中に、そのモデルとなる企業があります。
島根の山奥、石見銀山の町に、身体の欠損を補う製品を作る会社があります。中村ブレイスさん。
10年以上前に、経営学の文献で同社を知り、アポと取って訪問させてもらったのですが、その日のことは、今も記憶に、強い感情とともに、鮮明に残っています。
私は、創業者の中村さんに社内の制作現場をつれて回ってもらっている最中、涙がこぼれそうで、下を向けずにいました。
彼らのしている仕事は、尊いものでした。
顧客への圧倒的な愛があり、それが製品のフォルムに宿る。−−そんな仕事。
同社を知ったのは経営戦略の文献でした(当時、社会人博士課程に在籍していたので文献をよく読んだのです)。
訪問するまでに、同社のことをルポライターの方が出された本も読みまして、そこにはこう、ありました。
「欠けてしまった体の一部を補うことで、心まで補いたい」
そのルポがつづった営みは、同社そのままを、表現しているものでした。
そんな中村さんに”絶対に聞いて帰りたい、そして、未来の自分や私の接するものに残したい”こと、として3つほど、質問させてもらいました。その時のメモは、大事に書斎に取ってあります。(内容は、また折に触れて。今は割愛して先に進みます。)
私が時々、口にする「顧客への圧倒的な愛が製品のフォルムに宿る、そういう仕事をしよう。今日も、明日も、これからも。」という言葉。
これは、そういう原風景があって、口にしていました。
【次々生まれるための、今】
尊敬される企業が、将来、1社できる。、、、だけじゃなく、毎年、毎年、そういう企業が生まれてくる。そういう社会にしたい、のです。
私が、できることは専門である創造工学をフルに生かし、可能性のある人に、たくさん、創造的発展のための知見を提供すること。
年間で2000人ぐらいの方に、講演やワークショップをして、その中の1%(20人)でもいいので、10年、20年かけて、創造的な事業を生み育ててほしい。
彼・彼女らの作り出すものが、世界をもっともっと明るいものにしてくれる。
中には、尊敬される企業にたどり着く会社もきっとある。
そして、20年後、毎年毎年、そういう可能性が芽生えるように、今年も、来年も、毎年、2000人、ぐらいの方に、全力で、クリエイティブ・メソッドや、ブレスト道具を、提供してゆこう。
そう考えています。
【石井の、私欲。】
そして、いまよりもっともっと明るい社会で、人々は、幸せに暮らせている。そういう未来が実現してほしいとおもうのです。
石井が仮に、何らかの形で未来の尊敬される企業の起業家の若いころに、仮に、貢献できていたとしても、その起業家も、世界も、そのことは知らないでしょう。しかし、それでいい。
暖かく豊かな世界の中で、自分も幸せに暮らしていたい。
それが私(の)欲です。
私が、よく作ったものをどんどんネットにあげて公開するので、人から言われることがあります。「コンテンツを保護しないのですか」と。
私は答えます。
「アイデア発想法や、Creative Thinkingというのは、本来人が持つ自然な営みを、明確な手順化したものであり、固有のコンテンツというよりは、共有材、に近いと思っています。
「アイデア発想法や、Creative Thinkingというのは、本来人が持つ自然な営みを、明確な手順化したものであり、固有のコンテンツというよりは、共有材、に近いと思っています。
もちろん、他の著者が作られたものを無考慮に配布するような行為は、ダメですが、石井が作ったものについては、守って秘匿するより、広く社会に使ってもらうほうが、いいと思うんです。
それで、コンテンツがコモディティー化したら、石井はさらに次を作り、出し続けます。
一応、博士課程にいたときには、MOTと知財の研究室にもいたので、知財マネージメントを理解しています。
ただ、それはそれとして。
発想法のスライドに、不要なインフォメーションが乗っていることは学習の妨げになる。
なので、できる限り、スライドは白く。それは、石井なりの顧客(学習者)への愛なんです。」
と。
相手は「はぁ、、、」という感じで、困った表情をしますが。
この”顧客への愛”というのが、長い話を圧縮したものなんです。
スライドを見て、やってみて、その人が創造的発展の端緒をうまいこと滑り出した。
きっとその人と将来のどこかで、人生の軌道が交差する時が来ても、お互いに分からないでしょう。
それでいいんです。
彼もしくは彼女が、創造的な何かを生み出して、世界がもっと、豊かになれば。
”みんなで幸せになろうよ”、というやつです。
(私の世代の漫画作品(パトレイバー)の有名なセリフ)
【10年目の気持ち】
10年目に入り、原点をふりかえり、進んできた方角はずれていないか、と確認。
10年スパンで経営して、ずれていないので、この先も変わらない志しだろうと思います。
10年目の今日、今一度、記します。
アイデアプラントの志、あるいは言い換えると、石井力重の志しは、こうです。
創造的な人や組織が次々と生まれてくる社会を作りたい。
3年5年でやろうとせず、10年20年と、続けよう。
究極的には、世界中から尊敬される企業が次々生まれてくる社会を作りたい。
【志しと持続のバランスも】
多分、20年目に入った時にこれを目にするでしょう。
普段は、表に書かない、ドライな判断も、鈍ることのないように、ここには記しておきます。
何でもかんでも、やった方がいいこと、をやって、持続可能な事業運営をおろそかにするのは、未来の顧客への不義理である。
この事業を必要とする人は、この時代だけではない。
今まだ見ぬ未来の顧客に誠実であれ。
持続可能な経営には、適切な収支を案件ごとに、厳しく管理せよ。
時には、その判断は、冷たい人と思われたり、縁が切れてしまうこともあるが、もとより覚悟の上である。
基本的には事業の手法を通じて社会に価値を提供していくこと。
それに収まらないこと(大学の非常勤講師や、社会貢献的なもの)も、一定数引き受けられるように、年間で一定日数、時間と予算を確保し、その中で全力で行うこと。
それを超える分は、持続可能性を損なう。一年の初めに決めた日数以上は、せぬこと。
「世界中の人を救おうだなんて思わないこと。縁があった目の前の人に全力を注ぐ」(私が尊敬する経営者の方が、かつて、話された言葉。いいことをやろうとすると、あれも、これも、と依頼が来る。全部を救おうとすると、何もできなくなる。そういうんじゃだめだ。と。)
この10年で、いくつかの社会貢献的な活動の理事長や理事を引き受けて、ひとつずつ、時期が来たら、スパッと退任してきました。その空いた日数分で、次のことをする。それの繰り返しでした。それは、自分の有限の時間資源を、社会に最適に提供したと思います。
人間関係があるので辛いけれど、自分の役目が終わったところからは身を引くのは、自分の志への義務なのだ。
自分しかできない依頼に、いつも、全力を注げるように。
以上、10年目を迎え、進んできた航路を振り返り、北極星の方角を見定めなおしました。
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さあ、節目となる10年目。
- 技量をさらに磨いて、多くのクリエイティブ・リーダたちと、創造的アイデアを生み出していくことに、心を込めて全力で取り組もう。
- 直接は合うことができない一桁多くの人たちにも、知見をとどけられるよう『発想ツール』『書物』を、もっと作りだそう。
- 外国の方々にも提供できるように、『英語でのファシリテーション』ができるように、英語の訓練を仕事ととらえて、本格的に取り組んでみよう。