神戸に滞在しています。滞在を終えて、空港に向かうだけの日でして、筆ならしに、すこし余談を書きたいと思います。
先日、あるイベントの際に「相槌の達人」に会いました。
そのイベントの事務局の方なのですが、話をすいすいと「させる」のが実にうまい。
”話甲斐があるわー、どんどんしゃべっちゃう”と内心思って(言葉にも出していましたが)いました。
そんな折、ふと思い出して、相槌についてしゃべったことを、すこし文章にしてみます。
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「相槌」の由来となっているのは刀鍛冶です。
刀鍛冶の作業で、親方と弟子が交互に刀を槌で打っていく作業があります。
親方は小さい槌でこちん、とたたき、
それに続いて、弟子が大槌でカーンとたたきます。
この、こちん、カーン、こちん、カーン、を繰り返していくのを相槌(を打つ)といいます
(どこだったか今となっては不明ですが、
どこかの地方の資料館のビデオで見たところによると)
この相槌という行為なしに、がっつん、がっつん、たたいてもうまく
刀は伸びないそうです。
相槌があるから適切に伸びていく。
話において、うまい相槌があると、話がよく伸びていきます。
由来の所作からするに、よい相槌がどういうものであるのかが分かります。
相槌を打つ作業で大事なのは、小さいハンマーで軽くたたく親方の槌です。
どこを叩け、どのくらい叩け、という要諦を見極めて、
親方はたたいているそうです。
会話においても、たくさんしゃべる人が、大槌だとしたら、
本当に大事な所作は、その人に相槌を入れている人、なのかもしれません。
次の一歩は、話のポイントのどこを打つのか。
どのぐらいの強さで打つのか。を、絶妙な相槌スキルで示し、良い話にしていく。(のかも)
ということで。
相槌を打っている人が、「話という刀」を
名刀にするか、駄モノにするかを、導いている。
良いインタビュアーがいますが、通じるものがある気がします。
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村上春樹さんの作品が好きでエッセイ集を読んだ折に、彼が若いころに喫茶店を経営していて、相槌を打つことにたけていて、100種類ぐらいの相槌を打てる、と述べていました。
物語を紡ぎだしていく才能のある人は、相槌上手、あるいは、聞き上手、なのかもしれません。
ただやみくもに、相槌を入れても、伸びず、音は「とん、ちん、かん」と妙なノイズをはらんだものになるのかもしれません。
なにを伸ばしていくのかを見る力。
それが、相槌とストーリーテラーの根底スキルなのではないだろうか、と思うのでした。
神戸にて。