本日47歳になりました。誕生日のブログは未来の自分に向けて書いています。
この半年間を振り返り「ある種の未来にむけて、一気に進んだ」と感じています。
災禍にあうと人々は「普通の生活」を取り戻そうと努力します。
地震や豪雨の後と同じように、世界中が新型コロナからの「復興」を望んでいます。
以前の「普通」は、旅行者は世界中の観光地に押し寄せ、生活者は生活必需を超えた贅沢や娯楽で、資源を大量消費・大量廃棄していました。
国連開発計画(UNDP)は、興味深いことをつづっています。
「『普通』の状態に戻す」ということは、単純に実現不可能となりました。 なぜなら、その「普通」だと考えられていたことこそが、この危機を招いたからです。 |
好むと好まざるにかかわらず、「普通」という状態は、消えてしまった。
そんな中で、私は思います。
10年先、2030年頃、シンギュラリティの確度が視野に入るあたりでは、もっとフィジカルな移動と浪費は減り、デジタルリッチな社会になっていると。(いわば「低消費・デジタル社会」)
この10年間の生活様式の変化が、数カ月で一気におこりました。
ただし、準備不足・テクノロジー不足もあり、痛みを伴うものでした。
この変化を受け入れ 前に進むか、災禍が過ぎるまでの活動停滞か。
2つの分離した流れが世界にできました。
一方は、10年先に向かって、始めた新しい生活様式を、継続し始めた人々。
他方は、「普通の生活」を”再起動”しようとした人々。
急すぎる変化はものがひずみ、壊れる。これ以上は耐えられない。となった、レガシーな集団は、細心の注意をしながら「普通」へ戻します。「復興」事例が多く出るでしょう(2023年前後)。
しかし、先の未来想像図が仮に正ならば、もどした世界のたどる軌道は緩やかに「低消費・デジタル社会」へ、フィジカル要素(物理的出社や物質的側面)を縮小させていくでしょう。2つの流れは、いずれ同じところに流れ着く。
もちろん、その時にはテクノロジーの最適解は「ZOOM」「経済格差のままにされているネット環境」「ディスプレイ・カメラ・キーボードのパソコン」ではないでしょう。
テクノロジーが10年分進化した中では、もっと自然に、効果的にデジタル社会で人々は、ストレスなく会話し、創造し、友人作り恋人づくり、娯楽を楽しんでいるでしょう。全国民のネットへのアクセスは、基本的人権の範囲かもしれません。
(辞書にはまだない新しい意味として「新世界」を「デジタル上の社会生活」としては使いますが、)人々が、新世界に向かって進んでいく10年をいくのでしょう。
多くの組織や人々の暮らしは、新旧2つの流れのジレンマの中で、カオスと迷走、苦しいものとなるでしょう。
そうした新世界で、「創造的な人や組織が次々と生まれてくることを支えるものや活動を提供してゆこう」と、今思っています。
大言壮語なことをのべます、ノブレス・オブリージュ、に少し似ています。
母校・東北大の学生歌の一節に「我らこそ、国の礎」というくだりがあるのですが、その青雲の志は、今も心にともり続けています。
話はデカく書きましたが、じゃあ何をするのかと聞かれたら、極めて簡単な例で言えば「オンライン・ブレストがとっても捗るような技法やツール」を開発して世に出してゆこうと思っています。
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新世界は「短・部・廉・遠・即」で
この半年の観察からたどり着いたのですが、新世界への軌道を見出すには、「短・部・廉・遠・即(タンブレンエンソク)」に注目すると良いようです。
●短い時間(でしたいというニーズ
●いち部分(をしたいというニーズ
●廉価(でしたいというニーズ
●遠くから参加(したいというニーズ
●即(、したいというニーズ)
低消費・デジタルな社会になると、リアルの時よりも、「短く、一部だけ、安く」やりたいというニーズがふえ、心理的な思い込みを取れば、提供者側もそれに対応が可能です。
また。リアルの時には無理だった「遠すぎる場所」や「急に実施」が、実現可能になりました。イベント告知期間がリアルに比べオンラインは短く1/3ぐらいです。一週間前にぱっと告知して、数百人規模。
何かを実践するときは、弱点をかわし、良点で勝負するべきです。
弱点「リアルでないと難しいこと」をうまく避ける立て付けにする。
良点「リアルでは難しいこと」により価値が乗るようにする。
多分その道は、あるべき姿へとつながっているでしょう。
この先に登場する「テクノロジー」「社会インフラ」で、道が不連続変化するかもしれませんが、おおよその方角は正しいはずです。
以上、コロナ状況下の今、一年抱負(よりもう少し長い展望で)を書いてみました。
追記:
2019年の展望は「未来の轍(のミツバチ)」でした。
この目標は、8,9,10,11,12,翌年1月は、かなり実践できました。
組織を超えて、イノベーションの花粉を届けていけました。
しかし、2,3月と社会情勢は急変。
それまで届けていた花粉も吹き飛ぶような嵐で、2~7月はこの目標は実施できませんでした。
震災のころのように、不連続な変化の時。
こういう時は「プリンシパルと脚力」です。
カオスの中でも長期的に正しい方向を見出す原則を持っていること。
戦略もたたない混迷の時代を走り抜ける脚力を持っていること。
時には、がむしゃらに試し手を試していくしかない時もありますね。
このブログを見る一年後、世界と自分がどういう2021年にたどり着いているか、楽しみにしています。
余談:
実家の父が3月に急逝。父との年齢差が30歳。
ある意味で、私の残存時間タイマーが「のこり30年」を指し示したのだ、と。
悔いのない人生を全力で生きようと思います。