本日、50歳になりました。ついに、半世紀生きたことになります。
この日だけは、記事の読み手を未来の自分としています。「展望を誕生日のブログに書く」ことで、一年前の自分との約束を思い出し、自分の問いに答えて時間を強制的に持つ仕掛けになっています。今年は、50代に入るので、十年展望として綴ります。
##この記事は、ホテル日航奈良から、9月3日に書いています。この夏は、早稲田大学の集中講義、母の法要、奈良女子大学の集中講義(最終講義)、八尾市の起業家育成講座と連続して長時間講義がありタイトでした。移動の新幹線や、滞在先のホテルで万年筆を走らせて、この日記の内容を考えていました。

夏の旅仕事で各地に滞在しながら、50歳の10年間をどう生きようかを、考えました。
その前に一つ、思い出深いエピソードを。
新卒で入った商社の部署は人生の縮図のように新人、中堅、ベテランのいる大きなチームでした。とてもおっかない大先輩がいまして、私が入社二年目ぐらいの時に定年されました。彼が退職する日しんみりといったのです。「お前らはうらやましいよ。これからなんだってできる。」と。若造の私には、その意味があまりよく分かりませんでした。しかし、一年後にお会いした時に人が変わったように好々爺とされ、終始笑顔なのですが丸くなった背中に、にじむような哀愁というか寂しさのようなものが。確か、すすめられて何か趣味を始めた、と。多忙な職場なので、一人一人と電話が鳴って呼び戻され、うやむやに解散になり、それからはお会いする機会がありませんでした。
その時に強く感じたものがあります。
日本の社会には定年がある。その日を超えると、能力に優れ体力の高い人でも、仕事の土俵から出されてしまう。彼はその土俵を出るその日に『土俵の上にいられる日々』が永遠に失われ、二度と戻らないことを、そういったのだ、と若造の石井は一年かけてハッとしたのでした。
社会は大分変りました。働く喜び、を感じるタイプには定年延長もあり、第二第三の職場で活躍されている方も少なくありません。
石井自身は個人事業主なので、自分がもうこれでおしまい、と思う日が来ない限り、ずっとアイデアプラントという生き方をするのだろうと感じています。
アイデアプラントの仕事を振り返ると、どの時代でも、お客さん(主に大企業でイノベーションに取り組む方)との年齢差があまり大きくありませんでした。大体±10歳までのことが多いのです。50歳になる今、お客さんの肩書が昔とはずいぶん違うことに気づきました。部長、課長が多く、若手側ではグループリーダーや上側では若い取締役も。
そこから外挿して考えると、60歳の石井の上側10歳はかなり減り、下側10歳がお客さんに。そして、70になると±10歳の皆さんはほぼ2つ目の職場で活躍する方、という構図になりそうです。(もちろん、10歳以上の差がある方も少なくはないので、ここまで単純にはならないと思いますが。)
それでも大きな構図として、そうなっていくことを今から心得ておこうと考えました。
すると、定年の日がない個人事業主といっても、徐々に曖昧な土俵ラインを少しずつ割っていく時期がくることを覚悟しておくべきだと。
話を展望に戻します。
産業界、特に大企業では、実績と実力を積んだ50代はリーダーシップを発揮する世代です。そうした世代がお客さんの中心になるとなると、依頼の幅も、中身の高度さも増すでしょう。
引き受けられるかどうかわからないような、今まで誰もしたことがない仕事。そういうものをずっと引き受けてきて納めてきましたが、毎回かなり頑張って到達しています。そういう「まだないこと」を引き受けるというのは振り返れば成長譚ですが、その案件の最初の一歩に立つときは「果たして俺はこれをやり切れるのだろうか」と毎回悩み、不安の藪を漕ぎ分けて進んできた日々でした。この先、お客さんの立場がさらに高くなる。そうすると、登ろうとする未踏峰はますます険しくなると予想されます。
この先の10年は、多分『仕事のゴールデンタイム』だ、と直観的に思うのです。
なので、逡巡するよりも、「やりたい仕事は残らず全部、やってみよう」と思い、これを10年の指針としました。
2つ目の指針もつづります。
50歳になるあたりで少し、自分の中で変わったことがあります。
これまでは、一人で質の高い仕事に全力を注ぎ最高のものを顧客に納める。という職人的な専念をしていました。
あまり、場を作るとか、皆で何かをすることを企画することはありませんでした。
(顧客の依頼に応じて、その種のことをすることはありましたが。)
これからも、顧客への愛が製品のフォルムに(仕事の細部に)宿る。そういう仕事をします。
しかし同時に「もっと皆で楽しもう。場を作ろう。」とも思い、これも10年の指針にしました。
ということで、未来の自分への問いです。
1年後、そして、10年後の私は
❶「やりたい仕事は残らず全部、やりましたか?」
❷「もっと皆で楽しみましたか?場を作りましたか?」
各年代で、10年展望を立ててきました。
今回は、少し自身の心を解き放つ方向性が入りました。
とはいえ、慢心することなく、一層精進しながら、愚直にアイデアプラントの道をゆきたいと思います。
なお、今まで「元旦」(事業)と「誕生日」(個人)に書いていた抱負や指針は、必須とせず、次に書くのは、10年後でよい、としました。正月と誕生日ごろにその時間をまとめてとるよりも、日々、展望を更新して進みたいと思います。
なお、7つの指標を建てました。
残り5つは、ブログ記事としは割愛しておきます。
10年後の自分は「50代の7つの指標」ファイルを開いてください。