嗅覚を完全に失っている時期が終わろうとしています。
顕著に変化を感じるものにワサビがあります。味の感じ方を絵にしてみました。
コロナの後遺症として一定の人が体験するこの感覚。自分がその状態である間に、できるだけ慎重に観察し、その言語化を試みてみました。
嗅覚ゼロ=白黒写真のよう。薄い塩味、苦み、わずかなうま味。同じような味のバランスの別の食べ物と区別できません。鼻にツーンと来る感じもゼロ。
嗅覚がわずかに戻った時=右下のポスタリゼーション写真のようです。ツーンと来る刺激が起こり、ワサビ本来のさわやかな香りはまだよくわかりません。刺激のコントラストで、薄い塩気、苦み、わずかなうま味は、感じ取りにくくなりました。
質の悪いさわび(を普通の体調で食べた時)=左下のモザイクのように粗い味と香りがします。
私は仕事柄嗅覚が必要なわけでもないので、気楽にこの時期を楽しんでみていました。
味覚はあるので、味はあるのですが、嗅覚はゼロ。風邪をひいても鼻をかめばにおいはわかりますが、コロナ後遺症では、鼻が通っている状態でも匂いが一切ない、というのは新鮮な体験でした。
と同時に、嗅覚が戻り始めると、さわびをぱくんと食べることができなくなり「一種の無敵状態」も、もう終わるんだなぁと、一抹の寂しさを感じました。かなり変な感覚であろうことは自覚がありますが、とにかくそう感じました。
多分、「味覚の鋭敏化」が起こっていたことと関係していそうです。嗅覚がないので、味覚は非常に鋭敏になり、その食べ物の味を繊細に感じようとしていました。多くの食べ物に、五味の他に「うま味、コク」のようなものがあり、それがじわっと味覚を刺激している。そんなことを感じていました。ワサビや和からしに、美味しい味がある、なんて、以前は全然気づきませんでした。
また、嗅覚はおいしさのレンズのようなものだとも思いました。卵料理は嗅覚(かおり)がないと、ほとんど味がない料理でした。調味料をかけると「味のない素材に調味料がかかった味」がします。食べ物のおいしさは「味覚+嗅覚」です。嗅覚によってわずかな味覚要素(塩気とか甘み)をかなり引き立てている料理があります。塩分控えめ、糖分控えめの料理でも美味しいのは嗅覚がレンズのように少ない五味を引きたてているからなんだなと。一方でスナック菓子というのは嗅覚にも訴えるけれど、ものすごく強い味覚成分(塩気、甘み)を持っていることも気づきました。ジャンクフードは嗅覚のない時でも、結構、味の形を保っていましたから。
なお、嗅覚のない期間は6日程度でした。
コロナ陽性判定が出て、高熱が出ていつから嗅覚を失ったかスタートをはっきり認識できませんが、9月7日前後だと思われます。ワサビの刺激を感じ始めたのが、9月13日。およそ1週間です。人により程度の差があるようですが一サンプルとして、無嗅覚時期は6日間であったことも書き留めておきます。
あ、でも、困りごとが一つ。
日々の日課としている山歩き。においを感じないというのは、マズいなと。
臭いにおいがする場所には本能的に避けます。野生動物の存在を感じる(ふんなどの獣臭さ)とか、よどんだ水があるとか、そういうのをセンサーとして鼻は担っています。まったく匂いを感じないと、周囲にある危険を視覚と聴覚だけで感じなくてはいけません。視界のきかない木々の中を歩くうえで、嗅覚というのは遠距離センサーとして非常に重要である。そのことに、気づきました。