37歳の自分へ
「お客さんへの圧倒的な愛が、
製品のフォルムに宿る」
そんな仕事を出来ていますか?
について、しばし、考えていました。
多分、いつもいつも、そう考えている石井ではありますが、その思いの強さが弱いときや強いときがあるのも確か。それは例外なく心の中心においておくことではありますが、それだけでは、時々、突破口を穿つ槍の鋭さが、にぶくなっている気がしていました。それって何だろう。そんなことを夏の間思っていました。
最近、自分の心にあることを、ざっくり拾い上げてみました。
・流れを読めば機会あり
(日本社会は人口減少・経済縮小の中にあります。どの産業もしぼむビジネスにあえいでいます。閉塞感。そしてそれは長期にわたるもの。そんな大きなトレンド感をもっていると、創造的努力やそのベースとなる信念、意志の力、を沸き上がらせ難いものです。しかし、どんな時期にも、時流を読めば機会はあります。例えば、ある制度の導入が5年後に確定的、といわれているなかで、その研修キットを開発・製品化した事例が報じられました。なるほど、この事業はきっと一定規模の新規事業として立ち上がるだろう、と想像できます。時流を読めば、つねに変化はあり、そこに先回りして棹差せば、生まれる流れを自分に引き入れることは可能。変化のない社会では、新しい流れの誕生、という減少は乏しいですが、今は、変化が常につづきます。それが「下り坂」というものであって、人口の減少、企業の退場といった形で、変化が起こり続けます。それに伴い、「これから生まれる新しい流れ」をいち早く察知して、そこに先まわりして流れに掉させば、多くの水が流れ込んでくる。縮小社会も「新しい流れ」を生み出すエンジン。)
・残りの日の中で、一番若いのは今日である。大概の事もはじめるのにもっとも条件がいいのは今日だ。
(打てる手数がもっとも多いのは、時間が沢山あるときです。自分が生涯でもっている時間は、今日が一番多いです。なにか、新しい取り組みをするなら、今日、初めよ。”体制の整う時まで待とう”という台詞は、心理的惰性の産物。やたらと、とりあえず様子見、をつかうのは、バッターボックスでノーカウントからフルカウントにするようなもの。一打席目、一球目から、ふるぐらいがいい。若者特有の行動は、ワカモノでなくなる世代こそ、必要。)
・回転軸を作る人は一見、八方破れに見え、しかし、緻密。多くの人は逆だ。
(これは、京都のある産学連携の支援者を思い浮かべて書いたメモです。あまり熟した考えではないかもしれませんが、勢いや奇策の価値を忘れないために、やはりここに残しておきたい。力のある人が、全国から、彼のもとに一斉に集まる日があり、彼の作り出す回転軸の存在感を感じ取りました。神出鬼没な人ですが、そして内容も奇策といわれなくもないですが、それは成功するなら奇策ではなく、因習にとらわれない新しい戦略パターンが出来上がった瞬間である、とおもいます。奇をてらい失敗するのが「奇策」とのちによばれるのだと、私は思います。本質を強く打ち、しかも、その影響の及ぶ範囲を見通し、それらに細やかな配慮をしています。)
・捨て、一点を強く穿つ。そのベースには優先順位付け。そのベースには評価軸を明らかにする。がある。
(これは、 http://ishiirikie.jpn.org/article/40244426.html に詳しく書きました。新規事業創造の肝になる部分は、一点突破。そこにいたる活動になかなか口火をきれないでいるのは、根源的には「評価軸(あるいは価値観)が明確にできていない」こと。もし、評価軸があきらかになっていれば、優先順位がつけられる。優先順位がつけられれば、穿つべき一点をさらにしぼりこんで、すくない人材で十分に穴をあけられるほど、錐(きり)のようにほそく絞り込んで、一気に突破することができます。進入した暁には穴を広く開ける。それら事業創造・事業成長の大前提には「評価軸を明確にする」がある。新しい取り組みに、まごまごして、なぜか踏み切れないとき、仮説でもいいから、評価軸を作ってみる。具体的に評価基準を作ってみると、それが違っていたとき、人はそうと知ることができる。なので、仮で作り評価する。まずは、そこから回転しはじめます。)
・心豊かな社会への基点は「愛される経験を持つこと」にあり。
(心豊かな社会は、どうすればできるのか。ずっとずっと考えていました。仮説に次ぐ仮説をいくつもへていく論理展開なので、その確からしさは、石井の信念によるところ、としかいえませんが、私は次のような構造だと思います。
-人は誰かから愛される。
-愛される経験があるから人を愛するようになれる。
-人への愛が大きくなり、社会を愛し志しが生まれる。
-実現するために尊敬される企業ができる。
-尊敬する・される関係が沢山ある社会になる。
-その結果、心豊かな社会が生まれる。
最後の所は、もうすこし分解能を上げると、こうです。
心豊かな社会の本質は、物の財や飢えない食料の豊かさでは到達しない。尊敬する人が沢山いて、自身が尊敬される。そういう関係が織り成す社会が心豊かな社会の本質。)
・円熟は良い。しかし情熱と行動力への重しにしてはいけない。
(最近、思うのですが、すこし精神的な円熟味を帯びてきた気がします。自分でそういうことを言うのでまだまだ未熟であろうと、安心しますが、でも、他者への愛を常に考え続けると、次第に、安寧とか穏やかになり、なんというか、「情熱や行動力」のエンジンの回転数を下げるような影響もある、とふと感じました。これは二律背反ではなく、円熟かつ情熱、円熟かつ行動、というのは十分成立しえるのですが、ぼんやりとした心構えでいると、シーソーのように、他方があがれば他方が下がる、になってしまうところがある。そういう上手くないデザインではいけないわけです。創造には常に強い意志の力が要るし、情熱も大事です。円熟は、ブレスト的に言えば、後半側の「批判思考/ブレーキ/冷水」や「アイデアの強化部分」にあたる要素をたぶんに持っています。一方、情熱は、ブレスト的に言えば前半側の「創造思考/アクセル/熱湯」や「未成熟なアイデア(wild idea)の創出」にあたる要素をたぶんに持っています。両方大事。両方必要。ただし、時間で分けること。特に、いつも「冷水」は顔を出したがる。・・・そんな感じのことを、非言語的に考えていました。円熟という心理様式も、時には、すこし押さえてブレストする。荒れてもやってみる。それが大事だと思います。)
ことしの「8月22日の日記」は例年よりも、まとめられていません。しかし、それが今年の8月22日の事実の姿です。あえてそぎ落とさずに、このままのせます。
さて、最後に、38歳の私へのメッセージです。
・縮小社会において、チャンスとなる流れを見出していますか?
・開発において、評価軸をもち、情熱的に動き、深い愛をもって仕上げていますか?
・顧客が一点突破できるよう「創造支援」してますか?
(今年は欲張って、3つにしましたが、来年からは、絞った1つにするべきです。増やしたものを習慣にしてはいけません。贅肉と目標はほおっておくとおいたら増えて動きにくくなるもの。)