
源光庵の中庭を望む縁側で、ただひたすら夕暮れから日没まで、ぼんやりと過ごした時のことを、ただぼんやりと書いてみます。
建物の中から、見上げると

秋の空を覆う紅葉がみえました。
その光景に誘われて、中庭の見える縁側へ、ふらふらと。

萌えるような紅葉というのは、最盛期の紅葉が夕日に輝く時なのかも、とふとおもったり。
目を移すと中庭は、日が陰り始めてきました。

しかし、縁側にはまだ夕日が差し込んでいて、すこし冷たい外気と日差しでいい感じの日向ぼっこです。


もう、美しいなぁ・・・という言葉しか。



半分、思考停止状態なのか、考え込んでいるのか、ただただ、表情の変わっていく夕暮れの中庭をずっと見ていました。



写真では、わかりにくいですが、刻一刻と、夕暮れは、木々の表情を変えていきます。

もうすぐ、日没、最後の輝きには、なにか感じるものがあります。

そして、日没へ。


日が沈むと即座に色をうしなうかといえば、そうでもなかったです。

大気はまだまだ、光をはらんでいて。
徐々に暗くなるまでの間、彩は、しっとりとトーンを抑えていきます。


夕日に輝く時よりも、この残った明るさで見える、赤と緑の葉のコントラストのほうがより、色鮮やかなみずみずしさを感じます。

徐々に、暗さがつよくなり

山の向こうの太陽からの大気の照らしも徐々になくなり

宵の闇が徐々に。


かれこれ、2時間も、そこで座っていました。
考えるでもなしに考える。そんな時間を、ただぼーっと、素直な感性のままに景色を感じていました。
京都、いいですね。
(仙台が好きで、仙台を終の棲家に決めた私ですが、京都、鎌倉、高知、長野、あたりもとてもいいところだなぁと思います。)