魂を込めていくような作業を、創造の観点から、いろいろと調べています。
先日東北大学の図書館に貴重文献を調べに入りました。目的は、仏像の彫刻の制作過程。「鉈(なた)彫」や「立木仏」を木から掘り出す時の心理様式を詳しく知りたいと思い。
その時、近くの棚にあった本を思わず読みふけってしまいました。
こけし。
今まで興味を持ったことがなかったのですが、こういう一文に出会って、引き寄せられて読んでいきました。
この本の中ごろには、とある特徴を持ったこけしの顔が何ページにもわたり、フットノート部分にありました。
この本は、
という本で、既に絶版、多分、かなり小規模の販売だったのではないかと思うのですが、真摯に取材して、かなり踏み込んだ職人の世界への言及がありました。
「こけし」と一口にいっても、
当時、10のタイプがあったそうです。(1989年の本なので、現在はもっと分派したり、あるは統合がすすでいるのかもしれません)
こけし、を巡って強烈なマニアが、名工の作を、競うように手に入れているというのをしり、強烈なファンのいるというのは、芸術や創造が深まる1つの条件かもしれない、という仮説を想ったりしていました。
創造ツールを作る私としては、次のページには、やはり興味を惹かれました。
こけしの絵付け。
クリックすると拡大します。
これを見ながら、しばらく、iPadのZen Brushで、こけしの絵を描いてみました。手順通りにやると、なるほど確かにこけしらしくなる。何度も書いていると、手本通りには書けなくて、我流になる。不思議なもんだなぁと。
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伝統芸能の世界はその蓄積がふかく、創造の観点からは非常に興味深い、人間の能力の発露が垣間見られます。
時間がある時には、また、大学図書館で、仏像の彫刻をする職人やその修理をする人の世界を調べてみたいと思っています。
「芸術的な創造」と「産業的な創造」。
この2つは、かなり根っこの部分から違うものがあり、それらを未分化に融合しながら我々は創造を議論し、創造という行為をなしています。それでいいのですが、私はもっとその部分について知りたいと思っています。創造工学、という、アプローチを超えて、もっと、クリエイティビティーの闇の中を進んでいきたい。最近、切にそう思うのでした。
■仮説的なメモ
多分、ですが、産業的な創造、も、その限界点を突破していくと、芸術的な創造の領域に突入する、と思うのです。
人の、創造への学びも然り。
「アーティフィシャル(人工的な)な創造プロセス」を、知り、体験し、繰り返し、独自化していく。その先には、独自の創造という「アーティスティック(芸術的)な創造」がある、のではないかと考えています。
とはいえ、何にも師事せず創造的な芸術家が登場することもあるわけで、創造という非常に有機的な道は、1つではなく。