毎年書いている、「8月22日」(誕生日の日)のブログ。今年は、当日に書きあげられませんでした。この一年は、変化があまりに大きすぎました。しかし、やはり、書きます。
昨年の私が、38歳の私に投げかけた問いは、次のような物でした。
• 縮小社会において、チャンスとなる流れを見出していますか?
• 開発において、評価軸をもち、情熱的に動き、深い愛をもって仕上げていますか?
• 顧客が一点突破できるよう「創造支援」していますか?
珍しく、3つも問いがありました。
1つずつ、問いに答えてみます。
「縮小社会において、チャンスとなる流れを見出していますか?」
昨年、2010年8月22日に予想していたよりも、縮小社会のトレンドや経済のシュリンクは、大きな衝撃により加速されています。もちろん、逆のトレンドを短期的に取っているところもあります、復興で伸張している一部の産業です。総じていうと、人口面では縮小していくこの社会は若者の海外就職が顕在化する数年後にむけてより重要な問題になるでしょう。少子高齢化から、海外就職高齢化、に相当する言葉が出てくるはずです。
こういう局面というのはピークを過ぎた国には見られることで10−20年のスパンで見れば、今の産業伸張力のある国でも見られるはずです。それぐらいの長期でいうと日本はまた違った局面を迎えているかもしれない。そう思います。
縮小社会に突入してみて「チャンスとなる流れ」とはそもそも何か、それ自体の定義も難しいとはありますが、答えてみようと思います。
縮小社会が生み出す一つの流れは「自分で化」だと思います。
「社会で余剰な物」が、発展期と衰退期でまるで違います。前者はお金、後者は時間。今の社会では、可処分所得が減り、一方で時間は余ります(ただしポジションによっては過酷な労働環境にあり、必ずしもこの限りではありませんが)。
お金はなく時間が余る縮小社会のトレンドにおいては、「欲しいものを自分でつくる」「欲することを自分でやる」がよく見られます。個人では外食が昼食・手作り、になったり、完成品を買う代わりにDIYへシフトしたりしています。
企業内も「自分で化」が進みます。研修、人材育成、社内の制度設計などが、外注から内製へ流れが変わり始めています。大手コンサルに湯水のようにお金を払った時代から必要なパーツだけを社外に依頼し自分たちで人材を育むフレームワークを作るような傾向が強くなっています。成長期には営業代行のレップ制度が流行りましたが、現在は自社の力で売っていこうという傾向が再び強くなっています。大手企業の下請工場を訪問しても、その下請会社さんでしかできないこと以外はかなり少なくなっています。これはもはや下請けという業態ではなく、独自技術を提供する中小企業へと、強制的に転換を求められている社会になったということでもあります。(もちろん、これらのトレンドがすべてではありません。逆にやはりファブレス化を推進しているところもありますので)
なお、家庭にしても企業にしても、この「自分で化」は実は幸福度の増える可能性も含んでいます。今年の3月30日にこんなことを書きました。「人は手作りする機会が多く、お金を使う機会が少ない暮らし方をしている方が、幸福度が高い。という説があります。手作りでいろんなものを作る社会。それが復興後の「新しい発展」の1つの姿では」
創造力など、人材開発研修に役立つ道具を私たち(アイデアプラント)は創っています。これまで創造力などの人材開発の研修には、フルパッケージが好まれていたところがあります。ですが、近年、自分たちでそれをやろうとする動きも増えてきました。私たちの道具がそういう時の補助ツールになっていることも知りました。大手の研修機関のパッケージではカスタマイズはきいても、自社の思想をベースに研究プログラムをゼロ構築することができないため、自分たちでくみ上げてたりない所だけを探してきて適用する、そんなスタイルをよく見るようになりました。そういうトレンドを見ると、アイデアプラントとして社会に求められていることは、非常にたくさんあるなあ、と思っています。今は私の所には、ワークショップ込みで依頼される企業さんが多いですが、徐々に、道具の提供がメインになると考えています。それを踏まえて、既存製品の進化形も作っていきたいと思っています。
“縮小期の社会に出現するチャンスがある。”それはまだうまく見切れていないのですが霧の向こうに存在するのは感じています。自分の周りの事は見え始めています。でも社会の広いエリアではそれがなんであるのは、もう少し視力を上げてよく見ないと、いけないかもしれません。
「開発において、評価軸をもち、情熱的に動き、深い愛をもって仕上げていますか?」
評価軸)アイデアプラントの究極的な命題は揺らぎませんから、軸の点はだいたいOKです。ただ、具体的な適用のレベルになると、柔軟に開発の評価軸を再定義していく必要があるだろうことは、常に意識しています。先の所にも少し書いた通りです。もっというならば、IDEAPAPERのように、従来の開発思想には当てはまらなかった製品のヒットを受けて、私たちが取りえる選択肢には他にも可能性がある、と気づかされました。評価軸がぶれないということはかっこいいことのようでいて、長い時間スケールにおいては、功罪がある。究極的な命題は揺らがず、しかし、短期的な行動レベルでは、別の考え方を試したりするのは評価軸自体についても、そうなのだろう、と思います。ということで、具体レベルでの評価軸は、変えていくためにしばらくブラしてみようかな、と今の私は思っています。一言でいうならば、いろいろ作るためにいろいろ試そう。と。
情熱)常に情熱的に開発をしていたか、と言えば違うかもしれない、とも思っています。こども向け発想ツールを震災の避難先で作っていたことを踏まえれば、ここはYESでいいかもしれませんが、「頭をいつでも開発に向けていたか」といえばそうでない時期も結構あります。こども用ツールも、他の復興支援にかまけて、進捗を長らく停めてしまっています。情熱というのは時に、周辺の物をなぎ倒してまでまっすぐに突進していく巨大な鉄球のようなものだと思うのです。小器用に止まれたりハンドルを切れるものとは違う、そんな気がします。復興支援の展開が続く状況で、数か月、今しばらくは厳しいかもしれません。
愛)深い愛をもって仕上ているか、というと、自分に正直にいうならばNOかもしれません。時間の無さを言い訳に「形になる段階」を人にお願いしていることが結構あったことに気が付きます。それは自分が望む“ツール作家”としての生き方とは反していることに、いまここで気が付きます。使ってくれる人を見つめるまなざし、使っている人の手元でどうそれが、もってあそばれるか、をそれを何度も何度も見ようとする姿勢がどこまであったのかを、自問したいところです。ストイックかもしれないけれど、顧客への圧倒的な愛を持ち、その愛が製品のフォルムに宿る、僕は尊敬する企業を見てそういう仕事をしたいと強く思いました。それは変わっていくなかで変わらずにいること。今の私はそう思います。心に愛がなければ、お金というのは感謝の物質化したものじゃなく、労働力の物質化したものに成り下がります。アイデアプラントというのはそういう組織では、うまく物が作れなくなります。
職人のように、何度も使う人の動きを想像し、地道に時間をかけて丁寧に作る、そうありたいのです。
「顧客が一点突破できるよう「創造支援」していますか?」
これについては、心意気としてはYESと思っています。震災後、大量のアイデアワークショップをしました。企業向け、大学向けのも、かなり行いました。お客さんのことを本当に愛して、その人のために、と考えて、ワークショップを設計し、創造支援をできたか、と言えば、できたと胸を張りたいところです。
ただ、創造活動の組織的行動を設計する支援に関しては、もうすこし修行が要るなあ、と思うのです。もっとよい何かを提供できたのではないか、という可能性も、時折、感じます。
そんな感じに、過去の8月22日の日記を振り返ってみました。
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さて、一方で、今の時点に戻ってみると、今年(2011年)は、不連続な未来にたどり着いたなあ、と思います。
なんと言っても、2011年3月11日。東日本大震災。我々は多くのモノも、仲間も、失いました。東日本で、親の一方をなくした子供が1200人規模。両親ともなくした子供が250人規模で、います。
地域の子供達が、未来に、もっとたくさんご飯が食べられ、もっと希望あふれる道をゆけるように、この時代に生き残った大人たちは、破竹の勢いで豊かな未来へ全力で進まねばならない。そう思うのです。
震災後一ヶ月は、皆、友人や故郷の街そのものを失ったショックで茫然自失の時間を生きていましたが、今の地域の空気は違います。復興への強い志し。渦巻くその気運は、人々に多様なチャレンジをはじめるエネルギー源となりました。個々人の生活が疲弊するようでは長続きしませんので長く続けられるようペース配分はいりますが、皆、120%出力で疾走しているようなところは、やはり今もあります。
今時期はお盆を過ぎたところです。今年は、新盆を迎える人(故人)が大量に出ました。悲しい現実。それを受け止める段階で張っていた気が緩む感じもあります。夏が過ぎ、秋風が吹いてくるころ、本物の志や情熱の人と、一過性の人が、分離していくと思われます。被災地以外からの支援に一足先にその現象は見られました。次はこの地域自体がそのフェーズを迎えるでしょう。だれも責めることはできないし、短期的にでも、志しに動いていた人々に感謝をしなければいけないと思います。あるいは、無理のある形から、長く続けられる形へ徐々に変わっていくことも皆が受け入れていく時期でもあるでしょう。
フェーズが変わる。本当に経済的な深刻さを迎えるのは、雪が降り始める前ごろからだ、と私は見ています。この予想を来年の私は“杞憂だよ、ばかだなぁ”と笑っていられればいいなぁと願うばかりです。今の私にできることはあまり多くないですが、その時期への備えとして、クリエータの仕事を作る活動に取り組んでいます。一年後の私にはそれがどう見えるのか、興味深い所です。
そして、もう一つ、時代の空気を語る要素があります。
“一度封印が解けたら御しきれない苛烈な龍を、我々は飼っている。”
放射能の長期的な拡散と電力に依拠する国内産業ダメージという経済的な懸念。これは国民の中でも、原子力発電所問題への姿勢を複雑なモノとしています。復興への見通しは希望の光と不信混乱の闇がマーブル模様のように混ざったものとして存在しています。
修士まで理論物理を専攻していた身として、科学と人類について最近、再びよく考えます。科学者の知性は時にブレークスルーを生む。しかし、我々人類はいつでも賢明であるわけでもない。利用できるが、出てくるものの有害さを消す事はできない。2011年のこの時代、我々人類の科学技術はまだずっと未成熟である。その事を謙虚に受け止めた上で資本主義経済を回すのでなければいけない。そう思うのです。
しかし、人間の強さを私は信じています。非常に困難な状況が来たとしても、人間は黙ってそれを受け入れはしない。きっと創意工夫がなされて、改善されていくものもかなりある。そう思います。医学の発達、排泄を促進する機能性食品の登場、新しい観点での健康診断、衣服の変化(よくある未来人のつるんとしたスーツというのは、花粉や放射性物質の付着を少なくし、エアによるパワーアシストをする良さそうな形にも思えますが)
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いつもの、来年の自分への問いかけ。これは今年は悩みます。ことし達成したい目標を書いているのですが、果たして今年はなんだろう。この一年は、かなり踏ん張りどころになるだろうと思います。アイデアプラントの仕事が増えてきて時間的に非常に足りない中で、一つ一つ愛を持って仕事を仕上げていきたいし、新しい作品も作りたい。多くの人とかかわるプロジェクトの効果的な展開にもできるだけ、知恵を絞りたい。その意味では、この一年でどうしてもやり遂げたいことに、注力しそこで圧倒的によい仕事をする、ということなのかな、と思いつつあります。
「戦略の本質は捨てることにあり」と、かつて某先生が言っていました。そうなのかもしれません。何かを成し遂げるということは、捨てること・やらない事を決める事とも非常に密接な関係にあるのかもしれません。
一方で、「志あるところに道は拓ける」という言葉が、示すように、闇の中に道を照らすもの、それは、高い志し、ではないか、と思うのです。“捨てる“ということをやみくもに振り回すと、何も残らなくなります。とても素早く楽に行けるけれど、それは下り坂です。捨てる時には、聡明な判断をもって捨てるものを選ぶこと。
「戦略の本質は捨てるにあり」と「志あるところに道は拓ける」は、闇の中の時代を行く、二枚のお札。これをいつも胸ポケットにねじ込んでおいて、道を作りながらゆきたいです。
39歳の私への問いかけ。
39歳の私は「多くの人を愛し、その人たちが幸せになるように、何かを作っていますか」
(幸せになるように、考えるだけじゃだめ。やっぱり、何か作ろう。それが自分らしいですよ)