韓国に滞在して、アイデアワークショップをしていた時の日記に、感じたことなのですが
「
英語を英語力のためにトレーニングするのは僕には合わぬと悟りました。話したいテーマがまずある。会話したいという強い情熱が生まれる。エラーフルに会話する。足りなきゃ日本語混ぜる。話す、話す、話す、一緒に行動する。そうしたら、自然に相手の英語能力をコピーし始める。そう思いました。」
と当時の僕は思っていました。エラーいっぱいの英語で、書いていて、話して、時々、ハングルでも書いて、話しています。
この韓国滞在時、日本人は僕ただ一人でした。大邱(テグ)広域市は、大きな街でしたが、ソウルや東京と違って、国際都市、という雰囲気ではないので、スタッフも観光客にも日本人はいない。そういう中で毎日生活していると、第一言語の座から、日本語からおりて、かわりに、英語が第一言語の座に座る、そんな感覚がありました。
( someday,someone から now,youへ )
いつか使うから、という勉強。
だれかに話しけるから、という期待。
それは僕には向かないんだなぁと、強く思います。
今伝えたいから、という強い切迫感。
あなたに話したいから、という強い動機。
そういうものが、language master の近道。(かもしれません)
それから、もう少し余談を書きます。
【思ったこと】
韓国では、いろんな場面で、相手もさほど英語はできないので、こちらの、単語組み合わせ英語でも(むしろその方がわかりやすいのかも)というぐらい、意思疎通ができました。ある場面では、英語の流暢なアングロサクソン系の外人さんの言葉は聞き取れない様子でしたし。(でも、国際的なサービスをする場所、たとえば空港内のカウンターなどでは、それはもちろん逆になりますが)
もう一つ、余談を書きます。
【Findings】
当時を思い出し、ふと、いま、日本で感じた2つのことがあります。
1)帰国後、他言語感覚を失う。ものすごい速度で。
2)日本語の繊細な表現への感覚が雑になった。
韓国では、毎日英語でした。つぶやく言葉も、間違った文法でもとにかくつぶやいていました(Oh, I misteke → Oh, I made a misteke.)。ところが、日本に戻ると、24時間のうちに、日本語になります。じゃぶじゃぶ入ってくる、日本の言葉が、最初は「ランゲージの選択=Japanese」みたいな感じでしたら、そういう選択メニューはあっという間に消えました。成田空港から三十分ぐらいの間は人にぶつかると、Excuse me. と言ってしまったのが、もう、何の違和感もなく、日本語に。
そして、今、帰国し10日以上たった時点では、韓国の先生とのメールのやり取りが、英語だったのが(彼は日本語も読めるので)だんだん、日本語交じりの英語になり、日本語だけで書こうとしているのを感じます。韓国にいる間には、表現したいことを、間違いだらけでも英語が第一言語として紡ぎだしの出口にいたのに。
怖いくらい、急速に、言語の能力は失われますね。帰ってからの数日は毎日英語を聞こうと努力もしたのに、もう、一切そういう気持ちが湧きません。本当に人間の「慣れる力」というのは怖いわ、と思います。言語コピーすべき対象が日本語ユーザしかないなと、こうなるのだなと。
もう一つ「雑」になった話。
日本語でスライドをよく作ります。アイデアワークショップ、というとてもデリケートな思考活動のことを、短時間で楽しく体験してもらうための内容なので、ちょっとした言い回しにも気を払います。ただ、昔よりも、日本語の表現が、大雑把になったな、と、思います。他人は気が付かないでしょう。でも僕の中では、わかります。頭の中のコンセプトの輪郭に合わせてしっとりとしみこむような感性的な言い回しをできることは、言語選択の余地がない時には楽なのかもしれないと思いました。いま、その力を発揮しようとすると、シーソーの反対側のように、口をついて英語が出てくる、ということは、なくなったようにも思います。もっと、熟達していくと、どちらもよい状態に保てるのかもしれません、あるいは。
外国人と毎日接する。それも、訓練のための会話じゃなく、必然性があって、伝えたいテーマがあって、そうする。
そういう状況を作ることが、最も大事なんだろうと、失いつつある外国語感覚の中で、思うのでした。