
ノートを新しいものにするたび、書き写します。
人生は有限、だからこそ、命や人生は輝く瞬間がたくさんあるし、影や悲しみは、光やうれしいことの、コインの裏表の存在かと。
若いころから、石井家は短命でいつでも悔いのないように生きよ、という教えをもらって生きていました。
今日、実家の父の検査結果を聞いて、短命な家計というのは、やはり逃れられないものだと覚悟しました。代々の教えで、覚悟しているよりはずっと長く人生を歩めるようですが、現代の寿命水準からすると、平均に比べて、やはり短命傾向は覚悟しています。
普段は、このブログには、プライベートなことはほとんど書きませんが、日々、強く決意をしながら、生きています。ある日、予想よりもずっと早く、命が尽きるということを突き付けられたとしても、悔いがない毎日を、送る。今日も、明日も、明後日も。今この瞬間も。
まだまだ、社会に恩返ししなくちゃいけないこと、いっぱいあります。遠くを見据えて大きな構想を描きつつも、日々、完全にやりきる、そういう毎日を、ひたすらに、行こうと思うのです。
時々、仲間や知人各位に、不義理をしてしまっているなぁと、思うのですが、残された時間がたとえどれほどであっても、自分が世の中からつけてもらえた能力を最大効率で生かすために、最良の道を選んでいるのだと、温かく見守っていただけましたらば幸いです。
(ああ、出版社さんから、言われた原稿も、書かずに、ずるずる、、、一緒に作ろうと昔から声をかけてくださっている企業さんにも、また。。。すみません、すみません、と思いながら、全力疾走をする日々です。)
少なくとも、ある日突然、何の準備もなく、寿命が尽きたとしても、その時の僕も、きっと後悔は一粒も、ない。そういう生き方をして最後の時を送ったでしょう。娘や友人に言葉を残す間もない時には、このブログの、価値観・日記カテゴリーの所に、書いている文章が、そのかわりです。