日曜日、再び、浅草橋のいつものホテルに戻ってきました。
脳波応用系の情報源を読んでいて面白い記事がありました。
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0005100461.shtml
それを自分なりに手書きで書き写してみました。なぜわざわざ、というのはありますが、それはさておき、貼り付けてみるとこんな内容でした。
絵は、脳だと思ってください。
この話に登場する脳の部位は2つ。
脳の中心には側坐核(そくざかく)という部位があります。これは報酬を喜ぶシステムに関わる部分とされています。
両目の間の少し奥の方に、眼窩前頭野(がんかぜんとうや)という部位があります。これは、疲労感を司る部位とされています。
(窩というのは穴という意味で眼球の入っている頭蓋骨の大きなくぼみを意味しています)
面白い実験で、被験者(若い男女17名)に、画面に表示される数字が前と同じかを確認してもらう作業をしながら、脳の各部位の血流を磁気的に測定する実験を行ったそうです。その際に、残り時間を表示すると、側坐核が強く働く(血流が多くなる)ことが見られたそうです。また、側坐核が強く働くほど、眼窩前頭野の働きが抑制されたそうです。
その部位が司路る機能の面からこれを見ると「残り時間を教える⇒報酬を喜ぶ脳の機能が活発になる⇒疲労感を軽減する」という構造として解釈ができます。
これまでも、経験則的に、残り時間の提示には良い効果があることはいろんな分野で言われていました。それを支持する結果を科学的な実験的で示したことはとても意義深いですし、関連した情報が、一歩踏み込んだ脳の情報を明らかにすることも期待できるかもしれません。例えば、頻繁な残り時間の提示はどう働くのか、とか、あまりに残り時間が長い場合は、逆効果があるののか、仮にそうであったならば、どのあたりから反転するのか、などなど興味深い問いへの科学的な回答が示される可能性があります。
(蛇足です。上記の興味深い内容の紹介、という内容から外れる話を書きます。”科学的知識の利活用についての謙虚な姿勢を持とうという話”です。)
もちろん、実験室と日常生活は違います。
実験のように「同じ数字かどうかを見続けるという作業」での実験結果は、複雑な思考や周囲との共同がいる作業においてどの程度まで確からしいとみるかは、慎重な姿勢をもちつつ、進んでいくべきであろうと思います。
ニュースの報じ方は、時には荒っぽいケースがあります。(注:上記のリンク先は、きちんとしていると私は思います)。荒っぽいケースでは、この辺の構造を非常に単純化し「残り時間すると、どんな仕事も疲労軽減!」的な表現をしがちですが、科学的な知見というのは限定されたパラメータにおいてならば正確に成り立つ検証結果を提示するのであって、実社会のいろんなことへのその知見の応用というのは、”確かめられた事実が仮にその隣接的な状況においてもほぼ成り立つと仮定するならば、次のように言えるかもしれない。”という、回りくどくも見えるけれど慎重な姿勢のもとに扱われるべきでしょう。それが
多くの良い知識を適切に人々が利活用しえる道であり、その先には、
科学と社会のよい循環的発展があるでしょう。
逆に、科学的知見の正しくない使われ方ってなんだ?という問いに対しての想定例としては、「残り時間を頻繁に提示しさえすれば、どんどん疲労を消し去れるはず。なのに休憩がないと頑張れないのはお前の甘えだ」という適用のしかたです。近年はそんなに乱暴な論理展開をする企業やマネージャーはほとんどいないでしょうけれど。
科学的な知識の周辺領域への応用、いや、利活用、というのは、あくまで、謙虚な姿勢をもちつつ、慎重に、しかし大胆な仮説を立てながら有効に活用していくべきだと私は思います。