冬休みは、勉強のシーズンでもあります。知っていくことを書きとめていく、学生時代ライクなブログの運用も、この長い休み期間ならではの使い方です。
印象に残ったことをメモしておきます。
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知能には、二種類のものがある。
流動性知能、と、
結晶性知能。
それらを総合したものが従来の知能として表現されていたもの。
流動性知能。これは、新しい環境への対処の能力など。幼児期からどんどん伸びていき成人になる前にピークを迎え高齢に向かってずっと降下していくもの。
結晶性知能。これは、積み上がっていく経験からくる能力など。幼児期から成人期に向けてどんどん伸びていき、それ以降も、ずっと徐々に伸びていくもの。
この2つの足し算のカーブとしては、幼児期から成人期にかけてぐんぐん上がるカーブが成人期をピークに下降していくカーブへとつながっていく。従来の知能の考え方は、この曲線をみて、知能が下がるばかりという図になっていたが、ミクロに見てみると、結晶性知能、という点では、人は高齢になるに従い上昇し続ける知能領域がある、と言える。
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この概念は、実社会の「老いてますます能力の高い人物」を説明する時にとてもよくマッチしています。企業などで、多くのベテランの方は、ご謙遜されつつ「最近、年齢のせいか、頭が固くなりまして。」とおっしゃられるのですが、仕事のクオリティなどは、それこそ若手が到底及ばない水準のことをされ続けていたりします。
上記のモデルで言えば、理屈としても合点がいきます。加齢に伴う「流動性知能」の低下、つまり、新しい環境にあてはめて考えていくようなことは確かに、衰えとしてあり得るのかもしれず、かつ、一方で加齢に伴う「結晶性知能」の上昇、つまり、経験からくる高い技能や思考力は、後人には及ばぬレベルに上っていく。もちろん、個人差はあります。体のキツサはさっぴくとして、新しいことに次々飛び込んでいこうとするような、流動性知能に近いことを老いてますます盛んにしていく方もおられます。なので、必ずしも、皆が皆、上記のようなカーブに乗って知能が遷移するわけでもないかもしれません。
私はいま39歳ですが、総合的な知能カーブから言えば、ピークから20年ぐらいがたったわけですが、昔から流動性知能が低かったようにも思うのであまりその点で変化があったようには思えませんが、結晶性知能については、いろんな分野を学び、専門家の友人も増え、多様な業界に仕事でよんでもらえて、情報量の増加幅は年々増えていきます。その意味では、何かのブレストに参加していても昔よりも非常にたくさんの発案が湧き出てくるし、引用できる関連事項も増えているように思え、確かに、結晶性知能、という側面があるな、と感じます。
(ただ、有限の脳の能力域を、より多くの部分をクリエイティブシンキング系のものに割り当てる改修工事が常に行われているもののプラットフォーム全体は徐々に狭くなってきている、ということもあるかもしれません。若いころに身に着けた商社での仕事の仕方のうち何割かは、いま、意図的に再現しようとしても難しくなっていますし。)
印象に残った学びと、そこから想起することは、以上です。
いろいろ不確実なことを書いたのですが、一つここから抽出しておきたいことは次の事です。
”年を取ったから、頭の能力が全領域的に衰えていく、そりゃ仕方ない。自然なことだ”と開き直るなかれ。”天寿を全うするその最後の日まで、脳のある領域の能力は、伸び続けていくのだ。”という信念に近いものをもって、成長する人生の坂道を上るように生きていくのが良さそうだ、ということです。
出来ぬとことへスマートなエクスキューズ、怠惰への免罪符、を手に入れてしまって、久しく力を使わなければ、いざという時にすっかり失っている。人間とは、伸びて実りて最後に種に戻るような、存在だと思いますから。