連休が終わって、新緑を吹き抜ける風と日差しが気持ちいい午後です。日本でも、今日みたいな、地中海性気候のような日がもっとあればいいのになぁと思います。
さて、本題です。
仕事がら、ベンチャーや中小企業の新製品ブレストの場面によく同席します。オフィシャルにあるいは飲み会の席で。
アイデアは思いつくけれど、売れるかどうかは別問題。・・・創造的な話し合いが出来ると、その先に、この壁に良く当たります。
そういうときに、かつて、大学院で新事業創造やハイテクベンチャー論を学んでいたときに、得た一つの観点があり、そういう場で伝えています。
それは「業界内の大企業がかつて、新製品として参入したものの、ほどなく撤退したものには、小さい市場がある」と言うものです。
大企業が製品化まで行くときには、市場として、例えば年間30億円ぐらいある、あるいは一桁小さいぐらいの市場がある、という事前市場調査や分析的算出があって、Goがかかります。
そして、実際にやってみると、そんなには行かなかった。
そこにはある程度のサイズの市場があることは分かっているわけです。
なので、例えば、3億円の市場には満たないけれど、数千万円の規模のサイズの市場がそこには潜在的にあることが分かります。
大企業の量産によるコスト競争力には、中小の生産量では太刀打ちが出来ないので、そこにある「大きくは無いけれど、全くないわけじゃない市場」に対して全部をとりに行くことはできませんが、市場の中には非常に高い値段でもそれを求めるようなエクストリームな顧客がいます。そそこに標準をあわせれば、ある程度の高い価格の製品でも初期の市場が望めます。市場の1割と見て、数百万円。
そのサイズであっても、(そのサイズの顧客群だからこそ)、高収益の見込める製品にはなります。
ということで、この話の最後にいうのは
「同業界の大企業が、かつて取り組んでやめた事業/製品を大量に調べる。そしてそこに新しい可能性を見出せないか、ブレストしてみる。すると、中には結構、自社ならちょうど良いサイズの市場をもったものが、発想できるでしょう。」と。
・・・ 執筆余話 ・・・
古いアイデアも、現代の技術や社会インフラで、命を与えなおせば、結構な可能性を持っています。
最近私が経験したを少しつづって終わります。
「大学院に戻った10年前の当時、技術的には到底無理だと判断した企画製品」があります。
その際には極簡単なコンセプトテストもしました。
そして、割り出した、仕様と販売価格。
10年たった今、その仕様と価格と非常に近い製品が、市場に登場しています。
もっといえば、実は5年前ぐらいから、非常に無骨ででかくて使い物にはならない製品は、登場していました。
なので、アイデアが現実の射程に入り始めていることは感じていました。
10年後の今、ぴったり同じ物が形になり出現したのを見て、思いは複雑です。
先に述べたことに関係することから書けば、
「
当時は不可能だったアイデアが、可能な仕様になった」
ということ。そして、多くの人がかつて思いついていたアイデアが、充分な機能&リーズナブルな価格として、世に出現するのは、ずいぶん後のことであり、
「
古びたアイデアの、製品としての新しさ」
とでもいうものが、常にあるのだ、ということ。
それから、本論には関係の無い、思いとして湧き上がったことは、”当時、そのアイデアを評価した審査員が「良いアイデアではない」と評価し、自分もそういうもんだと思い込んだ”ことに気がつきました。
いま、そこから思うのは
「
評価者の評価(--それが、Goodであれ、Badであれ--)その評価の正しさには賞味期限がある。」
ということ。
いいね、も、駄目だね、も、人間の下した判断は、10年たてばゼロ・リセット。
そんなことを、五月晴れの中、仕事の休憩中コーヒーを飲みながら、思っていました。
posted by 石井力重 at 14:21
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