娘たちと小麦粉の粘土で遊んでいました。白と3色があり、まぜると複雑な色ができます。
白と青を混ぜて水色を作ろうとしたときに、こねはじめてしばらしてから、手を離すと、美しいマーブル模様でした。上の娘は「わー、きれい」と喜んでいます。
PCの作業に慣れてくると、わすれてしまっていました。アナログで表現できる複雑なものは、PCでは表現しにくいものも、あるんだと。
今回は取り忘れましたが、デジカメで、デジタル紙芝居を作れば楽しいかもしれません。あとでセリフをつけながら。うまくとれば、簡単な絵本のようなものはできるかもしれません。
このところ、上の娘とは夜も朝も会えず、幼稚園で何でいろんなことがあったのも知らずにいました。ひさびさに、娘たちとゆっくり手遊びをした日曜日の午後でした。忙中閑あり。一点豪華に時間を使うならば、僕の場合、子供たちとのたわいもない言葉をゆっくり気持ちがつたわるまでお話しすることだと思います。(そして、それは心の豊かさと開発の時のやわらかい部分をうまくとらえる能力にもつながると)
2008年08月31日
2008年08月30日
三つに分ける
齋藤孝さん(大ヒットした著書『声に出して読みたい日本語』、企画をされている「にほんごであそぼ」などがある)が子供向けに書いた本のシリーズが示唆に富んでいます。
シリーズの第10巻は『ちょっとお金持ちになってみたい人、全員集合!』というびっくりするようなタイトルです。内容は大人が読んでも、う〜んと唸るようなシンプルな本質を表現しています。決してずるがしこいノウハウというわけじゃなく、むしろ、人の役に立つことをベースに価値提供と独自性の創造の考え方を平たく説明している素晴らしい本です。
その中で、特に印象に残った部分があり引用します(同書、P32)
(引用ここから)―――――――――――――――――――――
赤字を出さないコツは、計画を立てること。これに尽きる。そして、計画を立てるコツは、お金を分けることです。三つに分けるといいですね。
1.ぜったいに使うお金
2.使うかどうかわからないお金
3.ぜったいに使わないお金(貯金)
おこづかいをもらったら、この三つに分けてみる。実際に、おさいふを三つ持って、三つに分けるといいかもしれないね。
―――――――――――――――――――――(引用ここまで)
1は最初にどけておく。
3はもらったお金の10分の一ができたらしっかりしているといわれる。
その上で、曲者は2、だといいます。ここがコントロールのしどころだと。
敵がお金をむしゃむしゃごくんと食べちゃう、といって敵と対処法を書いてあります
敵1:人が持っているものをほしくなってしまう症候群
敵2:衝動買い
そして、選ぶことをワクワク楽しみながら行う3つのコツが述べられています。
相場を知る(いろいろ比較しよう、情報を集めよう)
素材を知る(もともとの素材はなんなの、透視してみよう)
自分を知る(一点豪華主義、自分の中に基準を作る)
ここまで読んで、なるほどなぁ〜、と思いました。起業家の仲間も多いですが、どんぶり勘定で収支黒という人もいますが、赤の人もいます。この小学生向けの本は、会計の本を読む前に、数字の嫌いな起業家さんに読んでもらいたい本です、ぜひ(しかも、一晩で読めます)。
私がここで書きたかったのは、「時間」に置き直したら、ほぼ同じ議論がなりたって示唆があるのではないか、とおもった、ということです。
ちょっと書いてみます。
時間を3つに分ける。
1.ぜったいに使う時間
2.使うかどうかわからない時間
3.ぜったいに使わない時間(貯時?)
敵1:人がやっていることをしたくなってしまう症候群
敵2:衝動的に無為な時間の使い方をすること
あることをやるのに必要な時間(所要時間の相場)を知る
所要時間の構成要素(何にどれほどの時間がかかる)を知る
自分を知る(これだけは、贅沢時間を使う、他のは余計な時間出費を抑える)
こうすると、いろんな示唆がありますね。
実は、その1.2.3.については、カードにして、手元に持っておくようにしました。机の前に座り、さあ、仕事をしよう、というときに、その仕事ははたしてカード1.2.3.のどれだろう、とめくります。1.じゃないものについては、後回し。あとでやります。メールが来ていたら、すぐに下からやる、ではなく、1.であるものから取りかかります。それが終わったら、次の仕事に取り掛かる時に、また、カードをめくります。これはやってみるとすこぶるいいですね。仕事中にちらちら用件が飛び込んできますが、「1.」の仕事をしている、と目で見て認知できると、作業が中断しにくくなります。しても、戻りやすくなります。迷わない、というのは大きい、ですよね。
この本、よかったら、ぜひお子さんのため、あるいは、経営者、ビジネスマン本人のために、読んでみてください。お勧めです。
シリーズの第10巻は『ちょっとお金持ちになってみたい人、全員集合!』というびっくりするようなタイトルです。内容は大人が読んでも、う〜んと唸るようなシンプルな本質を表現しています。決してずるがしこいノウハウというわけじゃなく、むしろ、人の役に立つことをベースに価値提供と独自性の創造の考え方を平たく説明している素晴らしい本です。
その中で、特に印象に残った部分があり引用します(同書、P32)
(引用ここから)―――――――――――――――――――――
赤字を出さないコツは、計画を立てること。これに尽きる。そして、計画を立てるコツは、お金を分けることです。三つに分けるといいですね。
1.ぜったいに使うお金
2.使うかどうかわからないお金
3.ぜったいに使わないお金(貯金)
おこづかいをもらったら、この三つに分けてみる。実際に、おさいふを三つ持って、三つに分けるといいかもしれないね。
―――――――――――――――――――――(引用ここまで)
1は最初にどけておく。
3はもらったお金の10分の一ができたらしっかりしているといわれる。
その上で、曲者は2、だといいます。ここがコントロールのしどころだと。
敵がお金をむしゃむしゃごくんと食べちゃう、といって敵と対処法を書いてあります
敵1:人が持っているものをほしくなってしまう症候群
敵2:衝動買い
そして、選ぶことをワクワク楽しみながら行う3つのコツが述べられています。
相場を知る(いろいろ比較しよう、情報を集めよう)
素材を知る(もともとの素材はなんなの、透視してみよう)
自分を知る(一点豪華主義、自分の中に基準を作る)
ここまで読んで、なるほどなぁ〜、と思いました。起業家の仲間も多いですが、どんぶり勘定で収支黒という人もいますが、赤の人もいます。この小学生向けの本は、会計の本を読む前に、数字の嫌いな起業家さんに読んでもらいたい本です、ぜひ(しかも、一晩で読めます)。
私がここで書きたかったのは、「時間」に置き直したら、ほぼ同じ議論がなりたって示唆があるのではないか、とおもった、ということです。
ちょっと書いてみます。
時間を3つに分ける。
1.ぜったいに使う時間
2.使うかどうかわからない時間
3.ぜったいに使わない時間(貯時?)
敵1:人がやっていることをしたくなってしまう症候群
敵2:衝動的に無為な時間の使い方をすること
あることをやるのに必要な時間(所要時間の相場)を知る
所要時間の構成要素(何にどれほどの時間がかかる)を知る
自分を知る(これだけは、贅沢時間を使う、他のは余計な時間出費を抑える)
こうすると、いろんな示唆がありますね。
実は、その1.2.3.については、カードにして、手元に持っておくようにしました。机の前に座り、さあ、仕事をしよう、というときに、その仕事ははたしてカード1.2.3.のどれだろう、とめくります。1.じゃないものについては、後回し。あとでやります。メールが来ていたら、すぐに下からやる、ではなく、1.であるものから取りかかります。それが終わったら、次の仕事に取り掛かる時に、また、カードをめくります。これはやってみるとすこぶるいいですね。仕事中にちらちら用件が飛び込んできますが、「1.」の仕事をしている、と目で見て認知できると、作業が中断しにくくなります。しても、戻りやすくなります。迷わない、というのは大きい、ですよね。
この本、よかったら、ぜひお子さんのため、あるいは、経営者、ビジネスマン本人のために、読んでみてください。お勧めです。
2008年08月27日
お客さんへの愛があればこそ
先日、若いビジネスパーソンと話していて、私が言ったことのなのですが「それは、収益とか、能力とかの問題じゃない。お客さんへの愛があれば、お客さんの使いやすい・やりやすいを作り出す」「お客さんへの圧倒的な愛が製品のフォルムに宿る、そういうことじゃないかな」と。
私は仕事を引き受けたら、そのクライアントを愛して、どうしたらよりよい状態になるのか、一緒に考えよう、ということが視座になります。「私は」「あなたが」ではなく「私たちは」が思考の主語に。
しゃくし定規な付き合いではなく、ときに友人として、ときにパートナーとして、相手とディスカッションをしています。時々、それでは、失礼にあたるかしら、とおもう気持ちもありますが、それ以上に意志疎通の有効性を言い訳にして、ざっくばらんな文体でメールをしあいます。
私の仕事への情熱、クライアントとの距離感、クライアントの満足度は、すべて「お客さんへの愛があればこそ」だと思います。私が評価されるとか、私がうまくやれるとかは、全く考えない。そういう視座は一切いれない。そういう徹したものを、常に持っていたいと思います。
お客さんへの圧倒的な愛が製品のフォルムに宿る、
そういうことじゃないかな
石井力重
私は仕事を引き受けたら、そのクライアントを愛して、どうしたらよりよい状態になるのか、一緒に考えよう、ということが視座になります。「私は」「あなたが」ではなく「私たちは」が思考の主語に。
しゃくし定規な付き合いではなく、ときに友人として、ときにパートナーとして、相手とディスカッションをしています。時々、それでは、失礼にあたるかしら、とおもう気持ちもありますが、それ以上に意志疎通の有効性を言い訳にして、ざっくばらんな文体でメールをしあいます。
私の仕事への情熱、クライアントとの距離感、クライアントの満足度は、すべて「お客さんへの愛があればこそ」だと思います。私が評価されるとか、私がうまくやれるとかは、全く考えない。そういう視座は一切いれない。そういう徹したものを、常に持っていたいと思います。
お客さんへの圧倒的な愛が製品のフォルムに宿る、
そういうことじゃないかな
石井力重
2008年08月22日
非才なるも「徹信」が一流を持たらす
才能がある人のことはよく分からない。
無い人の場合について考えた。
才能のない人は、一流になれるか、なれないか。
救われた命を奇跡を思い
自分の仕事を使命と信じたら
その人の仕事は、一流になる。
命すくわれる経験をしなくとも、
徹底的に信ずることができたら、
一流がもたらされる。
凡(非才)なるも、徹底的に信じる、が一流をもたらす。
…
今日、8月22日で、35歳になりました。
開発参考資料としていじっていた
ニンテンドーDS(13歳のハローワーク)の
画面を見つめながら思った
35歳の最初の感想でした。
いよいよ、30代が後半に突入しました。
「40代」を意識し始める初めての経験です。
精神年齢が子供のままなので、自分が30代であることに
やっと慣れてきたぐらいなのに、もうすぐ40代がくるんですね。
5年後くらいには「ちょいわるオヤジ」なんて言葉はなくなっていて
その時代なりの「40代・50代をエンジョイしよう」という
コンセプトがあるんでしょうね。
むしろそれを創造する側になっていたい、ふとそんな気もします。
そういうビジョンを思い描くと、歳をとるのも
なんだか楽しみなような気がします。
無い人の場合について考えた。
才能のない人は、一流になれるか、なれないか。
救われた命を奇跡を思い
自分の仕事を使命と信じたら
その人の仕事は、一流になる。
命すくわれる経験をしなくとも、
徹底的に信ずることができたら、
一流がもたらされる。
凡(非才)なるも、徹底的に信じる、が一流をもたらす。
…
今日、8月22日で、35歳になりました。
開発参考資料としていじっていた
ニンテンドーDS(13歳のハローワーク)の
画面を見つめながら思った
35歳の最初の感想でした。
いよいよ、30代が後半に突入しました。
「40代」を意識し始める初めての経験です。
精神年齢が子供のままなので、自分が30代であることに
やっと慣れてきたぐらいなのに、もうすぐ40代がくるんですね。
5年後くらいには「ちょいわるオヤジ」なんて言葉はなくなっていて
その時代なりの「40代・50代をエンジョイしよう」という
コンセプトがあるんでしょうね。
むしろそれを創造する側になっていたい、ふとそんな気もします。
そういうビジョンを思い描くと、歳をとるのも
なんだか楽しみなような気がします。
2008年08月14日
追い風にも、頭(こうべ)は垂れてすすめ
追い風のふく調子がいい時は、
いつもよりも、感謝と謙虚を持つ方が良い。
不遜になる兆し、
「不」のつく言葉を口に始めている、そう感じたら
自分を見直したい。
不満
不足
不十分
不具合
ブシツケ(不躾)
そうしたことを、思ったり、口にしたり。
でも、本当にそうだろうかと見直してみてほしい。
そして、自分の感じている「不」にこう問いかけてほしい。
結構、満足しているよ。
彼、充分やってくれているよ。
仕事の出来具合、いいんじゃないかな。
美しい対応の方法だよ、ある意味では。
人は向かい風にこうして進まねばならないとき、
自然と頭(こうべ)を垂れる(頭を下げて進む)。
人は追い風に背中を押されて進むととき、
忙しさや相手の不手際にかこつけて
自然とわが身がふんぞり返り、それには目を向けない。
追い風の時、人は自然と不遜になる(ふんぞり返って進む)。
であれば、自分を律するには、ただ一つ。
自分が調子をいいことを早めに認める。
謙虚に「まだまだ自分なんて」といわずに。
そして、認めてしままって、さっさと謙虚になろう。
追い風にも、頭(こうべ)は垂れてすすめ
充分、周りの人に感謝しているか?未来の己よ。
小さいながらも、ほんのすこし調子のよい状態にある現在の自分が、
おくれる精一杯のメッセージ。
いずれにしても、風の吹くときには、フォローでもアゲンストでも、身を低く保つ。風に煽られることなく、自分の意志と力で、歩を進めて生きてほしい。
いつもよりも、感謝と謙虚を持つ方が良い。
不遜になる兆し、
「不」のつく言葉を口に始めている、そう感じたら
自分を見直したい。
不満
不足
不十分
不具合
ブシツケ(不躾)
そうしたことを、思ったり、口にしたり。
でも、本当にそうだろうかと見直してみてほしい。
そして、自分の感じている「不」にこう問いかけてほしい。
結構、満足しているよ。
彼、充分やってくれているよ。
仕事の出来具合、いいんじゃないかな。
美しい対応の方法だよ、ある意味では。
人は向かい風にこうして進まねばならないとき、
自然と頭(こうべ)を垂れる(頭を下げて進む)。
人は追い風に背中を押されて進むととき、
忙しさや相手の不手際にかこつけて
自然とわが身がふんぞり返り、それには目を向けない。
追い風の時、人は自然と不遜になる(ふんぞり返って進む)。
であれば、自分を律するには、ただ一つ。
自分が調子をいいことを早めに認める。
謙虚に「まだまだ自分なんて」といわずに。
そして、認めてしままって、さっさと謙虚になろう。
追い風にも、頭(こうべ)は垂れてすすめ
充分、周りの人に感謝しているか?未来の己よ。
小さいながらも、ほんのすこし調子のよい状態にある現在の自分が、
おくれる精一杯のメッセージ。
いずれにしても、風の吹くときには、フォローでもアゲンストでも、身を低く保つ。風に煽られることなく、自分の意志と力で、歩を進めて生きてほしい。
2008年08月13日
メメントモリ
余命があと1年しかない、としたら
何をするだろうか。
メメントモリ、という言葉がある。
死すべき存在であることをおもい、日々をいきいきと生きる。
詳しい概念はわからないが、
充実した日々を送るには
重要な視点だとおもう。
300日しか日が残っていないとなったら
まごまごはしてられないだろう。
そういう切迫した時の躍動感や推進力は、
本来、人間の中にあるのである。
人は、お盆には、先祖に感謝し、
安らかに眠ってくださいと祈り、
近況を報告する。
メメントモリ。
いずれ私たちもすべて消えてなくなる存在だから
幸せな時を、今日も明日も、精一杯、生きたい。
何をするだろうか。
メメントモリ、という言葉がある。
死すべき存在であることをおもい、日々をいきいきと生きる。
詳しい概念はわからないが、
充実した日々を送るには
重要な視点だとおもう。
300日しか日が残っていないとなったら
まごまごはしてられないだろう。
そういう切迫した時の躍動感や推進力は、
本来、人間の中にあるのである。
人は、お盆には、先祖に感謝し、
安らかに眠ってくださいと祈り、
近況を報告する。
メメントモリ。
いずれ私たちもすべて消えてなくなる存在だから
幸せな時を、今日も明日も、精一杯、生きたい。
2008年08月02日
ものがたりを作る「魔法のつづら」
娘に「お話を新しく作ってあげるから、一つお話を教えて」といったところ、したきり雀をはなしてくれました。
・けがをした雀
・お爺さんが治療をしてあげる
・治る
・お腹が減って、台所の糊を食べる
・おばあさんは怒って、舌を切る
・雀は逃げる
・おじいさんは探しに出る
・スズメのうちに案内される。
・ごちそうを踊りでもてなされる
・帰りにお土産を差し出される。
・お爺さんは、もう年寄りだから、といって、小さいつづらを選ぶ。
・うちについてあけると財宝が入っている。
・お婆さんは、のりこんでいって、大きいつづらをもらいに行く。
・帰りに開けてはいけないといわれたが明けてしまう。
・お化けや蛇などがでてきて命からがら自宅に帰る。
この話、桃太郎とは、大きく違うんですね。ものがたり作りの基本構造でみると、日本昔話は、わりと、特殊なスタイルとなっています。教訓を前面にして、モノガタリとしてのスタイルが特殊に加工されています。
でも、それをもとに、雀の視点を中心にして、お話を作ってみました。
「魔法のつづら」(新・したきり雀)
その雀の家には、代々伝わる魔法のつづら、がありました。
おとうさん雀がいいます。
「神様が教えてくれたこのおり方でつづらを毎年一つ、作らねばならん」
「不思議なことに、このつづら、なんにも入っていなかったはずなのに、人間があけると中から何か出てくるという」
雀は「ふ〜ん、そうか」といってお手伝いしていました。
雀はあるとき、遊びに行って犬に襲われます。それをお爺さんがたすけてくれました。治療のおかげで飛べるようになりました。帰ろうと思っていると、食べ物のいいにおい。お婆さんの作った糊を思わず食べてしまいました。お婆さんにはとても大事なものだったので、かんかんに怒りました。舌を切られて、いてて、とおもい、逃げて帰りした。
あくる日、お爺さんが心配して探しに来てくれました。お礼を言って、うちでごちそうと踊りを披露しました。
おじいさんが帰るというので、魔法のつづらを挙げることにしました。
おじいさんは「これを作るのは大変だっただろう。わしが大きいのをとったら創るのが大変じゃな。」といって、一番小さいのをえらびました。
そしてお爺さんにいました「神様が、このつづらには人間にとって大事なものがはいっている。うちに着くまで、できるだけ、あけないこと、と言っていたそうです」と。
おじいさんは、きちんとその言葉を守りうちまで持って帰りました。
雀とお父さん雀は「今頃、お爺さんにとっていいものが、はいっていてよろこんでくれているといいな」といっていました。
翌日、お婆さんが家にやってきました。そして、つづらをくれ、といいます。
雀は「お婆さんの大事な糊を食べてしまった。お婆さんは怒って舌をきったけれど、悪い人ではないかもしれない。僕が悪さをしなければ…」と考えて、希望通り、つづらをあげることにしました。
お婆さんは、一番大きくて、立派なつづらを選びました。
大きいのでお婆さんは、何とか抱えて、ふらふらしながら歩き出しました。
そして雀は「うちに帰るまで、できるだけ、あけてはいけません」といいました。
お婆さんの足取りが不確かだったので、心配になった雀は、ついていくことにしました。
すると、重たいつづらをもったお婆さんが、山を降りる前にすっかり日が暮れてしまいました。
遠くの草むらから、狼たちがちかづいてきました。そしてお婆さんの周りをぐるぐると囲みました。
雀は飛び上って逃げられますが、お婆さんは逃げられません。つづらを置いて、震えています。
そして狼たちが一斉に、お婆さんに飛びかかりました。
お婆さんは、つづらの陰に隠れるように身を小さくしました。
すると、一匹の狼が、つづらのふたにぶつかり、『ごとり…』とふたがはずれました。
すると中からが黒い煙が立ち上ったかと思うと、龍になり、激しい咆哮を放ち、ひるんだ狼たちを一瞬で飲み込んでしまいました。
そしてまた黒い煙とともに、つづらの中に戻って行きました。
お婆さんは、ガタガタ震えて「こんな恐ろしいつづらはいらん」といって命からがら、家まで走って帰りました。
雀たちはつづらを持ってかえりました。
そして、次の年も「とんとことん、とんとことん、雀のつづらだ、とんとことん」といって、魔法のつづらを作り続けました。
でも、時々、大きなつづらの中から、「ウォーン」という咆哮がきこえて、ちょっと怖い気がしましたが、気にしないことにしました。
おしまい。
(娘の拍手で終わり)
今度はつづらをあげる側の雀たちの世界で話をつくってみました。お婆さんが必ずしもわるものではなく、雀たちは好意であげることにします。しかし、持ちきれない大きさのつづらを選ぶことで、足が遅くなり、結果、狼に襲われるという不幸を招きます。
つづらをあけてしまうのは狼で、狼たちはその中から出てきた龍にたべらえてしまいます。お婆さんは、命からがら逃げて帰りますが、元の話では、罰を受けたスタイルなのに対して、この話では、つづらのおかげで命拾いする、というスタイルにしてあります。人間にとって財宝よりも大事なもの(=命)がお婆さんに差し上げたつづらに入っていた宝だという暗喩です。
雀たちは、善人悪人なく、つづらをあげますが、もらった人間たちのココロ次第でそれは、異なるものを見せる、という仕掛けがはいっている、と考えました。
というのも、娘と元の話を話していて、
元の話そのものに、いくつかの疑問があったからです。
(1)お婆さんが家までつづらをあけなかったら、出てきたものはおばけだったのだろうか。もしそうなら、善人のお爺さんまで、被害を受けることになった。それでいいのだろうか。
(2)本当に悪いのは、お婆さんなのだろうか。糊を黙って食べた雀なのだろか(娘は、両方が悪かった、と解釈していました)。ならば、雀はお婆さんを悪い人ときめつけて、悪いつづらをあげるのではなく、本人次第で中身の変わるものをあげるのが自然なのではないだろうか。
(3)化け物とかヘビがでてくる(そして、命は助かるという)のは、別の意味があったのではないだろうか。
これを統合して、「魔法のつづら」を作りました。
娘にいわれるまで、したきり雀の話を思い出せませんでしたが、教えてもらって、それの世界観をもとに、話しが作られていて、とても娘は興味深そうでした。
物事を多面的に見る、別の角度から見る、ということにつながるといいなぁと思います。
・けがをした雀
・お爺さんが治療をしてあげる
・治る
・お腹が減って、台所の糊を食べる
・おばあさんは怒って、舌を切る
・雀は逃げる
・おじいさんは探しに出る
・スズメのうちに案内される。
・ごちそうを踊りでもてなされる
・帰りにお土産を差し出される。
・お爺さんは、もう年寄りだから、といって、小さいつづらを選ぶ。
・うちについてあけると財宝が入っている。
・お婆さんは、のりこんでいって、大きいつづらをもらいに行く。
・帰りに開けてはいけないといわれたが明けてしまう。
・お化けや蛇などがでてきて命からがら自宅に帰る。
この話、桃太郎とは、大きく違うんですね。ものがたり作りの基本構造でみると、日本昔話は、わりと、特殊なスタイルとなっています。教訓を前面にして、モノガタリとしてのスタイルが特殊に加工されています。
でも、それをもとに、雀の視点を中心にして、お話を作ってみました。
「魔法のつづら」(新・したきり雀)
その雀の家には、代々伝わる魔法のつづら、がありました。
おとうさん雀がいいます。
「神様が教えてくれたこのおり方でつづらを毎年一つ、作らねばならん」
「不思議なことに、このつづら、なんにも入っていなかったはずなのに、人間があけると中から何か出てくるという」
雀は「ふ〜ん、そうか」といってお手伝いしていました。
雀はあるとき、遊びに行って犬に襲われます。それをお爺さんがたすけてくれました。治療のおかげで飛べるようになりました。帰ろうと思っていると、食べ物のいいにおい。お婆さんの作った糊を思わず食べてしまいました。お婆さんにはとても大事なものだったので、かんかんに怒りました。舌を切られて、いてて、とおもい、逃げて帰りした。
あくる日、お爺さんが心配して探しに来てくれました。お礼を言って、うちでごちそうと踊りを披露しました。
おじいさんが帰るというので、魔法のつづらを挙げることにしました。
おじいさんは「これを作るのは大変だっただろう。わしが大きいのをとったら創るのが大変じゃな。」といって、一番小さいのをえらびました。
そしてお爺さんにいました「神様が、このつづらには人間にとって大事なものがはいっている。うちに着くまで、できるだけ、あけないこと、と言っていたそうです」と。
おじいさんは、きちんとその言葉を守りうちまで持って帰りました。
雀とお父さん雀は「今頃、お爺さんにとっていいものが、はいっていてよろこんでくれているといいな」といっていました。
翌日、お婆さんが家にやってきました。そして、つづらをくれ、といいます。
雀は「お婆さんの大事な糊を食べてしまった。お婆さんは怒って舌をきったけれど、悪い人ではないかもしれない。僕が悪さをしなければ…」と考えて、希望通り、つづらをあげることにしました。
お婆さんは、一番大きくて、立派なつづらを選びました。
大きいのでお婆さんは、何とか抱えて、ふらふらしながら歩き出しました。
そして雀は「うちに帰るまで、できるだけ、あけてはいけません」といいました。
お婆さんの足取りが不確かだったので、心配になった雀は、ついていくことにしました。
すると、重たいつづらをもったお婆さんが、山を降りる前にすっかり日が暮れてしまいました。
遠くの草むらから、狼たちがちかづいてきました。そしてお婆さんの周りをぐるぐると囲みました。
雀は飛び上って逃げられますが、お婆さんは逃げられません。つづらを置いて、震えています。
そして狼たちが一斉に、お婆さんに飛びかかりました。
お婆さんは、つづらの陰に隠れるように身を小さくしました。
すると、一匹の狼が、つづらのふたにぶつかり、『ごとり…』とふたがはずれました。
すると中からが黒い煙が立ち上ったかと思うと、龍になり、激しい咆哮を放ち、ひるんだ狼たちを一瞬で飲み込んでしまいました。
そしてまた黒い煙とともに、つづらの中に戻って行きました。
お婆さんは、ガタガタ震えて「こんな恐ろしいつづらはいらん」といって命からがら、家まで走って帰りました。
雀たちはつづらを持ってかえりました。
そして、次の年も「とんとことん、とんとことん、雀のつづらだ、とんとことん」といって、魔法のつづらを作り続けました。
でも、時々、大きなつづらの中から、「ウォーン」という咆哮がきこえて、ちょっと怖い気がしましたが、気にしないことにしました。
おしまい。
(娘の拍手で終わり)
今度はつづらをあげる側の雀たちの世界で話をつくってみました。お婆さんが必ずしもわるものではなく、雀たちは好意であげることにします。しかし、持ちきれない大きさのつづらを選ぶことで、足が遅くなり、結果、狼に襲われるという不幸を招きます。
つづらをあけてしまうのは狼で、狼たちはその中から出てきた龍にたべらえてしまいます。お婆さんは、命からがら逃げて帰りますが、元の話では、罰を受けたスタイルなのに対して、この話では、つづらのおかげで命拾いする、というスタイルにしてあります。人間にとって財宝よりも大事なもの(=命)がお婆さんに差し上げたつづらに入っていた宝だという暗喩です。
雀たちは、善人悪人なく、つづらをあげますが、もらった人間たちのココロ次第でそれは、異なるものを見せる、という仕掛けがはいっている、と考えました。
というのも、娘と元の話を話していて、
元の話そのものに、いくつかの疑問があったからです。
(1)お婆さんが家までつづらをあけなかったら、出てきたものはおばけだったのだろうか。もしそうなら、善人のお爺さんまで、被害を受けることになった。それでいいのだろうか。
(2)本当に悪いのは、お婆さんなのだろうか。糊を黙って食べた雀なのだろか(娘は、両方が悪かった、と解釈していました)。ならば、雀はお婆さんを悪い人ときめつけて、悪いつづらをあげるのではなく、本人次第で中身の変わるものをあげるのが自然なのではないだろうか。
(3)化け物とかヘビがでてくる(そして、命は助かるという)のは、別の意味があったのではないだろうか。
これを統合して、「魔法のつづら」を作りました。
娘にいわれるまで、したきり雀の話を思い出せませんでしたが、教えてもらって、それの世界観をもとに、話しが作られていて、とても娘は興味深そうでした。
物事を多面的に見る、別の角度から見る、ということにつながるといいなぁと思います。
2008年08月01日
ものがたりを作る「新・桃太郎」
娘に作って聞かせた「新・桃太郎」です。
(この話は、創作したものであり、本当の桃太郎の話は、かなり別のものです。桃太郎についての正確な話を調べる人は、絵本などの標準的ものがたりを、ご覧ください)
年老いて子がない夫婦がいた。
村の人から、大きな桃に入った神様の子の伝説を聞いた。
ある時、川で大きな桃が流れてくるのを見つけ、伝説の桃だとおもった。
河岸へ引き上げて、お爺さんとお婆さんはうちに大切に運んだ。
中に子が入っているはずと思い、慎重に桃を切った。
中には、子がいた。
神様の子だから、将来、きっと偉業を成し遂げるだろう、とおもい、とおもって大切に育てた。
村に干ばつがやってきた。
桃太郎と村の若者「猿太」「犬彦」「鳥太郎」は、井戸をほった。
桃太郎の身長よりも深く深く地面を掘った。
3か月が過ぎるころ、水が出た。
豊富な水量だったので、村人は渇きがいやされた。
そして、さらに、治水工事を行い、各畑に水がいきわたるようにした。
翌年、豊作となった村に、周囲の村から食べ物を求めて人々が集まるようになった。
村は栄えた。周囲の村も食べるものが手に入り幸せだった。
そこに、奥の奥の村から来た人がいた。桃太郎に言った。
奥の奥の村も、ひどい干ばつで食べ物がない。
村に井戸を掘ってくれないか。と。
桃太郎と村の若い集は、井戸掘りの旅に出ることにした。
村の人たちは、栄えていたので、桃太郎たちに精一杯の
食料を持たせる。
長い時間かけても腐らないように、
きび団子やほしいい(乾し飯)をもたせた。
道中、隣の村も、奥の村も、干ばつで苦しんでいた。
桃太郎は「今は、ここにとどまることができない、
しかし、いずれ戻って、ここにも井戸を掘ってやらねば」
と思った。
先を急ぐ桃太郎。
道中、わんわん(これは娘のリクエストで登場した、TV番組のキャラクター)、おさるのジョージ(娘の好きな外国のアニメ)、はじめ鳥さん(これは、娘のしっていたTV番組のキャラクター)が登場。
わんわんは、きび団子をもらい、合流する。
餞別として、わんわんの仲間から薬箱をもらう。
ジョージは、歩いていて合流する。きび団子を
おいしそうに食べる。
奥の奥の村の手前には、奥の奥の森がある。
深い森で、ひとたび迷えば抜けられない。
入口で、はじめ鳥さんが登場する。
きび団子を挙げる。仲間になって道案内をしてくれる。
森を抜けるころ、子鬼がいた。泣いている。
桃太郎は、悪い鬼ではないと気が付き、話しかける。
怪我をしていた。
わんわんの薬箱で、けがの手当てをしてあげる。
子鬼は笑顔になって、ありがとう、といって
森の奥にかえっていく。
奥の奥の村に着く。
ひどい干ばつ。
わんわんに、水のにおいのする所を教えてもらう。
さっそく井戸を掘り始める桃太郎と若い集。
しかし、ここは土が硬い。なかなか掘り進めない。
奥の奥の村の人たちも手伝い、堀すすむ。
しかし身長ほどの深さまでほって、
すごく固い地層につきあたった。
村の人たちは、長い干ばつで体力がないので
すでにへばっている。
桃太郎は困った。
「このままでは、3か月どころか、何年かかるかわからない」
長い干ばつで弱っている村の人たちは、そんなに長く持たない。
そこへ、前に助けた子鬼がやってくる。
「桃太郎さん、何をして遊んでいるの?」という。
桃太郎は、地面を掘って水を出そうとしているが
固い岩盤にあたって、難航して困っている、といった。
子鬼は森にとってかえり、不思議な篭手をもってきた。
「これは、鬼につたわる篭手だ」
といって、それをつけると、穴に入った子鬼はみるみる
岩盤を掘り進んで、あっという間に深い穴をあけた。
すると水が吹き出し、その井戸は、まんまんを水をたたえた
井戸となった。
村人たちは、おいしい水でのどの渇きをいやし、
元気を取り戻した。
各畑に水がいくように治水工事をして、
翌年には、村には水と食べ物が行き渡るようになった。
この村も、周囲の村に食べ物を供給できるようになり
豊になった。
村人たちは、桃太郎たちに感謝して、
帰りの道中に必要な食糧をもたせた。
来た時に通った奥の奥の森。
3人の子鬼がいた。あの子鬼の友達だ。
閻魔大王さまのしゃくをある子供から取り返そうとしている。
(これは娘のリクエストで登場したTV番組おじゃるまるの世界観)
そこで、桃太郎もそれを見届けることにした。
(おじゃるまるの世界観のなかで、いろいろ話が起きて…
とくに、おさるのジョージが活躍して…)
さいごに、子供はしゃくを、ぽこんと2つに分けた。
それをもって、子鬼たちは閻魔大王さまの所にいく。
取り返したことを褒められる。
半分のしゃくであったことも閻魔大王さまはわかったが、
それで充分、よしとした。
奥の奥の森にもどった、3人の子鬼、それから、前に助けた子鬼は、
桃太郎に、「鬼の篭手」を挙げることにした。
桃太郎は、これを使って多くの人を救う、と誓う。
帰りの道中、干ばつに苦しむ村に立ち寄っては、
三日三晩で井戸を掘り、村に水を与えた。
桃太郎たちが通った道中にある村はどこも
農作物が豊富にでき、栄えた。
桃太郎の通った道は「桃太郎街道」となずけられ
桃太郎の育った村には、多くの人がやってくるようになった。
桃太郎のおかげで救われた各村の人たちは、
毎年、桃太郎たちに、お礼の品を運んでくるきた。
桃太郎と村の人たちは、とても幸せに暮らしました。
…それから
おじいさんとおばあさんと桃太郎の家には、
家宝として鬼の篭手が、代々大切に受け継がれた。
この鬼の篭手が、現代に伝わり、新しい出来事が
おこるのですが、それは、また別のお、は、な、し、です!
(娘が、拍手して、お話終わり)
こんな感じのお話を作りました。
基本となるプロットは3分ぐらいで考えて
あとは、途中途中で娘のリクエストで登場人物や
世界観を取り入れたミニばはし、を入れて、目的にむかって
お話が進行します。
話をした総時間は、2時間くらいです。
どんな村なのか、とか、おいしいきび団子の味について
考えてみたりして楽しんでいました。
桃太郎が鬼退治の冒険にでて、
財宝をもってかえり
村が豊になる。
というオリジナルの話から、
・人々を苦しめる存在がある
・それを解消するための冒険に出る
・解消して村に豊かさがもたらされる
という基本構造を取り出して、
悪さをする鬼の退治ではなく
「干ばつ」という人々を苦しめるものを打破することを
目的にしました。
桃太郎の中に出てくる動物の3匹は
桃太郎の共感者として一緒に井戸掘り事業を行う若者に。
(ただし、娘のリクエストで、さらに3匹の動物は登場)
鬼は「弱者」として登場し
鬼の篭手という魔法の道具の「贈与者」として
話しの要部に登場しました。
鬼が島から持ち帰る財宝の代わりに
助けた村から感謝のしるしとして
毎年届くお礼の品、というものにしました。
その結果、
桃太郎は、諸国をまわり、
井戸掘りと治水工事という
社会的事業をなして回った偉人、
という話になりました。
新・桃太郎は、そんなお話でした。
いつか、「桃太郎の家に伝わる鬼の篭手」が
現代でどういう展開を見せるのか、
物語りを作って語ってあげようと思います。
(この話は、創作したものであり、本当の桃太郎の話は、かなり別のものです。桃太郎についての正確な話を調べる人は、絵本などの標準的ものがたりを、ご覧ください)
年老いて子がない夫婦がいた。
村の人から、大きな桃に入った神様の子の伝説を聞いた。
ある時、川で大きな桃が流れてくるのを見つけ、伝説の桃だとおもった。
河岸へ引き上げて、お爺さんとお婆さんはうちに大切に運んだ。
中に子が入っているはずと思い、慎重に桃を切った。
中には、子がいた。
神様の子だから、将来、きっと偉業を成し遂げるだろう、とおもい、とおもって大切に育てた。
村に干ばつがやってきた。
桃太郎と村の若者「猿太」「犬彦」「鳥太郎」は、井戸をほった。
桃太郎の身長よりも深く深く地面を掘った。
3か月が過ぎるころ、水が出た。
豊富な水量だったので、村人は渇きがいやされた。
そして、さらに、治水工事を行い、各畑に水がいきわたるようにした。
翌年、豊作となった村に、周囲の村から食べ物を求めて人々が集まるようになった。
村は栄えた。周囲の村も食べるものが手に入り幸せだった。
そこに、奥の奥の村から来た人がいた。桃太郎に言った。
奥の奥の村も、ひどい干ばつで食べ物がない。
村に井戸を掘ってくれないか。と。
桃太郎と村の若い集は、井戸掘りの旅に出ることにした。
村の人たちは、栄えていたので、桃太郎たちに精一杯の
食料を持たせる。
長い時間かけても腐らないように、
きび団子やほしいい(乾し飯)をもたせた。
道中、隣の村も、奥の村も、干ばつで苦しんでいた。
桃太郎は「今は、ここにとどまることができない、
しかし、いずれ戻って、ここにも井戸を掘ってやらねば」
と思った。
先を急ぐ桃太郎。
道中、わんわん(これは娘のリクエストで登場した、TV番組のキャラクター)、おさるのジョージ(娘の好きな外国のアニメ)、はじめ鳥さん(これは、娘のしっていたTV番組のキャラクター)が登場。
わんわんは、きび団子をもらい、合流する。
餞別として、わんわんの仲間から薬箱をもらう。
ジョージは、歩いていて合流する。きび団子を
おいしそうに食べる。
奥の奥の村の手前には、奥の奥の森がある。
深い森で、ひとたび迷えば抜けられない。
入口で、はじめ鳥さんが登場する。
きび団子を挙げる。仲間になって道案内をしてくれる。
森を抜けるころ、子鬼がいた。泣いている。
桃太郎は、悪い鬼ではないと気が付き、話しかける。
怪我をしていた。
わんわんの薬箱で、けがの手当てをしてあげる。
子鬼は笑顔になって、ありがとう、といって
森の奥にかえっていく。
奥の奥の村に着く。
ひどい干ばつ。
わんわんに、水のにおいのする所を教えてもらう。
さっそく井戸を掘り始める桃太郎と若い集。
しかし、ここは土が硬い。なかなか掘り進めない。
奥の奥の村の人たちも手伝い、堀すすむ。
しかし身長ほどの深さまでほって、
すごく固い地層につきあたった。
村の人たちは、長い干ばつで体力がないので
すでにへばっている。
桃太郎は困った。
「このままでは、3か月どころか、何年かかるかわからない」
長い干ばつで弱っている村の人たちは、そんなに長く持たない。
そこへ、前に助けた子鬼がやってくる。
「桃太郎さん、何をして遊んでいるの?」という。
桃太郎は、地面を掘って水を出そうとしているが
固い岩盤にあたって、難航して困っている、といった。
子鬼は森にとってかえり、不思議な篭手をもってきた。
「これは、鬼につたわる篭手だ」
といって、それをつけると、穴に入った子鬼はみるみる
岩盤を掘り進んで、あっという間に深い穴をあけた。
すると水が吹き出し、その井戸は、まんまんを水をたたえた
井戸となった。
村人たちは、おいしい水でのどの渇きをいやし、
元気を取り戻した。
各畑に水がいくように治水工事をして、
翌年には、村には水と食べ物が行き渡るようになった。
この村も、周囲の村に食べ物を供給できるようになり
豊になった。
村人たちは、桃太郎たちに感謝して、
帰りの道中に必要な食糧をもたせた。
来た時に通った奥の奥の森。
3人の子鬼がいた。あの子鬼の友達だ。
閻魔大王さまのしゃくをある子供から取り返そうとしている。
(これは娘のリクエストで登場したTV番組おじゃるまるの世界観)
そこで、桃太郎もそれを見届けることにした。
(おじゃるまるの世界観のなかで、いろいろ話が起きて…
とくに、おさるのジョージが活躍して…)
さいごに、子供はしゃくを、ぽこんと2つに分けた。
それをもって、子鬼たちは閻魔大王さまの所にいく。
取り返したことを褒められる。
半分のしゃくであったことも閻魔大王さまはわかったが、
それで充分、よしとした。
奥の奥の森にもどった、3人の子鬼、それから、前に助けた子鬼は、
桃太郎に、「鬼の篭手」を挙げることにした。
桃太郎は、これを使って多くの人を救う、と誓う。
帰りの道中、干ばつに苦しむ村に立ち寄っては、
三日三晩で井戸を掘り、村に水を与えた。
桃太郎たちが通った道中にある村はどこも
農作物が豊富にでき、栄えた。
桃太郎の通った道は「桃太郎街道」となずけられ
桃太郎の育った村には、多くの人がやってくるようになった。
桃太郎のおかげで救われた各村の人たちは、
毎年、桃太郎たちに、お礼の品を運んでくるきた。
桃太郎と村の人たちは、とても幸せに暮らしました。
…それから
おじいさんとおばあさんと桃太郎の家には、
家宝として鬼の篭手が、代々大切に受け継がれた。
この鬼の篭手が、現代に伝わり、新しい出来事が
おこるのですが、それは、また別のお、は、な、し、です!
(娘が、拍手して、お話終わり)
こんな感じのお話を作りました。
基本となるプロットは3分ぐらいで考えて
あとは、途中途中で娘のリクエストで登場人物や
世界観を取り入れたミニばはし、を入れて、目的にむかって
お話が進行します。
話をした総時間は、2時間くらいです。
どんな村なのか、とか、おいしいきび団子の味について
考えてみたりして楽しんでいました。
桃太郎が鬼退治の冒険にでて、
財宝をもってかえり
村が豊になる。
というオリジナルの話から、
・人々を苦しめる存在がある
・それを解消するための冒険に出る
・解消して村に豊かさがもたらされる
という基本構造を取り出して、
悪さをする鬼の退治ではなく
「干ばつ」という人々を苦しめるものを打破することを
目的にしました。
桃太郎の中に出てくる動物の3匹は
桃太郎の共感者として一緒に井戸掘り事業を行う若者に。
(ただし、娘のリクエストで、さらに3匹の動物は登場)
鬼は「弱者」として登場し
鬼の篭手という魔法の道具の「贈与者」として
話しの要部に登場しました。
鬼が島から持ち帰る財宝の代わりに
助けた村から感謝のしるしとして
毎年届くお礼の品、というものにしました。
その結果、
桃太郎は、諸国をまわり、
井戸掘りと治水工事という
社会的事業をなして回った偉人、
という話になりました。
新・桃太郎は、そんなお話でした。
いつか、「桃太郎の家に伝わる鬼の篭手」が
現代でどういう展開を見せるのか、
物語りを作って語ってあげようと思います。
2008年07月31日
ものがたりを作る
休暇をとって妻と娘を連れて両家への帰省ドライブをしていました。総距離で1000キロをこえる道中、ずっと車の中で退屈している娘(4歳)に、即興でお話をつくって聞かせる、ということをしていました。以前「ものがたりの創作」にかんして調べたことがあります。そのエッセンスを利用して、娘にリクエストをもらう、3分ほどお話しの構造を分析し、新しいモチーフで考える。オリジナルの物語りをそこから、大枠のプロットにそって展開します。
そういうことをしていたのですが、本が好きな娘は、私がお話を中断すると「続き、話して!」ととても興味をもって聞いてくれていました。自分で作ったお話がおもしろいのか、いまいちわかりませんが、妻いわく、私は、ものがたりを創作するのがうまいそうです。以前は全くそういうことが苦手で、ワンパターンの話しかつくれなかったのですが、その「ものがたりの創作」の基本を調べてからは、その基本が1つあれば、ずいぶん物語りを作れるようになってきた、ということかもしれません。これはのちに整理して、公開したいとおもいます。
そういうことをしていたのですが、本が好きな娘は、私がお話を中断すると「続き、話して!」ととても興味をもって聞いてくれていました。自分で作ったお話がおもしろいのか、いまいちわかりませんが、妻いわく、私は、ものがたりを創作するのがうまいそうです。以前は全くそういうことが苦手で、ワンパターンの話しかつくれなかったのですが、その「ものがたりの創作」の基本を調べてからは、その基本が1つあれば、ずいぶん物語りを作れるようになってきた、ということかもしれません。これはのちに整理して、公開したいとおもいます。
2008年07月17日
忙しい時は、志しで舵を切れ
実は今、楽しいけれども非常に忙しい日々を送っています。信頼できる仲間たちと朝から夜更けまで働く。質の良い労働、というのは、人間の喜び一つでもあるそうですが、私はたぶん、相当恵まれている、と思います。
忙しい、とは極力言いたくありません。しかし、自分自身ではわかっています。忙しいと感じた時は、自分に、選択肢の決め方のガイドラインを与えています。
「忙しい時は、志しで舵をきれ」
と。
忙しいから、2つのうち、どちらかだけを取らないといけない、というときには、「志し」に照らして判断する、そう決めています。忙しい時には、自分の心をなくしてしまいがちです。幸せを度外視して、「成果が上がること」だけを追求してしまいがち。ですがそれでは本当にたどり着きたいところには、つきません。
心豊かな日々を行きたい。私のまわり、私の社会を豊かにしたい、そのなかで豊かに行きたい。そう考えています。忙しい時は心の感度やセンシティブな選択力が劣ります。そういうときに、謝らないで選ぶには、志に照らして、志しの示す方の道を選ぶ。そう思っています。
いま、僕がなぜそういう選択をするのか、周りはわからないのかもしれない。 僕もいずれわからなくなるかもしれない。
でも、わからないときがきたら、その時はだめな時。豊かに生きるために、豊な地域を作っているはずなのに、地元の同士をはぐくむことをやめたら、本当の目的を失っている。
だから未来の自分に「キモチのタイムカプセル」としてメッセージを残します。
「忙しい時は、志しで舵を切れ。未来の己よ」
忙しい、とは極力言いたくありません。しかし、自分自身ではわかっています。忙しいと感じた時は、自分に、選択肢の決め方のガイドラインを与えています。
「忙しい時は、志しで舵をきれ」
と。
忙しいから、2つのうち、どちらかだけを取らないといけない、というときには、「志し」に照らして判断する、そう決めています。忙しい時には、自分の心をなくしてしまいがちです。幸せを度外視して、「成果が上がること」だけを追求してしまいがち。ですがそれでは本当にたどり着きたいところには、つきません。
心豊かな日々を行きたい。私のまわり、私の社会を豊かにしたい、そのなかで豊かに行きたい。そう考えています。忙しい時は心の感度やセンシティブな選択力が劣ります。そういうときに、謝らないで選ぶには、志に照らして、志しの示す方の道を選ぶ。そう思っています。
いま、僕がなぜそういう選択をするのか、周りはわからないのかもしれない。 僕もいずれわからなくなるかもしれない。
でも、わからないときがきたら、その時はだめな時。豊かに生きるために、豊な地域を作っているはずなのに、地元の同士をはぐくむことをやめたら、本当の目的を失っている。
だから未来の自分に「キモチのタイムカプセル」としてメッセージを残します。
「忙しい時は、志しで舵を切れ。未来の己よ」
2008年07月16日
「努力ともたらされるものには、タイムラグがある」
未来の自分へのメッセージにもなりそうな気付きがあったので、メモとして残します。
私の属するある業界で、大きなプロジェクトが進行しています。私はオブザーバーをしています。私は純粋に進捗をみているだけです。そのプロジェクトは社会的意義も高いし、ある種の人たちからの大きな期待も一心に背負っています。内部で人が必死に動いています(しかも、たいていは無報酬にて)。
その彼らの出口(成果を形にする段階)が、なかなか具体化しません。彼らの成果物は出版を通じて社会に生み出されます。その出版がままならない。イノベーティブな内容です。出版社にしてみると既存の売れ行きが参考にできません。本の売れない時代に、そういう挑戦を受け止めてくれるところがなかなか、ない。そんなわけで彼らの中に、あせりの色が見えているようです。
そのプロジェクトは一方で、成果物(本)を創りつつあります。オブザーバーとして、その本の企画だけで知り合いの編集部に話を持ち込むのは、上記の理由で厳しいとおもいつつも、現物が出来上がれば、その内容の質の高さ、有望なマーケットがあること、がきっと相手に想起してもらる、そう確信しています。だから、早くモノができないかなぁと思っていました。たぶん、それは私だけじゃなく、その段階が来たらお手伝いできるだけしたい、とおもっている協力者予備軍が結構いそうです。
プロジェクトの中心メンバーはこうした状況は、把握されていないと思いますが、ひたむきに本をつくる作業を進めています。その姿には本当に頭が下がります。
さて、タイトルの話に帰結します。
プロジェクトの責任者は気が気でないと思います。努力が8割がたすんだのに、最終成果物への道は、まだ1つも見いだせない。こんなに努力したのに、ぜんぜん、チャンスはやってこない――。そう感じてしまわれないか、そして、プロジェクトの推進力を弱らせてしまわないか(最悪、あきらめてしまわないか)と、いらぬ心配をしてしまいます。
彼らの水面下には、もうすぐ顕在化する協力者がずいぶん、集まってきています。もうすこし、もうすこしです。この苦しいフェーズの向こうには、協力者が一気に顕在化する最終ラウンドをあっという間に駆け抜ける日々が待っています。でも、当人たちは、見えない。苦しい。
(たぶん、それに負けるような、やわなプロジェクトではない、ということも、わかっています)
いつか、自分に、この立場が来た時に、今回の気づきは自分を励ます気付きになるんだと思います。
「努力ともたらされるものには、タイムラグがある」
今までの努力が全然、向くわていない、というのは、水面下まで来ていて、顕在化を待っているのだ。早くそのフェーズまで進んでほしい、と報いる物事は、まっているのだ、と。
逆にいえば、ある種の成功や称賛は、タイムラグ。その時の自分にそれがあるのではなく、過去の自分に、きたもの。それに胡坐をかく行為はあまりにも危険。
努力と報いがバランスするのは、1年ぐらいのタイムスパン。二、三日や一か月程度で「努力しても、ぜんぜん報われない」と思うなかれ。
以上、気付きメモ、兼、未来の弱った時の自分へのメッセージ、でした。
私の属するある業界で、大きなプロジェクトが進行しています。私はオブザーバーをしています。私は純粋に進捗をみているだけです。そのプロジェクトは社会的意義も高いし、ある種の人たちからの大きな期待も一心に背負っています。内部で人が必死に動いています(しかも、たいていは無報酬にて)。
その彼らの出口(成果を形にする段階)が、なかなか具体化しません。彼らの成果物は出版を通じて社会に生み出されます。その出版がままならない。イノベーティブな内容です。出版社にしてみると既存の売れ行きが参考にできません。本の売れない時代に、そういう挑戦を受け止めてくれるところがなかなか、ない。そんなわけで彼らの中に、あせりの色が見えているようです。
そのプロジェクトは一方で、成果物(本)を創りつつあります。オブザーバーとして、その本の企画だけで知り合いの編集部に話を持ち込むのは、上記の理由で厳しいとおもいつつも、現物が出来上がれば、その内容の質の高さ、有望なマーケットがあること、がきっと相手に想起してもらる、そう確信しています。だから、早くモノができないかなぁと思っていました。たぶん、それは私だけじゃなく、その段階が来たらお手伝いできるだけしたい、とおもっている協力者予備軍が結構いそうです。
プロジェクトの中心メンバーはこうした状況は、把握されていないと思いますが、ひたむきに本をつくる作業を進めています。その姿には本当に頭が下がります。
さて、タイトルの話に帰結します。
プロジェクトの責任者は気が気でないと思います。努力が8割がたすんだのに、最終成果物への道は、まだ1つも見いだせない。こんなに努力したのに、ぜんぜん、チャンスはやってこない――。そう感じてしまわれないか、そして、プロジェクトの推進力を弱らせてしまわないか(最悪、あきらめてしまわないか)と、いらぬ心配をしてしまいます。
彼らの水面下には、もうすぐ顕在化する協力者がずいぶん、集まってきています。もうすこし、もうすこしです。この苦しいフェーズの向こうには、協力者が一気に顕在化する最終ラウンドをあっという間に駆け抜ける日々が待っています。でも、当人たちは、見えない。苦しい。
(たぶん、それに負けるような、やわなプロジェクトではない、ということも、わかっています)
いつか、自分に、この立場が来た時に、今回の気づきは自分を励ます気付きになるんだと思います。
「努力ともたらされるものには、タイムラグがある」
今までの努力が全然、向くわていない、というのは、水面下まで来ていて、顕在化を待っているのだ。早くそのフェーズまで進んでほしい、と報いる物事は、まっているのだ、と。
逆にいえば、ある種の成功や称賛は、タイムラグ。その時の自分にそれがあるのではなく、過去の自分に、きたもの。それに胡坐をかく行為はあまりにも危険。
努力と報いがバランスするのは、1年ぐらいのタイムスパン。二、三日や一か月程度で「努力しても、ぜんぜん報われない」と思うなかれ。
以上、気付きメモ、兼、未来の弱った時の自分へのメッセージ、でした。
2008年07月05日
ささかま作り体験
娘と「技術のおもちゃ箱」というイベントに行ってきました。県の公設試験場が仙台北部にあります。近年は公開イベントが市民に結構人気なんです。タイトルの通り、やわらかい感じの展示で、技術を楽しく体験できるイベントです。毎年、家族連れが多いですね。
私も初めて子供を連れていきました。いろいろ見せてもらいました。最初娘は、面倒だからいやだ、といっていましたが、すっかり満喫して、また来よう、といっていました。
さて、もっとも娘が楽しかったのが「ささかま作り体験」。
本当にスケトウダラの切り身から、かまぼこを作ります。結構簡単にできるんだ、と感心しました。娘はできたてのあつあつを食べてとてもおいしかったそうです。私もたべましたが、これは結構おしいし、とおもっていました。
お近くの方は、来年、技術もおもちゃ箱に、ぜひ参加してみてください。
ちなみに、ささかまづくりは、ダイジェストでいうとこういう感じの工程でした。
1.白身魚の切り身から、骨と皮をはずす。大体3センチくらいのぶろっくにする。
2.フードプロセッサーに入れる。全体の2%の塩を入れる。混ぜる。粘りが出るまで混ぜる。
※塩を入れないと、ツナのようなものになる。塩を入れると、ゲル化して、いいタネができる。
3.平たく伸ばす(ラップなどで)。ホットプレートで75度以上で1分にやく(このときは、98度で1分以上加熱していました)
4.両面に焼き色がついたら、きって食べます。
結構塩気が強く感じます。大人にはそのままで、おいしい。売り物はほかに味を混ぜて塩分が感じにくくしているだけで、同じだけ塩が入っているそうです。
家庭でもできそうでした。
私も初めて子供を連れていきました。いろいろ見せてもらいました。最初娘は、面倒だからいやだ、といっていましたが、すっかり満喫して、また来よう、といっていました。
さて、もっとも娘が楽しかったのが「ささかま作り体験」。
本当にスケトウダラの切り身から、かまぼこを作ります。結構簡単にできるんだ、と感心しました。娘はできたてのあつあつを食べてとてもおいしかったそうです。私もたべましたが、これは結構おしいし、とおもっていました。
お近くの方は、来年、技術もおもちゃ箱に、ぜひ参加してみてください。
ちなみに、ささかまづくりは、ダイジェストでいうとこういう感じの工程でした。
1.白身魚の切り身から、骨と皮をはずす。大体3センチくらいのぶろっくにする。
2.フードプロセッサーに入れる。全体の2%の塩を入れる。混ぜる。粘りが出るまで混ぜる。
※塩を入れないと、ツナのようなものになる。塩を入れると、ゲル化して、いいタネができる。
3.平たく伸ばす(ラップなどで)。ホットプレートで75度以上で1分にやく(このときは、98度で1分以上加熱していました)
4.両面に焼き色がついたら、きって食べます。
結構塩気が強く感じます。大人にはそのままで、おいしい。売り物はほかに味を混ぜて塩分が感じにくくしているだけで、同じだけ塩が入っているそうです。
家庭でもできそうでした。
2008年06月21日
網戸 張り替え
珍しく日曜大工的なことをしてみました。網戸の張り替えです。誰もやったことがなかったのですが、ネットで調べて、買ってきて取りかかったら、結構、面白かったです。仕上がりもなかなか。
小さい子どもがいるとどうしても網戸が痛みます。うちは一文字にきられました。張り替えを依頼すると4000円くらいするらしいので、だったら、まずは自分で、ということで調べました。
ネットで「網戸 張り替え」と入れれば豊富に情報が得られました。
そこで、必要な道具と材料は以下だとわかりました。
・網戸の網(10センチの余裕しろをもたせた広さ)(300円くらい)
・専用ローラー(300円くらい)
・普通のカッター(100円)
近くのDIY(仙台の八木山・緑ヶ丘の近くにある「ダイシン」)にいって、すぐに手に入りました。
メッシュの細かさがいくつかありますが、少しこまかめ(虫が入りにくい)ものをえらびました。色も2色くらいあります。他の網に合わせて灰色をチョイス。
専用ローラーは、3タイプ位ありますが、標準の単機能のものでいいですね。それで使い勝手も十分でした。
さて、うちに帰って、広い部屋に新聞を引きました。10枚くらいです。
ゴムを外し、網をはがします。ゴムは切れ目から引っ張ればすぐに取れます。網は簡単にはずれます。その溝を軽く歯ブラシではいておきます。
ここからが、新品への張り替え。
買ってくる網戸は大体2m*1mくらいで、サッシにのせると、5センチぐらいずつあまります(上下には10センチくらい)。
その網の上から、はずしたゴムを押し込み、サッシの溝にはめ込みます。仮止めを、という説明がありましたが、妻と2人で位置合わせをしながらできたので、仮止めなしにいきなり、本格的にはめ込みました。ぐっと押せば入りますが、専用ローラーがあると、圧倒的に楽です。ぐいっと押してあとはコロコロと転がせば、ゴムがサッシの溝に入ってゆきます。これは結構楽しい。角は慎重にして、ローラーの柄の部分でぐいぐい押しこんだりします。そしてまた、別の辺も同様にやります。二人ひと組で、やると位置合わせが簡単です。コツは、引っ張りすぎず(すぎると変なテンションができる)、緩すぎず(すぎると張った後、ふっくらした網戸になる)。
この辺の感覚は一枚目のときには、予想でやるしかないのですが、気持ち強めかな、程度の引っ張り方がいいでしょう。
張り替えて、新品同様の網戸は非常に快適です。網戸は外してみてわかりましたが、結構汚れています。変えてから、風はさわやかになったきがします。
小さい子どもがいるとどうしても網戸が痛みます。うちは一文字にきられました。張り替えを依頼すると4000円くらいするらしいので、だったら、まずは自分で、ということで調べました。
ネットで「網戸 張り替え」と入れれば豊富に情報が得られました。
そこで、必要な道具と材料は以下だとわかりました。
・網戸の網(10センチの余裕しろをもたせた広さ)(300円くらい)
・専用ローラー(300円くらい)
・普通のカッター(100円)
近くのDIY(仙台の八木山・緑ヶ丘の近くにある「ダイシン」)にいって、すぐに手に入りました。
メッシュの細かさがいくつかありますが、少しこまかめ(虫が入りにくい)ものをえらびました。色も2色くらいあります。他の網に合わせて灰色をチョイス。
専用ローラーは、3タイプ位ありますが、標準の単機能のものでいいですね。それで使い勝手も十分でした。
さて、うちに帰って、広い部屋に新聞を引きました。10枚くらいです。
ゴムを外し、網をはがします。ゴムは切れ目から引っ張ればすぐに取れます。網は簡単にはずれます。その溝を軽く歯ブラシではいておきます。
ここからが、新品への張り替え。
買ってくる網戸は大体2m*1mくらいで、サッシにのせると、5センチぐらいずつあまります(上下には10センチくらい)。
その網の上から、はずしたゴムを押し込み、サッシの溝にはめ込みます。仮止めを、という説明がありましたが、妻と2人で位置合わせをしながらできたので、仮止めなしにいきなり、本格的にはめ込みました。ぐっと押せば入りますが、専用ローラーがあると、圧倒的に楽です。ぐいっと押してあとはコロコロと転がせば、ゴムがサッシの溝に入ってゆきます。これは結構楽しい。角は慎重にして、ローラーの柄の部分でぐいぐい押しこんだりします。そしてまた、別の辺も同様にやります。二人ひと組で、やると位置合わせが簡単です。コツは、引っ張りすぎず(すぎると変なテンションができる)、緩すぎず(すぎると張った後、ふっくらした網戸になる)。
この辺の感覚は一枚目のときには、予想でやるしかないのですが、気持ち強めかな、程度の引っ張り方がいいでしょう。
張り替えて、新品同様の網戸は非常に快適です。網戸は外してみてわかりましたが、結構汚れています。変えてから、風はさわやかになったきがします。
2008年06月14日
仙台 地震
地震情報をネット上で探すために有益なリンク
google「地震速報」検索結果
Yahoo!「地震速報」検索結果
しばらくは警戒が必要です、地震時の対応をあらかじめ学習するには
yahoo!きっず検索「地震」カテゴリー
などがよいです。
宮城県が運営している防災・危機管理ブログ、というものがあります。日頃の防災への情報発信にくわえ、緊急時の地元情報を拾って届ける役割も果たしています。(発生から40分以内にブログが更新されています。)
…ここから、本来の日記…
今日9時前、宮城県で地震がありました。私は京都に来ているので、自宅からの電話で知りました。地震情報を得るには、上記の気象庁かYahooかウエザーニュースが、早くて使い勝手もいいです。
ちなみに、テレビに何かの情報が地震より先に上がったそうです。なんだこれ、と思ったそうですが、そのすぐ後に地震がきたとのこと。それでも心の備えができていたのでしょう。机の下にすぐ潜ったそうです。
宮城の仲間たち(とくに北部にいる方)が被害のないことをお祈りしています。石井力重
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しばらくは警戒が必要です、地震時の対応をあらかじめ学習するには
yahoo!きっず検索「地震」カテゴリー
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宮城県が運営している防災・危機管理ブログ、というものがあります。日頃の防災への情報発信にくわえ、緊急時の地元情報を拾って届ける役割も果たしています。(発生から40分以内にブログが更新されています。)
…ここから、本来の日記…
今日9時前、宮城県で地震がありました。私は京都に来ているので、自宅からの電話で知りました。地震情報を得るには、上記の気象庁かYahooかウエザーニュースが、早くて使い勝手もいいです。
ちなみに、テレビに何かの情報が地震より先に上がったそうです。なんだこれ、と思ったそうですが、そのすぐ後に地震がきたとのこと。それでも心の備えができていたのでしょう。机の下にすぐ潜ったそうです。
宮城の仲間たち(とくに北部にいる方)が被害のないことをお祈りしています。石井力重
2008年06月05日
仙台での休暇のすごしかた(身近に公園や青空のある生活)
6月5日、6日。珍しく平日に休暇をとって、家族とゆっくり過ごしていました。
太白区の自宅の近く、車で7分程度の所にミカミネ公園があります。最近、階段や砂地のスロープが整備されて気持のいい公園になりました。

子どもたちは広いところで思いっきり走れるので楽しそうです。ずっとはしゃいで走ったり、じゃんけん遊びをしたり。シロツメクサで王冠を作ったりもしました。
私は生活の質を重視するのですが、仙台を拠点にして生活しているのは、こういう環境がすぐ近くにたくさんあるからです。(それでいて、仙台クラスの街だと、知的生産には十分なインフラがあります)
次の日は、近くのジャスコに。(ただしくは、イオンSC カギトリ店)混雑が嫌いなので、駐車場は少々遠くても、屋上のゆったりすいている場所にとめます。私も買い物に付き合うこともあるのですが、下の娘が遊び疲れて寝ていたので、私も車で読書を。今日は梅雨の合間の青空が気持ちいい日でした。このジャスコの屋上にくるといつも、空がきれいだなぁとおもいます。この整備されたアスファルトと空のコントラスト。

その様子を写真に撮りました。空と建造物だけ、なので、どこでとっても同じようなものですが、私はこのジャスコの屋上の空がすごく好きです。なんとなく、飛行場のような、あるいは、夏の照り付けるような空のような、そんな感じがいつもします。
仙台の空はあまり晴れがなく、曇りがちですが、近場に山も海も川も森もあるので、ちょっとした晴れ間に、遊びに行っては、青空の下で子供たちと遊んでいます。そういう「青空」のある生活がここにはあります。
そんな仙台生活のワンシーンでした。
太白区の自宅の近く、車で7分程度の所にミカミネ公園があります。最近、階段や砂地のスロープが整備されて気持のいい公園になりました。

子どもたちは広いところで思いっきり走れるので楽しそうです。ずっとはしゃいで走ったり、じゃんけん遊びをしたり。シロツメクサで王冠を作ったりもしました。
私は生活の質を重視するのですが、仙台を拠点にして生活しているのは、こういう環境がすぐ近くにたくさんあるからです。(それでいて、仙台クラスの街だと、知的生産には十分なインフラがあります)
次の日は、近くのジャスコに。(ただしくは、イオンSC カギトリ店)混雑が嫌いなので、駐車場は少々遠くても、屋上のゆったりすいている場所にとめます。私も買い物に付き合うこともあるのですが、下の娘が遊び疲れて寝ていたので、私も車で読書を。今日は梅雨の合間の青空が気持ちいい日でした。このジャスコの屋上にくるといつも、空がきれいだなぁとおもいます。この整備されたアスファルトと空のコントラスト。

その様子を写真に撮りました。空と建造物だけ、なので、どこでとっても同じようなものですが、私はこのジャスコの屋上の空がすごく好きです。なんとなく、飛行場のような、あるいは、夏の照り付けるような空のような、そんな感じがいつもします。
仙台の空はあまり晴れがなく、曇りがちですが、近場に山も海も川も森もあるので、ちょっとした晴れ間に、遊びに行っては、青空の下で子供たちと遊んでいます。そういう「青空」のある生活がここにはあります。
そんな仙台生活のワンシーンでした。
2008年05月27日
大学時代の先輩がいらっしゃいました
大学時代の先輩で大変、スケールのでかい、破天荒な方がいました。大きな機関に就職されたときいていましたが、本日、ふらりとオフィスにいらっしゃいました。仙台にいらっしゃるとおもわなかったのでびっくりしました。
お変わりなさそうで、(もちろん、社会人なので、もう破天荒ではないともいますが)懐かしい顔をみて、私もずっとニコニコしていました。
この先輩のうちには、学生時代、何度も止めていただきました。キャンパスで友人と酔いつぶれていたのを先輩に引き上げてもらってそのまましばらく住みついていたこともありました(数日のことだったと思うのですが)。この先輩のうちには、仙台の学生にしては貴重な”クーラー”があったことをよく覚えています。床で寝ていると寒いくらいなんですが、先輩はロフトなので熱い。なのでクーラーが寝ているといつも寒かった。だったら自宅に帰ればいいようなものですが「なんとなくいついてしまう」空間がそこにはありました。器の大きい人だなぁ、と当時は表現できなかったおもいをもっていたものです。
私が大荷物をまとめてあと5分でオフィスを出る、というときにいらっしゃったので、もう少しですれ違いになる所でした。無為自然というか自然な生き方をしているんだろうなぁ、ということが、その様子から感じられました。ブラジルに破天荒な旅をしてきた学生時代、そのころの風来坊ぶり、とでもいうべきものが。
お変わりなさそうで、(もちろん、社会人なので、もう破天荒ではないともいますが)懐かしい顔をみて、私もずっとニコニコしていました。
この先輩のうちには、学生時代、何度も止めていただきました。キャンパスで友人と酔いつぶれていたのを先輩に引き上げてもらってそのまましばらく住みついていたこともありました(数日のことだったと思うのですが)。この先輩のうちには、仙台の学生にしては貴重な”クーラー”があったことをよく覚えています。床で寝ていると寒いくらいなんですが、先輩はロフトなので熱い。なのでクーラーが寝ているといつも寒かった。だったら自宅に帰ればいいようなものですが「なんとなくいついてしまう」空間がそこにはありました。器の大きい人だなぁ、と当時は表現できなかったおもいをもっていたものです。
私が大荷物をまとめてあと5分でオフィスを出る、というときにいらっしゃったので、もう少しですれ違いになる所でした。無為自然というか自然な生き方をしているんだろうなぁ、ということが、その様子から感じられました。ブラジルに破天荒な旅をしてきた学生時代、そのころの風来坊ぶり、とでもいうべきものが。
2008年05月25日
父として

先週の休日のことです。長女4歳、次女1歳の娘たちと近くの大きな公園に行った時、はぐれて一人で遊んでいた長女と合流すると、泣きじゃくっていました。なに、どうした?と聞くと大きい子にいじめられた模様。
遠慮しがちで他の子供に強くは言わない彼女は、もう帰る、となくばかり。下の子はまだ遊びたがっていたのでしばらく、静かな場所の石の上に座って彼女に「人は何のために遊ぶのか」「人は何のために幼稚園に行くのか」「人は何のために仕事をするのか」といったことを、父として価値観を話していました。
多くの人が「人は何のために生きているのか」がわからない。私も若いころ(10代〜20代)は、わかりませんでした。ただ、私の父が私の幼いころになにかそうしたことを教えてくれていたことは覚えています。
私は長女が、しっかりお話ができて考えることができる思考力がついたこの頃、父として、彼女に「何のために人は生きるのか」を伝えることが、私の役目の一つだと考えていました。
”人は何のために生きているのか”
これには、複雑で難しい答えもあり、シンプルな答えもあり、答えなしという回答もあるでしょう。万人にとっての正解を見つけることができるのかは、わかりません。ただ私は私の子どもには、父として「私の考える”人は何のために生きているのか”」を伝える必要があると思いました。きっと彼女は大きくなったら忘れるでしょう。しかし、今日「何かを教えてもらった」ことはのこるかもしれません。そして彼女が再び独自に発見するものが、あれば、それでいい。そうおもいます。
ちなみに、私は娘にこう伝えました。
”人は幸せに日々を生きるために生きているんだよ”と。
難しい違いですが、実はこだわりがあります。
”幸せになる”ではなく”幸せに日々を生きるため”と表現します。
つまり”プロセス(そして、夢に至るための日々)”を大事であると思っています。「X」というものが得られたらその先ずっと幸せ、という「X」が存在するとは思っていません。あるのかもしれませんが、私にはわかりません。”手に入れる幸せ”は、静止物ではなく、進行形の姿にしかない、と考えています。
川、ににているとおもいます。川は常にそこにありますが、構成する水分子は常に流れて入れ替わります。池ではない、川に似ている。そう感じています。
ある瞬間に、その川を10メートルせき止めて「これが川だ」といってみてもそれは、川ではない。ただの水10トン。そういうことではないか、と。
2008年05月24日
潮干狩り、奥松島の波津々浦にいってきました
家族で初の潮干狩りに行ってきました。下の娘も自分で歩けるようになり、こうしたアウトドアな休日を楽しめるようになりました。
奥松島へは、高速?(仙台南部道路とか三陸道という)の鳴瀬奥松島ICでいくと速いです。太白区にある山田ICから2000円弱です。
開所の時間の少しあとに到着したらちょうど駐車場がいっぱい。田んぼ道にとめて歩くことになります。
大人は1000円、子供(4,1歳)は無料でした。DIYのお店で買ってきた熊手と100円ショップで買った簡単なざるで早速掘ります。近場で掘ってみるとなかなか出てきません。次第に沖の方へ。子供たちは泥遊びが楽しいのでアサリがあろうとなかろうと楽しそうです。子供用のスコップではそもそもあんまり掘れません。安全にたのしんでくれればそれでいいですね。
今回持ってきてよかったものは、熊手とざるのほかに、作業用の手袋でした。作業用に反面がゴムになっているものでこれはとても重宝しました。砂を掘り貝を探すときに手が痛くありません。熊手を握る手も疲れにくくて良かったです。
あとは、持ってくればよかった、と思ったものは、椅子です。中腰のまま掘り続けるのはきついのですが、慣れた人は小さな椅子をもってきていてそれに座って掘ります。あるいは強度の高いクーラーボックスをもっていて、それに座っています。
それから、簡単な軽食。おなかが減りますがひとたび浜にでればなかなか車に戻れません。砂だらけですし。そこで簡単な軽食があると、ちょっと休憩しつつ、栄養が取れるでしょう。つわものになると、岩場でお弁当を食べていました。トイレが貧弱なので、あまりたくさん食べたり飲んだりはしないように注意も必要です。
それから、車に戻って気が付きました。持ってきて便利だったのはペットボトルの水、これは節約して使っても6リットルくらい使いました。砂が落ちないし潮のにおいがなかなかとれません。大人もパンツまで濡れることを想定してすべての着替えを用意しておきましたがこれは正解でした。パンツまで濡れました。ここで用意しておきたかったのが、全身を包むバスタオルです。ポンチョのように小さな着替え空間ができるといいですね。人通りのあるところで下着をかえることは(大人は)本当に難しいなぁと思いました。砂だらけで車中に入るしかありません。全身を包むバスタオルか、簡単な着替え用のシェードがあると便利です。それから、小さくてもいいのですのこ、があると便利です。砂地で足まできれいにして靴をはくのは難しいのですが、すのこがあると断然楽だっただろうとおもいます。小さくてもかまわないので一つあると便利。
この日は2時間半くらいいました。大体20〜30個くらいのアサリが取れました。翌日の味噌汁にしてしまえば終り。交通費を含めると、一つ500円くらいするアサリ、ですが、そこは、子どもたちと楽しい体験ができるレジャーですから。
取れた時の楽しさが予想以上に大きくて大人も楽しめます。どんどん沖に向かって入って行きたくなるし、いい道具もほしくなります。若い学生たちもたのしそうにやっていました。
余談:
偶然の要素がある作業はギャンブルに似た楽しさがあるのかな、とおもいました。人間が楽しさ、おもしろさを感じるには、適度な不確実性(確率論であらわれてくる世界)と狙いが当たる外れる、という予想性があるのかもしれません。
もっとも、それが経済的であるかどうかは、別。一粒500円の高級アサリを食べる人がどれだけいるか。そういう価値観は、こういう楽しみには、外に置かれるべきことかもしれません。
奥松島へは、高速?(仙台南部道路とか三陸道という)の鳴瀬奥松島ICでいくと速いです。太白区にある山田ICから2000円弱です。
開所の時間の少しあとに到着したらちょうど駐車場がいっぱい。田んぼ道にとめて歩くことになります。
大人は1000円、子供(4,1歳)は無料でした。DIYのお店で買ってきた熊手と100円ショップで買った簡単なざるで早速掘ります。近場で掘ってみるとなかなか出てきません。次第に沖の方へ。子供たちは泥遊びが楽しいのでアサリがあろうとなかろうと楽しそうです。子供用のスコップではそもそもあんまり掘れません。安全にたのしんでくれればそれでいいですね。
今回持ってきてよかったものは、熊手とざるのほかに、作業用の手袋でした。作業用に反面がゴムになっているものでこれはとても重宝しました。砂を掘り貝を探すときに手が痛くありません。熊手を握る手も疲れにくくて良かったです。
あとは、持ってくればよかった、と思ったものは、椅子です。中腰のまま掘り続けるのはきついのですが、慣れた人は小さな椅子をもってきていてそれに座って掘ります。あるいは強度の高いクーラーボックスをもっていて、それに座っています。
それから、簡単な軽食。おなかが減りますがひとたび浜にでればなかなか車に戻れません。砂だらけですし。そこで簡単な軽食があると、ちょっと休憩しつつ、栄養が取れるでしょう。つわものになると、岩場でお弁当を食べていました。トイレが貧弱なので、あまりたくさん食べたり飲んだりはしないように注意も必要です。
それから、車に戻って気が付きました。持ってきて便利だったのはペットボトルの水、これは節約して使っても6リットルくらい使いました。砂が落ちないし潮のにおいがなかなかとれません。大人もパンツまで濡れることを想定してすべての着替えを用意しておきましたがこれは正解でした。パンツまで濡れました。ここで用意しておきたかったのが、全身を包むバスタオルです。ポンチョのように小さな着替え空間ができるといいですね。人通りのあるところで下着をかえることは(大人は)本当に難しいなぁと思いました。砂だらけで車中に入るしかありません。全身を包むバスタオルか、簡単な着替え用のシェードがあると便利です。それから、小さくてもいいのですのこ、があると便利です。砂地で足まできれいにして靴をはくのは難しいのですが、すのこがあると断然楽だっただろうとおもいます。小さくてもかまわないので一つあると便利。
この日は2時間半くらいいました。大体20〜30個くらいのアサリが取れました。翌日の味噌汁にしてしまえば終り。交通費を含めると、一つ500円くらいするアサリ、ですが、そこは、子どもたちと楽しい体験ができるレジャーですから。
取れた時の楽しさが予想以上に大きくて大人も楽しめます。どんどん沖に向かって入って行きたくなるし、いい道具もほしくなります。若い学生たちもたのしそうにやっていました。
余談:
偶然の要素がある作業はギャンブルに似た楽しさがあるのかな、とおもいました。人間が楽しさ、おもしろさを感じるには、適度な不確実性(確率論であらわれてくる世界)と狙いが当たる外れる、という予想性があるのかもしれません。
もっとも、それが経済的であるかどうかは、別。一粒500円の高級アサリを食べる人がどれだけいるか。そういう価値観は、こういう楽しみには、外に置かれるべきことかもしれません。
2008年05月10日
消しゴム版画
先日、仕事アイテムを大量整理していた時に、たまりにたまった文房具の中に使えないものがかなりありました。処分したのですが、ゴムの劣化して硬くなった消しゴムもずいぶんありました。
これを使って、休みの日に娘たちと遊びながら、消しゴム版画を作ってみました。

劣化したゴムはある程度硬さがあって、カッターでもサクサク削れます。形はシンプルなものにしておきました。彫刻用のツールがあればもっと作ってみたい気もしましたが、休日の遊び用はこのくらいがいいでしょう。
浮き彫りにした部分に、プロッキー(裏うつりしないマーカー)を塗って、急いで紙に押し付ければ、スタンプになります。このためだけにスタンプを多色買うのは無駄なので、この使い方でやってみました。結果としては、子どもには難しいですが、お父さんと子供で遊ぶ分には十分。お父さん、インク付けて付けて、といわれるのも楽しいですから。
大きな模造紙を用意して、そこに、スタンプを押すための大きな地図を書いて好きなように押させました。

大きい紙に自由に押していくのは楽しいようでした。配色がきれいな4色を選んだので、押していくだけで結構それなりに楽しい図ができていきました。
結局捨てるつもりの消しゴム20個のうち、版画になったのは4つだけでした。残りの16個はすごく削りだしにくいもので最終的には使えませんでした。ただ、その「消しゴムに書く」という作業も娘たちには楽しそうでした。服についてしまうので下の娘には黒い私のTシャツを着せて遊ばせました。
私は、捨てることにもったいなさが強すぎて、物がたまる性質です。そういう人には、捨てることになったものを、捨てるのに決心が要りますが、「遊んで最後にもうひと活躍してもらってから、感謝して捨てる」という箱に入れることは、おもしろい方法かもしれません。
暇になった休みの日に、その「遊びに使ってから捨てる」箱を開けてみると、それで娘たちと遊びを創りだして、失敗しても楽しめます。最後は捨てることになりますが、思い出になりますから、もったいない、の人でも大分片付けがはかどると思います。
これを使って、休みの日に娘たちと遊びながら、消しゴム版画を作ってみました。

劣化したゴムはある程度硬さがあって、カッターでもサクサク削れます。形はシンプルなものにしておきました。彫刻用のツールがあればもっと作ってみたい気もしましたが、休日の遊び用はこのくらいがいいでしょう。
浮き彫りにした部分に、プロッキー(裏うつりしないマーカー)を塗って、急いで紙に押し付ければ、スタンプになります。このためだけにスタンプを多色買うのは無駄なので、この使い方でやってみました。結果としては、子どもには難しいですが、お父さんと子供で遊ぶ分には十分。お父さん、インク付けて付けて、といわれるのも楽しいですから。
大きな模造紙を用意して、そこに、スタンプを押すための大きな地図を書いて好きなように押させました。

大きい紙に自由に押していくのは楽しいようでした。配色がきれいな4色を選んだので、押していくだけで結構それなりに楽しい図ができていきました。
結局捨てるつもりの消しゴム20個のうち、版画になったのは4つだけでした。残りの16個はすごく削りだしにくいもので最終的には使えませんでした。ただ、その「消しゴムに書く」という作業も娘たちには楽しそうでした。服についてしまうので下の娘には黒い私のTシャツを着せて遊ばせました。
私は、捨てることにもったいなさが強すぎて、物がたまる性質です。そういう人には、捨てることになったものを、捨てるのに決心が要りますが、「遊んで最後にもうひと活躍してもらってから、感謝して捨てる」という箱に入れることは、おもしろい方法かもしれません。
暇になった休みの日に、その「遊びに使ってから捨てる」箱を開けてみると、それで娘たちと遊びを創りだして、失敗しても楽しめます。最後は捨てることになりますが、思い出になりますから、もったいない、の人でも大分片付けがはかどると思います。
2008年05月06日
「しごと」とは、志しを極めて豊かな社会を作ること
「しごと」は、志しを極めて、豊かな社会を作ること。「志・極・豊」である
プロは全力を尽くせ
「心躍る時間」「楽しい仕事」を!
手を抜いた仕事で楽ができたとしても、それは「しごと(志極豊)」ではない。価値観をすり減らし、研ぎ澄まされた感覚を麻痺させてしまうもったいない行為でしかない。
プロは全力を尽くせ
「心躍る時間」「楽しい仕事」を!
手を抜いた仕事で楽ができたとしても、それは「しごと(志極豊)」ではない。価値観をすり減らし、研ぎ澄まされた感覚を麻痺させてしまうもったいない行為でしかない。
2008年05月05日
フロと発想
なやんだり、詰まった時には風呂に入るのがいい。発想法とかなんとかいう前に、環境が変わればリフレッシュする。動けば変わるもの。
風呂に入って寝てしまえ、という言葉には、一つの暗黙知がありますね。
風呂に入って寝てしまえ、という言葉には、一つの暗黙知がありますね。
2008年05月04日
急な雨、子供を連れていく代わりの場所
連休は、子供を連れて動物園や潮干狩りを予定していましたが、天候が悪くて、小さい子供が楽しめる気温でないので、泣く泣く予定を変えました。
仙台で突然遊びに行ける「屋内型」の子連れの遊び場は、どこだろう、とエンジンをかけながら考えていました。
まだ子供が小さいので、科学館的なところは気を使うのでNG、屋外で濡れるのは体力的に子どもにはつらいし、遠くまで行くのもできれば避けたい、という条件でなやんでいました。
そのうち、普段行かない買い物するところ、という視点で考えてみました。
その1 ユニクロ
たいていイオンで服を買うのであまり行かなかったのですが、上の娘に選んでもらうつもりで行きました。結構小さい子供がおおく(妊婦さんもおおい)下の子が騒いでも、気がねなく服選びができました。
その2 トイザらズ
郊外に大型店舗があります。こどもは文句なしに何時間も楽しんでいます。買うつもりのものがあれば、それを最後に買えば子どもも満足して帰れます。けっこう大人があそぶ知能やホビー系商品もあって、お父さんもおもしろいですね。いまはラジコンが安くて高性能。なんとヘリコプターが1万円以下。すごい。
その3 かに
外出する代わりに、時間のかかる食べ物を買ってきてうちで食べます。たとえば、かに。外でカニを食べるには子供が小さいので、大変ですが、親子ではずしながら食べるのも楽しいです。
その4 画用紙とポスカ
外出する代わりに屋内で、普段しない遊び方をします。ポスカ、という裏うつりしないしないマジック(10色くらいで1000円。1色でも買えます)を用意して、大きな模造紙(数枚入って数100円)を用意します。合計でも1500円くらい。それをつかって、部屋で大きな絵を描きます。これは楽しいですね。
仙台で突然遊びに行ける「屋内型」の子連れの遊び場は、どこだろう、とエンジンをかけながら考えていました。
まだ子供が小さいので、科学館的なところは気を使うのでNG、屋外で濡れるのは体力的に子どもにはつらいし、遠くまで行くのもできれば避けたい、という条件でなやんでいました。
そのうち、普段行かない買い物するところ、という視点で考えてみました。
その1 ユニクロ
たいていイオンで服を買うのであまり行かなかったのですが、上の娘に選んでもらうつもりで行きました。結構小さい子供がおおく(妊婦さんもおおい)下の子が騒いでも、気がねなく服選びができました。
その2 トイザらズ
郊外に大型店舗があります。こどもは文句なしに何時間も楽しんでいます。買うつもりのものがあれば、それを最後に買えば子どもも満足して帰れます。けっこう大人があそぶ知能やホビー系商品もあって、お父さんもおもしろいですね。いまはラジコンが安くて高性能。なんとヘリコプターが1万円以下。すごい。
その3 かに
外出する代わりに、時間のかかる食べ物を買ってきてうちで食べます。たとえば、かに。外でカニを食べるには子供が小さいので、大変ですが、親子ではずしながら食べるのも楽しいです。
その4 画用紙とポスカ
外出する代わりに屋内で、普段しない遊び方をします。ポスカ、という裏うつりしないしないマジック(10色くらいで1000円。1色でも買えます)を用意して、大きな模造紙(数枚入って数100円)を用意します。合計でも1500円くらい。それをつかって、部屋で大きな絵を描きます。これは楽しいですね。
2008年04月30日
情熱
絶対にいいものを提供するぞ!という
抑えきれない気持ちがあること
プロセス(積み重ねる毎日)を楽しむ、ことにも通じる。
それは、商品やお客さんへの愛、でもある。
抑えきれない気持ちがあること
プロセス(積み重ねる毎日)を楽しむ、ことにも通じる。
それは、商品やお客さんへの愛、でもある。
2008年04月26日
立席(新幹線)の7つの良いところ
これから、はやてにのります。たちせき、で。
せっかくなので、立席を楽しむために、「立席のいいところ」を7個発見してみようとおもいます。
いってきます。
〜14時間後〜
大阪に、用事済んで、ログインできる所に着きました。
では早速、発見した「立席のいいところ」をば。
1.すずしい
狭い人のぎっしり空間で汗かく人にはいいでしょう。
2.うるさくしていい
音の出る作業をするには持ってこい。紙を破るとかゲームとか。
3.寝てしまわない
たったままなので、かなり眠くても、眠りには落ちません。
ひろい
4.消火器がすぐ近くにある
万が一の列車火災の際には、自分の身が守れるかも(?)
5.PCを意味もなく立ち上げたりしない
机がないですからね。読書をしたいのにPCでなんかしちゃう人には最適。
6.一番で降りれる
なにせ出口に2時間前から立ってますからね。
7.電話にすぐ出られる
これは実用的。車両で迷惑になってあせって席を立つ時間がセーブできます。
そんなこんなで、仙台から東京への95分はあっという間(?)につきました。
・・・いえ、本当は、すごく辛かったです。。。そのあと、新大阪行きの”のぞみ”の3人がけシート(それも真ん中)が、狭いどころか「ああ、席があるだけで、もう、いいな」と妙に謙虚なレベルに幸せを感じられるようになったこと、これが、最大のいいところかもしれません。
せっかくなので、立席を楽しむために、「立席のいいところ」を7個発見してみようとおもいます。
いってきます。
〜14時間後〜
大阪に、用事済んで、ログインできる所に着きました。
では早速、発見した「立席のいいところ」をば。
1.すずしい
狭い人のぎっしり空間で汗かく人にはいいでしょう。
2.うるさくしていい
音の出る作業をするには持ってこい。紙を破るとかゲームとか。
3.寝てしまわない
たったままなので、かなり眠くても、眠りには落ちません。
ひろい
4.消火器がすぐ近くにある
万が一の列車火災の際には、自分の身が守れるかも(?)
5.PCを意味もなく立ち上げたりしない
机がないですからね。読書をしたいのにPCでなんかしちゃう人には最適。
6.一番で降りれる
なにせ出口に2時間前から立ってますからね。
7.電話にすぐ出られる
これは実用的。車両で迷惑になってあせって席を立つ時間がセーブできます。
そんなこんなで、仙台から東京への95分はあっという間(?)につきました。
・・・いえ、本当は、すごく辛かったです。。。そのあと、新大阪行きの”のぞみ”の3人がけシート(それも真ん中)が、狭いどころか「ああ、席があるだけで、もう、いいな」と妙に謙虚なレベルに幸せを感じられるようになったこと、これが、最大のいいところかもしれません。
2008年04月24日
ベゾス氏のAmazon.comの創業期について
IDEO(「発想する会社」)のP121に、アマゾンの創業期のことがかかれています。創業者のベゾス氏がはりしながら住所も決めずに創業をしていく躍動感がわくわくした息使いで描かれています。
引用(P121~122)
「ごたごたした問題をすっかり解決していたら、そのときにはすでに、インターネットを使わない伝統的な書籍販売業者が巻き返しをはかりはじめていただろう。あなたも次にプロジェクトに着手するときは、小さな新世界のアマゾン式の勢いでエンジンをかけてほしい。答がわからない問題に取り組んでみよう。とりあえずギアを入れてしまえば、驚くほど簡単にソリューションの一部が見えてくるはずだ」
非常に示唆深い、と思います。
充分な時間がある、そして、調べたらわかる部分がある。そういう場合に、それを体当たりで失敗したら、本人も周囲も残念な気持ちになるでしょう。しかし、十分な時間がない、もしくは、調べてもわかりはしないこと、は、すぐやる。やれば、見えてくるのだ、驚くほど簡単に。
同書はそう言っているとおもいます。私もそう思います。動く前の慎重さをあまりに人は状況をこえて適用しすぎる。多くの場合、動かないでいることのリスクの高まりを見ていない。
この引用の前部分で、アマゾン創業者が、引っ越し先も決めずに引越しのトラックを手配し、行き先を告げずにトラックに乗せる、というシーンがあります。通常の段取りからしたら、でたらめ。しかし、市場成長率2300%の世界では数週間がはるかな時間差。その意味でかれは、最高の戦略性でうごいていた、と思います。
引用(P121~122)
「ごたごたした問題をすっかり解決していたら、そのときにはすでに、インターネットを使わない伝統的な書籍販売業者が巻き返しをはかりはじめていただろう。あなたも次にプロジェクトに着手するときは、小さな新世界のアマゾン式の勢いでエンジンをかけてほしい。答がわからない問題に取り組んでみよう。とりあえずギアを入れてしまえば、驚くほど簡単にソリューションの一部が見えてくるはずだ」
非常に示唆深い、と思います。
充分な時間がある、そして、調べたらわかる部分がある。そういう場合に、それを体当たりで失敗したら、本人も周囲も残念な気持ちになるでしょう。しかし、十分な時間がない、もしくは、調べてもわかりはしないこと、は、すぐやる。やれば、見えてくるのだ、驚くほど簡単に。
同書はそう言っているとおもいます。私もそう思います。動く前の慎重さをあまりに人は状況をこえて適用しすぎる。多くの場合、動かないでいることのリスクの高まりを見ていない。
この引用の前部分で、アマゾン創業者が、引っ越し先も決めずに引越しのトラックを手配し、行き先を告げずにトラックに乗せる、というシーンがあります。通常の段取りからしたら、でたらめ。しかし、市場成長率2300%の世界では数週間がはるかな時間差。その意味でかれは、最高の戦略性でうごいていた、と思います。
2008年04月22日
楽をしようだなんて思わないことだ。遠くを見よ
あるスライドを作っていっていました。どうもしっくりいかない、とこか、着心地の悪い服を着ているようでした。なんでだろうと、夕方近くに、一度気分転換してようやくわかりました。過去のものを使ってできるだけ、新しいものを作らないようにしている、仕事を急いでいる、ということが、イライラを引き起こしていました。
仕事は早く進めることをよしとしていますが、しかし、スライドについては、過去のものを使うことは、内容がほとんど一緒の場合(そして、そういうケースはめったにない)のですが、今回は、それを時間の関係上、切り貼りして、調整しようとしていました。
私の教育におけるモットーである「最初に本物を与える」この自分で決めた約束をやぶって効率化しようとしていたのだと気が付きました。
その結果、いらいらして作っては直していました。
結局、ゼロから作り始めましたが、それは非常に快調にすすんでいます。当時とは知識や経験が違う。そのため、過去の表現よりもよりシンプルに、よりエッジのたった知識を持っています。
これも、過去のものを使いたくない(と潜在的にこころがNOをいいつづけた)理由かもしれません。
前にあげた言葉を少し変えて、また、表現したいとおもいます。
「楽をしようだなんて思わないことだ。遠くを見よ。」
20年かけて進みたい場所があります。今日や今週、ちょっとくらい楽してみても、しかたない。たまにしっかり休みをとってみたら、「すこし楽してみようかな」なんて心が芽生えてくるものなんですね。人間というは。
我に返って、楽をしようとしていた自分の考え方が恥ずかしいなぁ、と思いました。目線を上げて、あせらずさぼらず、前に、すすみますかね。
仕事は早く進めることをよしとしていますが、しかし、スライドについては、過去のものを使うことは、内容がほとんど一緒の場合(そして、そういうケースはめったにない)のですが、今回は、それを時間の関係上、切り貼りして、調整しようとしていました。
私の教育におけるモットーである「最初に本物を与える」この自分で決めた約束をやぶって効率化しようとしていたのだと気が付きました。
その結果、いらいらして作っては直していました。
結局、ゼロから作り始めましたが、それは非常に快調にすすんでいます。当時とは知識や経験が違う。そのため、過去の表現よりもよりシンプルに、よりエッジのたった知識を持っています。
これも、過去のものを使いたくない(と潜在的にこころがNOをいいつづけた)理由かもしれません。
前にあげた言葉を少し変えて、また、表現したいとおもいます。
「楽をしようだなんて思わないことだ。遠くを見よ。」
20年かけて進みたい場所があります。今日や今週、ちょっとくらい楽してみても、しかたない。たまにしっかり休みをとってみたら、「すこし楽してみようかな」なんて心が芽生えてくるものなんですね。人間というは。
我に返って、楽をしようとしていた自分の考え方が恥ずかしいなぁ、と思いました。目線を上げて、あせらずさぼらず、前に、すすみますかね。
2008年04月21日
頭が保持できるスペースは7つ分だという考え方
頭の中に、一時的に、受け止めておける場所(たぶん、短期的な記憶の場所である気がします)があります。
そのスペースには、7つまでものがおける。そんな感じのようです。人によって、5つとか9つとか多少差があるようです。もっと原始的な生活をしていた時代には、3つくらいだったかもしれません。
この7つのスペースは、覚えるのに使われるのと同時に、考えるためのスペースでもあるようです。机の上の作業台のような感じ。なので、覚えておくことが、3つ4つあると、考えることに費やせる広さは、4とか3くらいしかない。6つくらい覚えておく状態だと、ほとんど、頭のCPUは覚えることに費やされて、いろんな観点で物事を考えることができない状態になります。いわゆる、頭いっぱい、の状態。
思考停止状態にも近いこの状態は非常にストレスも高いと思います。ずっとその状態を保持してかれるのは、とても苦痛なので、その記憶は割と短時間で、ほおっておけば、飛んでしまうように思います。飛んでいかないようにずっと、覚え直しておくと、おぼえられますが、それはどうやら、7つのスペースから、奥の広いスペース(長期記憶のあるエリア?)に置かれるような気がします。
こうなると、また、7つのスペースは使えるので、どんどん物事を考えることができます。
議論やアイデア出しをしている時に、何もメモをとらないと、大体、7つ目くらいに達した時点で、ぼーっと、思考停止の状態が来ます。もしくは、あれ、なんのはなしをしていたっけ?と思いだせない状態が来ます。
確定しにくい物事でも、複数段階の高次ステップを踏んでたどりつく議論であれば、マインドマップなどで「覚えておくべきことを7つのスペースから外に出す」ことを一生懸命、行っていく方がいいでしょう。頭だけで覚え続けると、早く結論に達さないと、相手はだんだんイライラします。あるいは、なんとなくわかった風なかんじになるけれど、あとで論理展開を再現しようとしても、できなくなります。
まとめるとこうです。
1)頭の中の覚える・考える領域は7つくらいしかない
2)能力をシェアしているので、覚えることがたまると、思考力低下する
3)考える領域を広く使うには、繰り返し覚えて奥のほうに入れる(長期記憶にする)か、紙のようなモノに吐き出す(外部の記憶装置に記憶を保持させる)かを、するといい
脳の「記憶・思考のスペースは7つまで」仮説。
これは、体験的なものと、見聞きしたことがまざっているので、一般には正しいかわかりませんが、どうも、そういう構造が人の頭にあるような気がします。
なお、これに加えてもう一つ、あります。
それは、覚えておくことが「概念」である場合は、「もの」である場合よりも、多くのスペースをくう、ということです。
モノ、というわかりやすい具体物は覚えておくのが楽です。一方で概念系のことは、覚えておくのに多くのスペースを使います。へたしたら、1概念を把握し覚えるのに7つを使い切ることもあります。(さらには、7では足りないことも。この場合は、毎日取り組むことで、先の方が長期記憶化することで、新しい学習をしている模様)
なので、人に何か新しいことを伝える時は、相手に手渡す(頭の中の仮置き7スペースに届ける)ことがらを、できるだけ「物体系」のものするほうが、相手の中で受け止めやすいようです。
数学を専攻していたころ、ある先生がおっしゃいました。「記号を作る、というは非常に重要なこと。ある数学操作を記号にする、ただそれだけで、ずいぶん、発展する分野もある」と。それは当時はわかりませんでした。今は少しわかります。数学演算を、単に操作の記号で再構築して、実際の演算の代わりに単に操作の整理を先にして、そのあとに、演算すれば、高度演算はかなり早い。論理学の発達もかなり進む。そういうことだと思います。
ということで、
まとめに一つ加えたいと思います。
4)できるだけ「概念」よりも「もの」をつかった話を心がける、自分のためにも、人のためにも。
そのスペースには、7つまでものがおける。そんな感じのようです。人によって、5つとか9つとか多少差があるようです。もっと原始的な生活をしていた時代には、3つくらいだったかもしれません。
この7つのスペースは、覚えるのに使われるのと同時に、考えるためのスペースでもあるようです。机の上の作業台のような感じ。なので、覚えておくことが、3つ4つあると、考えることに費やせる広さは、4とか3くらいしかない。6つくらい覚えておく状態だと、ほとんど、頭のCPUは覚えることに費やされて、いろんな観点で物事を考えることができない状態になります。いわゆる、頭いっぱい、の状態。
思考停止状態にも近いこの状態は非常にストレスも高いと思います。ずっとその状態を保持してかれるのは、とても苦痛なので、その記憶は割と短時間で、ほおっておけば、飛んでしまうように思います。飛んでいかないようにずっと、覚え直しておくと、おぼえられますが、それはどうやら、7つのスペースから、奥の広いスペース(長期記憶のあるエリア?)に置かれるような気がします。
こうなると、また、7つのスペースは使えるので、どんどん物事を考えることができます。
議論やアイデア出しをしている時に、何もメモをとらないと、大体、7つ目くらいに達した時点で、ぼーっと、思考停止の状態が来ます。もしくは、あれ、なんのはなしをしていたっけ?と思いだせない状態が来ます。
確定しにくい物事でも、複数段階の高次ステップを踏んでたどりつく議論であれば、マインドマップなどで「覚えておくべきことを7つのスペースから外に出す」ことを一生懸命、行っていく方がいいでしょう。頭だけで覚え続けると、早く結論に達さないと、相手はだんだんイライラします。あるいは、なんとなくわかった風なかんじになるけれど、あとで論理展開を再現しようとしても、できなくなります。
まとめるとこうです。
1)頭の中の覚える・考える領域は7つくらいしかない
2)能力をシェアしているので、覚えることがたまると、思考力低下する
3)考える領域を広く使うには、繰り返し覚えて奥のほうに入れる(長期記憶にする)か、紙のようなモノに吐き出す(外部の記憶装置に記憶を保持させる)かを、するといい
脳の「記憶・思考のスペースは7つまで」仮説。
これは、体験的なものと、見聞きしたことがまざっているので、一般には正しいかわかりませんが、どうも、そういう構造が人の頭にあるような気がします。
なお、これに加えてもう一つ、あります。
それは、覚えておくことが「概念」である場合は、「もの」である場合よりも、多くのスペースをくう、ということです。
モノ、というわかりやすい具体物は覚えておくのが楽です。一方で概念系のことは、覚えておくのに多くのスペースを使います。へたしたら、1概念を把握し覚えるのに7つを使い切ることもあります。(さらには、7では足りないことも。この場合は、毎日取り組むことで、先の方が長期記憶化することで、新しい学習をしている模様)
なので、人に何か新しいことを伝える時は、相手に手渡す(頭の中の仮置き7スペースに届ける)ことがらを、できるだけ「物体系」のものするほうが、相手の中で受け止めやすいようです。
数学を専攻していたころ、ある先生がおっしゃいました。「記号を作る、というは非常に重要なこと。ある数学操作を記号にする、ただそれだけで、ずいぶん、発展する分野もある」と。それは当時はわかりませんでした。今は少しわかります。数学演算を、単に操作の記号で再構築して、実際の演算の代わりに単に操作の整理を先にして、そのあとに、演算すれば、高度演算はかなり早い。論理学の発達もかなり進む。そういうことだと思います。
ということで、
まとめに一つ加えたいと思います。
4)できるだけ「概念」よりも「もの」をつかった話を心がける、自分のためにも、人のためにも。
力を蓄えてジャンプする
IDEO(シリコンバレーにあるプロダクトデザイン会社、大変クリエイティブ)の本に出てくる言葉です。
何のこともない普通の言葉のように感じますが、その体験をするとよくわかる気がします。
この週末、土曜日は深夜まで働き、日曜日はノートPCを持って帰らずに過ごしてみました。仙台にいながらPCなし過ごす休日は初めてです。
何度も、メールを見たくなったり、WEBで何か調べようとしたり、文章を書くのにファイルを開こうとしたり。手がPCを求めているのを感じました。
そして、いつもこのタイミングでPCをつかったり、仕事の一部をしたりしているんだなぁと認識しました。
PCがないので、ゆっくり子供たちと遊びました。ぷちぷちとしたプロックをつかってあそんで、下の子が部屋中にまき散らして大騒ぎ。追いかけっことしたり、マットレスのスプリングで跳ねたり。
そのうち、PCがないのもなれて、家族に意識が向かいました。普段もそうしているつもりでしたが、そうじゃなかったんでしょう。
よるも子供たちをお風呂に入れたらば寝かしつけつつ自分も眠ってしまいました。(おかげで10時間くらい寝ました)
寝る直前までPCで仕事をしていると、メールの急ぎの仕事や、次の仕事の仕込みをしながら、力尽きてPCを閉じるので、眠りが浅いのかもしれません。(普段は3時間くらいすると、自然に目が覚めて、起きて即、仕事をしています。)
いままで、口のはたが切れてかさぶたができて治らないでいたのですが、10時間寝て起きたら、かなり良くなっていました。う〜ん、睡眠がいいのかPCレスがいいのかわかりませんが、大幅に体調がよくなったのは事実です。
そうして今日は、朝、起きて、ゆっくり本を読みました(普段は起きればすぐにPCを立ち上げています)。IDEOの本をじっくり読みたいと思いながらも、忙しい日々の中でなかなかできないでいました。朝の時間帯は頭がゼロ情報なので、本を読むのには最適。ずいぶんそのことを忘れていました。
さて、IDEOの本に、タイトルの言葉があります。「力を蓄えてジャンプする」今朝は朝、オフィスに出るまでに、いつもよりも力強く体にエネルギーがあることを感じました。あいさつをする声も、自然としっかりとしたものに。
駆け出したくなるような力がみなぎる。
自分を、そういう状態にすること。それが一番のやり方ではないだろうか。ふとそんな風に思いました。
休む時は休む(ただし、本当にしっかり安心して休むには、仕事を、しがかりにしないで、やりきってから、休む)ことをこれから実践してみようと思います。
少なくとも、早朝の読書は毎日30分、やりたいとおもいました。頭に入る量が全然違いますね。
何のこともない普通の言葉のように感じますが、その体験をするとよくわかる気がします。
この週末、土曜日は深夜まで働き、日曜日はノートPCを持って帰らずに過ごしてみました。仙台にいながらPCなし過ごす休日は初めてです。
何度も、メールを見たくなったり、WEBで何か調べようとしたり、文章を書くのにファイルを開こうとしたり。手がPCを求めているのを感じました。
そして、いつもこのタイミングでPCをつかったり、仕事の一部をしたりしているんだなぁと認識しました。
PCがないので、ゆっくり子供たちと遊びました。ぷちぷちとしたプロックをつかってあそんで、下の子が部屋中にまき散らして大騒ぎ。追いかけっことしたり、マットレスのスプリングで跳ねたり。
そのうち、PCがないのもなれて、家族に意識が向かいました。普段もそうしているつもりでしたが、そうじゃなかったんでしょう。
よるも子供たちをお風呂に入れたらば寝かしつけつつ自分も眠ってしまいました。(おかげで10時間くらい寝ました)
寝る直前までPCで仕事をしていると、メールの急ぎの仕事や、次の仕事の仕込みをしながら、力尽きてPCを閉じるので、眠りが浅いのかもしれません。(普段は3時間くらいすると、自然に目が覚めて、起きて即、仕事をしています。)
いままで、口のはたが切れてかさぶたができて治らないでいたのですが、10時間寝て起きたら、かなり良くなっていました。う〜ん、睡眠がいいのかPCレスがいいのかわかりませんが、大幅に体調がよくなったのは事実です。
そうして今日は、朝、起きて、ゆっくり本を読みました(普段は起きればすぐにPCを立ち上げています)。IDEOの本をじっくり読みたいと思いながらも、忙しい日々の中でなかなかできないでいました。朝の時間帯は頭がゼロ情報なので、本を読むのには最適。ずいぶんそのことを忘れていました。
さて、IDEOの本に、タイトルの言葉があります。「力を蓄えてジャンプする」今朝は朝、オフィスに出るまでに、いつもよりも力強く体にエネルギーがあることを感じました。あいさつをする声も、自然としっかりとしたものに。
駆け出したくなるような力がみなぎる。
自分を、そういう状態にすること。それが一番のやり方ではないだろうか。ふとそんな風に思いました。
休む時は休む(ただし、本当にしっかり安心して休むには、仕事を、しがかりにしないで、やりきってから、休む)ことをこれから実践してみようと思います。
少なくとも、早朝の読書は毎日30分、やりたいとおもいました。頭に入る量が全然違いますね。
2008年04月19日
うまくやろうなんて思わないこと、遠くを見よ
およそ、「うまくやろう」という気持ちが強い時には、人間は近視眼になります。今、というものに着目しすぎる状態。
今(現在)というものに注目しすぎることは、小さくて細かい振幅にゆすられて、進むことになります。視座がブレます。
浮いた沈んだが激しくくるくる変わり翻弄されると感じた時、次の言葉が、基準軸をもどしてくれます。
「遠くを見よ」
くるくると視座が上下するぞ、と感じたときには遠くを見ます。北極星を、見つめるために、3分、休憩してみるのがいいのかもしれません。
うまくやろうとなんておもわないこと、遠くを見よ
今(現在)というものに注目しすぎることは、小さくて細かい振幅にゆすられて、進むことになります。視座がブレます。
浮いた沈んだが激しくくるくる変わり翻弄されると感じた時、次の言葉が、基準軸をもどしてくれます。
「遠くを見よ」
くるくると視座が上下するぞ、と感じたときには遠くを見ます。北極星を、見つめるために、3分、休憩してみるのがいいのかもしれません。
うまくやろうとなんておもわないこと、遠くを見よ
2008年04月18日
仙台と花見とベンチャーと
仙台という地方で起業する。そういう生き方がどういう日々なのか、地方発の起業事情リポートとしてすこしご紹介ます。
地方とはなにか、厳密には難しい(私は東京だって、世界の地方、だとおもいます。)話ですが、東名阪経済圏以外、という緩い意味で地方を定義します。
仙台は、人口100万人。日本人口の約100分の1。いろんなものが、日本の100の1の街。人口、経済規模。
ベンチャーはそれほど多くもなく、しかし、地方の割に、少なくもなく。
仙台は自然が豊かです。千葉生まれの私からすると、みずみずしい気候、と感じます。たとえば、桜。休日、郊外に車でお買いものに行きますが(この点は、微妙にアメリカみたいですね。地方はそういうものかもしれませんが。)その間に桜のポイントがいくつもあります。ふと車を止めて桜の下で子供たちと遊んだり。

心豊かな生活、生活の質、というものを楽しみたい人にとっては、人口規模や首都までの距離がちょうどいい場所、それが仙台だとおもいます。気候も最近はすごくいいですね。東京の夏は亜熱帯のようですが、仙台の真夏日はそうおおくありません。温暖化で冬もさほど雪が積もらないので、東北の冬、といってもしのぎやすいですね。
大学では、入学式が過ぎて新入生歓迎会コンパのころに桜が咲いています。卒業式のころは、桜がありません。学生さん視点でいうと、仙台に関東からくると、関東の高校で卒業式の桜を見て、仙台の大学で入学後にまた桜がさきます。逆に卒業の時は、どっちもなし。
さて、桜ばかりじゃありません。
仙台の起業家たち、というのも結構いて、しかもあまり豊かでない経済圏であるにも関わらず、かなりソーシャルな志向をもった起業家がおおいことが特徴です。社会を作る、人を作る、といった。
私の駐在するベンチャー、デュナミスはそういう存在の、仙台での核となる企業です。その話をすると非常にぎっしりした感じがありますが、実際は非常に”まったり”。いい意味で、ですよ。

たとえば先週、お昼ごはんを、というときに、近くの公園にブルーシートを持っていきました。そして即興の花を愛でながらの昼食会。
結構、多くのビジネスマンが、桜咲く公園でお弁当を食べていました。ブルーシート持参はうちだけでしたが。
地方で起業する、というのは、東京の起業とはずいぶん、行き方が違います。夜遅くまで情熱的に働く、という意味では似ていますが、どこか流れる水が天然水。そんな感じです。通勤時間が非常に短い、というのも大きな違いです。生活全般にかかるストレスが少ないですから、仕事に力を注ぎやすい。一方で豊かな顧客が近くにはすくないので、非常に成長への軌道を上がるのに、テクニックがいります。ある意味、東京で起業するより社長には力量がいります。
ベンチャーはメガトレンドの傍流を行け。
そういう言葉をある経営学の先生はおっしゃいますが、その点では地方はすこし工夫が要りますね。地方発で全国区化への。
さて、そんな花見とベンチャーの仙台名物イベントとなりつつある、一馬さんの花見(デュナミスの花見はそこに包含されるイベント)があります。一馬さん、はデュナミス社長。彼は毎年、デュナミスの枠を超えて、朝から夜まで花見をします。通しで合計100名以上が立ち寄る、解放区です。一馬さんのことをブログで知った、講演で知ったという人もきたり、新聞社や行政、NPOの方も「最近どう?」といいながら花見席に”打ち合わせ”にいらしたり。もちろん、仙台のベンチャーの社長さんも相当数登場します。
時間帯によっては、マンツーマン(つまり一人しか来客がない)時間帯もあり、一方でブルーシートを人が埋め尽くすような時間帯もあります。こぼれた人がその辺にたむろしまくっています。
そんな「一馬さんの花見(デュナミスの花見)」が明日、あります。西公園で行われます。雨の見通しが高いのですが、その時は、ファイブブリッジ(デュナミスのあるビルの3階)で「ビル内お花見会」になるでしょう。(もはや花見じゃない。でもそんなの問題じゃない…というトーンです)
詳しくは、一馬さんのブログをご覧ください。
事前アナウンスのページ
たぶん、4月18日(土)は、頻繁にブログがアップされると思います。
(恒例のリアルタイム更新が)
私も昼の時間帯は、います。
地方とはなにか、厳密には難しい(私は東京だって、世界の地方、だとおもいます。)話ですが、東名阪経済圏以外、という緩い意味で地方を定義します。
仙台は、人口100万人。日本人口の約100分の1。いろんなものが、日本の100の1の街。人口、経済規模。
ベンチャーはそれほど多くもなく、しかし、地方の割に、少なくもなく。
仙台は自然が豊かです。千葉生まれの私からすると、みずみずしい気候、と感じます。たとえば、桜。休日、郊外に車でお買いものに行きますが(この点は、微妙にアメリカみたいですね。地方はそういうものかもしれませんが。)その間に桜のポイントがいくつもあります。ふと車を止めて桜の下で子供たちと遊んだり。

心豊かな生活、生活の質、というものを楽しみたい人にとっては、人口規模や首都までの距離がちょうどいい場所、それが仙台だとおもいます。気候も最近はすごくいいですね。東京の夏は亜熱帯のようですが、仙台の真夏日はそうおおくありません。温暖化で冬もさほど雪が積もらないので、東北の冬、といってもしのぎやすいですね。
大学では、入学式が過ぎて新入生歓迎会コンパのころに桜が咲いています。卒業式のころは、桜がありません。学生さん視点でいうと、仙台に関東からくると、関東の高校で卒業式の桜を見て、仙台の大学で入学後にまた桜がさきます。逆に卒業の時は、どっちもなし。
さて、桜ばかりじゃありません。
仙台の起業家たち、というのも結構いて、しかもあまり豊かでない経済圏であるにも関わらず、かなりソーシャルな志向をもった起業家がおおいことが特徴です。社会を作る、人を作る、といった。
私の駐在するベンチャー、デュナミスはそういう存在の、仙台での核となる企業です。その話をすると非常にぎっしりした感じがありますが、実際は非常に”まったり”。いい意味で、ですよ。

たとえば先週、お昼ごはんを、というときに、近くの公園にブルーシートを持っていきました。そして即興の花を愛でながらの昼食会。
結構、多くのビジネスマンが、桜咲く公園でお弁当を食べていました。ブルーシート持参はうちだけでしたが。
地方で起業する、というのは、東京の起業とはずいぶん、行き方が違います。夜遅くまで情熱的に働く、という意味では似ていますが、どこか流れる水が天然水。そんな感じです。通勤時間が非常に短い、というのも大きな違いです。生活全般にかかるストレスが少ないですから、仕事に力を注ぎやすい。一方で豊かな顧客が近くにはすくないので、非常に成長への軌道を上がるのに、テクニックがいります。ある意味、東京で起業するより社長には力量がいります。
ベンチャーはメガトレンドの傍流を行け。
そういう言葉をある経営学の先生はおっしゃいますが、その点では地方はすこし工夫が要りますね。地方発で全国区化への。
さて、そんな花見とベンチャーの仙台名物イベントとなりつつある、一馬さんの花見(デュナミスの花見はそこに包含されるイベント)があります。一馬さん、はデュナミス社長。彼は毎年、デュナミスの枠を超えて、朝から夜まで花見をします。通しで合計100名以上が立ち寄る、解放区です。一馬さんのことをブログで知った、講演で知ったという人もきたり、新聞社や行政、NPOの方も「最近どう?」といいながら花見席に”打ち合わせ”にいらしたり。もちろん、仙台のベンチャーの社長さんも相当数登場します。
時間帯によっては、マンツーマン(つまり一人しか来客がない)時間帯もあり、一方でブルーシートを人が埋め尽くすような時間帯もあります。こぼれた人がその辺にたむろしまくっています。
そんな「一馬さんの花見(デュナミスの花見)」が明日、あります。西公園で行われます。雨の見通しが高いのですが、その時は、ファイブブリッジ(デュナミスのあるビルの3階)で「ビル内お花見会」になるでしょう。(もはや花見じゃない。でもそんなの問題じゃない…というトーンです)
詳しくは、一馬さんのブログをご覧ください。
事前アナウンスのページ
たぶん、4月18日(土)は、頻繁にブログがアップされると思います。
(恒例のリアルタイム更新が)
私も昼の時間帯は、います。
小さな絶対価値ゾーン
誰にでもその人にしかできないことがある、と私は考えています。それを小さな絶対価値ゾーン、とよんでいます。
そのゾーンは小さい。小さいけれど、その中では、絶対的にその人だけしか発揮できない価値あるものがある、と。
人によってはそれが広かったり、そのゾーンが日のあたる場所にあったり。
しかし、そうじゃない人もいます、狭い、日の当たらないところがゾーンの人。そういう人は、自分に絶対価値ゾーンがあると思えない。
しかし、必ずあると思います。そしてそれをいかそう、と強く意志をもって長く長く続けていれば、必ず顕在化するはずです。3年、5年程度でやろうとしない。10年20年かけてやれば必ずできる。そう固く信じています。
そのゾーンは小さい。小さいけれど、その中では、絶対的にその人だけしか発揮できない価値あるものがある、と。
人によってはそれが広かったり、そのゾーンが日のあたる場所にあったり。
しかし、そうじゃない人もいます、狭い、日の当たらないところがゾーンの人。そういう人は、自分に絶対価値ゾーンがあると思えない。
しかし、必ずあると思います。そしてそれをいかそう、と強く意志をもって長く長く続けていれば、必ず顕在化するはずです。3年、5年程度でやろうとしない。10年20年かけてやれば必ずできる。そう固く信じています。
2008年04月17日
古川へ
古川駅(仙台の北、新幹線でひと駅)の近くにある、ある方の所へお伺いしてきました。

私の大変お世話になっている方です。おっしゃることがよくわかるオフィスの入口でした。人柄や生き方が、その入口に現われているようでした。

私の大変お世話になっている方です。おっしゃることがよくわかるオフィスの入口でした。人柄や生き方が、その入口に現われているようでした。
いままでありがとう、DELL ノートPC
智慧カードのコンセプト、ワーディング、そして、カードデザインを生み出してくれた私のノートPCが遂にリース終了で手放すことになりました。

DELL ノートPC INSPIRON 710m
2006年からの2年間、一緒に日本国中を回りました。いくつかのプレゼテーションでも活躍してもらいました。
私は使い方が荒いので、ノートPCは大体2年前後で壊れます。物理的に「割れ」ます。キーボードのあたりにひびが入り、最後は、バリッと。だいたい、最期が近づくと、中でカラカラとなにか部品が取れている感じの音がします。
このDELLは、東京出張中にディスプレイがダメになりました。バックライトがつかなくなり、懐中電灯で照らしながら無理やり起動したりしていたのですが。
いま、このブログを書いているのは、先月から私の手元にきた、レッツノート(CF-T7)です。
返却のために久々にDELLを立ち上げて、一つ一つ情報を消し込んでいく作業を今日は夜まで延々としていました。この二年間が思い出されて感慨深い時間でした。
いままで、ありがとう。DELLノート。
ちなみに写真手前の携帯電話は、ドコモのSH901iSですが、最近、バッテリーが膨らんできました。カバーを取ったらもうはまりません。ネットを検索したらそういう事例がたくさん…。丁寧に焼いたお餅のようにふっくらとおいしそうにバッテリーが膨らんでいます。来週には新しい電池が来ますので、SH901iSにはまだまだ手元にいてもらいます。

DELL ノートPC INSPIRON 710m
2006年からの2年間、一緒に日本国中を回りました。いくつかのプレゼテーションでも活躍してもらいました。
私は使い方が荒いので、ノートPCは大体2年前後で壊れます。物理的に「割れ」ます。キーボードのあたりにひびが入り、最後は、バリッと。だいたい、最期が近づくと、中でカラカラとなにか部品が取れている感じの音がします。
このDELLは、東京出張中にディスプレイがダメになりました。バックライトがつかなくなり、懐中電灯で照らしながら無理やり起動したりしていたのですが。
いま、このブログを書いているのは、先月から私の手元にきた、レッツノート(CF-T7)です。
返却のために久々にDELLを立ち上げて、一つ一つ情報を消し込んでいく作業を今日は夜まで延々としていました。この二年間が思い出されて感慨深い時間でした。
いままで、ありがとう。DELLノート。
ちなみに写真手前の携帯電話は、ドコモのSH901iSですが、最近、バッテリーが膨らんできました。カバーを取ったらもうはまりません。ネットを検索したらそういう事例がたくさん…。丁寧に焼いたお餅のようにふっくらとおいしそうにバッテリーが膨らんでいます。来週には新しい電池が来ますので、SH901iSにはまだまだ手元にいてもらいます。
支援者は道具を作れ
起業家を助ける支援者は、支援のレベルをより高く、より効果的なものにしたいものです。支援活動のレベルを高めて、そして多くの人にそれを提供するためには、道具を作るべし、と考えています。
道具を作ることは3つの効能があります。
1 道具を開発することで、客観的になれ、より本質化できる
2 道具を最高に使いこなす人は、道具を作った人、である
3 自分自身をコンサルティング(もしくは支援)できる
特に2と3は、重要です。
いい道具をかってくることの100倍、道具開発行為は効果的です。
人にいいコンサルティングをしていても自分のことは支援できないことがいます。実は人間は多くの場合、そう、です。道具があれば、その道具は恣意性なしに自分を支援します。過去の自分が未来の自分を助ける、そいういう意味合いがあります。
また、ノウハウの流出になるのでは?と聞かれますが、私はそれは気にすることではないと思います。むしろ出して人につかってもらって磨かれたほうが、更に進める。そんな気がします。
道具を作ることは3つの効能があります。
1 道具を開発することで、客観的になれ、より本質化できる
2 道具を最高に使いこなす人は、道具を作った人、である
3 自分自身をコンサルティング(もしくは支援)できる
特に2と3は、重要です。
いい道具をかってくることの100倍、道具開発行為は効果的です。
人にいいコンサルティングをしていても自分のことは支援できないことがいます。実は人間は多くの場合、そう、です。道具があれば、その道具は恣意性なしに自分を支援します。過去の自分が未来の自分を助ける、そいういう意味合いがあります。
また、ノウハウの流出になるのでは?と聞かれますが、私はそれは気にすることではないと思います。むしろ出して人につかってもらって磨かれたほうが、更に進める。そんな気がします。
2008年04月15日
仙台生活のお得なところ
東京の相手と仕事をしていると、ときどき、「あ、この時間帯は仙台にいるこちらは、オンタイム、東京にいる人は、必要経費としてオフタイムなんだ」と感じることがあります。
たとえば、終電間際に、先方が発信したメールを受信してこちらが仕事をしている時には、必要な内容を書いて送り返します。先方が自宅についてメールチェックする人物の場合、それをみて、帰宅後に簡単な返信をされることもあります。
その時間帯を、仙台側にいて「ああ、この時間帯は、僕も東京にいれば、中央線か、都営新宿線の最終電車で、くたくたになって電車に乗っている時間だなぁ」とおもいます。
以前東京にいて、三鷹駅と東大島駅(亀戸のあたり)に住んでいた時に、そういう経験をしていました。そうおもうと、仙台の通勤時間は驚くほど短いとおもいます。1時間も通勤している人は、私の周りには少なくて、社長に至っては自転車で通ってきています。私も歩いて1時間くらいなので、たぶん距離にして5キロくらいのところに家と会社があります。
この時間帯を、何に使うのか、自由に決められるのは、仙台生活の快適なところ。私は生活の質をもとめて、仙台に住んでいますが、こういう部分、とくに、満員電車にゆられて過ごすストレスのなさは、とてもうれしいと思います。
人によっては、満員電車もおつなもの、とさらりといいますが、私は性質的に、「まったく知らない人が自分の懐に入っていることの怖さ、違和感」が先に立ってしまうので、東京にいっても電車が苦痛ですね。できるだけ歩きます。
この夜の時間と同じだけ、朝も、自分で使い方の決められる1〜2時間が手に入る。これは、人生を豊かに生きるには、私にとってはとてもお得なところだという気がしています。
たとえば、終電間際に、先方が発信したメールを受信してこちらが仕事をしている時には、必要な内容を書いて送り返します。先方が自宅についてメールチェックする人物の場合、それをみて、帰宅後に簡単な返信をされることもあります。
その時間帯を、仙台側にいて「ああ、この時間帯は、僕も東京にいれば、中央線か、都営新宿線の最終電車で、くたくたになって電車に乗っている時間だなぁ」とおもいます。
以前東京にいて、三鷹駅と東大島駅(亀戸のあたり)に住んでいた時に、そういう経験をしていました。そうおもうと、仙台の通勤時間は驚くほど短いとおもいます。1時間も通勤している人は、私の周りには少なくて、社長に至っては自転車で通ってきています。私も歩いて1時間くらいなので、たぶん距離にして5キロくらいのところに家と会社があります。
この時間帯を、何に使うのか、自由に決められるのは、仙台生活の快適なところ。私は生活の質をもとめて、仙台に住んでいますが、こういう部分、とくに、満員電車にゆられて過ごすストレスのなさは、とてもうれしいと思います。
人によっては、満員電車もおつなもの、とさらりといいますが、私は性質的に、「まったく知らない人が自分の懐に入っていることの怖さ、違和感」が先に立ってしまうので、東京にいっても電車が苦痛ですね。できるだけ歩きます。
この夜の時間と同じだけ、朝も、自分で使い方の決められる1〜2時間が手に入る。これは、人生を豊かに生きるには、私にとってはとてもお得なところだという気がしています。
音楽は心を動かす
なぜそのリズムがうきうきするのか、そのメロディーをきくと力強くなれるのか、音楽というのは不思議ですね。
創造性のことについて関心を持って研究をしていますが、人の心や意識は不思議ですね。☆記憶をいかにして引き出してくるか、という点だけとっても、不思議なのは発想法ではなく、人の頭の構造が不思議なんだなぁと思います。
音楽を最近、よく聞くようになりました。しかも、プロの創ったものではなく、消費者が創る音楽、というべきでしょうか、もはや、消費者というべきカテゴリーが適切ですらない、とおもいますが。
彼らは、音楽を作ります。とてもプロは書かないような表現、言葉使いの歌詞で。しかし、リズムや音楽の出来は大変素晴らしいものがあります。私は普段そういうトーンのものを好んで聴くことがないのですが、ある記事(人々が利用し合う創作物、その展開力、および既存メディアのビジネスシステムがひずみはじめること、など)をきっかけにして、その音楽を聴くようになりました。
ニュースがプロの記者によって書かれているのに対し、ブログの一部では市民の目線で現場の香りが感じられるものが生まれています。音楽もプロが作ってプロが歌う、これまでに対し、市民が作って歌も乗せる、そういう構造が台頭しつつあります。
ブログとは何ぞや、という時代はとうに過ぎましたが、一市民が発信できることで、googlezonの未来(EPIC2014、EPIC2015)が近づいているのか、定かではありませんが、今までにはなかった選択肢が登場し多様化した価値観を小さな文章が受け止める構造になっているとおもいます。
音楽もそういう時代に入りつつあるのかもしれませんね。そして、今、音楽のもつ能力について、少し考えてみたいとおもいました。
音楽がたまらなく心をふるわせることができるのはなぜか。頭は音楽の何につよく反応しているのでしょうか。歌詞のあるなしも影響しています。なくても反応するし、あったほうがいい曲もあります。
たとえば、ビルエバンスのワルツフォーデビー。
「ピン・・・・・ポン・・・・ポン・・・・・ポン・ポン・・・・タラララララ、ララララ〜」
でだしのたまらなくしっとりとした旋律は、静寂から激しい情念がじわじわっと噴き出していくような、たまらなくウイスキーが飲みたくなるような「心地よいめまい」が起こります。
たとえば、邦楽、尾崎豊のシェリー、あるいは、堀内孝雄の続・竹トンボ。
(旋律も素敵ですが)歌詞がたまらなくいい、その歌詞を聞くたびに、ビジョンが頭の中に映し出されるような、絵的な言葉。情念をつよく揺さぶるような言葉。そういったものがあります。
ポップなのりのりの音楽は娘たちも好きで聞きながら踊っています。歌詞はわからないようですが、メロディーでウキウキして、踊りたくなるそうです。
退屈な作業も音楽があると、楽しい時間に変わります。運動もあっという間に終わります。人間の意識が、「大変だ、退屈だ、きつい」という思考回路を回すことなくその時間が「音楽だ、楽しいな、体が動くよ」という思考で埋められていること、これの効能は大きいですね。
音楽には、一定の流れがあって、しかも、それが情報のインプットの大部分を占めている、というのも大きいかもしれません。普通の生活では音は、予測不可能な発生をします。ものが落ちる、相手が何かをする、話しが突然始まる。テレビの番組はぶつ切りでしょっちゅう変わる。その意味では瞬間を生きているわけです。音楽は、少し先に起こる音が予想できます。特に繰り返しの構造を持っている音楽は。ずっと変化し続ける音楽はありませんから、必ず「こう来て、こう」という期待を期待どおりにするりとすべりぬけていくような安心感があります。このことも大きい気がします。ずっと予想外のリズムが続くと人間は不快かもしれません。それでも二度目には予想のつく時間となるのかもしれませんが。
しかし、はじめて聴いた音楽に感動することもあります。圧倒的にうまいコンサートに行って初めて聴いた曲に、感動することもあります。それは、予想が云々ではなく、背中がぞくぞくとするような、強い「感じ」が耳や皮膚から入ってきます。これはなんなんでしょうね。
音楽というものをもっとよく知りたいと思うようになりました。そして自分でも音楽をいつか作ってみたい、とも最近思います。
心を動かすのは無理でも、ある種の発想や知的生産を高める「何か」を作れるのではないだろうか。ふとそんな事を思いつつ。
創造性のことについて関心を持って研究をしていますが、人の心や意識は不思議ですね。☆記憶をいかにして引き出してくるか、という点だけとっても、不思議なのは発想法ではなく、人の頭の構造が不思議なんだなぁと思います。
音楽を最近、よく聞くようになりました。しかも、プロの創ったものではなく、消費者が創る音楽、というべきでしょうか、もはや、消費者というべきカテゴリーが適切ですらない、とおもいますが。
彼らは、音楽を作ります。とてもプロは書かないような表現、言葉使いの歌詞で。しかし、リズムや音楽の出来は大変素晴らしいものがあります。私は普段そういうトーンのものを好んで聴くことがないのですが、ある記事(人々が利用し合う創作物、その展開力、および既存メディアのビジネスシステムがひずみはじめること、など)をきっかけにして、その音楽を聴くようになりました。
ニュースがプロの記者によって書かれているのに対し、ブログの一部では市民の目線で現場の香りが感じられるものが生まれています。音楽もプロが作ってプロが歌う、これまでに対し、市民が作って歌も乗せる、そういう構造が台頭しつつあります。
ブログとは何ぞや、という時代はとうに過ぎましたが、一市民が発信できることで、googlezonの未来(EPIC2014、EPIC2015)が近づいているのか、定かではありませんが、今までにはなかった選択肢が登場し多様化した価値観を小さな文章が受け止める構造になっているとおもいます。
音楽もそういう時代に入りつつあるのかもしれませんね。そして、今、音楽のもつ能力について、少し考えてみたいとおもいました。
音楽がたまらなく心をふるわせることができるのはなぜか。頭は音楽の何につよく反応しているのでしょうか。歌詞のあるなしも影響しています。なくても反応するし、あったほうがいい曲もあります。
たとえば、ビルエバンスのワルツフォーデビー。
「ピン・・・・・ポン・・・・ポン・・・・・ポン・ポン・・・・タラララララ、ララララ〜」
でだしのたまらなくしっとりとした旋律は、静寂から激しい情念がじわじわっと噴き出していくような、たまらなくウイスキーが飲みたくなるような「心地よいめまい」が起こります。
たとえば、邦楽、尾崎豊のシェリー、あるいは、堀内孝雄の続・竹トンボ。
(旋律も素敵ですが)歌詞がたまらなくいい、その歌詞を聞くたびに、ビジョンが頭の中に映し出されるような、絵的な言葉。情念をつよく揺さぶるような言葉。そういったものがあります。
ポップなのりのりの音楽は娘たちも好きで聞きながら踊っています。歌詞はわからないようですが、メロディーでウキウキして、踊りたくなるそうです。
退屈な作業も音楽があると、楽しい時間に変わります。運動もあっという間に終わります。人間の意識が、「大変だ、退屈だ、きつい」という思考回路を回すことなくその時間が「音楽だ、楽しいな、体が動くよ」という思考で埋められていること、これの効能は大きいですね。
音楽には、一定の流れがあって、しかも、それが情報のインプットの大部分を占めている、というのも大きいかもしれません。普通の生活では音は、予測不可能な発生をします。ものが落ちる、相手が何かをする、話しが突然始まる。テレビの番組はぶつ切りでしょっちゅう変わる。その意味では瞬間を生きているわけです。音楽は、少し先に起こる音が予想できます。特に繰り返しの構造を持っている音楽は。ずっと変化し続ける音楽はありませんから、必ず「こう来て、こう」という期待を期待どおりにするりとすべりぬけていくような安心感があります。このことも大きい気がします。ずっと予想外のリズムが続くと人間は不快かもしれません。それでも二度目には予想のつく時間となるのかもしれませんが。
しかし、はじめて聴いた音楽に感動することもあります。圧倒的にうまいコンサートに行って初めて聴いた曲に、感動することもあります。それは、予想が云々ではなく、背中がぞくぞくとするような、強い「感じ」が耳や皮膚から入ってきます。これはなんなんでしょうね。
音楽というものをもっとよく知りたいと思うようになりました。そして自分でも音楽をいつか作ってみたい、とも最近思います。
心を動かすのは無理でも、ある種の発想や知的生産を高める「何か」を作れるのではないだろうか。ふとそんな事を思いつつ。
2008年04月14日
「いつも見ていますよ」がもたらすもの。
志した道をまっすぐに進み、その道を究める。
そういう生き方をする人にも
不
そういう生き方をする人にも
不