2022年01月01日

新年のご挨拶(年賀状を廃止し、ブログでのご挨拶に切り替え、10年が経ちました)

新年となりました。今年もよろしくお願いします。

昨年は、皆様にたくさんの機会やインプットを頂きました。
ありがとうございます。
今年も、自分の能力と知見を最大に活かして、社会を豊かにできるように、全力を尽くします。
皆で、新しい可能性を開いていく一年を今年も、共に、ゆきましょう。


<<年賀状に関する余談です>>

新年のあいさつに知人をまわり、不在の場合には挨拶状を投じた日本の風習は美しいと思います。
現在の郵便の年賀状は明治6年(1873年)に始まったようです。
私は、2012年(東日本大震災2011年の翌年)から、紙の年賀状を廃止しました。

理由は2つです。
〇資源(紙、インク、電力、郵便配達のガソリン)の膨大な消費量を削減したい。
〇そのコストは、震災復興のために、地元仙台や東北に必要な所に投じたい。

そうして、廃止し、この10年間、もらう一方です。

友人知人の中には、「石井は10年前の震災以来、音沙汰がないがどうしたか」と思う人もいるでしょう。
検索してこのブログを見てくれたなら、御礼と不義理のお詫びを申し上げたいと思います。

やめても誰にも実害のないこの風習のために発生しているコストは、復興や社会的な支援のために、これからも投じてゆきます。どうかご容赦ください。

なお、やめて10年、気づいたことがあります。

「年賀のための時間」は「大量の物体を制作する”作業”時間」にしてしまっていたなあ、もったいない、と。

本来、こう(↓)ありたいと、思うのです。

恩のある人・縁のある人を思い、社会の一年を見据え、自分のゆくべき正しき道を見る。
去年の手助けに感謝し、今年も役立ち、ともに進んでもらえるように、と願う。
思いを、心に充填してゆくような、禅的な心を練るような、そういう時間に使いたい。と。

その思いは、直接会った時に、相手への言動のはしばしにのり、相手を思う姿勢として伝わってほしい。

そう、思うのです。

ですが、自分でも自分をずるいなあと、自己批判する部分もあります。
友人の子どもたちが大きくなるのを年賀状で見て、肉筆の一筆をよみ、彼らの発展する近況報告を楽しませてもらっています。もらえば、やっぱり楽しいです。これは、偽らざる気持ち。

・・・なのですが、さらに言えば、ある時、年賀状が来なくなったとしても、その人が、大事な友人であれば、きっと考えがあってのことだろうし、ネットとかで近況を見れて息災で過ごしているならば、それでよいのだ、と私は思っています。

忙しい現代人の、さらに忙しい年末年始、その年賀状の時間を、愛する人たちとゆっくり過ごす半日として、使ってくれる方が、嬉しいです。

以上が、年賀状不義理している石井の言い訳、でした。皆さん、出さなくて、ごめんなさい。
そして、石井への郵送分は、気兼ねなく、止めてくださって結構です。
  

<<最後にわたくし事>>

昨年、母が亡くなりました。(一昨年は、父が亡くなりました。)
年賀のめでたい挨拶のできない事情のある年でした。
二人とも、長い寝たきり期などもなく、晩年まで元気で、いい生涯を生ききりました。


新年のご挨拶.jpg

(写真は、大阪での講演の際に、参加者の方がとってくださったものです。大切に使わせていただきます。ありがとうございます。)
posted by 石井力重 at 11:41 | 日記、価値観、仙台オススメ

2021年12月17日

フォトコンテストで賞をもらいました

写真が賞をいただきました。
「磊々峡もみじのこみちライトアップ フォトキャンペーン」です。
秋保地区を盛り上げる取り組みの一つで、紅葉ライトアップを撮影した写真を応募する、というものです。

その受賞の連絡をもらい、写真で賞をもらうなんて初めてのことなので、展示会場を見てきました。

秋保フォト.jpg

私のは、一番下の賞(C賞)です。
展示会のルートの一番最後のあたりに、掲示されています。
(22年1月下旬まで、秋保・里センターにて。こちら

地方のごく小さいコンテストですが、賞をもらう、というのはやはり嬉しいですね。


余談です:

思いがけない領域で賞をもらい、今回思ったことを、五七五で書きます。

「何事も、トライしなけりゃ、しょうもなく」

やらずに成果を願うだけなのは「しょうもない(ばかばかしい)」、
下手でも応募してみなければ、受賞もない、と。

いろんなものに、楽しんでトライしてゆきたいです。

posted by 石井力重 at 11:00 | 日記、価値観、仙台オススメ

2021年11月05日

珍しい体験として「家じまいに向けて、実家の敷地内の神社をおかえし」しました。

活動報告のブログとしては、珍しく、神事と実家の話です。

私の実家は千葉市にあります。
そこに住んでいた父と母が、2020年、2021年と相次ぎ死去。
実家はだれも住む人のいない家になりました。
家じまいの方向に向けて、いろんなものやことの片付けが始まります。

そこで、我が家の敷地の奥に立つ「神社」をおかえしする、という行為が持ち上がりました。
これは、神棚といったものではなく、鳥居、祭壇、神輿ぐらいある社、その中に、ご神体、が、という本格的に、神社の形をとっています。

まつられているのは、力松稲荷。
これは、京都伏見稲荷の中腹にある御前谷の「力松大神」(りきまつ おおかみ)の分霊を受けたものです。

((この神社をめぐる石井家の話))

母や父の葬式で、父の若いころの話を聞いて、どうしてこれができたのかを知りました。
父が創業者として、裸一貫から、石井興業を始めるころ、時期が定かではないのですが、仕事仲間から、商売繁盛の神様で、稲荷さまを祭るのがいいのでは、という話で、稲荷神社を祭ることにしたそうです。

父の話の断片をつなぐと、
「神社庁に相談したら、京都伏見稲荷の力松大神が、この土地の担当をする神様だということで、力松さんの分霊を、もらい受けて、神社を建立した」らしいのです。

そして、その家に生まれた長男の私は、力の字をもらい、力重となりました。
ちなみに弟もいまして、弟は、松の字をもらいました。

子ども時代には「りきえ」という名前の音が奇妙だと周りの子どもから言われていましたが、大人になると、珍しい名前であることは、私の仕事的にはプラスなので、ありがたいと思っています。(何せ、苗字は石井ですから。これで名前も、たかし、とか、ひろし、とかだと、なかなか覚えてもらえなかったでしょう。)

生まれた時から、自宅の敷地の中には、神社のお社があり、自分の名前の由来の神様に時々手を合わせる、という日々でした。
しかし、すぐ裏には、石井家の先祖のお墓(日蓮宗だと思うのですが)もありますし、クリスマスもする、という感じでしたので、宗教的に特別にこだわりがあったわけでもなく、父に、「我が家の宗教は神道なの?仏教なの?」と聞いたこともあります。

父曰く「宗教というのは、自分を律するための”装置”だ。神様や仏様がいるかどうかは分からない。主義としていうなら、無宗教に近いと思う」とのことでした。

立派な神社があるし、仏教のお墓もあるしで、かなり、神仏のことを、丁寧にしていたと思うのですが、そんな風に「自分を律するもの」として、私も「あらゆる宗教をリスペクトし、自身は特定の宗教に属さない」というスタンスでいます。

ただ、自分の名前の由来である、力松大神(伏見稲荷大社)には、京都に行くたびに、手を合わせに行き、自分の仕事を振り返り、この先に何をしていこうとかという見通しを立てる、ということをしています。
友人曰く、「普通の人より、石井さんは信心深いですよ」とのこと。

神様ごとはよくわかりませんが、なんでか、京都にはちょくちょく案件が出てきて呼ばれて、来たついで、伏見稲荷大社に、登って、自分の内面と向き合う時間を過ごしていました。
私自身が「損得」より「志し」を常に、仕事の物差しにするのは、志が正しければ、どう歩いても、きっと道は開けるだろう、という、ある種の能天気さがあり、それは、こういう部分に根差すのかもしれません。

((さて、本題に戻ります))

そうして、力松稲荷が、実家の敷地に建っているのですが、父が晩年、自分が動けなくなる前に、神社を京都におかえししたい、と言っていました。
父の遺言であれば、それは果たさねばならないと思い、また、住む人のいなくなった家にずっと、神社を放置したようにするのもよくない、と思い、行動を開始しました。

この先のことは、あまり経験する人がいないことで、かつ、ネットに情報がほとんど無いことなので、そういう方が検索して読まれることも意識して、書いてみます。

父死去。伏見稲荷さんから毎年父あてに届く伏見稲荷さんの会報(?のような冊子)のところに電話をして、本人の死去を報告。→それで、会員(たしか、コウイン、講員、と先方はおっしゃった)の更新を停止。

そして、神社のおかえしは、初めてでどうしたらよいでしょう、と相談。
先方からは、返さなくても、子孫(私)たちが受け継いでもよい、とおっしゃってもらって、そういう選択肢もあるのか、とおもいました。
(ただ、今回は、神社をお返しするのは、父の遺言なので、おかえしする方向で更に伺いました。)

回答を要約しますと

・社の中にあるご神体を、本体(伏見稲荷さん)に持参して、ご祈祷所(本殿のところにある)で、おみたまをお返しするご祈祷をしていただく。(そうすると、分霊が入っていたご神体から、お御霊が出て、本体に戻るそうです。合祀という表現は正しいかわかりませんが、分身が、本体に再結合する感じ。)

・それ以外のもの(社の建材、装飾品)は、普通に廃棄してよい。(建材レベルをお焚き上げすることはしないので、おみたまを抜いた後は、ものとして廃棄してよい。)

・陶器でできた、お狐さま(稲荷系はそういうものがあるのですが)は、神様の眷属なので、持参しなくてよい。廃棄してよい。

・ご祈祷料は、5000円から、お気持ちで。
・祈祷自体は10分から長くて見て30分。
・事前の予約などは特に要らない。当日来て、受付でご祈祷を依頼する形で良い。

・ご神体を宅急便などで輸送するのは避ける。(どう扱われるかわからないので。)なので、京都まで、人がハンドキャリーするべし。

ということでした。

上記のことは、父の死去から、母の死去を経て、さらにコロナが収まるまでの1.5年間に、徐々に手さぐりに進めてきて、電話で聞いたり、私が別の用事で京都に行った時に伏見稲荷さんの神主さんに聞いたりしたことを、まとめましたので、表現にあやまりや、事実に反することもあるかもしれません。もし同じような状況方がいて、このブログを見ている場合は、一つの参考としてみてください。

(なお、最初に父の死去を報告する電話で、神社をしまうには、をたずねた時には、言葉も段取りもわからず、しどろもどろで、全然話の要点を聞けなかったです。電話で、神社をお返ししたい、という相談をすること自体が、正しいのかも分からず。)

((さて、実施の様子))

私が、10月末に関西で講演の仕事があり、そこでおかえしする、ということに。
兄弟も都合をつけて、兄弟全員で、伏見稲荷さんに行きました。

弟が千葉の実家から、ご神体を運んできてくれました。(ものとしては小さくて軽い)
朝8時、四条烏丸のホテルを出て、近くのシェアカーを借り、伏見稲荷さんに。
8:30。ナビに従ってスムーズに到着。伏見稲荷さんにはかなり大きい駐車場があります。それでも満車になりますが、この時刻だとすいすい入れました。
(ナビで、駐車場が表示されない時は、参集殿(さんしゅうでん)、が表示されるならば、そこを目指すとうまく行けます。伏見稲荷大社の前の道は一方通行なので、ナビを使う方が楽です。)

そこからの登山。
有名な千本鳥居を超え、池、三ツ辻、四ツ辻、と上がります。
そこで頂上へ行く道でなく、御膳谷のルートに。
御膳谷にある力松大神につくと40分が経過していました。(9:10頃着)

ご祈祷の前に、最後に、通常の参拝を兄弟一同で行い、
9:30過ぎに、御膳谷(ごぜんだに)奉拝所(ほうはいじょ)で、ご祈祷の用紙に記入。

(伏見稲荷さんは大きく多数の神社がありますが、奉拝所という神主さんが詰めている場所は、3か所のみで、運よく、御膳谷エリアに奉拝所があるので、そこの神主さんにご祈祷をお願いし、目前でおみたまのお返しのご祈祷をしてもらえましたが、普通は、本殿でのご祈祷になるところ。)

ほどなくして、ご祈祷開始。

終わりの方で、玉ぐし(四角いギザギザの紙が付いた榊の枝)を神主さんから受け取り、祭壇に捧げ、二礼二拍一礼して、長年、実家を見守ってくれたことを心の中で御礼しました。

多分10〜20分ぐらいの所要時間でした。

なお、相場が分かりませんが、兄弟三人で来て5000円では、ずっと実家にいてくれたお礼としては、ちょっと少ないかなと話し合って、一人1万ずつの、3万円にしました。
(半世紀ぐらいいてくださったのだからもっとたくさん納めるべきだろうか、という考えも脳裏をよぎりましたが「ちゃんとおかえしに伺う姿勢が尊いのだ、金額の多寡じゃない」と言い訳しつつ。)

そして、神主さんから、御神饌(ごしんせん)(おこめ、お神酒、羊羹などがはいったもの)を頂きました。(後で、兄弟で分けました。)

これで、終了です。

もしも、私と同じように実家に神社があって、建立した人が世を去り、家じまいに向かって、どうしよう、ということがあれば、これが役に立てば幸いです。
多分、時期や場所によって違うこともあると思いますが、やってみると、そんなに悩ましいことでもなく、できます。

((余談))

神主さんが力松大神(の社)から、奉拝所まで戻る間に、すこし言葉をかけてくださいました。

その日は明け方から雨が降り、登る間に上がり、曇っていました。
ご祈祷をしてもらって、最後のところで、雲が切れて、ご神体に日が差しまして、ご祈祷後にまたくもりに。
単に天候でしょ、と言えばそうなんですが、タイミング的には、演出したようにそのタイミングだけ日が差したのです。

「大事に祭られていたことがわかります。
 ちゃんと返しに来てくれてありがとう、と
 神様がおっしゃったように思います。」

と、ありがたい言葉をいただいて、神社をおかえしする私たち兄弟としては、ほっと安心しました。

これまた、神社を返す人に共有したいのですが、
「お稲荷さんを、おかえしすると、”お返し”がある」と俗っぽいことを言う人がいます。

父も、実は、おかえしのご相談に京都に来た時に、道中のタクシーでそれをいうと、運転手さんに「返してしまうと、お返しがありますよ」と言われて、ひるんでしまって、相談はしないで普通の参拝だけして帰ってきた、という話をしていました。

神主さん(ご祈祷の前にも直接伺い、別の神主さんにご相談した時の神主さん)曰く「(返すと、お返しがあるなて)そんなことは、絶対にありません」とのこと。

「もちろん、ないがしろにしていて、ちゃんと返すこともなく打ち捨てて、というような、ひどいことをしているならば、話は違うかもしれませんが、”大事にしていて、たたむということになり、ちゃんとお返しされる”人に、おかえし(たたり的なもの)なんて、ありません。」と、はっきり、他の職員の方も、電話口でおっしゃっていました。


((めったにいないと思いますが、同じ状況に立たれる方へのメッセージ))

この日、ご祈祷をしてくれた神主さんが、歩きながらぽつり、とおっしゃったのですが、
「こうして、ちゃんとお返しに来てくれる方も、少ないんです」と。

私の実家も、返せなくなる可能性はありました。
父が晩年、朽ちてきた鳥居を一旦壊し、社全体を再建築中に亡くなったので、ご神体や関連のものがしばらく行方不明でした。
それを入れた箱が葬儀の後、半月ぐらいで倉庫から出てきて「あ、こんなところに。」と。

きっと一時的に雨をしのぐための処置だっと思うのですが、もしこのままで、いつか家を壊すことがあったら、解体業者さんがバリバリと押しつぶしていたかも」と思うと、神社を建立したどの家にも、いずれ起こる可能性はあることなのだろうと思いました。

あるいは、実家を長らく空き家にして、ぐずぐずしているうちに、神社の本体の連絡先を知る人がいなくなってしまうことも、ケースとしてはありそうです。
そういう場合は、最寄りの神社さんにまずは相談してみると、話が動き始めます。

私は最初に、神社のしまい方を相談したのは、神社庁のホームページ(というものがあるんです、調べてみて、へえ、と驚きました。)で、実家の住所を告げて、どこに相談するといいのかを伺って、千葉の総まとめのところを教えてもらい、そこで、実家の近所の神社さんを教えてもらい、連絡したところから始まりました。

そこの神主さんは丁寧に相談に乗ってくれましたが、結論としては、由来のわかっている神社であり、そのおみたまをお返しするのは、その本体となる神社ですよ、と伺って、本格的に伏見稲荷さんに、おかえしの相談を始めたのでした。

当時は、父を亡くして、精神的に混乱もしている中で、神社の相談をあちこちにしても、なかなか具体的な段取りにたどり着かない(神社本庁→庁の千葉支社→近所の神社→ようやく、伏見稲荷さん)という手探りのやきもきもあったのですが、あれから一年半たって、すっかり礼をもってお返しできたので、とてもすっきりしています。

((最後に))

宗教の話、神様ごと、仏教のこと、は人によっては信じるものがあり、デリケートなので普段は話題にしません。

また、我が家のスタンス(父は、神社まで建立して、息子たち(=私たち)へ名前としてももらっているのに、神様は心を律する仕掛けである、という考え)は、宗教の宗派を持つ方にとっては、受け入れがたいものかもしれません。

あるいは、宗教を一切否定する方もいるでしょう。

そういう多様な方の考えを尊重します。

もし、このブログの内容が、そういう方の大事にしているものに触るようなものであれば、申し訳ありません。
「神社建立者の親が死去した家の長男」の珍しい体験談として、どうぞ、笑って見てやってください。


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写真:在りし日の、父、石井龍輔。伏見稲荷大社の力松大神にて。
タグ:日記
posted by 石井力重 at 11:45 | 日記、価値観、仙台オススメ

2021年02月11日

最近の自己成長(講義スキルのこと)

コロナで自宅が仕事場になってから、はや11カ月がたちました。
オンラインになってから急速に「腰」の調子が回復しています。
やはり旅仕事は相当に体に負担が多いワークスタイルの様です。

オンラインになってから、最大の受講者人数となった先日のSchoo(スクー)の生放送は、500名規模のリアルタイム受講者でした。

この講義は、今までになかったことをしていました。
それは、パワポのノート(あんちょこ)部分に、セリフを書いたことです。

リアルの時は動き回るライブ感を大事にし、
聴衆とアイコンタクトを取る講演スタイルだったので、
スライドは一瞬みるだけで、そのあと数十秒しゃべれなければアウトです。
パワポの講演者画面のノートを見てしゃべることは一切ありませんでした。

それが、オンラインになり、だんだんと、アイコンタクトそのものが不可能になりました。

そこで、オンライン講義配信の次のトライとして
「パワポのノート部分に、セリフを書く」ということをしてみたのです。

書いてみたら非常にうまくできました。
リアルではありえない「モニターを凝視して発話出来る」状態は、
これはこれで、良い面もあると思いました。

ただし、時間はかかります。

完成までにこういうステップがありました。

  • 講義内容の検討
  • 内容のスライド起こし
  • 何度かしゃべって、スライドの構成の洗練
  • (ここからが、今回新規の作業)
  • スライドのノートに、喋ったセリフを書く
  • 通しでしゃべると冗長さや、余計な文章に気づくので推敲
  • 仕上がった文章を、何度か通しで話し、流れのある喋りにする

なお、ノートの1画面に入り切る文字数だと良いリズムで進められ
入りきらないと、その画面で話している量が長すぎる、と気づきます。

リアルほどはっきりとは指し示しのできないWebゆえ、
1画面で示す情報量を絞ることが大事です。
それもあり、話が長いスライドは、内容を削るか2つに分けます。

こうしてできたスライドと講義は非常に、効果的にしゃべれました。
私は、セリフを読み上げる式のプレゼンは臨場感がないので
良くないと思っていました。
ですが、ここまで練習と洗練を経て行けば、
むしろ品質が上がることに気づきました。

なお、

このセリフを削る、という行為は、
自分の講義録画を編集ソフトで削りに削った作業経験も大いに活きています。

といいますのも、

「えー」「あのー」「まあ」「という側面もあったりするわけです」といった、削れる無駄な発話を、身に染みてわかったからです。

これはリアルの頃よりも、反応がない分、相手の反応を待つための無意識的な行為だと思います。
そこを意識的になったので、無駄発話、無駄な冗長言い回しを、やめられました。

世界がリアル・ファーストに戻れた後も、リモートの教育や仕事は増えるでしょう。これは大きな流れとしてほぼ確定のこと。
そこに向かって、一つずつ、こうして進んでいこうと思います。

posted by 石井力重 at 15:22 | 日記、価値観、仙台オススメ

2021年01月11日

いまさら過ぎる勉強ですがhtmlとは何かを学んでいます

このブログも、ソースコードというボタンを押せば、タグが出てきて直接編集できるのですが、なんとなく「ここの数字を変えるんだったよな」という感じでたまに触っていました。

ブログのデザインの変更時は、触ってみたら崩れまくってしまったので、標準形を維持してそのままできるだけ使ってきました。

でも、ようやく学ぶ気持ちが出来、触ってみていました。

このベネッセのサイトが、私の最初の学習となりました。
全くHTMLが分かってない人が「10分でおお!」となる、いいサイトでした。

実際の成果物をお見せするとこうです(文字化けしています)

練習通りに作ったもの

拡張子をhtmlにしなかったもの


ここで、今度はこれをWEBにあげるには、という段階は必要なんですが、少なくとも、html理解の大きな一歩目は、今日進み始めたのでした。

(及び、cssも)

なお、このUmedy(ベネッセの学習サイト)、良い学習の提示の分量、見せ方の点でもとても勉強になりました。

こんな難しそうな知識でも「10分でおお!」とさせるように、道の初めに知識をおいておくことが、大事だあと思ったのでした。



そのあと、このブログのスタイルシートを開いてみてみたら、書いてあることの意味が、読めるようになりました。わからない言葉も多いのですが、この記法はこのように構成されている、という基本があると、全く違いますね。

少なくとも

セレクタ{プロパティ:値;}

という構造が分かっただけでも読める部分が増えました。
「単語」はまだ知識が少ないですが「文法」をしったかんじです。


そのあとさらに、このブログにSSLを入れようとしてみました。
結論としては、さくらのブログ、というブログシステムには、SSLを入れられないようなのです。
サーバを借り、独自ドメインを持っていれば、できる、とわかり、ここで大きく方向転換です。

Wordpressという「名前は知っているけれど、面倒だし、何をどうすればいいのかわからない何か」を使ってみよう、と。

結論。できました。
わかんないけど、覚悟をきめ、さくらのサーバーの設定画面のインストールに沿ってやってみると、できました。
何を意味しているか分からない用語を調べては一つ進む、という感じでしたが、ああこれだ、という感じについには、表示することができました。

ちょっと、次の週末にいじってみようと思います。

ワードプレスできました。.jpg



posted by 石井力重 at 11:18 | 日記、価値観、仙台オススメ

2020年12月31日

年末考「蒸発した市場は、今までなかった場所に、新産業の雨を降らせる」

2020nenmatsu_.jpg

2020年を振り返ってみていました。
所感・雑感、心に浮かんでくることを、思うままに書き出してみます。

震災の「壮絶な悲惨→復興するのみ」という構図と違い、疫病は「いつがピークなのか、リスクはどこまで続くのか、が
流動的で、なんとも、次の打ち手の講じようがなく」難しいものです。
ネガティブベースでいえば、「最悪のケース」にも「いざとなったら、即座に対応できる柔軟性」を高めておくこと。持っておくこと。土台には「ずらしても失ってはいけない事業の本質を見出しておくこと」があってほしいと思います。
新しい環境でまずは、楽しんでみること。
その中で、できることを再定義していく。
やりたくないことは把握して、逸脱しない自己ルールを持つこと。
そんなことを、心のうちの舵切指針としてもって、進んできた気がします。


一年のうちの数カ月、「オンライン・ファースト」という未来の働き方を、社会の多くの人が経験しました。

誰もがカオスの中で、新しい社会の中を手探りで進んだり、とまったり、逆戻りしたり。
夏が過ぎ、秋ごろは、もう大丈夫なので昔に戻そう、というムードになったり。
それを時期尚早とみて組織内が分離していたり。
年末にかけて感染の急拡大でまた状況が変わったり。


震災の時も感じましたが、未来イメージというのは大きくゆっくりした変化の先に外挿されるイメージであり、昨年まで気配もなかった大インパクトな現象の発生時には、ほぼ見通しが達成されません。

その空席に、別の未来が座ります。

では、見通しや計画とは無力なのでしょうか?
いいえ。
計画という基準点があるから、軌道修正する際に、何をどれだけ変えるのか、という座標が具体的に定まります。
何がどれだけ違ったのかを振り返ることで、時には、興味深い発見も。


今年立てる年始の目標も、またズレ幅が大きいでしょう。

年始の時点でも、凄く不確定要因の多い年であることが分かっていますので、その分では去年よりは、カオスに備えられますが。
不確定要因は、コロナ。そして、ゆれるオリンピックイヤー、です。
もともと東京オリンピック2020は、20世紀型(超高コスト)オリンピックの最後の開催例、と目されていました。
一年スライド、というのは、かなり社会的にきついものがあり、今年の開催もまだ、危うい。この状況下で国際イベントを開催する判断がどう下されるのか、現時点では全く分かりません。


21世紀は都市型国家の時代、とも言われていました。しかし疫病の中では、都市と通勤→田舎リモート暮らしの流れも。


観光産業や飲食産業には「市場の蒸発」というほどの苛烈な市場変化も起こりましたが、一方で「マスク」「webカメラ」「日用品」「食材」「オンライン購入と配送」「オンライン会議サービス」が急伸しました。


自宅内消費経済に移行したことで、超大手の衣服ブランドの相次ぐ倒産。コロナ感染を嫌って病院に極力いかなくなったことで医療機関が常にすいているどころか、経営問題を抱えるほどに。


2021年が2020年に近いものだとすると、一年以上の事業制限をへて一気に事業者数が減る産業も出現しそうです。


蒸発した市場は、消滅するのではなく、形は全然違いますが、今までなかった場所に、新産業の雨を降らせます。
その市場をこれまで生み出していた「根源的な欲求」をよく見ること。その市場が蒸発しても、欲求は雲となり、今の社会に合った形で、地上に戻ります。

  • 贅沢の仕方がかわる。
  • 時間の使い方が変わる。
  • 体験の様式が変わる。
  • 人付き合いの在り方が変わる。
  • 生活の便利さの中身が変わる。
  • 直接会う、ということの貴重さが変わる。

未来の地点から見れば「当然、コロナが起きればここにビジネスが生まれるよね。どうして当時の人はそんな簡単なことに気づかなかったのだろう。」というものが、あるはずです。
新産業の雨が、どこに振っていくのかを、じっと目を凝らせて、見てゆきたいと思います。



(追記:大みそかの夕方、下り坂がブラックアイスバーンになっていて、気づかず激しく転倒して、右腕を痛めてしまいました。大きな厄落としだった、と思います。遠くばかり見ていないで、足元も気をつけよ。そういうメッセージかもしれませんね)

posted by 石井力重 at 16:00 | 日記、価値観、仙台オススメ

2020年12月25日

新刊の著者PRモードを、そろそろ通常運転に。(&そこから学びがありました)

最近の記事は、新刊関連ばかりでした。SNSでも書籍の著者として、全面展開していました。
新刊発売の二週間は、本を出してくれた出版社にも報いたいと思い、”自分らしくない行動である”と思いつつも、PRにいそしんでいました。

”自分らしさ”は、常に更新されるものです。
どういう体験も、まずやってみてから”自分らしくなかった”かどうかを、考えてもいいか、と思っています。
なので、新刊著者というポジションでしかできないことを、とにかくやってきました。

SNS、特にツイッターは、PRをたくさん書きました。
また、普段絶対にしない行動として、知らない方にコメントを書く(読んでくださった方に御礼コメントをする)ということもしてました。

いろんな書き方を実験していくうちに、自分の無意識な「枷」にも気づきました。
授業を担当している4つの大学の生徒さんがフォローしてくれているので、「常に公人であれ」と無意識に思っていたのです。

言いたいことを言わなくなっていたツイッター。
その状態を是認にし「最近の自分らしさ」を規定していたのでした。

この期間でいろんな書き方を試してみて至った心持ちは、「もうすこしばかばかしいことも言うぐらいが自分らしい・・・のかも」というものです。

WEB上に書いていくことは「読んで役に立つこと」と「石井の考え方・性格が会う前に感じてもらえるようなもの」がいいのかもしれないと思いました。

最後に、学びを書いて終わります:

らしくないことをしてみることにもメリットがある。無意識に出来上がっていた「枷」に気づける。「らしくなかった」と「ありだ」で自分バランスポイントがわかる。

(とはいえ、3カ月ぐらいは、新刊プロモーションの期間ですので、ギアを2段階くらい下げて、PRは続きます。その時期は、SNSなどで #すごいブレスト でご質問をいただけば、できるだけ回答をしてゆきますので、どうぞよろしくお願いします。)
posted by 石井力重 at 23:03 | 日記、価値観、仙台オススメ

2020年11月17日

セルフカットの初体験から9度目まで。

selfcut.jpg

久々に、このブログに私的な日記を書きます。

今書いている本の原稿が私の手元を離れました。
鏡をふと見ると、気づけば髪が伸び放題で、セルフカットをしました。
多分これが最後の自分でする散髪になりそうで、ここまでのことをまとめておこうと思います。

過去9回のセルフカットの日程はこんな感じでした。

Screenshot_20201117-105556.png


まず、セルフカットに移行する前に、1月中旬に、最後に理容室で散髪をしています。
出張先の銀座にある理容室なのですが、そこで切ってもらうと2~3カ月は髪型が崩れない切り方をしてくれる凄腕の人がきってくれます。

さて、3月中旬になると散髪を意識したものの、ちょうどこのあたりで、父が死去しました。
喪主として駆けつけて、散発のタイミングを逃し、そのまま社会全体が自粛に入り、床屋さんもいなくなりました。

春、髪がさすがに長くなりすぎました。

そこで、昔ひげを蓄えていた時に買っていたヒゲトリマー付きシェーバーを出してきてカットをしてみました。
それが4月11日です。
予定表にはカットをしたら、それをあとのために書き込んでおきました。
(そして今、こうして見ています)

第二回目以降は、大体3週間おきにカットをしています。
自然とその辺が切りたくなるころなんでしょう。

そして、第8回の後、原稿の追い込みでインターバルが1.5カ月間があって、今日、最後とするだろう9回目をしました。

初めは鏡の中の自分をカットするので、手が逆方向に動いてしまい、全然捗りませんでした。
その結果、襟足は左右バラバラに。前衛?というような仕上がりになりました。

しかし、3度目あたりから、頭が演算するようになり、鏡の中の自分の手が望むように動き出します。

2ブロックなら、境目が隠れるので結構、それなりに見えました。
しかし、長い部分はヒゲトリマーでは難しいので、こまっていました。
際ぞりの刃で、指でつまんだ毛束を切る、ということをしましたが、まあこれはひどい仕上がりで。

ただ、この時期は仕事がすべてがオンラインなので正面からみて問題なければOK、ということで、続けます。
整髪料で固めれば、まあ、それなりにみえますので。(見えていた、と思う。)

selfcut2.jpg

最後の二回は、「スキばさみ」を手に入れてのカットでした。
後頭部や頭頂部も、ザクザクと髪のボリュームを落とせます。
ただし、刃物を見えないところで動かすので、結構慎重さが要りました。

毎回、仕上がりを撮影してFBには挙げてみていたのですが、追い込みすぎる(手をかけすぎる)と大体失敗の仕上がりになる、という経験則を得ました。

今回は、途中でシェーバーの充電が切れたのでそこでやめたのですが、長くてうっとおしかったので、その反動で、ものすごくたくさんスキばさみを入れ、9回の中でもワースト1,2に入るひどい仕上がりになりました・・・。

「セルフカットの経験を積む」

コロナ状況下でなければできないことは、やっておこうと思い、セルフカットに、ややこだわって取り組んできましたが、そろそろ、意地を張るのをやめ、床屋さんに行こうと思います。

そろそろ、現地講義が増えてきましたので、無茶苦茶なカット(特に後頭部〜襟足)を皆さんに見せるわけにはいきませんので。

セルフカットで得た教訓。

1)いつでも思い立った日に散発できるのは、ストレス発散になる。
2)望む髪形を床屋さんに口で伝えなくてよい(セルフでは切りたいように切れる。変になるとしても)。
3)鏡の中の自分の腕を動かすのは当初無理に思えたけど、数回で脳回路が順応し始めて最後の方はスイスイでき、何事も3度目まではやめない方がいいなと気づく。


その他の気づき
1)カット代金の浮いた分で、ワイン1本飲める
2)はさみは意外と2000円台でセットで買えるし、物がしっかりしていた。
3)ドレッサーを二時間占拠するので、家族がみんないないか、いても娘たちが部屋で勉強しているような時間帯を選ばないといけない。
4)落ちた髪は、服は毛を払ってからコロコロして、頭はシャワーを浴びて、床は新聞紙三枚で、道具の洗浄はタオル1枚で、対処可能。意外と手間がない。
5)図画工作とか、粘土の床屋さんおもちゃみたいな、芸術やデザインの側面があり、楽しい。
6)スキばさみで、髪を「ざし、ざし、」と落としていくのは病みつきになる心地よさ。(10円ハゲみたいなところを作ってしまったのですが、それは夢中で楽しんだため。自制心のある人にはおこりません)
7)オンラインセミナーを流しながら紙を切ると、手間がかかってもじっくり手を動かせてよい。(ただし急に名指しされるようなセミナーだと焦ることはあります。)
8)一年近く、なじみの床屋さんに行っていない(最後に近所の床屋さんに行ったのは、2019年大晦日直前)ので、だんだん、行きにくく感じ始めた。
9)髪を切りたくなる自然な周期は三週間であったことに気づきいた。今までは「毎月のこと」という感覚があって、なんとなく一カ月に一度でかよっていたけれど、それは実は、自分にとっては、ちょっと切りたい時期を超えていたのだとわかった。

そんなところです。

最後の8は、一年行かないと、申し訳なくなってくるので、その意味でも、この辺でまた床屋さんに通い始めなくちゃ、と思っています。
また、9が分かったので、今後は、3週間に一度きりに行こうと思います。
ただし、床屋さんは一か月分の長さをきるもののようで、前に短い周期で通ったときはだんだん髪が短くなったので、それを踏まえ、三週間インターバルで通うよ、と言わないといけない、とも思います。

11か月間かけて、分かったことは、大体予想していたことですが、「自分が切りたいと思うのは平均三週間」ということに気づいた点は、コロナがなければ気づかない発見でした。

以上、久々の日記のブログでした。

posted by 石井力重 at 15:37 | 日記、価値観、仙台オススメ



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