2016年07月08日

ブーメラン(他者への指摘が自分の行いにも当てはまる)。他山の石は、二度チャンスがある。

昨日から、旅仕事の切れ目で、二週間も自宅(仙台)で生活できる期間に入りました。夏だというのに今、仙台は肌寒いです。

さて、旅の日々でいろんなものを見て、いろんな場面に遭遇して、ふと思うことがあります。それを少し書きます。

他者に対してアドバイス(コメントや批判)をする、ということが誰しもあります。
他者のことは人は良く見えるもので、なかなか耳の痛いことを、すっと提示できます。良薬は口に苦し。

さて、自分自身のこと。
自分のこととなると人は途端に良く見えなくなります。

そんな中で日々いろんな未熟さを抱えながら生きていくわけですが、たまたま、過去に自分が発したアドバイスを何かの加減で目にすることがあります。昔のメールやブログなど。

そこには、今の自分の行為に対して処方されたかのような、苦い薬、もあったりします。
それを、「ふん、うるさいな。そんなこと知ったことか!」という無意識の防御反応がおこったり。
また、「あー、これは耳が痛い。たしかにその通り。・・・改善するか」と、省(かえり)みる思考がおこったり。

この時、後者を受け止めることができる人間でありたい、と私は思います。


さて、話は次のブロックに進みます。

他者を反面教師として己を律することを指す言葉がありますね。

「他山の石」

(=よその山から出た、つまらない石。転じて、自分の修養の助けとなる他人の誤った言行。(出典:大辞泉))

この”タザンノイシ”にはチャンスが二度ある、と思いました。

一度目のチャンスは、他者の誤った言動を目にしたその時。
これは、いかにもわかりやすい。

二度目のチャンスは、他者の誤った言動を目にした時に行った、批判(それの良い点・悪い点を判じる)的コメントを、時間を超えて目にした時。
これは、なかなか難しい。
というのも、一度目の方は自分の行いがまだ誤っていない段階であり、「将来の下策を未然に回避する」だけのことですが、二度目の方は「現在の下策を、ダメ出しされている」ことですので。


(話を元の流れに戻します。)

このことから私は思うのです。

「二度目のチャンスを活かせる(苦い薬をすっと飲める)しなやかな人格を、いつも持っていなくてはだめだ。」と。

それから

「他者の誤った言動を、愚痴的に非難することには、発散という短期的な効用しかない。
そこから教訓を抽出する。自分ならどうすかを熟慮し上策を生み出す。それは未来の自分への薬になる」と。


人は歳ふる毎に、叱られることが減ります。
その一方で、人に何かを指示したり、意見を言う時間が増えます。
そうして、健全な人にも、心のぜい肉が増えます。

かつて上層部の愚策を批判した若者が、出世し下の人たちから同じ誹り(そしり)をうける、
そんなことは、ごく自然に起き、繰り返されてきました。

だから、二度目のチャンス、を使うべきです。

先ゆく誰かに投げた批判は、いずれ時間を超えて戻ってくる。
ブーメランとしてぶつかってくる。
その二度目のチャンスを活かすには、何かに出会ったら教訓を抽出する。
その苦い薬は、「現在の他者」に処方するのではなく、「未来の自分」のために。

そして、すっかりそんなことも忘れて仕事しているときに、偶然掘り起こした苦い薬。それにきちんと正対できるように、人格のしなやかさを保つ。そういうことが、二度目のチャンスを活かすためのコツだと思うのです。


終わりに)

2016年の今、私は42歳で、この年になってようやく、世界の偉人たちの伝記を読んでいます。(クリエイターに限ればその創造の営みをするために手記や伝記を研究対象としてこれまでも読んでいましたが、全領域に対しては読んでおらず、今になって、ようやく、といったところです。)

世を収めた偉人の人生の終わりごろというのは、幸福のうちに終わることはすくなく、世を開き、覇者に到達するまでの高邁な姿勢は、その後変わっていきます。彼らのような人生と、我々凡人とは比べるべくもありませんが、ただ、そんなすごい人でも陥る「年長者の罠」があり、そのことから何をか学ぶことはできます。

世の中の良いものも悪いものもたくさん見、学びと教訓を得て、自分の未来の道の上にブーメランとして突き立てておけば、崖から滑り落ちそうなときの足掛かりになる。

そんな気がします。

余談)

昨日から久々に、仙台の書斎に長くいられる期間でしたので、今朝は筆ならしのために、体系化されていない記憶を文章として紡ぎ出す練習として、書きつけてみました。およそ1.5時間。 考え考え紡ぎ出す草稿文章はだいだいこの程度です。話が長いし割れながら整理されていないと感じます。日々もっと、文章力も磨かなくてはいけないし、英語もやらなくちゃ、と思います。
posted by 石井力重 at 10:39 | 日記、価値観、仙台オススメ

2016年05月03日

HDDからSSDへの換装(忘備録として)

以前、訳も分からず、とにかくやってみた「SSD換装(かんそう)」。
その時には、PC内の貴重なデータを大量喪失するという痛手があり、それ以降は、危ないし時間が無駄になると思い、事業用に新しいノートPCを買うときには初めから、大容量のSSDを選択し購入していて、それ以来、換装作業をすることがありませんでした。

今日は連休中、家族と過ごしながら衣替えなどがあったので、HDD搭載のノートPCをSSDへ換装する作業をしてみていました。結果としては、ずいぶん簡単だなぁということで、忘備録としてメモしておきます。

0)ノートPCの中身の整理(いらないものを消したり)。すごく念を入れて、失いたくないファイルを、USBメモリに格納しておく。(万が一ミスして、何もかもダメにしてしまっても、貴重なデータは無事に残るように。)

1)昔持っていた外付けHDDを、分解してHDDを抜き取り、代わりにSSDを入れておく。

(この時に、デリケートさがいるのは、出力部分(なんというか、SSDやHDDにサクッと差し込む部分からUSBケーブルまで)を抜き差しすることだけ。)

2)SSDのメーカ(今回はSanDisc)のサイトで、「クローン」用にソフトを入手。SanDiskの場合は、ソフトでクローンのボタンを押すと、さらにほかのソフトのダウンロードを促され、英語だけの、GIGなんとかみたいな名前のソフトを起動。

3)外付けHDD(中身はSSD)を差し込み、そのソフトで、ノートPCの中のHDDのクローンを作る。

4)SSDを外付けHDD筐体から抜き出しておく。

5)ノートPCのバッテリーを抜き、裏側を開けて、丁寧にHDDを取り出す。

6)HDDが着ているジャケット類(薄い金属とか、梁のような金属とか、ゴムカバーなど)を丁寧に外す。それをSSDに着せて、ノートPCに差し込む。

7)蓋を閉じて、バッテリーをさし、起動。元通りに立ち上がるかを立ち上げる。

後は、前のHDDを封印しておくか、まっさらにして外付けHDDとして使うなどをする。

(ただ、以前、拙速に、そうしてみて、移動に失敗していたデータが大量にあったことに気づき手遅れに。できれば、しばらくは封印しておくという個人的な教訓はあります。)

<<失敗した前回は、朧な記憶では、データ移設の際、クローンじゃなく、バックアップ機能だったように思います。そのため、バックアップ機能ではコピーしないエリアがあるのだということを知らず、データを失ったのだと思います。もう、はっきりとはわかりませんが。。。 ゆえに、未来の自分への忘備録としては、クローン(中身丸ごとコピー)を作るほうが、どうも安全のようだ、ということです。>>


今回、こうしてやってみて思ったのは、3つ。

〇 素人であってもSSDへの換装は、そこそこできる。
(でも、初体験の時のデータ喪失は痛かった。。練習用のPCで経験しておくほうがいいですね。事業用のメインPCでいきなりやっちゃったのは、実に高い授業料。)

〇 SSDの価格がかなり下がっている。
(前の時に、奮発して買った500GBのSSDがかなり高額だったのですが、今だったら気軽に買える水準に。)

〇 換装の作業は、時間と思考力に余裕がある時に。
(忙しくって寝不足の時にやると「念のため」という部分が薄くなります。待たされる作業が多いので、本でも読みながら優雅に過ごせる余裕のある時がいいです。)

posted by 石井力重 at 20:45 | 日記、価値観、仙台オススメ

2016年04月22日

「学びて思わざれば則ち罔(くら)し」

夜眠る前に考え事をしていて、論語の言葉を思い出しました。

「学(まな)びて思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)し」

辞書を引くと、次のように解説されています。

「教えを受けただけで、みずから思索しなければ、真理には到達できない。」(大辞泉)

あるいは、ネットで検索して、学習情報の多いページではこのようにありました。

「学んで、その学びを自分の考えに落とさなければ、身につくことはありません。」(TOSSランド)


なお、孔子曰く、その逆(思うが学ばない)は、殆(あやう)し、と。

大事な言葉だなぁと、思います。

・・・というのが、一つ目に率直に書きたかったことです。


二つ目です。

思いと学び、どちらが先にあるべきか(どちらが終わりにあるべきか)。
鶏と卵の型の議論であり、無難な答えはたぶん「永遠の循環」なのだと思いますが、
私は「思うが終わりにあるべきだ」と思います。

理由を書きます。

大人であれば「思う⇒学ぶ⇒思う」が妥当なプロセスだと思います。

大人の学習者には経験がある。大人の学習者には機会がある。そういう大人にとってみれば、日々の中からわきあがる考え(=思い)が形を成します。それがどこまでもいけば独断的になるかもしれません(=殆)。
が、広く意見を聞き、学ぶことをするならば、あやうさが低くなり、学びで得た新しい知識を自分の考えに落としていけば、真理に至れるでしょう。

子どもは状況が違います。
いきなり深さをもって思うことをすることはできません。

学びます。経験がないのでいまいちピンと来ない(=罔)。
社会に出る。経験を積み、思うようになる。
思いが積み上がり、仕事がかなり出来るようになってくると手痛い失敗も出てくる(=殆)。
正しく広く知りたくなって学ぶ。
そして習得し、また社会に出て実践し、思う。

このように「学ぶ⇒ 思う⇒学ぶ⇒思う」になるだろうと思います。

大人、子供、どちらにせよ、終わりにあって欲しいものは「思う」である、と考えました。


以上が二つ目です。学んだら、思うべし。


三つ目です。

私は仕事柄、多くの人の「学び」の場にいることがよくあります。

学習者の大半はそのあと「思う」をしない、ということをたくさん見てきました。
正確には、学習者の多くは「学びをそのまま実践してみる」ところまでは、結構、します。

その先の「思う」までする人は実感的には5%に満たないぐらいです。

そういう人とのディスカッションは多くのものをもたらしてくれます。

自分がその5%ぐらいの中に入るような、学びて思う人になっているかどうかを、もっといつも意識していたいと思います。


最後、四つ目です。

学びの場において批判的コメントや懐疑的質問を頻繁に出す人は、多くの講師は「扱いにくい受講者」として敬遠しがちですが、私は少し違った見方をしています。本気で実践していこうと思っているからこそ、その知識の適用限界が知りたい、のだと思います。
つまり、「学びて思う人」なのだ、と。

そのような「学びて思う人(罔しに陥らない人)」に接することは、「殆(あやう)しに陥らないようする」効果がある、と思います。

教える立場に立った時に、いつもそう心に停めて登壇したい、と思うのです。

((とはいえ、単に、生産性のない「非難」や賢くみせたいがためだけの「否定」を発するタイプとの判別はしにくいのも事実ではありますが。))

posted by 石井力重 at 23:53 | 日記、価値観、仙台オススメ

2016年02月06日

貴重なインプットの多い人

先日、自分がSNS上で書いたメモがあります。

本気でしゃべる人には本音をしゃべるし、
建前にはその線に合わせていくもの。

何を相手がしゃべるかは、自分の本気度が強く影響していますね。

酒蔵イベントから三次会までを振り返り。

本気度の高い時間を生きている人は、インプットが多い。


それは多くの人から、聞ける点もありましょう。


この日は、エキスパートに囲まれて、いろんな深い話も、断片的な話もしていて、それらを振り返って、最後に私が感じたのはこんな感じのことでした。

有限の時しかない生物個体が、どこまで人類の知性のフロンティアに向かって歩を進められるか、は、天才的な思考のクロック数だけによるものではないでしょう。
良いインスピレーションを醸成していく良質なインプットも重要です。
そして、想像したものを形にしていく創造力も、力強いパートナーがたくさんいるかで大きく違ってきます。

自分の本当の声に近いものを口にできること。
そういう人は、貴重な話を聞ける機会も、出会いも、多くなるのだろう、と思います。

posted by 石井力重 at 14:00 | 日記、価値観、仙台オススメ

2016年01月31日

不易流行。

変わらぬ基礎を築き、また常に新しい風も取り入れていこう。
posted by 石井力重 at 23:59 | 日記、価値観、仙台オススメ

2016年01月20日

損をしないように生きることのもったいなさ

寒い書斎について、コーヒーを入れながら、ふと、思い浮かんだことがありました。

多くの人は損をしないように生きようとします。
が、損をしないぞと意固地になっている時には、持っていたはずの豊かな可能性を「損なっていること」(大損)に気が付かないものかもしれません。

もうすこし、詳しく書いてみます。

まず、誰しも人は進んでいく道の分岐点で、目の間に広がる複数の道(選択肢)から1つを選びます。

((なお、脱線の話として書くならば、何も選ばないのは「選ばないという道」に、選択肢があることに気が付かないのは「環境のランダムさによって目の前に登場する道」を歩んでいます。 ・・・話を戻します。))

たとえば、虚心坦懐に見れば目の前に選択肢が3つあったとして、ある人は損をしないぞという頭で選択肢群を見つめてみると、そのうち1つか2つが、「選択はあり得ない」もの(つまり、ちょっとでも損するもの)であり、その選択肢は検討の余地なく削られます。

しかし、そういう狭めた中からの選択ばかりをするすることによって、損なっている豊かな時間もあります。
それは傍から見れば簡単にわかることだったりします。
しかし、その「損はしないぞと心の手足を踏んばらせている」心理状態の中に立っている人は、それはえてして見てないものです。

そして、これはほとんどの人に、めぐってくるかもしれないことのようです。

”意地悪、悲観的、他者を敵だと思う気持ち。”そういうものが人間にはあり、そういうものをのさばらせずに、よく生きようしていますが、たとえお坊さんのような人でも煩悩の内、ある種のものはどれほどの修行を積んでも消せないといいますので、我々凡人においては当然煩悩で表現される心の中のいろんな黒い小人が見え隠れして、しかしそれをのさばらせず、インテリジェンスと意思の力によって、良い人格を維持している。・・・モデル的には人間の心の営みをそういう風にも理解できるなぁと私は思います。

でも、そういう構造をもった人間という知的存在を不完全だともおもいません。

煩悩を御しながらよりよく生きる知的存在だから人は人間くさくドラマやトラブルや達成に満ちて生きていけるわけで、もし完全なる煩悩レスの知的存在だけで構成された惑星があればそこには、なにもドラマもトラブルもないでしょう。粛々とした積み上げとある時点の均衡に辿り着くでしょうけれどその惑星はおもしろいのだろうか、と。

話が思考実験的になり始めましたが、一気に主題に戻します。

人間の認知能力は限界があります。どういう場所に立っているのであれ、そこから見た景色とそこから想像できる範疇を人は「全世界」として認識しています。ある意味、どこに立っていようとも、視野狭窄ではあるわけです。

で、どうせ、どこかの視座に立ったうえで視野狭窄に陥るならば、人生の肯定的な可能性のあたりに立ってそのあたりを見つめ続けるようなタイプの視野狭窄になったほうが、人は幸せな時間を長くゆけると思うのです。

自分がたっている場所から見える風景しか人は知覚出来ないとするならば、時々は、もっといい景色の場所に立って日々を過ごすことができないだろうか。と考えてみるのがいいのかもしれません。

気が付かないうちに、「損を避けて人生を大きく損している場所に今は立っている」としても、別の考え方をする機会に出会い、見る景色を変えていくことができるようになるのも、人間の面白い能力だと思いますから。

(以上、ふと思い浮かぶ心のイメージを構造化して言葉を与えてみました。)
posted by 石井力重 at 23:59 | 日記、価値観、仙台オススメ

2016年01月18日

椅子になるキャリーバッグで、新幹線のデッキで過ごす

雪で新幹線が1時間遅れで運行していて切符を繰り上げました。すると立ち席しかないという事態に。

zuca(座れるキャリーバッグ)とインフレーション式クッションで、上野ー仙台間を過ごしてみました。

結論としては「悪くない」。

背もたれがありませんが壁に背を当てればいいし、偶数号車前側であれば、通る人もいないので、静かな個室のようです。

PC仕事はできませんが、本を読むか映画を見て過ごせば、そこそこあり、かなと感じました。

zuca_shinkansen.jpg

ちなみに、文具鞄(黒い小さい鞄)は、ゴムでカバーされたワイヤーで止めています。

tabidougu.jpg

こうやって、手荷物をちょっとひっかけると、手ぶらになれて楽です。





<<< 旅荷物について >>>



「ZUCA」
サイズと色が多様です。
私は、スポーツタイプのステルス(=ほとんど黒パーツ)を使っています。
スポーツタイプは、階段を登るときに楽なようにタイヤが2つ垂直に並んでいます。
(機内持ち込みができるタイプもあります。これはできません。新幹線派の私にはこれが最適でした)


「ゴムでカバーされたワイヤー」
文具鞄にいつも1つ入れている便利アイテムです。
一般名称がないのですが、しいて言えば「ソフトワイヤー」か「ラバータイ」あたりが呼び名のようです。
キャンプ用品屋などで見かけます。
旅にはこれが一個あるだけで、何かと便利です。外国のドミトリーで共同シャワー室にタオルハンガーがないところでは、壁にくいっとひっかければハンガー代わりになります。タイムラプス用にスマホを立てておきたい時にスタンドにもなります。中の針金に腰があり望む形に曲がる絶妙の可塑性がそうさせます。


「トラベル・クッション」
zucaの座面に置いたのは、インフレーション式(=ひとりでにパンパンに膨らむ)クッションです。zucaのために買ったわけではありません。旅先の街から別の旅先の街へと日々旅しながら仕事をしていく私にはクッションは必須のアイテムで、これまで何種類も使ってきました。今定番にしているのはサーマレストのトラベルクッション(下の写真)です。
普段はマジックテープテープ同士をくっ付けて、キャリーのハンドル部分に巻き付けておきます。小さな駅の素朴なベンチや、座れる低い石壁など、これをさっと置けば坐骨の痛い私でも座れるいい座面になります。重さもわずか。

「キャンプシート」
いつも鞄の中に入っています。LCCのような、狭くリクライニングもできないような座面に長時間座るとき、これを置くとソファーのような座り心地で過ごせます。この手のクッションを様々使ってきましたが、これほど分厚く座り心地の良いものはありませんでした。やすいオフィスチェアの座面を比較対象にするなら、それは確実に超える良さです。バルブを開き、お尻でつぶしてペッちゃんこに戻せば小さくたためて、かさばりません。


なお、荷物の出し入れが面倒な状況(今回もそうです)では、トラベルを使っています。さっと使えてすぐに片づけられますから。

旅の日々で、荷物をそいで軽くしていくなかで、だんだんと、良いものにアイテムに巡り合います。今回はちょっと紹介してみました。

posted by 石井力重 at 16:25 | 日記、価値観、仙台オススメ

2016年01月15日

志し、理念(philosophy)とは

偶然、仕事でも友人とも、理念についての話がでる時期でした。

理念というものを「道具」として見たときに、私にははっきりした形があります。


それをメモしたものをここに紹介してみます。


嵐の中で暗くて道も見えず思考もできないほど疲れていても、唱えれば力がわき目指す方角をシンプルに示してくれるもの。

本来、志し、理念(philosophy)とは、そういうものである。


ダメな理念はーー


  • 要素が多すぎそらんじて言えないもの。
  • 借り物の洗練言葉。
  • 本気で思っていないこと。
  • 人間の本質に対する洞察が少しもないもの。

それらは「嵐の航海の甲板上で、見上げれば導きの光としていつでも見え、それを心に思う時、突き動かされるような精神力が湧く。」ものとは程遠いものである。


特に人間の本質への洞察がないと、言葉に宿る力は弱々しい。


・・・これは私見であり、人ごとに違っていてよいとおもいます。

多くの取り組みにふれ、人を見、その結果を見ながら生きてきた中で、良い理念というのは、事業理念であれ、個人理念であれ、そういうものだろうと思うのです。
posted by 石井力重 at 14:46 | 日記、価値観、仙台オススメ



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