2016年01月11日

旅仕事の日々でもっとも大事な日課

旅仕事だと、食事が不規則になったり、ベッドが毎日変わったりして、体力と体調を維持することを阻害する要因が多くなります。
そういう環境下において、力を維持するために最も大事な日課として定めていることが、ウォーキングです。

自宅生活時期と変わらず、旅先でもできる運動はそんなに多くありませんが、ウォーキングはその少ないものの一つです。
秋冬ならば、大量の汗を書くほどの発汗はしないので、運動着が不要ですし、夏場なら、速乾性のTシャツと運動用のズボンを鞄にいれておくだけですみます。

旅先の街を、一定速度で長距離を歩くことは、1つの条件を心得ておけば、簡単にできます。

それは「日没時刻」です。
知らない街を長い距離歩くことは、暗いととても心理ハードルが上がります。
なので、チェックインを済ませたら、身軽になってすぐに運動にでてしまうこと。これだけです。

今日は、午後3時半から、90分ほど歩きました。

久米川の宿から、武蔵大和駅まで、5q。

(初めは、南下してみようとおもったものの、途中で楽しそうな風景があるほうに曲がっていくので一貫性のないルートになりました。東京にいる場合はこういう歩き方をよくします。どこに行っても必ず交通網があってもどれるので便利なので。)

帰りは、電車で戻りました。

電車がでたばかりで、次までかなり間があるタイミングでしたので、隣のローソンで「チョコドーナツ、ホットコーヒー」を買って、しばし憩っていました。

寒い夕暮れ、小さな駅、人のいないホームのベンチ。
そこで口にするドーナツとホットコーヒーは、格別においしく、こういうのも、旅の日々を楽しむ一つです。
(最近は街にゴミ箱がないので、それからずいぶん長くゴミを持って移動することになりましたが、いいのです。)

さあ、明日は、超・長期構想を描き出すワークの場に伺います。
よく眠り、明日も全力でゆきます!
posted by 石井力重 at 23:08 | 日記、価値観、仙台オススメ

2016年01月06日

立ち止まりの中で新しいことを考えるのは早々に限界が来る

昔のメモが出てきてそんなことが書いてありました。

立ち止まりの中で新しいことを考えるのは早々に限界が来る_.jpg

生み出していく仕事においては、立ち止まって楽しようとすることは、必ずしも楽できる道ではありません。

行くほどに道半ば。
道を行き続けるからこそ、先に見えはじめる可能性が常にある。・・・のかもしれませんね。
posted by 石井力重 at 16:19 | 日記、価値観、仙台オススメ

2016年01月05日

「回復の行動を早く始めたほうがいい状況」に突入し始めると、合理的な判断をしにくくなる

今年のお正月は暖かくて、過ごしやすい三が日でした。
今日は、まだお正月の静寂の空気の残る中、かねてからため込んでいた作業を一気にやっていました。

さて、夜になってくると、書斎が寒くて、お腹も減ってきます。
多分、頭のパフォーマンスも落ちてきているはずです。
しかし、こういう「回復の行動を早く始めたほうがいい状況」に突入し始めると、合理的な判断をしにくくなることに気が付きます。自己観察をしていて。

早く動いた方がいいのに、ずるずると「今していることを続けてたい」的な気持ちが湧きあがってきます。

ということで、こういう時、まずは自分に休息が必要だ、と判断して、それに向かって、小さいことを1つだけ始めてしまいます。
あとは、動き始めさえすれば、意識が変わります。

私の場合は、休憩の際に、ブログを書くのですが、一人でいても誰かが読むかもしれない文章を書くことで、対話状況の脳の活動状態に切り替えるようで、リフレッシュできます。

〜余談です〜

こう書いてみて、気が付きました。

他の人といて、ずっとコミュニケーション環境にいる時、ときどきアイデアメモを書いて数十秒を過ごすことがあります。
これは思考状態をいちどニュートラルに戻すことを自然としているのだと思います。

あるいは、私は打ち合わせの終盤に、1分時間をもらって、考えをまとめて、発散的な各要素に流れをつけて話す、ということをすることがあります。
それも、同じ構造のことなのかもしれません。

posted by 石井力重 at 19:31 | 日記、価値観、仙台オススメ

2016年01月02日

鶏ちゃん焼(ケイチャンヤキ)

津々浦々、全国の街に、旅仕事で滞在しに行くと、その土地の料理を口にします。
あまり美食とかはわかりませんが、「これはいいな」と思うものに時たま出会います。
その中で、もっともうまいなぁと思って、何度も食べているものがあります。
それがタイトルにある鶏ちゃん焼です。

鶏ちゃん焼の概要:

にんにく風味のみそ味のだれ※などに付け込んだ鶏肉と、キャベツを、クッキングシートを引いた鉄板の上で焼く。
締めにそこに残ったたれで焼そばを作る。

※にんにく風味、とか、みそ味、という点は、店ごとに違う要素であり、食べたことのない人にそのもののざっくりしたイメージを端的に表現するために書いた言葉です。石井が個人的に好きな味がそれ、だったため。

呼称:

鶏ちゃん焼、または、鶏ちゃん。
鶏は「けい」と読む。
字面から「とりちゃんやき」と読まれることも多い模様。(私もそうでした。)

”ちゃん”とは何か:

諸説があるそうですが、その辺は門外漢が集めた知識から集約したものを記しておきます。

(1)とんちゃん、の豚を鶏にスライドさせて、鶏ちゃん

(2)ペースト状の調味料である「醤(じゃん)」(中国語で、ちゃん)

(3)ちゃんちゃん焼きを北海道から岐阜にスライドさせて「鶏ちゃん焼」

詳しく書きます。

(1)とんちゃん

とんちゃんは、豚のホルモンをみそだれなどをつけたものを焼いて食べる料理ですが、食材を鶏に変えて、とんちゃんのトンの音を変えたもので、鶏ちゃんと呼ぶと酒の席では言われます。とんちゃんという言葉自体が、韓国系の言語である説や、チャンチャン焼きのちゃんと豚で構成されたという説もありますので、スライドする前の語自体にも揺れはあります。

(2)醤(じゃん)

鶏ちゃんのいろんな店のを詰め合わせにしたセットを買ったところ、ある店のパッケージに、鶏にペースト状の調味料である「醤(じゃん)」で鶏ちゃんである、という旨が記されていました。”XO醤”などで見たことのあるこの漢字、日本語は「ひしお」と読みます。PCに通常は変換候補として搭載されていないことが多い文字のようです。

(3)ちゃんちゃん焼

チャンチャン焼きは、魚と野菜とキノコとたしかバターを、鉄板の上でかちゃんかちゃんとこてで混ぜ続けて焼く料理です。そのちゃんとは何かといえば、これも諸説があるようです。北海道人の友人は、父ちゃんが作れる、という意味でちゃんだ、と。他の説は、混ぜる時に鉄板を鉄へらがたたく音が、ちゃん、ちゃん、となるからだ、とも。あるは、ちゃんとできる(簡単だ)という意味だ、という説も。

鶏ちゃん焼の濃い味のたれに付け込んだ肉の焼いた味の良さは、ジンギスカンと似ています。鶏肉とラム肉では癖の強さが違うので、圧倒的に、鶏ちゃんの方が、食べやすいですが、付け込んだ濃い味の肉を焼く料理としては、なにか北海道に源流っぽさを感じもします(私見です。)

そんなわけで、ジンギスカン、チャンチャン焼き、とんちゃん、醤(ジャン)が、カバーする領域を、ないまぜにしたものに立脚した「ちゃん」がある、というのが現状のようです。

(さらに私見です。この辺をめぐる話は、鶏ちゃんが焼きあがるまでしきりに混ぜつつ、「解説しよう!鶏ちゃんの”ちゃん”とは一体何か」と、10分程度は、ゆうに蘊蓄をかたっていくうちに、焼きあがるという部分までこみの様式美であると、鶏ちゃん合衆国※に出会って思いました。)


※鶏ちゃん合衆国:

古くからある郷土料理ではあったものの、県下の地方と店ごとに違う味で、その個性を生かしつつ、大きな名物としてもっと楽しんでいこうとする活動がこの数年で始まりました。大真面目に、各領域のエキスパートたちが、この活動をしたため、地方の名物料理の界隈、および、岐阜を訪れる食いしん坊界隈に、一気に知名度が上がりました。地域活性の成功事例としてまじめに注目なんかもされちゃったりしています。

公式サイトもあります。


以上が、鶏ちゃん焼・概論でした。

ちなみに国務長官自ら、焼いてくださる機会が、私の初めての鶏ちゃん焼体験でして、その焼きあがるまでの楽しいトーク、焼きあがりぐあい、さらにそののこった鶏みそ味でつくられる焼きそば、を食べて、これは、すこぶる美味しい名物料理だなぁと、すっかり虜になりました。

よく昔は、名物に旨い物なし、といった典型の言葉がありますが、現代でも割とそうで、どこかの街で食べたそれを食べつけない人には、即はまる、ということもないのですが、鶏ちゃんは、全くそうではありませんでした。うまい名物でした。

そんなわけで、津々浦々を行く中で、各地の地方の名産を紹介するようなことは、きりがないのでほぼしない私ですが、その中でも鶏ちゃんだけは、他の人にも紹介したいなぁとおもい、ここに纏めてみました。

いくつかのお店があって、やっぱり商業施設のなかの居酒屋で食べられるものは、ちょっとパンチがないというか、どんなお客さんにもそつなく食べてもらえるようなおとなしめの「みそ味の鶏とキャベツ焼」みたいなものだったりします。しかし、うまい店は本当に味がうまいです。鶏ちゃんは、たれの料理であるので、店ごとの味がそのまま料理の感想になります。


焼いている雰囲気の動画:

(Facebookの動画で恐縮ですが)

鶏ちゃん焼の達人が焼いてくれた鶏ちゃん焼さばき。
自分でも焼いてみたら思いのほか、簡単そうに見えてそうじゃなかった。
焼くスキルを発揮できる宴料理っていいですね。

当時、私はそんなことをコメントとしてつけてアップしています。


鶏ちゃん焼を食べるには:

下呂、飛騨、岐阜市街に行きます。

(飛騨は、北陸新幹線で日本海からいくと、旅情が楽しめていいです)
(岐阜市街は、新幹線名古屋駅からJRで20分、とすぐ着きます)
(下呂は、岐阜市街から、特急50分ぐらい北上します。飛騨から同じぐらい南下してもいいでしょう。)

鶏ちゃん焼の店を調べていきます。

(合衆国のWEBサイトや、レストラン検索サイトで見るのが手っ取り早いです。
岐阜市内だと、地元の一般に聞くより、WEBのほうが情報が多いです。)

あるいは、Amazonで鶏ちゃん焼、を調べて買います。

(冷凍されたたれ付け鶏肉が、手に入ります。後は自宅でキャベツを刻んで、ひたすら焼くだけ。)

ちなみに、Amazonだと、どれが届くかお楽しみ・3店の肉が届くセットがあります。


頼んでから数日で届きます。
(プライムのような、あっという間に来る感じではないですが)



私は年末年始、自宅で一人で過ごしているので、おせちの代わりにこれを食べようと思って買ってみました。
大晦日、元旦、今夜、と毎日1店ずつたべていますが、味が違うので楽しんで食べています。

肉の中ではヘルシーな鶏肉であること、キャベツをたくさんおいしく食べれること、私のように料理ぶきっちょでも、とにかく適度な火加減で、ちょこちょこかき混ぜ続ければ出来上がること、大好きなにんにくに相性がいいので盛大ににんにくも投入できちゃうこと、もあり、いつもの冷凍食品で過ごすお正月よりもだいぶ、楽しく過ごせています。

仙台で鶏ちゃん的なものを出す店はあるようですが、にんにくの効いた野菜たっぷりの鶏ちゃんを出してくれたら、結構学生さんたちなんかに評判になるんじゃないかなと思います。

出来ることならば、仙台の近所で娘の同級生のお父さんがやられている食事処で、鶏ちゃん出してくれないかなー、とひそかな野望をもつぐらい、何度も食べたくなります。
posted by 石井力重 at 13:20 | 日記、価値観、仙台オススメ

2016年01月01日

初日の出と、仙台の平野と海と(八木山駅の展望広場にて)

新年、あけましておめでとうございます。

(311の震災以降、年賀状を廃止しました。毎年年賀状をいただく皆様には不義理をしておりますがお許しください。大量の年賀状とその印刷コストとそのための作業時間、という消えモノ系のコストを、復興へ回します。)

代わりに、書面よりも多い中身を、今年もこのブログを通じて報告してゆきます。

新年のご挨拶や、今年の目標を述べる記事は、別途書くとして、今日の話を少し書きます。


本日は早起きして、初日の出を見に行きました。

近所の標高日本一の地下鉄駅「八木山動物公園駅」、その上部の展望広場へ。

yagiyama_teppenhiroba_20160101_sunrise.jpg

冷たく澄んだ空に、太陽が昇ります。陽光が顔を暖めます。

yagiyama_people.jpg

日の出直前の駅に着いたときの様子。フェンスにたくさんの人が。

yagi3.jpg

日の出後も一時間ほど、閑散とした展望広場にいて、仙台の平野と海を眺めていました。

umi2.jpg

沿岸部は2011年⇒2016年の時間がたった今も、こういう様子です。

サバンナのようなまばらの木のある所は、かつて防砂林があったところです。
防砂林があったので、津波の前は、八木山から海岸を見ることはできませんでした。
手前の土地も更地のまま。
防災を考慮した都市計画上、沿岸部に建物を再建できないなどの事情もあり、風景が元通りになることはないのかもしれません。

shindou_yagiyama_nagamachiminami.jpg

一方で、この駅ができる直前に、長年つながらないでいた近隣エリアを便利につなぐ太い道路も、一気に三本完成するなど、道路や駅などの社会資本への投資が進んでいることも感じられます。

(※これは2011年よりも前に決まっていた都市計画なので、復興によるプラスがあったわけじゃないと思います。むしろ、復興で行政と土建屋さんの優先事項がそちらに割かれて遅れ、最後になってダッシュで取り戻すように、作り上げた感もあります。)

yagi4.jpg

八木山動物公園駅は、パークアンドライド(あるいは、kiss-and-ride)、という思想の端末駅なので、大型駐車場と迎えに来る車のための大きなロータリーもできました。

ここまでの大型施設ができたら、もうすこし周辺に商業施設もできていてもよさそうな感じですが、ありません。
ベニーランド、八木山動物公園、地下鉄駅、あとは、広域の住宅街、という構図です。

その辺は、賛否があるのかもしれませんが、私はわりとスマートでミニマルな計画でいいのではないかと思います。

長期的には、坂を少し下ったところにある日赤病院が、道路の反対側へ移転する計画があるなどで、徐々にゆっくり変化するような街並みだろう思います。

moon.jpg

駅を撮っていて、残月が出ていることに気が付き、最後に撮ったものです。


閑話)

人間の身体には様々なセンサーが搭載されていて、それらが「安寧の暗闇の中で休止」して、回復をした後、「起動の刺激を受けて、稼働し始め」ます。

それを引き起こす光は、人工光よりも、太陽の輻射熱のほうがずっと気持ちがいいのは、フーリエ変換ペクトラムが、きついピークであるかマイルドな山なりのカーブを描くのかの違いかな、と、太陽の光を浴びているときに、ふと思うのでした。
posted by 石井力重 at 12:04 | 日記、価値観、仙台オススメ

2015年12月22日

いろんな旅先で人と会い、一緒に仕事をし、最後に思ったこと。

我々が人を判断するときに、また、人からも判断されるのだ。
であれば、人を愛そう。
愛し愛される先にしか、尊敬しあえる関係は芽生え得ない。

at_kokyo.jpg
人を呪わば穴二つ、と同じく、人を愛せば愛二つ。
聡明な人の心境は明鏡止水。
人は他者の総体を通じて、異なった世界を見ている。
見ているものは、とどのつまり、自身の佇まい。

この時代に生きる我々の無名の意思の総体が、次の社会の価値観を作る。
小さな砂粒が石になり、礎になる。
どうでもいい人はいない。
どうでもよい一日というものはない。


志した道を極めて、社会を豊かにする生き方をしよう。
(「志・極・豊(しごと)」)

そういう、無駄にくどくどしくいきていくのが、やっぱり性に合うみたいです。

尊敬できる各地の友人、ひたむきに学ぶ人、語らず良い仕事をする人、聡明な人。
そういう人たちと触れ合う可能性は、私の仕事観を深めているときほど、多いように、今一年を振り返ると思います。

(まだ、年末のあいさつには早いですが)
今年一年、一緒に時を過ごしてくださった皆さま、ありがとうございました。

2015.12.22.
岐阜駅前の宿にて
posted by 石井力重 at 08:41 | 日記、価値観、仙台オススメ

2015年12月15日

今日は、どんな「生まれて初めて遭遇した出来事」があるだろう

大阪から城崎方面に向かう特急でしばらく北上した、兵庫県のとある場所に今日から滞在しています。今年最後の旅仕事ものっけから、面白いことが起こりました。

旅の始まりの「宮城〜兵庫」の移動に対して、今朝は飛行機を予約していました。
プラスのチャージを払ってしかも1C席。

フライトの90分前に自宅を車で出ました。
いつもは30〜35分で仙台空港に着きます。
が、今日は、空港への一本道で道路工事が行われていて、なんと60分。

ピーチのチェックインはオンラインではできず、チェックインのマシンが閉まるのはフライト30分前。

カウンターのある2Fに到着したのは、30分前をわずかに3分過ぎたところですが、すでにアウト。
私のほかにも、大量の人が同じ目にあったようで、カウンターをあけてくれと(ピーチに関係ない空港スタッフに)食い下がっている集団もいたりして、数分、そこで私も逡巡。

ただ、ダメだった時の移動は、プランBとして空港への道路で考えていたので、すぐに切り替えました。
仙台駅へ、その足で。
勝手知ったる新幹線移動であれば、目的地までの行動は一瞬で立案。

さて、自分を観察していて、次のようなことを思いました。

「ああ、人生で初めて、飛行機に乗り損ねたなぁ。」
 ↓
(ヘルシンキや台北からの帰りで、カウンターが長蛇の列になっていてもぎりぎりの所で乗れて、これまで一度も国際便を逃さないで入れたことは、当たり前じゃなく単に運がよかったのだ。あと30分余裕をみなくてはいけない。だいたいアクシデントがいつもおこるのだから。)

「ああ、ダブル(飛行機代+新幹線代)のコストだなぁ。」
 ↓
(フライトは変更ができるオプション付きを買おう。割高ではあるけれどもそれでよい。こういう事態に対応できるし、変則的に旅程が変わる私の仕事スタイルにあっている。今回、このフライトを抑えた後に出てきた東京の用事に対応できなかった。)

「ああ、飛行場往復の時間コストも無駄に消えた。」
 ↓
(下手な時間節約の考えで大きな時間が無駄になる。新幹線に比べて2時間の短縮になるはずが、結局、新幹線+余計な2時間が発生した。あるいは、自宅のそばにできた地下鉄+JRでいくと、短縮幅は1.5時間に下がるが、こういう事態は回避できただろう。)

と、痛手から何かしらを学んでいました。

(本音の部分では「苦手な飛行機に乗らないですんだな・・・」というのもあります。かつて苦手だった飛行機を克服しつつあるのですが、圧倒的に新幹線のほうが性に合うみたいで、比較でいえば、やっぱり飛行機はちょっと苦手です。)

そんな、こんながあって、結局今日も列車の中から富士山を眺めつつ旅仕事がスタートしました。


ただ、それはそれでおいておくとして、今日、久々に「人生初の出来事に遭遇したなぁ!」と心から思ったのでした。

そして、「そんなことって、42歳の今、年に何回あるのだろう」とも思いました。

もちろん、「人生で初めて、姫路駅に降り立った」とか「サグラダファミリアをようやく見られた」といった、頭で考えて出てくる「はじめて」は、それなりにあるのですけれど、心がドキドキして、さらに「ああ、」なんて感嘆詞付きのセリフが、自然とわいてくることって、なかなかないよなぁと。

子どもを育てていて、彼女らがいろんなものに、日々「初めて見た!」「初めて食べた!」という反応を返してくるのは、親としてはうれしいような、1人の人間としてうらやましいような、それで、かつて子供だった僕は彼女らをもっと喜ばせてあげたいような、そんな気分になります。

でも、大人だって、これぐらいのドタバタをすれば、そんな言葉に力の宿るような瞬間があるんです。

そして、そういうことって、新しいことをして失敗するなかには、結構あるような気もします。
以前と同じやり方で手堅くいくと、出会えない何かが。


今日は、無駄をしましたが、すこし良いことを知りました。

無駄をしないように人生を来てしまうことが、人生をもっとも無駄にしているのかもしれません。(とっても私見です。)
posted by 石井力重 at 17:46 | 日記、価値観、仙台オススメ

2015年12月07日

目的関数(何を最大化しようとしているか)

最適化問題は、ある量を最大化しようとして、構成する要素が内包するもろもろの変数の値を突き止めていくことです。
「目的関数」というのは、この「最大化しようとする量」のことです。

純粋な数学や物理の問題であっても、この目的関数は、必ずし、二次関数のような線型方程式で表現されるわけではありません。
変数の中には、コインの裏表、のようなものもありますから。

さて、本題。
ここからは話を、人文の世界に。


人生の目的関数

人生の目的は何でしょうか。
お金?楽しい娯楽?食事?

あらゆる人についてそれを一言でいえば「幸せ」でしょう。

近似的に「お金の増加=幸せの増加」と見る人もいるので「お金」と応える人もいるでしょう。

ただ、年収はある一定ラインを超えると、年収の増加と人生の良さの増加は単純な比例ではなくなります。

幸せを学術的に研究する研究者も世の中にはいまして、定量的に、1000万円※を超えるあたりからは、「年収∝幸せの度合い」という比例関係はなくなる、と。

(※ 研究文献はドル単位なので、円表記上のザックリ数字ですが。)

もちろん、研究された結果だからそれが絶対とは言えません。

データ分析するには可測量でなければならないので、幸せというのを何らかの量で代替えして別の量でみたり、幸せの感受に相当する質問を設定し本人の感覚をリッカートスケールで回答してもらうなど、特定のアプローチで調べるわけですが、それが将来、否定される可能性がないわけではありません。

さらに言えば、幸せ、とか、創造性のような、統合的で複雑な営みで、曖昧だけれども皆が把握している概念というのは研究が難しいものです。研究には、さまざまな反論や別の研究アプローチによる別の結果もたいていはあります。上記の1000万円というのもまた、1ケタぐらいの違いをもった研究もあります。

こういう「捉えどころのない量を最大化しようとすると、やりにくい」ので、ついついわかりやすい「収入」とか「労働時間の短さ」とか「ライブに行く回数」とか、そういう即物で考えてしまおうとします。

ですが、それは一足飛びに結論をだして、大事なことを欠いています。

その人が、人生において、本当に最大化しようとしているもの。
人生の「目的関数」。

最適化問題(ある量を最大化しよう)という行為は、人生のあらゆる局面、あらゆる時間的尺度でわれわれの心に立ち上がってきます。
互いに矛盾するものもあります。

たとえ話。

旅先で興味深いミュージアムに入ったら、「できるだけたくさん、興味深いものを見たい」という目的関数が立ち上がってきます。
また、「移動の電車はできるだけ、体力を使いたくない」という目的関数も別にあります。
昼過ぎの電車はすいていますが、夕方の列車は混んでいます。
この2つの目的関数は、矛盾します。

いくつも湧き上がってくるものを全部抱えて自分という人間が生きています。

人生がなんども巻き戻せて同じ一日を仮に過ごせるなら、いろんなパターンのその一日をすごすと、「ミュージアムを見たい欲求は3ぐらい叶える」「電車で楽に、は7ぐらい叶える」と目的関数が最大化するのだ、分かります。

ただ、我々は、最上位にある目的関数(たぶん、幸せ)をはっきりと関数で定義し、全変数の値を算出し、その上で正確に行動する、なんていうことは、現実にはできません。

ただ、自分の声に耳を傾けていけば、経験を重ねることで分かるようになったりしもします。

自分の選択した行動がどれぐらい自分を幸せにしたか、ということはだんだん蓄積されていきます。
そして、行動の精度が上がります。
関数そのものはわかりませんが、だんだんと、自分の根底にある願いをかなえるように行動できるようになります。(なれるように人もいます、というべきでしょう)

一見、非合理的な意思決定や無駄に見える行動をしている人がいますが、その人の最上位にある目的関数を最大化することに則ったものであるならば、実は、最適化問題の合理的行動なわけです。


迷いが芽生えるのは良いこと

1.目的関数というものがある。
2.人生はたぶん、統合的な要素の最大化が、目的関数になっているはず。
3.捉えにくい量は扱いにくいので、近似的な即物的なもので表現してしまいがち。
4.その近似的ファクターもあるレンジまでいくと比例関係から落ちてしまうこと。

そうなってくると、人は迷います。
「それ(即物的ななにか)を追い求めたかったんだっけ?」と。

そこで、

5.自分が、最大化しようとしている目的関数はなんであるのか、を見直す。

そうすると、乗っていたレールを飛び出して、軌道修正をすることもあります。
(ライフスタイルやワークスタイルを変えるケース)

最大化しようとする目的関数を、現在の道の上に「再設定する」ケースも出てきます。
(当初の最上位の目的関数とは別の目的関数がより上位になるケース。)

迷いが生じるのは、相関性のある即物的な量の増加に取り組めばよいフェーズを卒業しかかっている時なのだろうと思います。


才人のスランプ

スランプの時期にいる才能ある人に、私はこう言っています。

「スランプというのは、自分の心が『このステージはやり尽くした。そろそろ次のステージに上がるべき時だよ』とシグナルを送ってきていることだと思いますよ」と。

ゲーテの言葉があります。

「Es irrt der Mensch so lang er strebt.」

森鴎外の翻訳、などもありますが、よりヒューマンな作家、手塚治虫の日本語訳を添えておきます。

「人間は努力するかぎり迷うものだ」


努力をしないなら、即物的な目的関数で近似できるレンジを行ったり来たりして一生は終わる。
しかし、努力の人はいずれ、相関性のあるレンジの端っこぐらいまで行く。
それが、人によっては、悩み、だったり、スランプだったり、不調だったり、虚無感として、心に登場するのだろうとおもいます。

  
努力する人は、迷うもの。
迷いは進歩の途上にあることの証。

そう思って、目的関数が本当は何だったのかを見直して、道を行くべきなのでしょう。


石井の見ている風景

私は、いつも思います。

”行くほどに、道半ば。”

進むほど、この道の先に見える道はもっともっと遠いところまで見えてきます。

1つ分かると10個分からないことが出てくる。

芸も、学も、商いも、人も、そういうものなのかもしれません。
posted by 石井力重 at 14:38 | 日記、価値観、仙台オススメ



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