2012年07月02日

最も優れた書斎は、旅立ちの一時間前のちゃちな机である

  • 長く滞在した宿でチェックアウトの用意ができ、出発まであと1時間ある時。
  • 長い列車の旅程を終えてあとは席を立つばかりの時。
  • これから長い旅に出るために必要な荷物をすべて詰めて身支度ができ玄関を出るまでの1時間。

この時間と空間に、世界で最良の書斎が出現する。ちゃちな机といすしかなかったとしても。

紡ぎだせなかったアイデアや企画たち、は、旅立つ前の刹那、何もない机の上に、たくさん出現する。
 
posted by 石井力重 at 13:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記、価値観、仙台オススメ

2012年06月25日

心の中の筆

文字と原稿の能力を回復させる、ということについて、最近感じたことがあります。

心の中の筆、という概念です。



書のリハビリをした


私は小学生のころ、書道が五段でした。ところが学校が上がりペンで早く書く癖が付きました。ペン字は乱れました。大人になるとさらにペン字は減り、時々役所で各書類の汚さに辟易しました。でも筆で書けば達筆!というひそかな自負がありました。しかしショックなことがありました。ある時友人の結婚式で、本物の筆があったので、名前と住所を書いてみると、ひどくみすぼらしい帳面汚しの文字があらわれました。習字の腕も消えてしまったのだと私は悲しく思いました。

もっと大人になり、今、iPadとそのアプリZenbrushで時々、デジタル上での習字をします。初めはひどいもんでしたが、ある時から、納得できる水準で書けるようになりました。そのある時というのは、心の目で白紙の上に文字を書いてみる、という作業を思い出した時です。

普通、書道であれば、硯に向かい、半紙を置き、文鎮で抑え、筆にすみをつけ硯のはらで筆を整えたら、すっと紙に書いていきます。その前に、筆を握らずに、半紙の上に腕を浮かせて実際に書くかのように、筆先を想像して腕を運んでいってもじを、心の中で書きます。いわば、「心の筆」で半紙に見えない文字を書きます。何度かやると、バランスが悪いな、とか、あ、ここがかすれてしまった、という感触が出てきます。そして、完璧な一枚が仕上げったら、本物の筆を握ります。これが本当に正しい練習方法かわかりませんが、少年時代の私が筆の運びをなんども想像して書いた方法でした。

その方法を思い出した後、何度か、いわばエア習字、をしていくうちに、均整のとれた文字が書けるようになりました。こうして、少しずつ、書道の腕に関するリハビリをしていきました。


原稿のリハビリも要る


私は最近、原稿を正しく書く能力を失っていたと思います。長い文章を書くと、前半と後半で主語が違っていました。主張したいことのポイントもあいまいでした。そして、ようやく書き出せた文章は、エッセイとしての基本構造を欠いたまま、私の外に出されていました。(このように書くと、他人事のようですが、悪いのは自分です)。そうなると、自分が書いた原稿が何かの誌面になった時にその質の悪さに読むこと辟易しました。美しい編集をしてくださるものにはほっとし、ほとんど無編集で通っている原稿には、あまり目を向けられなかったように思います。どうして文章を書く能力を失ってしまったのだろうと悲しい気持ちになりました。

そして、気が付きました。これは、書の能力を失っていた時代に感じた感覚に似ている、と。

私は最近、コミュニケーション重視の短文入力スタイルのWEBサービスをよく使っていました。そして多くの知らない方の文章も大量に見ている日々でした。その中では、なんども、なんども、矯正がかかります。より、反応のされる文章というのが、扇情的なものあったり、食べ物や小動物の話であったりします。私もそういう文章を自然と学習して使うようになります。そして、だんだんと、遂行や編集なしに、書き、公開するということになれて、それが原稿を書く行為にも大きな影響を与えてはじめました。

それはそれで、悪いことではないと思うので、これからもそれを使い続けます。ですが、私の中で、ここにきて取り戻したいと気が付けた感覚があります。それは、「心の中の筆で、書く」という行為です。

最近しがちだった「言いたいことを言い始めて最後の方で文章の主語すら変わっているようなねじれた文章」「文字数が足りなくなり、文章の後半がきわめて大雑把になっている文章」スタイルは、いずれも”書”で言えば、全体の構成を想起することなしに、一画目の線を引いてしまうようなものです。そして一画目に合わせて二画目も引きます。それをしていくと、半紙のサイズが足りなくなります。仕方ないので、後半側の部位を小さくして何とか書き上げます。それはいびつでひどい文字です。そこには文字情報という観点で言えば、必要十分な情報はありますが、書道というのはそれだけではありません。情報伝達の他に、手書きのフォントがまとうべきさまざまな非言語情報を含意しています。私は文章をかくにあたっても自分の最近の文章に全く同じような、いびつなものを感じて今いた。

ならば、解決への糸口は見えます。「心の中の筆で、原稿を書く」という行為です。


心の筆で、なんども、書く


何であれ何かしらのメッセージを伝える文章には基本構造があります。それはいくつかありますが、私が好きな構造は「物語構造論」的な構造です。これは説明的に表現するならば「障害と、助けと、たどり着く将来」という構造をしています。

そこで、その基本構造は、いわば、心の中の”半紙”です。まず最初にすることは、自分が表現したい概念をこの構造(半紙)の上に投影します。足りないところは補い、多すぎるところは削ぎます。なんどかしてみると自然とバランスの良い流れが見えてきます。こうすると、収拾のつかなさに悩んでしまうようなことがへり、言いたいことを、適度にバランスのある文章として紡ぎだせます。

もちろん、何千文字もの文章を頭の中で明確にかけるわけではありません。そういう大きな概念を書きたいときは、その大きな構造をまず作ります。考えは簡単なメモにします。それは、章立てとして生き残ることもあります。そして、次に、具体的に、心の中の筆で文字を書ける量≒1パラグラフ(200~400文字)毎に、文章を心の中の筆で何度も書き、バランスが取れたら吐き出します。こうすると、単にInformationの集合体という「編集のされていない”疑似”文章」を書きあげてから途方に暮れることがなくなります。そして、編集作業も基礎工事からやり直しということはすくなくなり、文章を書くことが楽しくなります。

美しい書を書けると、筆をすっと半紙におろすのが楽しくなります。書いたものは、本人にとって、字ではなく書になります。これと同じです。美しい文章を書けると、万年筆をすっとノートにおろすのが楽しくなります。書いたものは、本にとっては、文字列ではなく文章になります。


これから


今日、書いた2つの文章は、さほど、心の中の筆で何度も書いてみる、というプロセスを経ていません。まだ、「一画目からとにかく書いてしまう」文字列の集合体です。しかし、書きながら、思い出した「心筆」の概念は、徐々にいろんなところに根を伸ばして、徐々に文章を書く力を回復させてくれるでしょう。私自身があとでまた読みたいと思える文章を紡ぎだせるように、すこし落ち着いて文章を書いてみようと思います。
 




posted by 石井力重 at 17:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記、価値観、仙台オススメ

2012年06月14日

ノートの裏表紙


ノートを新しいものにするたび、書き写します。

人生は有限、だからこそ、命や人生は輝く瞬間がたくさんあるし、影や悲しみは、光やうれしいことの、コインの裏表の存在かと。

若いころから、石井家は短命でいつでも悔いのないように生きよ、という教えをもらって生きていました。

今日、実家の父の検査結果を聞いて、短命な家計というのは、やはり逃れられないものだと覚悟しました。代々の教えで、覚悟しているよりはずっと長く人生を歩めるようですが、現代の寿命水準からすると、平均に比べて、やはり短命傾向は覚悟しています。

普段は、このブログには、プライベートなことはほとんど書きませんが、日々、強く決意をしながら、生きています。ある日、予想よりもずっと早く、命が尽きるということを突き付けられたとしても、悔いがない毎日を、送る。今日も、明日も、明後日も。今この瞬間も。

まだまだ、社会に恩返ししなくちゃいけないこと、いっぱいあります。遠くを見据えて大きな構想を描きつつも、日々、完全にやりきる、そういう毎日を、ひたすらに、行こうと思うのです。

時々、仲間や知人各位に、不義理をしてしまっているなぁと、思うのですが、残された時間がたとえどれほどであっても、自分が世の中からつけてもらえた能力を最大効率で生かすために、最良の道を選んでいるのだと、温かく見守っていただけましたらば幸いです。

(ああ、出版社さんから、言われた原稿も、書かずに、ずるずる、、、一緒に作ろうと昔から声をかけてくださっている企業さんにも、また。。。すみません、すみません、と思いながら、全力疾走をする日々です。)

少なくとも、ある日突然、何の準備もなく、寿命が尽きたとしても、その時の僕も、きっと後悔は一粒も、ない。そういう生き方をして最後の時を送ったでしょう。娘や友人に言葉を残す間もない時には、このブログの、価値観・日記カテゴリーの所に、書いている文章が、そのかわりです。
 
posted by 石井力重 at 16:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記、価値観、仙台オススメ

2012年05月01日

狭いけれどもすべて知ることの大切さ

一芸に秀でる者は多芸に通ず。

ある道を極めた人はほかの達人と話すと結構会話が通じます。これは私はこう思います。狭い、つまり横幅がせまいのだとしても、縦軸をはじからはじまで埋めたことのある人は、別の領域でも推測ができるのであろう、と。

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(これは2008年の記事なのですが、当時ブログを大幅にいじった時に、大量の記事を失ったり非公開設定に変わったりしてしまった余波で、非公開になっていたものです。再掲しました。)
 

posted by 石井力重 at 23:57 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記、価値観、仙台オススメ

2012年04月29日

行列にカラーモールを。

行列にカラーモールを.jpg

久々に、家族でお出かけをしていました。近所に、八木山ベニーランド、というのがあり、徒歩15分ぐらいなので歩いて朝から行きました。行楽シーズンなので結構な行列(とはいっても、東北で言う行列というのはかわいいもので10分から15分もまてばどんなものにも乗れますけれども)があります。

その時に、たまたまポケットにはいっていたカラーモールを取り出して、行列のたびに、手の中で、くいくいと、つくっていっては、ほら!と行列の終わるころに、ひとつ作り上げては子供たちに見せていました。こういう手先を使って没頭するような作業はもともとすきで、でも、無為にやると時間がもったいないので普段はしないですが、行列待ちのこの間はいいなと思いました。本を読んでしまうと会話はできませんが、これだと会話をしながら、歩きながらできますので。

見ていて子供たちもやりたくなって、貸して―、といってトライしてましたが、最初はなかなかうまくできなかったです。でもそのうち、うまくなりました。次女にはまだちょっと難しくてこねくり回してしまうだけでしたがそれでも、楽しそうで。

で、思ったのが、行列を楽しく過ごすには、カラーモールはいいな、ということです。

腕に二本ぐらいくくりつけておいて、行列待ちのたびに形を作って遊びます。大人でも結構没頭できます。モノづくり系、作品づくり系が好きな方は。遊園地とか公共の場にこれがいいのは、針だのガラスのおはじきだのは落としたりしたときに、遊園地の中で危ないですが、これだと急に番が来ても、ひねってポケットにねじ込めばそれで済みますし、軽くて人数分持ってくるのもまったく苦でないですし。出来上がったものはデジカメで撮れば一応の満足は得られます。可能ならば、紙芝居風にして、一つのストーリーにしても面白いかなと思いました。(たとえば桃太郎のシーン、シーン、を作って撮影し後でデジカメのデータを上のような感じに並べて、お話にするとか)

更におもったのは、アート系のイベントなら、行列が長すぎて待ち時間がストレスとなるような場では、カラーモールを一本ずつ配るのはどうだろうかと。コストといっても、300本で200円ぐらいですし、ゴミになるにはなりますが、たかがしてれています。あまりに没頭するようなものや会話を阻害するようなものは行列のストレス緩和の提供娯楽に向いていませんが、カラーモールや折り紙や塗り絵あたりは向いていると思います。そういう候補の中で、普段触れることの少ない素材のほうが新鮮さが高いだろうことと、絵は平たい場所を必要とし紙以外にも道具がいる点で、造形ワークをきれいにやれるものとしては、たぶん、これがベスト解かなと。(ワークショップや講演会の待ち時間の遊び道具として、モール1本&遊び方メモ、をいれておくのも面白いかと)
 
行列しているときに、後ろの子供たちも興味深そうだったので、多めに持ってきてあげられたらよかったなぁと思ったので、そんなアイデアを書いてみました。
 
posted by 石井力重 at 18:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記、価値観、仙台オススメ

2012年04月09日

時には、美術館で「感じ方のカタチ」に向き合う

金沢の朝です。
チェックアウトまで日記的なブログを少し書きます。

昨日は、白山(石川県)で仕事を終えて、あまりにつかれているので、東京経由仙台の陸路はちときついなと判断して、金沢に一泊しました(僕は、急に予定が変えられるように、ひたすらJRで移動するチケッチを買うので)

人は時間ができればいろいろしたくなる。

金沢21世紀美術館
http://www.kanazawa21.jp/

があるなあ、と思いだし、このところ全く休みがなかったので、夕方の5時間だけは「休み」ということにして、美術館に行ってきました。

写真を撮ってはいけないNGエリアの所は、私の見た心の表面に触れたものを、あとで夕飯をたべながらカードに書き出したものです。

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丸い美術館。

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カラーセロファンみたいな壁の中。歩くと見える色の重なりが変わり、ポップで楽しい。アイデア発想にいいなこういう回廊。

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中にプール。

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プールの中に人影。有名な、下が空洞のプールで、観光客そのものがオブジェで、この美術館の裏側には長い椅子がありますが外向きに座っている姿は陳列された現代人標本のよう。人もまたこの空間デザインの一部なりや。

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中で見たものを、外に出てバスを待つ間にさっと書いたもの。

そのあと、夜は、一人で夕飯を食べたので、いろいろ、頭の中の感じエリアから、引き出して書いてみました。

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最後の朗読とピアノ、というのは、初めての体験(私はこれまで朗読が好きじゃなかったのです)でした。

心がゆっくりとバランスを取り戻していくかのような素敵な時間でした。ピアノの演奏もまた、繊細に響く空間に満ちていく心の温かい反響の中に調べを力強くのせていく素敵なものでした。(たまたま帰りがけのピアニストさんにすれ違えたので、思わず声をかけて感謝を述べてしまいました)

夜は、北陸の魚を楽しめるところで食事をとりました。

私が出先でこうした行動をとることは珍しいです。

普通の旅先の夜は「ホテルでひたすらPCに向かって、アイデアワークを作る、原稿を書く」。よく遅くなってご飯を食べるけれど空いてないのでコンビニ弁当か、シリアル、あるいはファミレス。食べられるだけ幸せなことですが、短い時間でががっと食べてしまう割と、心の発展の面では、わびしい夜をいつも過ごします。(年間で100日以上旅の空なわけで、旅先だからと言って特別なことをしていると仕事が回らない、というのもあり)



心のデフラグというのは、いくつかの方法がそれぞれにありますね。お酒、の人もいるし、友人と話す、の人もいる。旅、の人もいる。読書にふけり、という人も。

私は、普段しないことをする、が1つの希望の回復呪文かなと思います。

旅先でまた美術館に行くかと言えばそうではないかもしれません。毎日新しいことを始めたい。そういう性質ですから。


さて、そろそろ、特急の電車に乗る時間です。

今日は、金沢→米原→東京→仙台というルートで、何百キロか、陸路を行きます。

posted by 石井力重 at 08:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記、価値観、仙台オススメ

2012年03月21日

刻まれた言葉を思い出す「1つずつ。」

私が、尊敬される企業のモデルとしている、中村ブレイスさん。その創業者の中村俊郎さんに2007年にお会いしに行ったときにいただいた言葉で、3つ、ずっと忘れずに、心に刻みつづけようと思った言葉があります。人生において、難局に立つたび、それを思い出します。

当時私はたずねました。

”大きな目標に向かって進み続けてきたのは相当な困難もあったかと思います。それを乗り越え、続けてこれが秘訣はなんですか?”と。

中村さんは言いました。

「一つずつやれば、必ずできる。
 3年5年でやろうとしない。
 10年20年かければ、必ず、できる」

その言葉は、深く私の中に刻まれました。

当時、私はたぶん、目を見開いて、”こくり”、としか、返事ができなかったと思います。そして、メモカードに言葉を書きとめました。

実は今、少し小さな難局にいます。

事業と復興。両方の発展が同時期に展開していて、時間的にひっ迫しています。できるかどうか可能性は未知数の大きな野望もあります。

ただ、一年二年程度成果をもとめて焦るのは無益だと、言葉を思い出し、思いました。

”10年、20年後の社会で、実れば、いいじゃないか。”

そこまで、とにかく、ぶれず、焦らず、休まず、行こう。今は、成果を持って理解を得ることが可能ではないことでも、自分が信じて徹する道の上にそれがあるならば、それでよし。
 
そんな風に思いました。
 

2007年の訪問記(2)
http://ishiirikie.jpn.org/article/9119642.html
 
 
posted by 石井力重 at 02:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記、価値観、仙台オススメ

2012年01月26日

九九の答え、というのは、1〜81までの数のうち、いくつを占めるのだろう?

夕食の時に、ふと、娘のテストを見ました。小2で掛け算を習うと、今は、掛け算の順番に正解・不正解、があるというので、教科書を借りて熟読してしまいました。「1ユニットあたりの内包数」を先に書く、というルールのようで、カケルの後ろに来るのは「そのユニット数」だということでした。掛け算の順番を決めてみた、というのは、『へー、面白いことを教科書を作る人は考えたもんだ』と、ひとしきり家族で議論していました。どんな数学的な思想に基づくのか。

さて、それはさておき、教科書をみていて、ふと、興味がわきました。

九九の解の構造01.jpg

九九の答え、というのは、1〜81までの数のうち、いくつを占めるのだろう?

3×7も、7×3も、21なので、九九の表の上には、何度も出てくる「答え」があるし、一方で5×5のような、九九の表の上で1度しか出現しないものもいくつかあります。その意味では、だいたい、1〜81の整数(81個の整数)の半分弱、ぐらいだろうか、と見通しを立てました。

地道に数えてみると、こうなることがわかりました。

九九の解の構造00.jpg

4回登場する数が「5個」ありました。
3回登場する数が「4個」ありました。
2回登場する数が「22個」ありました。
1回登場する数が「5個」ありました。

合計で「36個」でした。(44%)

81個の数のうち、36個しか、九九の答えとしては登場しない、というのは、「けっこう、スカスカなんだなぁ」という感じがしました。



〜 そして、長い余談 〜

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posted by 石井力重 at 00:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記、価値観、仙台オススメ

2011年10月03日

かけていない間も、何かが醸成されている。

懐かしい写真が出てきました。

SF.jpg

通信機器なんかろくになくったって、頭とメモ帳(テキストエディター)と、足があれば、仕事はできるなぁと、旅する日々で感じたのを、ふと思い出しました。

この写真は、『アイデアスイッチ』を書く半年前のころ。結局、この、アメリカへの旅の間には、1行たりとも、本の原稿となる文章は書けていなかったのですが、原稿が書けていないことと、本を作る仕事が進んでいないことは、少し違うようだ、と感じました。「かけていない間も、何かが醸成されている。」今思えば、そんな気がします。

posted by 石井力重 at 15:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記、価値観、仙台オススメ

2011年09月28日

行くほどに、道半ば

昨日は、大きな仕事(創造工学の講義とアイデアワークショップ)がありました。お客さんも、クリエイティブのプロの方々。

8時間、精一杯やらせてもらいました。

今も駆け出しですが、もっと駆け出しのころ、自分ができたことへの「自己評価」がある水準でありました。今はそれよりもずっと多くの事を提供し、規模も大きい、お客さんのレベルもプロぞろい、という場で、仕事のステージは、その上限をどんどんあげていると客観的には思います。が、しかし、自分ができたことへの「自己評価」の水準は、駆け出しのころよりも上がっているかと言えばそうでもありません、ずっとそのまま、己の技量の未熟さを振り返る夜を過ごします。

むしろ、駆け出しのころよりも、自分のした仕事に感じる「自己評価」(あるいは、自分満足、というべきものかもしれません)は、昔より下がっているかも。そんなことを、ふと思い、書を一枚書きました。


sho_20110927.JPG



道、というのは、進んだら、奥がもっとよく見えるようになる。
行くほどに、ここは、半ばに過ぎず。

と、感じるものだなぁと、思いました。

それでもなお、進もう。

それが、道を行く、という生き方だろう、と思いますから。


posted by 石井力重 at 14:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記、価値観、仙台オススメ

2011年09月27日

偶然、村上春樹さんの記事を目にする

少し文体を変えて書きます。

2011/9/28 深夜4時。もうすぐ明け方の、築地のビジネスホテルで、26日の新聞を読んでいる。

この日は大きな仕事が終わり夜中までやや興奮していた頭の静まるのを待って寝ようとしていたが、寝入りばなに隣室のお客が壁に激突したようで、強烈な音でハッと目が覚めて、寝そけてしまった。

情報端末でTwitterやメールをチェックして過ごすも、夜中になれど一向に眠れぬ。珍しい。

そう言えば前日と今日、エレベーターホール前にあった新聞をもらっていた。手付かずだったのでそれを読む。読んでみると、普段は読まない新聞社のもので興味をひかれる。

今日のをよみ、昨日のにも、手を伸ばす。めくっていくと、中頃に村上春樹さんの記事があった。94年ごろまでの作品はほぼ完璧に読んでいる。それ以降はほぼ完璧に読んでいない。持っていても読んでいない、ものもある。

僕にとって始めてのファン体験は村上春樹さんの作品だった。作品との出会いは東金駅。千葉の友人が通っていた高校の文化祭に遊びに行った帰り、電車を待つ間、英語の勉強をしてみようかと思い英語コーナーに行くと、面白そうな本があった。『羊をめぐる冒険』

いきなり英語版は大変そうだ、と追うことで英語版は戻し、原著、つまり日本語版を買った。実はこれきり英語の勉強はさっぱりしていない。受験英語を受験生時代にするが、本の英語はやらずじまい。ここが分岐点だったかもしれない。羊をめぐる冒険、を読み終えた僕は、英語版を買う代わりに、村上春樹さんの、『風の歌を聴け』、を買ってしまった。英語の学習より、村上春樹ワールドにすっかりはまり、引き込まれて行った。高校生のうちに、『遠い太鼓』、のような分厚い海外生活記も読んでいった。ギリシャの熱い日差し、地元の定食屋で焼いてもらう白身魚に醤油を持参してかける村上春樹さんの姿を印象深く覚えている。

ただ、当然のことながら一人の作家の作品というのは有限である。徐々に村上春樹さんの未読作品を見つけられなくなって行って、エッセイ本も読んだりした。『ランゲルハンス島の午後』、とか。

一浪したあと、仙台にある東北大に進む。大学二年生まではまさに、学生生活を謳歌する時期。友人との遊びもしたが、読書をして過ごす日曜日も多かった。そんな環境には『ノルウェーの森』、は最適だった。千葉の実家にハードカバーがあるのに、大学生協で文庫版も買って読む。

刺激を受けて、パスタぐらいは自分で茹でたりもした。今でも作れる料理はそれくらいだ。村上春樹さんの話しには良く、パスタをゆでているシーンが出てくる。

大学三年生に上がる頃、それは1995年頃のことだが、次第に、理系の院に進みたい僕は、小説よりも、パリティーとかの学術雑誌や、ファインマン物理学、などをよく読むようになった。村上春樹さんの作品を読みたいけれど、読んでしまって次の新刊が出るのをいまか、いまかと、待つのは辛いので、読まずにとっておくことにした。

この時を境に、再び村上春樹ワールドに没頭する時間はずっと取れていない。新婚旅行では、三冊村上春樹さんの未読書を持って行ったが、読み切るまえに日本に帰って来てしまった。モルジブで読むにはディープに入りすぎるし、妻は読書が早いので、あっという間に自分の本は読み切り、暇を持て余していたから。

そんなこんなで、いま、2011年の九月末、たまたま、本来なら読まない新聞社の新聞社の、一日前の記事をつぶさに見る、という状況で、僕は、村上春樹さんの作品集のその後をしった。こんなに出ていたのか。

いまの僕には、あの頃ほど時間がない。でも、昔みたいにディープに本の世界に浸かる時間が実はまた、必要な時期なのではないか、と、記事を見て直感した。

『海辺のカフカ』、辺りを、帰りの新幹線では、手にしている自分を想像したら、ワクワクしている自分に気がつく。

僕は本を読むのが極度に遅い。行間を読むからだ。その時の主人公の気持ちになって行為の意味を想像しまくる。いまのような仕事をしているのも、そういう部分は関係しているだろう。

海辺のカフカ、それと、ブルースハープ。この二つは、旅の空でも、最小化した荷物に中にしばらくはずっとあるだろう。
posted by 石井力重 at 23:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記、価値観、仙台オススメ

2011年09月12日

歩く旅、夏らしい道

旅(長い出張)の間は、基本的に、電車か徒歩です。

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夏の空がまぶしい。

私が、各地で、伺う先は、ベンチャー企業から、大企業の本社や研究所まで、様々です。

大企業の研究所というのはだいたい、ちょっと街から離れていて、大きな敷地を持っています。駅から歩いて伺う時に、歩道橋やら地下道を通る場合は、iPadの地図がおかしい表示をするので、守衛門からずっと遠い所に出てしまうこともしばしば。

この時も、夏の空がまぶしい中を、旅の荷物を担いで、てくてく、と、行きました。

こういう風景のもう一つの特徴は、周囲に歩いている人がいない事。その場所に行く目的が非常に限られている場合、そういうエリアをリュックを背負ってうろうろしている人はめったにませんし、住宅地でもないので私服の人もわずかです。

守衛さんが見る、敷地内のカメラには、周辺を回ってくる私の姿が写っているんでしょう。それでも、あついなー、と思いながら、ただただ、歩くだけなのですが。

こういう写真の道を歩くたびに「日本らしい風景だな、これも、また」と思うのでした。

日本の夏。21世紀初頭、日本というのはこういう感じだった、という時代の記憶、に、いずれなるんでしょうかね。

posted by 石井力重 at 16:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記、価値観、仙台オススメ



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