大阪から城崎方面に向かう特急でしばらく北上した、兵庫県のとある場所に今日から滞在しています。今年最後の旅仕事ものっけから、面白いことが起こりました。
旅の始まりの「宮城〜兵庫」の移動に対して、今朝は飛行機を予約していました。
プラスのチャージを払ってしかも1C席。
フライトの90分前に自宅を車で出ました。
いつもは30〜35分で仙台空港に着きます。
が、今日は、空港への一本道で道路工事が行われていて、なんと60分。
ピーチのチェックインはオンラインではできず、チェックインのマシンが閉まるのはフライト30分前。
カウンターのある2Fに到着したのは、30分前をわずかに3分過ぎたところですが、すでにアウト。
私のほかにも、大量の人が同じ目にあったようで、カウンターをあけてくれと(ピーチに関係ない空港スタッフに)食い下がっている集団もいたりして、数分、そこで私も逡巡。
ただ、ダメだった時の移動は、プランBとして空港への道路で考えていたので、すぐに切り替えました。
仙台駅へ、その足で。
勝手知ったる新幹線移動であれば、目的地までの行動は一瞬で立案。
さて、自分を観察していて、次のようなことを思いました。
「ああ、人生で初めて、飛行機に乗り損ねたなぁ。」
↓
(ヘルシンキや台北からの帰りで、カウンターが長蛇の列になっていてもぎりぎりの所で乗れて、これまで一度も国際便を逃さないで入れたことは、当たり前じゃなく単に運がよかったのだ。あと30分余裕をみなくてはいけない。だいたいアクシデントがいつもおこるのだから。)
「ああ、ダブル(飛行機代+新幹線代)のコストだなぁ。」
↓
(フライトは変更ができるオプション付きを買おう。割高ではあるけれどもそれでよい。こういう事態に対応できるし、変則的に旅程が変わる私の仕事スタイルにあっている。今回、このフライトを抑えた後に出てきた東京の用事に対応できなかった。)
「ああ、飛行場往復の時間コストも無駄に消えた。」
↓
(下手な時間節約の考えで大きな時間が無駄になる。新幹線に比べて2時間の短縮になるはずが、結局、新幹線+余計な2時間が発生した。あるいは、自宅のそばにできた地下鉄+JRでいくと、短縮幅は1.5時間に下がるが、こういう事態は回避できただろう。)
と、痛手から何かしらを学んでいました。
(本音の部分では「苦手な飛行機に乗らないですんだな・・・」というのもあります。かつて苦手だった飛行機を克服しつつあるのですが、圧倒的に新幹線のほうが性に合うみたいで、比較でいえば、やっぱり飛行機はちょっと苦手です。)
そんな、こんながあって、結局今日も列車の中から富士山を眺めつつ旅仕事がスタートしました。
ただ、それはそれでおいておくとして、今日、久々に「人生初の出来事に遭遇したなぁ!」と心から思ったのでした。
そして、「そんなことって、42歳の今、年に何回あるのだろう」とも思いました。
もちろん、「人生で初めて、姫路駅に降り立った」とか「サグラダファミリアをようやく見られた」といった、頭で考えて出てくる「はじめて」は、それなりにあるのですけれど、心がドキドキして、さらに「ああ、」なんて感嘆詞付きのセリフが、自然とわいてくることって、なかなかないよなぁと。
子どもを育てていて、彼女らがいろんなものに、日々「初めて見た!」「初めて食べた!」という反応を返してくるのは、親としてはうれしいような、1人の人間としてうらやましいような、それで、かつて子供だった僕は彼女らをもっと喜ばせてあげたいような、そんな気分になります。
でも、大人だって、これぐらいのドタバタをすれば、そんな言葉に力の宿るような瞬間があるんです。
そして、そういうことって、新しいことをして失敗するなかには、結構あるような気もします。
以前と同じやり方で手堅くいくと、出会えない何かが。
今日は、無駄をしましたが、すこし良いことを知りました。
無駄をしないように人生を来てしまうことが、人生をもっとも無駄にしているのかもしれません。(とっても私見です。)