2015年02月25日

震災からずっとふさがれていた青葉城址の道が通行再開。

2015年2月25日。311の震災から、1447日目。

仙台の青葉城址の道(仙台市内と八木山を結ぶ道)が、昼からいよいよ通行可能になりました。

震災後、人々の予想と期待をはるかに上回る期間、青葉城址の道が封鎖される、と聞いたのは、確か、震災から数ヶ月した、初夏か秋の頃だったと思います。

「数年は復旧のめどが立たない」と聞いて、それは不便だなぁ、、、と。ただ、震災で誰もが困っていたので痛みは共有していて、まあ、やむなしと。

(歴史的な石垣が崩れ、市道をふさいだため、文化的な建築物の修復を伴うため、たんなる土木作業とはいかなかった、と聞いています。)

数年にわたり、封鎖されていたためすっかりそこを通る感覚も消えていたのですが、今日、開通を(勝手に)祝って、通ってきました。

青葉城址、開通.jpg

震災前よりも、道が良くなっていました。




助手席に座っている妻が取ったため、カメラアングルがぐるんぐるんしています。
車線をはみ出して運転しているように見えるところもありますが、車線の内側、時速は法定30kmで走っています。

さて、開通を心待ちにしていた間、ずっと気になっていた「通行の難所」があります。ここは直ったのか。

ビデオでは1:35秒あたりから。(ただし肝心の所はあまり、写っておりません・・・)

「せせり出ている城壁」、昔に比べていくらか通りやすくなっていますが、依然として、相互に一台ずつ通行する、譲り合いの必要な道幅でした。

崖の脇&城壁、という地理的困難さから、さほど道を広げられなかったのだろうと思います。

ただ、難所の前後の道幅は、幾分広げてくれているように思います。その分、譲り合いの余裕幅ができているようにも見えました。

震災からこっち、いろんなものが直りました。

物理的な復旧。社会運営というシステムの復旧。人々の体の回復。生活の回復、心の回復。

・・・と、復旧の途上をずっとたどってきた4年間でした。

それでも、封鎖されたままの青葉城址は、仙台市内に見られる震災の爪あとでした。ですが、これでひとつの区切りとなりましょう。

冬が終わり春に向かう、晴天の暖かくなった良い日和に再開しましたね。


余談:

ちなみに、本当にどうでもいいことなのですが、震災の日の朝、僕は「2011も3も11も、全て素数だなぁ」と思っていました。あれから経過した日数、1447も、また、素数だなと思っていました。他の人には実にどうでも良い話なのですが。
posted by 石井力重 at 16:57 | 日記、価値観、仙台オススメ

2013年04月01日

社会人とは

昔、人から聞いた言葉で、”ああ、突き詰めるとそうだなぁ”、と思う言葉があります。

「社会人とは、夢を社会化していく人である」

今でも、ずっとそうありたいなぁと、思います。

夢を、ほんの少しずつでも、社会化していく日々を。

今年も、来年も、再来年も。
 
posted by 石井力重 at 23:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記、価値観、仙台オススメ

2012年12月12日

なすべき努力をしなくては、と、思わせる

いま、あるプロジェクトを立ち上げようと動いています。

私は例によって事務手続きが苦手で、自分の専門のところを深く取り組むことで参画させてもらっていますが、イベントの告知において、私が受け持つ部分の情報がざっくり概要レベルででしか共有していないので、広報活動において情報が少ない状態になってしまっていて、急がねばならないなーと思っていました。

そんな中でもどんどん用事は飛び込んできて、朝一に開いたファイルがつかず、という状態を過ごしています。

そんな折に、広報の次の発信がなされて、情報がない中なりに、魅力的に書いてくださったなー、よく情報がこれほど少ないなかでうまくポイントをついて表現していただいたなー、これはなすべき努力を最大限してくださっているなー、と、読んでいて、しみじみしていました。

そして、強く、思うわけです。

「僕も、なすべき努力をしなくては」

と。

相手がなかなか情報や企画書を挙げてこない時に、なかなかできることではないですが、使いうる材料で最大限のことをして自分の努力の中でベストを尽くしていくこと。それは相手に、自分も動き出さなきゃ、と強く想起させる方法だなぁと、自分の怠惰をいったん棚の上においておいて、自己観察をしていてそう思いました。


その私の上が方が少ない中でもよい発信を展開してくださっている活動とはこちらです。(Facebookのページなのでアカウントのない人は開けないかもしれません。)


というわけで、全力で頑張ります!関係各位、しばしお待ちを。
参加してくれた人がそれぞれに別のニーズに沿って挑戦する時に役立つものを持って帰ってもらえるような、そんな場に、しましょう。

posted by 石井力重 at 21:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記、価値観、仙台オススメ

2012年12月08日

入眠時のお気に入りの方法

入眠時に、長い時間意識がある場合は、次のことをします。そうすると、いつの間にか眠ってしまいます。最近、お気に入りの方法が増えたのもあり、少し紹介する。

1.素数を数える。

素数です。何でも割れない真理的な数です。英語ではPrime Numberといいます。これを、数直線上に向かって歩きながら見つけていきます。2,3,5,7,11・・・と。眠くないと97までの素数(25個ある)は、あっという間ですが、三ケタになると、こんこん叩いてよく耳を澄ませないといけないので、面白くなります。

2.9×9を拡張して19×19のテーブルを暗唱する。

たとえば、3の段だと、3×1、3×2、・・・、3×17、3×18、3×19、としていきます。一桁×二桁は難しくありませんが、私は高次の掛け算を暗算でするのは得意ではないので、二桁×二桁の所は少し苦労します。そこで、(10+a)(10+b)=100+(a+b)10+ab、と展開して、分解して計算していきます。


以上です。

数学なんて頭が痛いだけだ、という人にはわけがわからない趣味でしょうけれど、数学という体系は、ある種の脳の構造を持った人にとってはデザインされた庭園の清水の流れにもにた、美しさからくる端麗さがあります。あるいは、調和した音の体系にも似ています。

(さらにどうでもいい余談なのですが、19×19を暗唱しようとし始めたのは、400以下の素数の平原をもっと眺めたいという思いや、19×19の表では1〜400のうち、いくつが出現するのか、という疑問を持ったことがきっかけです。)
posted by 石井力重 at 01:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記、価値観、仙台オススメ

2012年12月06日

器用でないから、デザインし努力する

今日は内面的な、日記的なものを記します。

私は自分の全体的な能力は平凡なものだと思います。

人よりすこし得意な事、没頭できる好きな事、は、あります。だた、その力をいつでもどんな時でも即時活用できるわけでもなく、あまり器用ではないなと思います。他の人なら気にせず我慢できることでも、上手く対応できないことがあります。例えば、自分以外の人間の話声がする場所でしゃべることです。幾重にも重なりざわめきの中へと一個一個が解けているようなものはいいのですが、静かな空間に二組の客がいて、一方が私たちで、一方が他の人だと、その方々の会話が続いている間は、とても話しにくく、すこし聞き取りにくくなります。脳の特徴がそうなんだろうと思います。

そういう脳の特徴を、若いビジネスマンだったころは、なんとか努力して頑張ろうとしていました。ある程度はクリアできたのですが、苦手なままでした。でも、それはとても疲れました。高い集中力を必要とするので、若いころは努力しているとよく眠たくもなりました。

今は少し努力の仕方が違います。

自分の能力にはでっぱりとへっこみがあります。均(なら)せば平凡な力でしかないと自覚しているのですが、へっこんでいる所は、裏返すと、ある場合におけるでっぱりにもなります。それがたぶん、連想や想像力という名称で呼ばれるものだと思います。そして、創造的イマジネーションの方法を、論理的にも創造工学の知見から知ることでいつも、プラス側に想像力を回転させることをするため、クリエイティビティ―の領域で、ある種の事業をできているのだと思います。

ちなみに、イマジネーションの大家であったオズボーンの考え方をベースに考えると、イマジネーションの力の強い人は、その回転方向が正方向であるか、逆方向であるかで、また、発露する思考の様態が違うだろうと思われます。回転数の早い想像エンジンの乗っている人は、正方向に回っている時には創造的な産物を生み出しますが、負方向にスイッチしてしまうと、とことん落ち込みます。暗い想像の先に立って更に暗く考えます。一般的になイマジネーションを裸の力として持っているだけだと、なにかのタイミングでスイッチが切り替わってしまう不安定さにさいなまされたりしています。これが大きい人ほど、そうである、ように見えます。

幸いなことに、私の場合は、創造工学の範疇にあたるもののなかには心理様式のこともかなりありさまざまな文献を読む機会があります。一つだけ書くならば、、プレイズファーストという原始的で根源的な概念を明示的にメンタルアティテュード(心構え)として持っていることで、このスイッチをいつも正側にしてこともできます。

創造的な思考が上手く回り始めないときには、心をガイドレールに乗せてその方向に引っ張っていくために何をすればいいのか、というのも、普段講演で伝える側なので、自分自身にそれを適用してみることができるので、意図的に創造的思考の状態に持っていくこともできます。(ある程度は、ですが。)

今私がしている努力は、昔の努力と違います。

自分の能力を知り、その能力が最も社会の役に立つのはどういう差し込み方だろうか、ということを、充分に調べ、仮説を立てて実践し、具体的にモノやサービスとして展開して、その軌道修正の中で、自分の努力や能力が、効果的に社会に役立つような形をしって、それに沿って努力をしています。

私はこれを、器用でないから、出来たのだと思います。

器用でないから、努力する。いろいろ試す。
そして、それだけじゃなく、努力が正しく生きるように、生き方、能力の活かし方、働き方をデザインする。
そして、そのうえで、努力をもっとする。

そういうプロセスだと思います。

短くいうならば、

 器用でないから、デザインし努力する。

と。



いまだに器用ではないので、自分自身が上手くいかせない場もいっぱいありますし、仕事のフィールドでも自分の脳の特徴にうまく合わない仕事をデザインしてしまうと、あまり高いクオリティーの仕事ができないときもあります。(それでも、高めるように、瞬発的に頑張りますが、そういう時にはすごく疲れます。)

私の隣接的な領域で仕事をしている人たちの活躍を見て、彼らの展開はすごいなあと思うところもありますが、自分がうまく能力を発揮できる場所を作り、そのうえで一生懸命やって社会に価値を提供してゆこう、といつも、地道に、志した道を愚直に歩いています。

私は自分自身は、職人のようなものだと思います。細い道を極めていく人であり、マルチタレントなところは、望めないなと。

もちろん、必要があれば、いろんな展開をするのは、ビジネス思考上、構想し、実現を試みるのですが、自分が苦手なことは人にお願いして自分はいつも、細い道を行こうとおもいます。多分、その方が、社会の付加価値の総量は多くなるでしょうから。

登壇する仕事、製品開発の仕事、メディアで何かを書く仕事、というのをしていると、他の人から華々しくみられている事もありますが、基本的には、そういう自分の特性の活かし方を知って、愚直な邁進、努力の日々です。
 
今日は、昨日、歯の神経を抜いたのもあり、一日書斎にこもり、ずっと、作る仕事をしていました。
 
posted by 石井力重 at 17:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記、価値観、仙台オススメ

2012年12月01日

幸せを入れる容器として、人生、をみる

人間の幸せのサイズというのは私はちょうど、胃袋みたいな形と大きさをしているのだと、常々思います。すこし、その所を一人語りしてみます。

happiness_tank_1.jpg

・・・

まず、言いたいことを、先にざっくり述べると、こうです。

「人間は自分だけを愛する時より、他の人も愛せるような時の方が、享受できる幸せの量は、大きい。」

・・・

(もうすこし、その背景に考えていることをつまびらかにかきます)

たとえ天下を取っても、、、という言葉として「立って半畳、寝て一畳、天下とっても二合半」というのがあります。

外挿して考えてみると、どんなにおなか一杯、世界の美味な料理を食べたとしても、胃袋がいっぱいになるまで精々100万円もつかえるかどうか。

仮に三食を食べて、長生きして100年間だとして、これらをかけると、

1,000,000*3*365*100

=109,500,000,000

つまり、1千億円。

住む家だって世界中の一等地や別荘地に家をもっていたって、毎日泊まり歩いても精々365件もあれば、一年に一泊できるかどうか。これが上限。

むしろ毎日移動するだけで忙しいなんてつまらないのでもっと少なくていいでしょう。

10億の家が300軒あったとして、3千億円。

それから、高額医療と言っても1千億円ぐらいと仮定する。

こうしてみると、一人の人間が自分のためだけに使えるお金は、生涯で5千億円。

人間の意識は広大な空間に住んで無限という概念を扱うこともできますが、身体をもちいた享楽には、有限の、それもかなり低い所に、限界があります。

荒っぽい計算ですが、5千億円、です。

happiness_tank_1b.jpg


幸せの器は、5千億円でうちどめ。

それ以上はあふれて容器に入らない。


しかし、もし、その人が、他者を愛するならば、話が少し違ってきます。

たとえば、一人の他者。愛する子供。子供をもっていて、その子が幸せいっぱいになるとき、脳はとても強い幸福を感じます。その相手が、2人、3人、5人、7人、、、とおおくなっていければ、それだけたくさんの幸せを感じることができます。もちろん、容器が広がると、その分、それを満たすための努力は大変になりますが、上限は上がります。

happiness_tank_2.jpg

自分用の容器は「胃袋」の形。でも、拡張できる容器は「人型」みたいなもので、そこにも、注いでいくことができる。なので、伴侶、家族、友人、もっともっと、広がって、お客さん、地域の隣人、まだ見ぬ同時代の人々、未来の子孫。。そういうところまで、人を愛することができれば、幸せの器は、満たしきれないほどの容積を持ちます。

happiness_tank_3.jpg

自分ひとりしか愛せなかったときに比べて、ずっとずっとたくさんの幸せを享受しながら生きることができます。


私は、よく、思うのです。

人生、というのは、本質的こういう「容器」なんだろう、と。

人の分まで人生を生きることはできない。しかし、人の容器も共有して自分の幸せの器に変えることはできる。

だから、人を愛そう。他人を愛そう。自分を愛そう。お客さんを愛そう。地域の人たちを愛そう。2030年ごろのまだ生まれていない人々も、愛想。

そう思うのです。


もちろん、人間は複雑なので他者を憎んだり拒むことも、マイクロ感情としてはあります。

あまりに忙しい時、心が枯れてエネルギーがない時、満員電車でえらい体勢になっている時、とかとか、、。

でも、それでも、人間はずっと同じ感情にはとどまりません。今日みたいな久々に書斎でじっくりと制作の仕事にとりかかり、家族で一緒に一緒に食事がとれるようなときには、いつも、志しの原点に返ってきます。

そういう時には、いつも、思います。

「他者を愛そう」

「顧客への圧倒的な愛が製品のフォルムに宿る。そういう仕事をし続けよう」

「なにより、いつも自分が幸せであるように努めよう。」
(そうでないと、嵐の夜の船上で自分が生きぬくことだけにまず注力してしまうから)

と。

利他主義というのは、滅私、じゃないと、私は思います。

利他主義というのは、「みんな幸せ。その中で自分もしっかり幸せに生きる。」ということだと。

そういう風に生きるほうが、世界狂乱の中で一人だけシェルターにこもって衣食住の幸せをいきるよりも、何倍も、ご飯は美味しい、心も未来も暖かい、から。


幸せを入れる器は胃袋の形。でも増設は可能。人型の容器をいくつもつなげて、いっぱい価値を作りとどけたり、いっぱい稼いでみんなでおなか一杯幸せです、という形にできたら、人間はとても大きな幸せを享受できる。


そんな風に思います。

(どこか宗教的なセリフですね、とよく言われますが、自分自身には何か特定の宗派や宗教を選択したり(否定したりも)しません。自分が信じる「律するための心の中の長き階段」その総体を私は、いつもことばにしています。それが、人からそういう風に見えるのかもしれません。)


posted by 石井力重 at 15:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記、価値観、仙台オススメ

2012年08月26日

この先を、考えたくなった。ポニョの物語

(前半)


ポニョの物語を、自分なりに分解して、続編を空想してみます。

ネタバレを含みますので、ご注意ください。
解釈は、多分に私の主観によるものです。不正確さもあります。正確なところは原典となる作品をご覧ください。

■ 分解してみる

物語原型論を基本的な視座として見てみる。
過去、今、近い未来、壁、乗り越える助けとなるもの、結末。この6要素を物語に当てはめて、要素を切り出す。

近い過去

ポニョ。海の奥の日々。好奇心にかられて水面へ。アクシデント。船を避け瓶にはまる。子供に拾われ、救出。

怪我した子供の血と傷をなめる。消える傷。子供は拾って帰る。幼稚園で見せるも歓迎されない。不吉の印とも言われ。

人を避け海辺へ。そこで、父親は魔力でポニョを取り返す。ポニョは手足を望む。そしてヒレを手足の原生的なものへ変化させる。父は魔力でその変化を元に戻す。水泡の中で気絶する。

現在

ポニョは目覚める。膜状の束縛を次々解く。影響が強すぎて、魔法の力の源の井戸も開く。その力で、ポニョはさらに力を得て、変身を進める。水の生き物に力が降り注ぐ。

子供に会いたい。妹たちと海上へ。嵐と大波の姿となって浜へ出る。子供達は水から逃げ家につく。人間の姿になったポニョもそこへ。ポニョは魚の子のポニョであることを告げる。

親子と嵐の中過ごす。ポニョは疲れてしまうと、嵐は収まる。子の母は他の人を心配して出ていく。残った子供はポニョと寝てしまう。海の女神が登場。ポニョの母。二人を見守る。

近い未来。

起きる。崖の上の家すれすれの水。街は水没。子はポニョと共に、母を探しに行く。魔法の力で、おもちゃの船を大きくし乗る。途中でポンポン船のエネルギーであるろうそくが消える。ポニョは眠りに落ちてしまう。子供は自力で船を泳いで進める。魔法が消え始め、陸につくと同時に船は元の大きさに戻ってしまう。

子供は母の車を道中発見する。不安。ポニョの慰めで進む。歩きながらポニョは、眠りに落ちてしまいそう。トンネルの闇の中、眠りに落ちつつあるポニョは、半魚人に戻り始める。子供は走ってトンネルを越え、水のある場所へ出る。ポニョは、魚の子に戻っていた。バケツに水を汲み、ポニョを入れる。



昨晩、ポニョの父は母に告げた。魔法の水が溢れ、世界の秩序が狂った。このままではいけない、と。

助けとなるもの。

母である女神はいう。ポニョを人間にしてしまえば良い、と。ただし、それには試練がある。果たしてどうか。失敗すると、水の泡になってしまう。

近い未来、続き

ポニョたちをポニョの父が迎えにくる。恐れて逃げる子供。世界の秩序は壊れつつある。時間が、ない。力づくで、水の中に連れていく。そこには、子供の母、ポニョの母がいる。

ポニョの母と子供は対峙する。三つの問を出す。子供は力強く答え、試練をクリアする。ポニョの母が魔法をかけてからいった。水上でポニョを包む水玉にキスを。そうすればポニョは人間になり、魔法を失う。と。

結末

場面が変わる。水没した場所にいた人々は水没をまぬがれた高台のある水上に上がっている。子供の父の船も無事に到着。ポニョが跳ねて、キスをする。水泡は弾け、人になる。

おしまい。

■ 石井の解釈

わかりやすい物語パターンとは違った構造がとても興味深いです。壁、そしてそれを超える、という、よくある「物語の推進力」とは違った大きな推進力がこの作品の中にはあります。壁となるものも一応かきましたが、特徴的なのは、壁となるもの(世界の秩序が乱れ、世界が破滅に向かいつつあること)を、主人公の二人がほぼ感知していないままに、話が進み、主人公の一人である子供が毅然と問いに答えることで世界が救われ、ポニョは、人になれる、という「解決」を達成しています。

通常の物語では、主人公は必死に苦労しながら、壁を越えようとし、辛くも解決をもぎとります。見ている人は一緒にどきどきし、情熱や愛や仲間の献身に感情を揺さぶられ、達成の高揚感を得ます。一方、ポニョは、そういうストーリーエンジンとは別の推進力で視聴者を惹きつけ先へ先へと進んで行きます。

それがなんであるのかは、私はわかりません。あるのはわかるのですが、分解して要素のようにいえば、間違っているような感じになりそうです。人間の魂はなんであるのか、と問われて、分解して、タンパク質と水分とカルシュウムと、、、で、できています、といっても正しくないように。

昨晩、旅先のホテルのテレビで、はじめてポニョをみて、何とも言えない奇妙な感じがしました。最後まで惹きつけられ、面白かった。のは確かですが、どういえばいいのか。奇妙な読後感、というか。読、というのは適切でないですが。


(後半)



■ この先を考えたくなった

良い作品は時に人に主人公のその先を知りたくさせるものです。私はポニョのその後がしりたい。でも、作品というのはそこで終わるべくして終わっているべき。なので、自分で考えます。

ポニョの戸籍:
ポニョは、子供のうちで一緒に生活することに。問題は、このこの戸籍。養子縁組をしようにも戸籍がない。正直に村の役場にいう彼ら。窓口は混乱。役場の村長さんが昔の人面魚のあとにあった話を知っていた。そこで、この子は、嵐で海から流れ着いた。身元引受人に、この家族になってもらい、暫定的な戸籍相当の処置をする。

ポニョの知性:
ポニョは、ものすごい勢いで、人間の言葉を獲得した。
父が言語を使って話していたこともあり、言語中枢がある程度あったことも影響しているが、本能的に未知の言語ユーザと会話ができる知性上の特徴を持っていた。赤ん坊とコミュニケーションし、時には動物とも会話をしている節がある。
人間の習慣は、ソウスケの模倣をしてほどなく問題はなくなった。

暖かい、見えない守護:
物語の世界でよくあるのは、人ならざる娘が人間になった場合、2つのことが続いて起こりがち。一つは、人ならざる時代の記憶を失い、自分を人間だと思いこめるようになる。ポニョは、残っていそう。もう一つある。親兄弟が、影ながら、人間の寿命が尽きるまで見守る。人ならざるものは人の寿命よりずっと長いことが多い。人間になれば、死にやすい。それを影から見守り、気がつかれないように、護ってくれる。海辺の街は水害から守られる。ポニョの育ての親となったソウスケの父の船は世界中どこを航海しても必ず生還する。ポニョを養育することで経済負担は増えるが、父の仕事は徐々に伸び、養育費は問題ではなくなる。
ただし、人間の子供同士の喧嘩やいじめは、海からは手が出せない。そこは、ソウスケが、救っていく。

ポニョの将来:
ポニョは、港町の牧歌的な、街のマスコットキャラクターのように愛される屈託のない女性に育つ。ただ、魚を扱う仕事にはつかない。本能的に、海の仲間の売買する営みを避ける。ポニョは魔法を失った。しかし、独特の知性を持っている。赤ん坊や動物とも会話をでき、多言語を非常に短い時間で使えるようになるサヴァン症候群的な素地を持っていた。それを活かすような仕事をこの街の崖の上ではじめたいと思いつつある。
ソウスケとは、健全な付き合いをして、二人でこの街の自宅のしたの土地に、小さな仕事場を作りたいと考えている。

ソウスケの将来:
ソウスケはまっすぐな男性に育っていく。そこに惹かれる娘も出てくるが、ソウスケはそうしたことに興味がなく、男友達のように遊び転げているポニョとの関係が楽しく、気楽で、ずっとこうしていたいと思っている。ソウスケはあのあと、自分の傷の治癒が非常に早いことに気がついた。ある時、包丁で指先を切ってしまうが、消毒しているうちにふさがってしまった。ポニョをかばって骨折してしまった時も、二日で完全に治り、医者が驚く。しかし、本人はあまり気にしていない。若いからな、と。

■ 想像した続き

成人した二人は、崖の上の家をしたの斜面に建てましして、看板を打ち付けている。そこには、Pon & Sos Company と書かれている。

ポニョは、魔女の宅急便に出てくる画家の女性に似た姿、ソウスケは、父に似ている。

二人のところには、困りごとを抱えた人が訪ねてくる。

猫が急に懐かなくなったという。ポニョは、猫と会話する。原因を教える。

船の人手が足りない、ということで、二泊三日の漁に呼ばれる。ソウスケは、船乗りだった父の影響で、センスがある。嵐の時期でも、ソウスケが乗ると不思議と海が穏やかになり重宝される。

でも、高齢者宅の電球の交換や庭木の剪定など、平和な平凡な仕事が大半だ。ソウスケは多少の切り傷は瞬時に治るので、助かっている。

そんなある日、大きな事件が起こる。

人間の文明はある科学技術で最先端の発電方式を開発する。港町でのテスト設備を作る。街はお祭り騒ぎに湧く。が、それがある日、偶然が傘なり、過剰動作してしまう。それが原因で、街への道が土砂崩れで孤立する。うん悪く、消防や救急は隣町に応援で出動していた。街にもどってこれない。

ますます、設備はオーバーロードをしていく。このままでは、設備が壊れる。科学技術の専門家たちから電話が入る。状況を伝える。沈黙ーー。最悪の事態へまっすぐ進んでいる。それが壊れた場合、周辺数百キロの街が危険にさらされる。と。

停止させるには三つの作業がいる。電話で聞かせてもらった。ソウスケは、基礎工事や建築の手伝いも呼ばれていて、間取りや配線はわかる。しかし生身では危ない。だからといって、専門家の到着を待てば、もう手遅れになるタイミングまで、インジゲーターは進んでいる。

僕がいくしかない。

ソウスケは装置を止めにはいる。爆ぜる電線が頬をかすめる。それでも、何とか、一つ目は解除。さらに奥へ。熱い。焼け付く扉をあけ、熱で変形しているレバーを力の限り押し下げる。皮のグローブが煙を上げる。何とか、それも解除された。その瞬間、周囲の崩落が起こる。

倒れ、動かないソウスケ。ポニョは、そとから、見守る。動物たちの声を聞き、毛が逆立つ。もう、ソウスケがなかにいちゃいけない。走りながら、桶を奪って水をかぶるポニョ。中は火の海。熱で朦朧状態になるポニョ。最後の力をふりしぼり、叫ぶ。

ソウスケは声で目が覚める。あらかたからだが動く。折れていた骨がもう治りつつある。痛みを堪えて、這い出す。ポニョを見つける。背負う。軽い。どきっと振り返るソウスケ。一瞬の静寂のあと、前を向く。落ちている防火布をマントのように羽織る。そして、崩れた出口をさけ、煙から逃げるうちに、冷却装置の生きている最重要エリアにたどり着く。非常装置の出すスプリンクラーの水が二人をつつむ。水がかかると、目覚めるポニョ。ずしっと重くなる。

ソウスケはいう。脱出ハッチを開けるには、三つ目を止めるしかない。と。

最後の制御装置は正常に機能したかに見えたが、ケーブルが爆ぜてしまう。残ったケーブルでつなぎかえるが、電流のおおきさから抜けてしまいそう。ソウスケはポニョにレバーを頼み自分はケーブルを押さえつけた。

さあ、今だ!

できない。

頼む、この街の人々を、世界を救ってくれ。

でも、そうしたら、ソウスケが。

大丈夫だ、早く!

(冷却装置が死ぬ。機器のランプが消え始める。)

ポニョは、意を決っする。

一気に下げる。制御装置は通電し、停止機構が動き出す。完全自動停止の開始まであと10秒。押さえるケーブルが引っ張られる、抜けそう。抜けないように思い切りつなげるソウスケ。熱で手が焦げている。熱と電流で満身創痍、意識が遠のく。

そこに抱きつくポニョ。ソウスケにキスをする。

ソウスケの傷が消える。

そして、カウントはゼロ。自動停止が起動。二人をのせた脱出シュートで海辺へ。転げて、寝転んだまま、空を見上げる二人。

ポニョの輪郭がぼやける。泡立つ瞳。抱きしめる。が、水になり、海に流れてしまう。みずたまりに、ソウスケのなみだがおちる。波紋が広がり笑ったように見えた。ソウスケは小瓶に水をすくう。

場面は変わって、年老いたソウスケ。

あのオフィスで街の子供達に話を聞かせている。

子供達は、今までの話を、えー!かわいそう、と言いながら聞いている。ソウスケは、まあそうさな、といい、壁際の小瓶をみる。中の水は笑うように、ちゃぷっと波を立てていた。

おしまい。


ーーー

これは、あくまでも、個人の想像としての、続きの世界です。ある種の良い物語は、そのお話をどう解釈するか、その先にどんなストーリーがあるのかを見た人一人一人が自由に考えることができるのだと、思います。

最後まで読んでくださった方がいらしたなら、ありがとうございました。

僕は、『魔女の宅急便』が大好きで、あの話を何度も見ています。でもその後の話をかんがえてみたのは、ポニョでした。奇妙な読後感は、ミステリアスで読者に謎の解き方をあたえる。そんなところがあるのかな、と思いました。読者、というのは正確な言い方ではないですけれど、僕にはそう表現した方がしっくりきますので。
posted by 石井力重 at 01:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記、価値観、仙台オススメ

2012年08月20日

目が出るダルマ

目が出るだるま.jpg

誕生日のほんの少し前、たぶん8月18日ぐらいだと思うのですが、鍵に付けていた「目が出るダルマ」がある晩、ころり、と紐がきれて取れました。

商社にいた時代に夢に向かってやめていく先輩にその場で差し上げて、その後、自分で買いなおしたものなのですが、たぶん、あれから8年ぐらいずっとこのダルマはそばにいました。18日の夜、外から帰り、まっくらな玄関で、なにか小石をけったな、とおもって、気になってみてみると、それが、このダルマでした。きれそうな予兆もなく、落ちたときの音もなく、気が付いたら足元にありました。

買った時のことをすっかり忘れましたが、確か紐が切れる時というのは、叶う時、だったと解釈しています。

ダルマさんに

「やろうとしていること。自信を持って、進め」

と背中を押されたような気がしました。


今は書斎の一番いい所に飾ってあります。
  
posted by 石井力重 at 20:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記、価値観、仙台オススメ



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