2012年07月28日

昔のメモ(知的疲弊)を、今の自分(基礎体力)が見た感想

昔、といっても、そんなに遠くない昔、とにかく、仕事が立て続けで旅の日々でワークショップとその製作を繰り返しつつ、さまざまな復興支援のことや、原稿書きや作品作りをしていた時に自分が書いたままにしていたメモを読み返してみました。

  • 疲れてくると、会話の力がよわくなる。
  • 疲れてくると、判断力が弱くなる。結果、よくない事態への対処が甘くなる。
  • 疲れてくると、タクシーとかフライトとかお金で解決しようとして高い方法を選ぶが、それが思い通りにいかないと最悪になる。思い通りにいっても、贅沢を楽しんだりできていない。
  • 疲れてくると、心に余裕がなくなる。電車や込み合う場所で会う人がみんな奪い合う敵に思えてくる。

今見ると相当な違和感があります。頑張って、つかれていたんだなぁと思います。
どうしても仕事が集中する時というのはありますが、疲れていると、疲れて少し暗い所にいるんだってことも、わからないのかもしれないなぁと、他人事のように思います。

ただ、首都圏の満員電車は、人間性を効率的に阻害する、ひどい環境なのであそこでこすれあううちに、デリケートな心の表面はかさぶたを繰り返し、感受性の低い、堅い皮をつくってしまうのは、健全な日々の今でもわかります。

その後にメモが2行続いています。

  • そういう時は、早くいったんシャワーを浴びに戻れ。
  • 疲れと心のギスギスを洗い流せ。

都内に宿をとって滞在していると、仕事の合間にホテルに戻れます。汗だくだったり、冷えて疲労がたまっている背中だったりに、熱湯を浴びてさっぱりすると不思議と、身体のリフレッシュが、精神的なリフレッシュにもなっていることを感じました。

本当はそのあと、転がって仮眠が取れると一番いいんでしょうけれど、そうはなかなか行きませんね。

いろいろ書きましたが、疲れてくると、会話の力が弱くなる、というのは、旅の日々で疲れがたまってくると如実に感じます。頭脳が明晰さを書いて、言いたいことが出てこなくなり、これは脳溢血かなんかじゃないのだろうか、とふと疑念がわくぐらいに、出てこなくなっていきます。

頭は疲れすぎると、疲れを感じる力すらも弱くなってしまう。加速していくものだ。そう、意識しておくと、日々の仕事二枚する日々の中でも、なすべきことがわかる気がします。普段はそういうことをデリケートに目を拡げて見つける機会もないので、すこし恥ずかしいですが当時のメモを公開してみました。

ちなみに、酒はすごく好きですが、疲れている時に費用を忘れるために飲むようなことはありません。一瞬は元気になりますがそれは、単に先送りしただけ。翌日により疲れがたまります。そういう時には、軽い運動をして、野菜の多い温かいご飯をしっかり食べ、風呂に入って、長い時間眠ること。それが一番だと思います。
 
( 追記:休暇を取り、疲れていない状態にするというのは、疲れることをうまく回避するための、マイ・ライフハック発見の効果があるのかもしれない、と最近、思います。 )
 
posted by 石井力重 at 18:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記、価値観、仙台オススメ

バランスボールをアウトドア用におろす

ball.jpg
サイズのわからない写真ですが、大きなボール(かつて、カヤック仙台支社に無理やり持ち込んだあのボール)を、外用におろしました。

私の書斎にはすでに一つあったので、もう一つの出番を探していたのですが、アウトドア用に思い切っておろしました。

小さい子供と球遊びをするのにも、この大きさだとそれなりに楽しく遊べます。

唯一の難点は、持ち運びの際に空気を抜く行為が面倒なことです。正確には、ピンが抜きにくいのです。

頻繁に抜く前提のものではないですからね。
 
posted by 石井力重 at 02:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記、価値観、仙台オススメ

2012年07月02日

怠惰が枯らせているもの

ふと、ときどき、自分の怠惰を思います。

仕事のある部分をサボったとして、そこで、手を抜いたとして、私は一体それで何を手にいれる?

知識やノウハウを出し惜しみして、大事にPCの奥底に眠らせたとして、それがいつか何かを生むのか?

今日ぐらい休みたいし休んでも誰も文句を言わないだろう、と、面倒な作業について思う自分がいます。それが面倒なのはなぜか?やりたい仕事の一部ではないのか。熟達していくことと、慣れて手を抜いてしまうことは、全く違う。他の人からは見分けがつかなかったとしても、自分の中のわくわくする子供の心はそれを見て、光のない目で己を見るだろう。そんなことをふと思っていました。

熟達し、なおも愚直に行く。

そういう生き方をしない限り、いずれどこかに限界が来る。満足は慢心を引き起こす。そうすると最初に枯れるものは、自分自身のキュリアスマインドだ。そして、肯定的心理様式が次いで枯れていき、何を見ても面白くないし他者の成果を見ても取るに足らないものと思える。多くの人々が愛すべき対象から、単に存在する世界の一部に代わる。顧客への圧倒的な愛が、自発的に湧いてくるものから、無理してそう持っていかねばならないという状態、つまり偽りの情熱になる。その先にあるものは、モチベーションの枯渇だ。それでも一定の仕事は技能上できるだろうが、顧客の輝く瞳を覗き込む瞬間はゼロになる。加速度的にその仕事に対して能力が発動されなくなる。才能は立ち止まり、劣化する。肉体の成長が止まっても、いやむしろ劣化を始めても、進み続ける達人の仕事はますます鬼気迫るものがある。肉体の劣化を超える才能の発展が人間には可能。たまたま幸運にも、才能を発露させる高性能のOSを積んでいた人間が、急速に才能を失うプロセスというのは、ただ一つ、怠惰、であろう。


私は自分の中の怠惰な心が嫌いです。自分自身の中にいつでも様子をうかがっていて表に躍り出ようとしている怠惰な心を最も憎んでいるからもしれません。そして、人間は共感性がありますが、怠惰心に蝕まれ自身の中のキュリアスマインドががっかりしきった心を持った人が発する感情を吸収することを嫌悪するからかもしれません。それに、私は人前で話すことが多い仕事をしていますが、私の中に怠惰があれば、多くの人にそういうものを無意識に共感伝搬させるでしょう。未来が今よりもっと明るいものであってほしい。そう本当に願うならば、自分の怠惰に抗するストイックな気持ちを持ち続ける必要がある、いつも、そう感じます。

自分の能力いっぱいで日々を生きる。仕事することだ。いつもいつも、怠惰な心の粒が出てきたときには、自分自身を厳しくしかりつけます。

そして、こうも思います。

怠惰な心を自由にさせておくというのは、ここまで進んでくる間に、助けてくれた人々(教えてくれ人、機会をくれた人、一緒に作ってきてくれた人)に感謝を欠いたことである。それはとても恐ろしい転落への始まりである。

と。

私は自分自身を弱い人間だと思います。だから、ストイックなまでに、こう思うのだろうと思います。普通の人は怠惰も含めて愛すべき人間らしさがあります。それでいいんだろうと思います。ただ、自分にそれを許すのはまだ、まだ、先の話です。
 
多くの人を愛する。

愛する人たちを幸せにしたいと強く願い、それを実現する方向に自分の能力をフルに使う。

タイトルの問い。その問いへの答えはこうであろうと思います。

怠惰が枯らせるものは、愛情。 
怠惰が枯らせるものは、才能。
怠惰が枯らせるものは、未来の可能性。

私はそう、思います。
 
posted by 石井力重 at 14:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記、価値観、仙台オススメ

最も優れた書斎は、旅立ちの一時間前のちゃちな机である

  • 長く滞在した宿でチェックアウトの用意ができ、出発まであと1時間ある時。
  • 長い列車の旅程を終えてあとは席を立つばかりの時。
  • これから長い旅に出るために必要な荷物をすべて詰めて身支度ができ玄関を出るまでの1時間。

この時間と空間に、世界で最良の書斎が出現する。ちゃちな机といすしかなかったとしても。

紡ぎだせなかったアイデアや企画たち、は、旅立つ前の刹那、何もない机の上に、たくさん出現する。
 
posted by 石井力重 at 13:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記、価値観、仙台オススメ

2012年06月25日

心の中の筆

文字と原稿の能力を回復させる、ということについて、最近感じたことがあります。

心の中の筆、という概念です。



書のリハビリをした


私は小学生のころ、書道が五段でした。ところが学校が上がりペンで早く書く癖が付きました。ペン字は乱れました。大人になるとさらにペン字は減り、時々役所で各書類の汚さに辟易しました。でも筆で書けば達筆!というひそかな自負がありました。しかしショックなことがありました。ある時友人の結婚式で、本物の筆があったので、名前と住所を書いてみると、ひどくみすぼらしい帳面汚しの文字があらわれました。習字の腕も消えてしまったのだと私は悲しく思いました。

もっと大人になり、今、iPadとそのアプリZenbrushで時々、デジタル上での習字をします。初めはひどいもんでしたが、ある時から、納得できる水準で書けるようになりました。そのある時というのは、心の目で白紙の上に文字を書いてみる、という作業を思い出した時です。

普通、書道であれば、硯に向かい、半紙を置き、文鎮で抑え、筆にすみをつけ硯のはらで筆を整えたら、すっと紙に書いていきます。その前に、筆を握らずに、半紙の上に腕を浮かせて実際に書くかのように、筆先を想像して腕を運んでいってもじを、心の中で書きます。いわば、「心の筆」で半紙に見えない文字を書きます。何度かやると、バランスが悪いな、とか、あ、ここがかすれてしまった、という感触が出てきます。そして、完璧な一枚が仕上げったら、本物の筆を握ります。これが本当に正しい練習方法かわかりませんが、少年時代の私が筆の運びをなんども想像して書いた方法でした。

その方法を思い出した後、何度か、いわばエア習字、をしていくうちに、均整のとれた文字が書けるようになりました。こうして、少しずつ、書道の腕に関するリハビリをしていきました。


原稿のリハビリも要る


私は最近、原稿を正しく書く能力を失っていたと思います。長い文章を書くと、前半と後半で主語が違っていました。主張したいことのポイントもあいまいでした。そして、ようやく書き出せた文章は、エッセイとしての基本構造を欠いたまま、私の外に出されていました。(このように書くと、他人事のようですが、悪いのは自分です)。そうなると、自分が書いた原稿が何かの誌面になった時にその質の悪さに読むこと辟易しました。美しい編集をしてくださるものにはほっとし、ほとんど無編集で通っている原稿には、あまり目を向けられなかったように思います。どうして文章を書く能力を失ってしまったのだろうと悲しい気持ちになりました。

そして、気が付きました。これは、書の能力を失っていた時代に感じた感覚に似ている、と。

私は最近、コミュニケーション重視の短文入力スタイルのWEBサービスをよく使っていました。そして多くの知らない方の文章も大量に見ている日々でした。その中では、なんども、なんども、矯正がかかります。より、反応のされる文章というのが、扇情的なものあったり、食べ物や小動物の話であったりします。私もそういう文章を自然と学習して使うようになります。そして、だんだんと、遂行や編集なしに、書き、公開するということになれて、それが原稿を書く行為にも大きな影響を与えてはじめました。

それはそれで、悪いことではないと思うので、これからもそれを使い続けます。ですが、私の中で、ここにきて取り戻したいと気が付けた感覚があります。それは、「心の中の筆で、書く」という行為です。

最近しがちだった「言いたいことを言い始めて最後の方で文章の主語すら変わっているようなねじれた文章」「文字数が足りなくなり、文章の後半がきわめて大雑把になっている文章」スタイルは、いずれも”書”で言えば、全体の構成を想起することなしに、一画目の線を引いてしまうようなものです。そして一画目に合わせて二画目も引きます。それをしていくと、半紙のサイズが足りなくなります。仕方ないので、後半側の部位を小さくして何とか書き上げます。それはいびつでひどい文字です。そこには文字情報という観点で言えば、必要十分な情報はありますが、書道というのはそれだけではありません。情報伝達の他に、手書きのフォントがまとうべきさまざまな非言語情報を含意しています。私は文章をかくにあたっても自分の最近の文章に全く同じような、いびつなものを感じて今いた。

ならば、解決への糸口は見えます。「心の中の筆で、原稿を書く」という行為です。


心の筆で、なんども、書く


何であれ何かしらのメッセージを伝える文章には基本構造があります。それはいくつかありますが、私が好きな構造は「物語構造論」的な構造です。これは説明的に表現するならば「障害と、助けと、たどり着く将来」という構造をしています。

そこで、その基本構造は、いわば、心の中の”半紙”です。まず最初にすることは、自分が表現したい概念をこの構造(半紙)の上に投影します。足りないところは補い、多すぎるところは削ぎます。なんどかしてみると自然とバランスの良い流れが見えてきます。こうすると、収拾のつかなさに悩んでしまうようなことがへり、言いたいことを、適度にバランスのある文章として紡ぎだせます。

もちろん、何千文字もの文章を頭の中で明確にかけるわけではありません。そういう大きな概念を書きたいときは、その大きな構造をまず作ります。考えは簡単なメモにします。それは、章立てとして生き残ることもあります。そして、次に、具体的に、心の中の筆で文字を書ける量≒1パラグラフ(200~400文字)毎に、文章を心の中の筆で何度も書き、バランスが取れたら吐き出します。こうすると、単にInformationの集合体という「編集のされていない”疑似”文章」を書きあげてから途方に暮れることがなくなります。そして、編集作業も基礎工事からやり直しということはすくなくなり、文章を書くことが楽しくなります。

美しい書を書けると、筆をすっと半紙におろすのが楽しくなります。書いたものは、本人にとって、字ではなく書になります。これと同じです。美しい文章を書けると、万年筆をすっとノートにおろすのが楽しくなります。書いたものは、本にとっては、文字列ではなく文章になります。


これから


今日、書いた2つの文章は、さほど、心の中の筆で何度も書いてみる、というプロセスを経ていません。まだ、「一画目からとにかく書いてしまう」文字列の集合体です。しかし、書きながら、思い出した「心筆」の概念は、徐々にいろんなところに根を伸ばして、徐々に文章を書く力を回復させてくれるでしょう。私自身があとでまた読みたいと思える文章を紡ぎだせるように、すこし落ち着いて文章を書いてみようと思います。
 




posted by 石井力重 at 17:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記、価値観、仙台オススメ

2012年06月14日

ノートの裏表紙


ノートを新しいものにするたび、書き写します。

人生は有限、だからこそ、命や人生は輝く瞬間がたくさんあるし、影や悲しみは、光やうれしいことの、コインの裏表の存在かと。

若いころから、石井家は短命でいつでも悔いのないように生きよ、という教えをもらって生きていました。

今日、実家の父の検査結果を聞いて、短命な家計というのは、やはり逃れられないものだと覚悟しました。代々の教えで、覚悟しているよりはずっと長く人生を歩めるようですが、現代の寿命水準からすると、平均に比べて、やはり短命傾向は覚悟しています。

普段は、このブログには、プライベートなことはほとんど書きませんが、日々、強く決意をしながら、生きています。ある日、予想よりもずっと早く、命が尽きるということを突き付けられたとしても、悔いがない毎日を、送る。今日も、明日も、明後日も。今この瞬間も。

まだまだ、社会に恩返ししなくちゃいけないこと、いっぱいあります。遠くを見据えて大きな構想を描きつつも、日々、完全にやりきる、そういう毎日を、ひたすらに、行こうと思うのです。

時々、仲間や知人各位に、不義理をしてしまっているなぁと、思うのですが、残された時間がたとえどれほどであっても、自分が世の中からつけてもらえた能力を最大効率で生かすために、最良の道を選んでいるのだと、温かく見守っていただけましたらば幸いです。

(ああ、出版社さんから、言われた原稿も、書かずに、ずるずる、、、一緒に作ろうと昔から声をかけてくださっている企業さんにも、また。。。すみません、すみません、と思いながら、全力疾走をする日々です。)

少なくとも、ある日突然、何の準備もなく、寿命が尽きたとしても、その時の僕も、きっと後悔は一粒も、ない。そういう生き方をして最後の時を送ったでしょう。娘や友人に言葉を残す間もない時には、このブログの、価値観・日記カテゴリーの所に、書いている文章が、そのかわりです。
 
posted by 石井力重 at 16:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記、価値観、仙台オススメ

2012年05月01日

狭いけれどもすべて知ることの大切さ

一芸に秀でる者は多芸に通ず。

ある道を極めた人はほかの達人と話すと結構会話が通じます。これは私はこう思います。狭い、つまり横幅がせまいのだとしても、縦軸をはじからはじまで埋めたことのある人は、別の領域でも推測ができるのであろう、と。

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(これは2008年の記事なのですが、当時ブログを大幅にいじった時に、大量の記事を失ったり非公開設定に変わったりしてしまった余波で、非公開になっていたものです。再掲しました。)
 

posted by 石井力重 at 23:57 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記、価値観、仙台オススメ

2012年04月29日

行列にカラーモールを。

行列にカラーモールを.jpg

久々に、家族でお出かけをしていました。近所に、八木山ベニーランド、というのがあり、徒歩15分ぐらいなので歩いて朝から行きました。行楽シーズンなので結構な行列(とはいっても、東北で言う行列というのはかわいいもので10分から15分もまてばどんなものにも乗れますけれども)があります。

その時に、たまたまポケットにはいっていたカラーモールを取り出して、行列のたびに、手の中で、くいくいと、つくっていっては、ほら!と行列の終わるころに、ひとつ作り上げては子供たちに見せていました。こういう手先を使って没頭するような作業はもともとすきで、でも、無為にやると時間がもったいないので普段はしないですが、行列待ちのこの間はいいなと思いました。本を読んでしまうと会話はできませんが、これだと会話をしながら、歩きながらできますので。

見ていて子供たちもやりたくなって、貸して―、といってトライしてましたが、最初はなかなかうまくできなかったです。でもそのうち、うまくなりました。次女にはまだちょっと難しくてこねくり回してしまうだけでしたがそれでも、楽しそうで。

で、思ったのが、行列を楽しく過ごすには、カラーモールはいいな、ということです。

腕に二本ぐらいくくりつけておいて、行列待ちのたびに形を作って遊びます。大人でも結構没頭できます。モノづくり系、作品づくり系が好きな方は。遊園地とか公共の場にこれがいいのは、針だのガラスのおはじきだのは落としたりしたときに、遊園地の中で危ないですが、これだと急に番が来ても、ひねってポケットにねじ込めばそれで済みますし、軽くて人数分持ってくるのもまったく苦でないですし。出来上がったものはデジカメで撮れば一応の満足は得られます。可能ならば、紙芝居風にして、一つのストーリーにしても面白いかなと思いました。(たとえば桃太郎のシーン、シーン、を作って撮影し後でデジカメのデータを上のような感じに並べて、お話にするとか)

更におもったのは、アート系のイベントなら、行列が長すぎて待ち時間がストレスとなるような場では、カラーモールを一本ずつ配るのはどうだろうかと。コストといっても、300本で200円ぐらいですし、ゴミになるにはなりますが、たかがしてれています。あまりに没頭するようなものや会話を阻害するようなものは行列のストレス緩和の提供娯楽に向いていませんが、カラーモールや折り紙や塗り絵あたりは向いていると思います。そういう候補の中で、普段触れることの少ない素材のほうが新鮮さが高いだろうことと、絵は平たい場所を必要とし紙以外にも道具がいる点で、造形ワークをきれいにやれるものとしては、たぶん、これがベスト解かなと。(ワークショップや講演会の待ち時間の遊び道具として、モール1本&遊び方メモ、をいれておくのも面白いかと)
 
行列しているときに、後ろの子供たちも興味深そうだったので、多めに持ってきてあげられたらよかったなぁと思ったので、そんなアイデアを書いてみました。
 
posted by 石井力重 at 18:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記、価値観、仙台オススメ



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