いま、北のほうに滞在しています。
ふと、気がついた、ことをメモしておこうとおきます。
◎ 創造的アイデアを出し、次に実現性をあげよ
脱皮した後の蟹はやわらかい。大きくなるにはその危うさの中を何度もゆけ。
◎ 苦手な部分は人と組め。アイデアを生み出す、鍛える、というフェーズも然り。
一人の中に複数の特性はある。時間で区切るか場所で思考を変えることも出来る。あるいは少し未来的だが、可能ならは、自分にある二面性を、コンピューターに吸い込ませて、二人のエージェントを出現させて、フェーズごとに壁うちを。人間は価値観の合う人の言葉は刺さる。
◎ 抜きん出た力がある人は、その力を利己に使わない。利他という使命に生きる。
才能は利己に使えば枯れていく。利他に使えば研がれてゆく。
才を知るものは財よりも尊しと知る。
ゆえに、その鋭き資質を使うは、利他となる。
◎ はっきりと仮説を述べる態度
見出した種がどんな果実になるのかは、育成の努力を投入した後に分かるもの。
失敗したらいやなので、正しいという確証がもてるまでぽっけから出さない、という思考は誰にでもある小利口な心。
しかし、努力なしに実りの結果を知ったときというのは、他者に先んじられたことに他ならない。
仮説は仮説であってよい。はっきりと仮説を述べる姿勢が、創造的な仕事をする人には必要。
◎ 紙に書く。これまさる金言なし。
人の思考空間は有限。作業領域は、短期記憶の箱の大きさでしかない。ひとつの目安が「20秒×7要素」。
長期記憶はHDDに似ている。拡張メモリーに持つかえる。だから、作業領域よりも広い思考が出来るかのように思える。
しかし、高速処理を可能にしている本当のメモリーは、一度に扱える量が割りと小さい。
思いついたこと、懸念事項、関連する事実、無関係に想起されたこと、そうしたことは紙に書きとめよ。
書き留めたら、使える作業領域は広くなる。
◎ 手前にある凡庸なアイデアを出し尽くすと、奥のほうにある独創的なアイデアに手が届くようになる
フレドリック・ヘレンの言葉で言えば「アイデア・メーション(アイデアとインフォメーションの中間体)」の先へ、ということ。
いきなり、オリジナリティーのあるアイデアを出せる人も世の中に入る。最初に思いつくものが1/1000側のものを書く人物。凡人たるわれわれはそれに期待してはいけない。上澄みをどんどん捨てるがごとく、アイデア発想と言うのは、駄案百出の時間を最初はすごさねばならない。枯渇し何もでなくなった時には、掘りやすい土が終わっただけのこと。土がどいて、ようやく硬い岩に力をかけて引っこ抜くことが出来る。ただの石くれもあるが、金鉱石もある。
◎ 人に習う必要がないものを習うのは、若くしてフロンティアに突き進むため
武道にせよ、創造技法にせよ、何もなかった時代から人間は、能力を発揮してきていた。いつの時代も、熟達者たちは己の到達点までを振り返り「道」を編み出す。後輩が歩けるよう「学習可能なパターン集」を作ってきた。
独習でもたどきえる着く境地を人から習うは、ひとえに、若い時点でその到達点に立ち、さらに先へ進むためである。
そして。道を歩かせたなら、マスターとなった人はそこを離れるのが自然。守破離、の離。いわば、フロンティアに引いていく鉄道である。達人たちが引いたレールで最前まで行き、レールの終点からは今度は自分が開拓者となる。レールの上だけを正当な教義と神格化してしまい、道を切り開くことをを嫌がるのは、道の本質に悖(もと)ること。
◎ 人々を愛せ
創造的産物の3要素は、
「新規性」
「有用性(あるいは解決)」
「実現性(あるいは、巧緻性と統合)」
である。
他者を愛する強い気持ちが、目を開かせて世界を見させる。それが、新規な着想をもたらす。嫌世的姿勢では新しい着眼は望めない。
他者を愛する強い気持ちが、人の営みを具体的に想像させ、有用性を醸成させる。人を愛さぬ人が巡らすユーザシーンは冷たい。
他者を愛する強い気持ちが、丁寧にものを考えさせる。その”やさしさ”が、実現性をあげていく。
◎ 矛盾と同居できること
肯定的姿勢と、懐疑的姿勢。
新規性と実現性。
そういう相反的なものがひとつの箱に同居するのが、創造的仕事をする人の心。重層的な心理構造が、壁に風穴を開けていく。開いた穴からついていくだけなれば、自己矛盾のないものごとだけを手にして生きることも出来るが、創造的仕事を日々なす人は、矛盾と同居できる強い胆力が必要。
ベンチャー成長の原動力も、アンバランスな事業資源の構造である。何か強みがある。他は弱い。企業としてバランスが悪いとき、出っ張りを小さく刈り込めは育たず。出っ張りにあわせて他も拡張していく中に事業成長がある。
◎ イマジネーションの反射材は、人のみ
人間が発露させる才能からエネルギーを得て、自身が励起され、エネルギーを発散させる。そういうことが出来る「反射材」は、人間、しかも、自分と大きく想像的な感性が合う人物だけである。おいしい食物、美しい工業製品、は、良いものだが、決して己の創造力の原資たる想像力を反射してはくれない。人だけが、共鳴増幅を実現できる。創造的に生きるなら、長く同じ方向に行く友人を作れ。
◎ 創造的孤独
何かを生み出す最初の段階では、大量のインプット(刺激)に次いで、”創造的孤独”、とでも言うべき「ゼロからものが芽生えていく、一人の時間・空間」がいる。発芽したての種を掘り出してきた風にさらせば枯れてしまう。孵化する前の卵を割って外気にさらしてしまえばヒヨコは死んでしまう。いつでも、着想を他者から批判されてそれに耐えるべきだ、というのは、荒っぽい考え方である。着想と言うのは原始の段階ではとても弱い存在で、温室である程度まで暖かく育ててやらねばならぬ。(自分自身の中に厳しい北風を持っている人は、しばらくそれを何とか麻痺させておかねばならぬ。判断遅延、あるいは、プレイズ・ファースト、ということを心がけよ。)
◎ クリエイティブ・カオス
机がごちゃごちゃ、無秩序に物も情報もアイデアもがたんまりある。そういう、いわば状態を”クリエイティブ・カオス”とよびたい。とっちらかった要素がテーブルの上にあると、意外な要素の組み合わせを心の中に誘発する。たとえば今は「はがれかけのラベル」と「インスタントコーヒー」が見える。もやもやとこれがつながり、視覚的イマジネーションを生む。コーヒーフレイバーを封入した紙コップ、店員が最後にラベルをはぐと、はじけるように香り高いコーヒーになる。そういう空想をする。そのエッセンス自体が生み出す何かに入るわけではないが、揺らきの水面が徐々に波たち、人を創作へと向かわせる。机の上が物だらけであることを許容しよう。(そして、時々、ゼロリセットして、毎週、新しいクリエイティブ・カオスを形成しよう。固定化されたら、揺らめきはたちにくい。)
◎ 物を手に入れ、物を手放す
物体がもたらす多様な五感刺激は、デジタルのおくの平たい美しさとは比較にならない。現地・現物には、デジタルでごっそりそぎ落とされたものがある。これをともすると忘れがちになる。無関係なものでもいい。持ってみて、もてあそんで、おいてみて、周辺視野においておく。それらがもたらす刺激が、物の購入価格の対価だ。食べて消えてしまうものでなければ、その刺激を感受しきったなら、有用に使ってくれる人に、回していく。(贈呈でも、売却でも。)手放しにくいものだけが残るならば、自分の持つ本質をそれらは教えてくれる。
◎ 既存の三つのはしごで表現する
人はまったく新規なことを手がかりなしには出来ない。何か新しいプロセスは、よく知る既存の行動要素(既存のはしご)で、近似してやる。一つ一つはなじみのあることを積み重ねて、目的にいたることは出来る。それらに慣れれば、新しいプロセスそのものを、「既存の行動要素」群のひとつとして、保有できるようになる。(ただし、それが進みすぎると、人に説明が出来なくなる。それを”ソレ”としか表現できなくなる。そのときには、この、既存のはしご、いくつかで、近似的に表現してやる、ということを知っていると、うまく分解できるようになる。)なお、はじめは、はしごは三つまでにする。ステップ数が7つを超えると、行動の総体を結像しにくくなる。3つにしてやると「お、結構簡単だな」となり、認知負担が少なくてすむ。どうしてもそれ以上いる場合は「3つ+α」という形でオプション化する。
◎ 道具は、「成果/努力」のレシオをあげるもの
知的生産の道具であれ、思考ツールであれ、授業コンテンツであれ、学習作業が大変で、努力の割りに実りが小さい、というのは、いけない。道具を伴った仕事から得る成果の総量を、努力の総量で割ったものは”1”よりもずっと大きくないといけない。1というのは、道具がなかった時のレシオをさす。
◎ 必要の3倍作り、次いで、これ以上削ると意味を持たない所まで削る
原稿を核にしろ、ボードゲームっぽい学習道具を作るにしろ、新しいコンテンツを作るなら、必要な量の3倍以上、”太らせよ”。そして、今度は、自分の産物を削る苦しさの時間を行け。削りに削り、これ以上削ると意味を成さなくなるところまで、である。冗長な言い回し、自己満足な論理展開、みんな剥ぎ取れ。いつ終わるか言えば、作る作業にかけた時間と同じだけの時間である。切れば血の出るような文章をつむぎだした人物の姿勢は実に厳しい。
◎ 再起動は定期的にせよ
時々、机を離れよ。なにも生産していないのに机にしがみついている状態(いわば、つくえしがみ虫、状態)のときは、ノートを閉じて、PCを落として、歩け。肉体の姿勢が変われば、意識が変わる。着眼点が変わる。再起動だけは、しがみ虫状態になった人間はしにくいもの。本当に乗っている時は、再起動をしようとするのは難しくない。そこを追い出されてもすぐにベンチを見つけてPCを開くあの感覚。乗っている時は、再起動後に垂直立ち上げできるもの。
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