先日、NHKの番組に、興味深いものがありました。
ためしてガッテンの、11月に放送された、リモート会議とうなづき、に関する回です。
テレビで行う実験の大半は、「実験方法がゆるく、主張を結論付けるだけの実験の仕方ではない」論が出るのは重々承知していますが、それでも中には「可能性をみるための事例として大いに参考になるデータ」を提供しているものもあります。
この日の放送は、そういう内容であり、メモを取りながら見ていました。
結論は「リモートではうなづきが減る」というもの。
具体的な数字が出ていましたので、グラフにしてみました。
数量はうなづきの回数を示しています。
時間は15分間です。
ブルーは、ビデオ会議。
オレンジは、対面会議。
バーの上の方に添えた数字は「ビデオ会議のうなづき回数/対面会議のうなづき回数」です。
比率によって黒か緑を用いて示しています。
被験者の性別と番号は、石井の方で付与しています。
便宜的に数字を3~5を付与していますが、意味はありません。
このデータが示すのは、「リモート会議は、対面会議に比べ、うなづき回数が大幅に減ってしまう(2割から4割ぐらいになる)」というものです。
このグラフを見ているうちに、何か2種類の系統があるような気がしました。
初めは、性差かなとおもい、つぶさにみると全体的に女性の方が、対面もリモートも回数が多めですが被験者の男性3名、女性3名では、そうでない例もはいっていて、何とも言えません。
いろいろ考えてみて、別の観点でもプロットしてみました。
横軸は、対面でのうなづき回数。
縦軸は、リモートでのうなづき回数。
こうしてみると、リモートと対面の回数の比率は、
0.2のラインと0.4のライン付近に点が多くあります。
先のグラフでも、黒と緑で数字を変えていましたが、このグラフにするとそれがより際立って見えました。
6人全員の平均は「0.3」ですが、そのライン付近にはプロットされた点はありません。
率直に読むと、
「リモートだと総じて減るけれど、減り方には2種類あり、ほとんどしなくなるタイプ(2割になる)と、半分弱になるタイプ(4割になる)がいるようです。
(補足:番組では6人の被験者が、15分ずつ「リモート会議」と「対面会議」をして、どれだけうなづいているかを人ごとにカウントしていました。示されていたのは1度目の数字(結果)の様です。実験は同様のものを3度行なったところ、同じような傾向であったと述べられていました。)
このデータから、
リモートでの会議は、うなづきが2割もしくは4割ぐらいに、下がる。
というのは、ある程度、参考になる数字だと思いました。
研究ノートとしてのブログはここまで。
以下、ほかの長い余談をつづります。
<<余談>>
〇 うなづきの権威
渡辺先生の「うなづき理論」の研究成果は、ぺこっぱ(話しかけるとお辞儀をする双葉のおもちゃ)として実用化されています。
10数年前、私がNEDOフェローをしていた時代に技術展示会で偶然お会いしています。渡辺先生自身がうなづきの権化のような方です。気さくでどんどん話を引き出してくれるような人柄でした。
〇 リモートはやりにくい、のは、うなづき担当で解消
「やりにくいと感じているリモート会議ではあるものが減っていました。それはうなづきです。これが減っているために話しにくいのです。そこで、うなづき担当者を入れると、話しやすくなると同時に、他の人もうなづく回数が増えます」ということで、うなづき担当を入れることを推奨していました。
論理展開をよく聞いていると「うなづきが減ったのは事実だが、リモートで減ったのは、果たしてうなづきだけなのか?」という原因切り分けはしていません。
なので「仮にその仮説を正だとしたら」と補って、番組後半を見るのが正しい味方になるかと思います。
そのうえで、「うなづき担当者」を入れると、話しやすくなるようなシーンが流れ、他の人のうなづきを増やしたようなシーンが入ります。これをもって、「うなづきを強制的に上げることで、リモート会議の話しにくさは解消される」という論理に展開しています。
これは、たぶんそうだろうな、と思う結論なので一見そのまま受け入れたいのですが、反対意見を作ってみることで仮説が鍛えられますので敢えて立てると、「うなづき担当により、喋りやすくなったことを、定量的に示せるか?」「うなづきの仕方や量によって、リモートのやりにくさを解消できる(対面と同等のやりやすさまで持って行ける)のか?」という質問がありえます。
特に先のグラフのように、2割にまで減っているタイプの人は、リモート会議で自然にうなづく頻度を強制的に5倍に高めねばなりません。だとしたら、どこでそのうなづきを入れるのだろうか、ということも検討余地のある要素です。
1回のうなづきの後適当に4回うなづく、という無機質な増量もあれば、「うなづくほどではないレベルの小さな納得要素にも頷く」という取り方もありそうです。
また対面だと他の人のうなづきに同調する力が強いため、「つられうなづき」もあるけれど、無機質に増やしたら、同調性が生み出す相乗効果を期待できないかもしれない、という点も気になります。
〇 厳密でなくても進むべし(石井私見)
うなづき、という行為は単純な首の上下動に思えて、割と複雑な関係要素がある「統合的な営み」だと、私は思うので、この辺は、突き詰めると何も言えなくなってしまうので、上記のような、問いは残るけれど、ある程度、仮定して進み、どこかで間違ったときにそこを疑いに戻ってくる、ぐらいの進み方がいいのだろうと思います。
さて、番組後半も興味深かったです。
ラッパーの方が、即興で韻を踏む回数を、邪魔したり促進したりする、という実験です。(ラッパーという職業があることに驚きましたが本題とそれるので先に進みます。)
ランダムな単語がタブレットに表示されると、ラッパーが4小節程度、即興で韻を踏むような歌を作ります。
いっぺんにたくさん韻を踏むことができ、純粋に芸能としてすごい!
次に、ラッパーの三本指を出してYoYoって回すあの身振りを禁じます。腕組みを解かないでやってもらうのです。
同じ実験をすると4小節で踏める韻の数は、4割ぐらいまで減ってしまいます。やりにくそうです。
次に、腕組みを解かない条件のまま、タブレットを提示する人(正面に立っています)が、リズムに合わせて、首をクイクイと上げ下げします。うなづき、とはちょっと違う行為に思えますが、観客がリズムに乗っているあの感じの「首くいくい」です。
すると、韻を踏めた数は劇的に改善。当初の数に近くなりました。
番組ではこれを、人は自分で動くことで言葉を紡ぎ出すためのリズムを作り出しているが、相手のうなづきも、同様に言葉を紡ぎ出すためのリズムを提供するのだ、という趣旨でまとめていました。
この辺になってくると、「面白い。でもいろんな原因切り分けをぶっ飛ばして結論付けたよね」という心の中の警鐘が鳴り響きます。
たくさんの、研究仮説の原石を見せてもらった気がします。正しいかどうかを確定するには、実験条件が足りない、というのは、こういう番組に対していうのは野暮ってもので、それをもっともっと精査していくのは気になった研究者の仕事だろうと思います。
(あるいは、もしかしたら渡辺先生の論文をつぶさに読むとこの辺の疑問への検証はすでにあるのかもしれません。番組なので最後に参考文献が示されたりしないのですが、科学番組だったらそういうのが出ても面白いですよね。けど、喜ぶ人は100人もいないか。。。)
この後半部を、仮説の上に仮説を立てて、好意的に受け取りにいきますと「人は言葉を紡ぎ出すときに、相槌を適切にもらうともっと、引き出せる。相手がいない時には、自分の手ぶり身振りでそのリズムを生成するか、そのほかの方法で、脳に対して適切なトリガーを与えてやれば、言葉をもっと引き出せる」ということはあるのかもしれません。
ブレストする時とか、講演者が興が乗ってくるときに、謎の手しぐさをします。
ろくろを回す、とよく揶揄したものですが、それは相手に対する空間図示ではなく、自分の脳のはずみ車を回すための行為である、ととらえるならば、「創造的思考に最適な手しぐさ」も開発しえるのではないだろうか?とさえ思います。