2018年03月08日

66日仮説

今日は、このブログには珍しいタイプの「報告」をつづります。

イギリスの論文

ユニバーシティー・カレッジ・ロンドンの研究者による習慣形成に関する論文があります。
「How are habits formed: Modelling habit formation in the real world」

要約しますと、

・多くの被験者に参加してもらい習慣形成までの日数を調べた。
・平均66日であった。最短18日、最長254日
・ただし、習慣化の課題は「飲むこと」あるいは「食べること」あるいは「運動」など

というものです。


66日仮説

こういう興味深い論文は、“又聞き”した人による「何の習慣化においても、同じく成り立つ。66日で習慣が形成できる」という【原典無視の拡大&断言】に変化しがちです。

しかし、有益な実践を導くかもしれない他領域への援用、として解釈するなら、一定の意味はあるでしょう。

私なりに仮説として、ここに言葉を定義しておきます。

『66日仮説』=『多くの物事において、取り組みを66日続けると習慣になる』

((補足))

実験と“66日仮説”を前提に話していることを文章ごとに逐一明記するならば、「実験で取り組まれた習慣化の課題は「飲むこと」あるいは「食べること」あるいは「運動」などでした。それを、「知的作業の習慣化」についても、援用できるならば、という仮説を前提にして、以下述べます。もしかしたらその仮説は正しくない可能性があることもあらかじめ申し上げておきます。」という趣旨の一文をつけるべきでしょう。ただカジュアル・コミュニケーションにおいて、140文字近く入れるのは、読みにくい・言いにくいので、『66日仮説』という一言に集約して、以降、石井は用います。


身をもって66日試してみた

さて、66日仮説。これが実際、どの程度成り立つのか?そして、66日も習慣化に取り組みを続けると、どういう変化が起こるのか、を知りたいと思い、トライしてみました。

取り組んだ習慣は「毎日1アイデアスケッチをかく」です。(実際のもの

「1月1日」にスタートしました。
さてその66日目は「3月7日」、つまり昨日でした。

習慣化したか?という中心的な命題に答えますと、「やや、はい。」です。

すこし細かい議論をつづります。

論文の中で「習慣化した」状態をどう調査しているのか。
それは、2003年ごろの論文に登場するものに準拠した方法とのこと。

習慣に関し12項目について被験者に回答をしてもらっています。7リッカートスケールで。

そこから、「習慣スコア」を算出します。

それが十分にさちった状態(時間遷移グラフが漸近的になる)をもって、習慣化をみています。

で、具体的にどんな項目か。

それは“‘I do automatically’, ‘I do without thinking’ and ‘I would find hard not to do’.”などであると記されています。
(・自動的にやった。・考えることなしにやった。・しないでおくのは困難だと気付いた。)

さて、その辺にあたるか?

アイデアスケッチを描く、というのは、非常に考える要素の多い作業であり、この定義だとやや当てはめにくいのですが、「しないでおくのは困難だと気付いた。」あたりは、ありかもしれません。

そのいみで、「やや、はい」です。

しないと、気持ち悪いというか、落ち着かない。そんな感じです。
(ただ、三日連続やらないでいたら、それも消えてしまうかもしれない感触です)


起こったこと

さて、この66日の間で、

・内面で起こったこと
・周囲に起こったこと
・物理的に起こったこと
・行動で起こったこと

の4側面から書いてみます。(この分類は、「内」「外」で分けてみて、もう少し、分解してみて、この観点があるな、として組んだ程度です。大きな理屈があるわけではありません。)

【内面で起こったこと】

  1. ・寝るまでの数時間になると、ノルマ実践のタイムリミットを感じる
  2. ・はじめて10日も過ぎると、アイデアが出なくて出なくて本当に苦しい日が連続した
  3. ・出なくて朝4時まで起きてしまったことがあった(特に、出張先で深酒した日は、その傾向が強い)
  4. ・詳細と素描は明日の自分に任せて、一行アイデアメモを書いて終わりでもよい、というルールに変更した
  5. ・新しい体験をした日はアイデアが思い付きやすい、という傾向を長期間の継続からかなり強く感じた
  6. ・日々の中に潜む「困りごと」「不快なこと」を発見できることがうれしいことになった
  7. ・困りごとに対してこんなものがあったらいいな、と安直に浮かぶものは大抵アマゾンか楽天に類似するものがあった。(それでも差異が大事な部分であれば、廃案にせず、採用した)
  8. ・寝不足の時には、インプットはできても、アウトプット(特に創造的なこと)はパフォーマンスが下がる、ということを実感した
  9. ・どんな思いつきでも、具体的な実現方法まで考えるようになった

【周囲に起こったこと】

  1. ・毎日、一アイデアスケッチを描き出す、という行為を認識し理解してくれるようになり、その作業中はほおっておいてもらえるようになった。娘たちが。
  2. ・毎日のノルマなので、やらないと、「やらないの?いいの?」と言われるようになった。娘たちに。

【物理的に起こったこと】

  1. ・(まずは、その辺にあるA5用紙と、0.7mm2Bシャーペンだけではじめたが)紙は、アイデアスケッチ最適化した用紙(Roku)になった。消せるカラーシャーペンを導入。消しゴムを導入(それまでは、シャーペンの消しゴム)。製図用の極細のシャーペン&極細消しゴム&カラー筆ペンを導入
  2. ・描き上げたものを(最初は、クリアファイルに入れていただけだったが)、スポンジケースに入れるようになり、Dリングファイルに入れるようになった
  3. ・居間の本棚に、アイデアスケッチのストック空間を作った(勝手に)

【行動で起こったこと】

  1. ・毎日、ほんの少しでもいいから、新しいものに触れよう、新しいことをしよう、という癖が形成された。
  2. ・お風呂の中で、何を考えるかは以前はその日次第であったが、アイデア醸成タイムになった
  3. ・夕飯が終わると、茶の間にペンと紙をもって座るようになった。
  4. ・旅先でも、なるべく毎日同じ時間帯に、ペンを握るようになった。
  5. ・(出先のカフェで、思いついたがアイデアスケッチ用紙がない時には、箸袋の裏にアイデアスケッチを描くことをしてからは、その張替え作業が面倒だと気付き)出先では用紙を折りたたんでポケットに入れておくようになった。
  6. ・絵でのアイデア図示がうまくなった
  7. ・文字を丁寧に書くようになり、うまくなった
  8. ・手書き時代(90年代のPCがなかったころ)のように漢字が書けるようになった
  9. ・落書きをするようになった。
  10. ・ネット上の絵を描くこつを閲覧したり、練習ソフト(DSの新・絵心教室)で、表現力を折に触れて学ぶようになった。
  11. ・発想したものがすでに存在していないか、ネットをつかって毎回調べるようになった。
  12. ・ネットを使って類似品があった場合、それを後で購入して、アイデアの参考にしてみるようになった。(最近は、ミトン型の掃除不繊維、というものを買った。)
  13. ・SNSに大きな目的ができた。毎日、長く閲覧していることがなくなった。(アイデアが出ない時は、SNSやスマートニュースを見て刺激を得る。回遊しアイデアがわいたら、そこでSNSを終えて作業に入る。描き上げ後にSNSに投稿して、その日は終了。)
  14. ・どうしても、望むレベルのアイデアにならない(駄案)時でも、ノルマの閉め切りがくるので、描き上げるようになった。(そういうアイデアが、SNSの反応がよかったりする。意外なもので。)
  15. ・直近24時間前を、つぶさに思い出してみる、という作業をするようになった。(やってみると、昼に外出したはずなのに夜にはすっかり忘れていることもある、と気づいた。)
  16. ・毎日、よく観察するようになった。気づきを増やそうとし。

そして、【継続のミソ】もあります。
上記にもそれは含まれていましたが、含まれないものを以下に記しておきます。

【継続のミソ】

  1. ・アイデアスケッチを、Instagramに上げてアイデアの中身に関連するハッシュタグつけて投稿。外国のクリエータがフィードバックをくれるたりするのでちょっとうれしい。
  2. ・Facebookに、アイデアへのセルフ・コメントをつけて投稿。おもに、実現上の懸念点とか。Facebookはこういうものに反応がかなり少ないけれど、コメントがあった時は、有益なものが多い。

以上、自己観察から起こったことを記しました。


67日目の今、思うこと

66日仮説は、ある程度有効な知見、いわゆる目安、としてとらえるならば、かなり良い知見であろうと思いました。

まずは66日続けてみる。

66日というのは、おおざっぱに言えば「2カ月+5日間」です。

  • 0.5カ月では、まだ全然、手ごたえ無し。
  • 1カ月を過ぎると、リズムがでてくる。でも、すぐに消えそう。
  • 1.5か月を過ぎると、かなり、その行為に自然に向き合うようになる。
  • 2カ月を過ぎると、自分の内面や周囲の環境や道具立てや行動が、確立してくる。
  • 66日で、「やめると、気持ち悪いというか、そわそわする」感じになる。

「アイデアスケッチを描く」は、かなり思考と手作業のハードルが高めのものですが、こんな感じです。取り組んでよかったなぁと純粋に思います。


挫折した取り組みも

同時にはじめて習慣にならなかったものもあります。

それはDSの『新・絵心教室』で絵を描く行為です。
1月1日から、毎日30分継続していたのですが、私の仕事スタイルは「仙台の書斎で、ワークショップの制作や、新製品開発」時期と、「カバンひとつで街から街へ旅仕事」時期があり、旅仕事時期はミニマル道具ゆえ、DSをもっていきません。

一週間ちょっとたって、仙台の自宅に戻ると、もうすっかり、取り組みのリズムが消えてしまっています。
そこから頑張るものの、最初の転がりだしの大変さ再び、という感じで、二度ほど旅仕事をしたら、すっかり、手に取ることもなくなりました。

ペンと紙だけあればすぐにできる。
「アイデアスケッチ」が続いたのは、そういう、アナログの即実行できる軽さがあったからかもしれません。


期間に関して、思ったこと

この66日の間、18とか66とかってちょっとした特性時間が存在しそうだな、と感じていました。“期間の固有値”みたいなものが。

まず。習慣化の特徴的な日数。
18日、66日、254日。

これらは、66日をベースにして、約1/4倍、約4倍、だなぁと。

間に、1/2と、2を補ってみると、
1/4倍、1/2倍、1倍、2倍、4倍は、
16.5日、33日、66日、132日、264日。

なんだか、この期間が、何かをシフトアップしていく、特性時間なんじゃないだろうか、と。

あるいは。

単純に
66日目は「3月7日」
132日目(2倍)は、「5月10日」
198日目(3倍)は、「7月17日」
264日目(4倍)は、「9月21日」
(すべて1月1日起点)
という区切りも、ありかと。


ちなみに、収納の面では、100日ずつでスケッチを束ねるので、
100日目、「4月10日」
200日目、「7月19日」
300日目、「10月27日」
あたりも、実践者には区切りの日になりそうです。


この先のこと

できる限り、続けます。

上記のいずれかのタイミングで、あるいは、意図して辞めたタイミングで、振り返りをまた記してみます。

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posted by 石井力重 at 21:03 | 研究(創造工学)/検討メモ&資料

2016年12月29日

発散と構造化のためのメモ用紙「猫の手」を実践しました(商業高校、12月下旬)

猫の手、という、発散的思考を促すメモ用紙を、作りました――、と11月の沖縄での学会で学会発表して来ました。そのツールを今度は高校の授業で、28人に使ってもらいました。

どんなふうに記入されたのかを、報告します。

【実施の状況】

◎発想のお題は”「行ってみたいところ」もしくは「やってみたいコト」”です。


◎作業手順は、一人作業、のちに、4人グループ作業

□ 一人作業(10分) (+休憩10分の内の各自の好みで数分)

nekonote_Phase1_solo.png

□グループ作業(20分)(人数は4人)

nekonote_Phase2_group.png

◎書かれた猫の手の総数:690枚
 (状況:4人グループ×7班)
 (一人当たり、24.6枚)
 (1枚あたり24秒)
 (※実際は、Phase2でも僅かに追加されているので、上記の単位あたりは若干の誤差があるので、目安数字。)

◎観察メモ:
 □ 一人の書き出しは黙々と行っていた。書くたびに連結する学生が多いが、まずは書き出して均等に並べてからくみ上げる学生も2割程度いた。
 □ グループでの共有では、だれかが主導的に自分のものを紹介し、都度、関連するものをほかの人が、1つもしくは連結単位で、挿しこみつつ、自分の考えを紹介していた。


(以下、分析と洞察をつづります。)


【考察】

彼らの半数は、マインドマップを学習していた。半数はしていなかった(あるいは、挙手するほどに理解や運用に自信がなかった)。という対称群である。大半は高校1年生。おもに商業を専攻している。

この作業は、初めてマインドマップを学ぶ人のための練習道具である、という位置づけで、行ってもらった。
マインドマップをどう書くかは、ここでは一切触れずに、猫の手のやり方のみを、説明した。
猫の手の説明方法は、上図のようなスモールステップを提示したうえで、1分弱の解説。

ソロワークとグループワークを終えたあと、マインドマップを実施してもらったところ、各グループ、上手くマインドマップを書き出すことができた。その後、猫の手の使用感想を、自由記述形式でアンケートを取った。

その結果、(猫の手を使っていたことで、そのあとの)マインドマップがスムーズに行えた、という意見が多く見られた。

また、猫の手自体への感想としては、「発散と構造化の分割ができることが良い」という意見や「あとで構造を直せるのできれいに仕上がり、捗る」というものが多く出た。(補足:これは、学会発表時に分析対象とした早稲田大学での主な感想群とほぼ合致したものであった。)


【追加の分析】

690枚をすべて回収して、使われ方に、なにか傾向がないかを、調べてみた。


◎向き

右向きに使われたもの(順向き):625枚(91%)
左向きに使われたもの(逆向き):65枚(9%)
説明図が右向きであることと、右利きが左手で押さえることから、自然と10:1の割合で、順方向に使われた。


◎内容の違い

右向きは:
 国内:408
 海外:207
 地球外:10
左向きは:
 国内:23
 海外:42
 地球外:0
国内:海外の比率は右向きが2:1に対し、左向きは逆になる。
地球外、というレアカテゴリーもあるが、これは右向きにのみ現れた。


◎加工

 大半の猫の手は差し込み部を折り返して使っていた。(自然に。)
 猫の手の肉球の穴に、複数毎を挿して使っていた。(可能であると冒頭に実演して見せてあった。)
 猫の手の肉球部分をもぎとって使っていたものが1つあった。(記入はされていた。左向き。)


【追加の分析に対する、考察】

形がもたらすアフォーダンスから、自然と順方向に使用されたとおもわれる。
なお、左利きの人については、書きにくさが高いのかもしれない。

左向き(逆向き)に書かれたものは、猫の手の広がり上、分岐エリアの空隙をもとめて自然と逆向き展開したものもあった。
特にグループワークでの追加時に。

左向きの方は、右に比べてマイナーカテゴリーが逆に多かった。
これが何を意味するのかは、現時点では不明だが、グループワークでの追加時になされた、と考えると、思いつきにくいものがグループ共有時に、増えたことを示唆するのかもしれない。


【その他】

各所で行ったワークから、説明はかなり簡略化している。一方で、どのようにさすかを、手元の書画カメラで写して、皆に10秒程度みてもらった。特に差し込む時に、コツがあり、それを皆に見てもらったのが大きいと感じた。
「肉球の切れ目に他の猫の手の剣先をそえて、ぺちり、と切れ目を押し下げながら差し込みます。」と。

これは、動画にしておいて、10秒で見て、皆にも、10秒で練習してもらってから、workに入るのがいいかもしれない。



【おわりに】

本講義に協力してくれた岐阜商業高校の皆さま、ありがとうございました。
posted by 石井力重 at 12:07 | 研究(創造工学)/検討メモ&資料

2016年04月23日

この時この立場にいる自分しかできないことに、邁進すること

使命、というものが現代にいきる我々一般人にあるだろうか、とか言えば、私はある、と思います。

使命を果たす、というのは、「この時この立場にいる自分しかできないことを洞察し、それに向かって邁進する」ことだろうとおもいます。
その過程で、いろんなお付き合いやしがらみをそぎ落としてでも、全力で進んでいくことも、覚悟をして。


そんな今の私の考えをつづってみます。

色んな人と良好な関係を保って、いろんなことを見たり学んだりしていくことは、いつでも大事なことだと思います。

しかし、私には、今もはっきりと思いだすシーンがあります。

『世界中の人を救おうだなんて思わないこと』

私の中の「尊敬される企業」の原風景となっている、N社の創業者さんに、今から10年前に意を決してお会いしに行ったときの会話の一つの言葉です。彼の事業は素晴らしいもので世界中のある種の人々に喜ばれるものを作っています。

彼の所には、顧客以外にも、色んな人が何らかの意味での支援を求めてきます。
高邁な企業文化とスキルに惹かれてやってきて、何らかの経営資源の提供を求めます。
それに全部答えていたら長期的な事業継続性が危うくなります。

彼は、圧倒的な人々への愛を持っているのと同時に、使命を長期的に果たすために、厳しい戒律のようなものをもっている。
当時の教えのワンシーン『世界中の人を救おうだなんて思わないこと』から、強く感じ取り、今も心にとめています。

10年前、駆け出しのころの私が彼にお会いし、一日一緒に過ごせた経験は、今も道を進むうえで大きな拠り所をくれています。
あらゆる人にいい顔をしようとしている時、それは「未来の顧客に不誠実なこと」である、と言い聞かせ、”八方美人の消耗”に陥ることをきっぱりと回避しています。


私は、ご縁があっていろんな人から知見、経験、人の縁をもらい、ある場所まで進んでいきました。

脳や知性の能力水準は凡骨であっても、狭い専門領域の圧倒的な経験量が、気質を育み、才能に似たものを形成してくれました。

もらっってきたものが結晶化しつつある。そのナニカを放置し自分の暗黙知として融解させてしまうこともできるし、もっと内観して人に共有する形にしていくとも出来そうにも、思えるようになりました。

今この時この立場にいて自分にしかできないことがあるの?と心の中に問いかけてみたら、どうもありそうだ、という感触でした。
ということで、最近、研究活動の割合を増やしています。

いろんなものを、そぎ落として、時間に大きな余白を作って。

しばらく学会発表の場での一研究者としての先生方の前で発表することから遠ざかっていましたが、そういう場に持って出れるようなものも、事業活動と並行して進めておもいます。
その結果、アウトプットとして表現できるものは、ほかの人から見て、ほんの小さな敷石かもしれません。
でも、それが、わずかでも人々が踏んで上に行ける土台の一部になるならば、それでよい、と。
posted by 石井力重 at 16:00 | 研究(創造工学)/検討メモ&資料

2015年12月22日

脳は脳自体のパフォーマンスの低下を認識できない(仮説)

sasie.jpg

夕べ、眠るまでに考えて、目をつぶりながら書き留めたメモ書きがあります。
それがタイトルの一文です。

脳は、脳自体のパフォーマンスの低下を認識できない (仮説)

眠くて生産性が低くなったとき、生産性が低くなったことは、実際に長文を操るようなデスクワークをすればわかります。
普段ならできるレベルの推敲が、非常に難しくなり、分からなくなります。

しかし、眠ってしまおうとおもって、目をつぶると、あれこれ考えが思い浮かび眠れない。
そこで、本でも読もうとするとほどなく読めなくなり、同じ行ばかりを読む、という事態に。

これは、物事を認識し処理する脳自体が、そのパフォーマンスを落としているときに、認識も概念加工も劣り始め、しかし、あまりに疲れている時には、それを合理的に「理解する」ことができなくなるのではないか、という仮説です。

(もしかしたら、そういう研究があるのかもしれません。ないのかもわかりません。今の段階では、どっちともわからないので仮説です。)

この写真はわずかに傾いているのですが、暗いのでわかりませんでした。
でも、翌日よく見てみるとわずかに傾いています。目を凝らせばそれがわかります。
眠い時は、光量の足りない写真みたいなもの。
一応、取れるけれど、暗く、粗いものになる。

さておき、戻すと、「疲れていない」と感じている時には二種類ある、と思っておこうと、思いました。
それは、本当に疲れていない時と、疲れを認識することがフリーズするぐらい疲れているときがある、と。
これを書いている今、まさにそういう状態です。

こういう時には、30秒でベッドに入り、電気を消して、素数を数えるか、目をずっとつむったままできるアイデアワークをするのがいいのですが、それを思い出せないぐらいの時もあります。

文章を書くことで眠気による文章推敲力がわかります。
この辺、判定するWEBサービスなんかあってもいいでしょうね。

この話は、またたびたび考えてみます。

posted by 石井力重 at 01:20 | 研究(創造工学)/検討メモ&資料

2015年11月22日

アイデア型産業の出現場所の特徴

今日は船橋のホテルで仕事をしています。

ホテルのフロントには、フナッシーのアイテムがたくさん。さすがフナッシーの本拠地。



さて本題。


”サイエンスと産業の距離が近い事業を〔サイエンス型産業〕と呼びます。


その構造を援用するならば〔アイデア型産業〕とでも言うべきものもあるのでしょう。

つまり、アイデアと産業の距離が近いタイプの事業です。”


かつて、ITmediaのブログを執筆をしていたことがありますが、そんな話題を記事に何度か書いていました。


文章は今読み返すと誤字も多く雑な作文でした。

ですが、現在の私にとってのヒントも書いてありました。


「アイデアと産業の距離が近いものには、何があるだろうか。」



この記事の中で「「アイデア」と「事業」との距離を短くしてくれる要因」を列挙しています。


5年の時を超えて今なお示唆として、社会を見るときのヒントにしたいものが果たしてあるだろうか、と精査してみますと、6つほどありました。



idea-based_industry__.jpg



【無形の部分】


  • 感性的な消費、効率的体験、感動要素などにウエイトがある。
    (物体は「無形部分のミニマルな入れ物」)

【物質(有形の部分)】


  • 質感・テイストと呼ばれる特徴を持つ
     (しかしそれは必ずしも無形的価値を担持している物体部分ではない。いわば、コンテンツの質感、というようなもの。)

  • 作品とよばれたり、アートに近い要素を持つ

  • マニュアルを見ずに利用できる。
    (単純なナニカである)

【人】


  • 社会の変化・新技術の台頭によって潜在的に増加するある種の人々

  • 狭く濃くファン的
    (楽しみかたを自ら作る。欠点を特徴と捉える)


※当時の内容に対して、新しい分類をつけ、表現部分も修正しています。

※具体を、長々と書こうとして、やめました。具象は時の風化に耐えられません。

上記の6つは、新しい製品やビジネスを構想するとき、アイデア型産業の特徴が意識の片隅にあると思い描くものを実現しやすくする派生案も考案しやすくなります。


網羅からは程遠いものではありますが、考えるヒントにするためにリバイスしてみました。

posted by 石井力重 at 19:00 | 研究(創造工学)/検討メモ&資料

2015年11月09日

〔道理にかなっている批判〕と〔思い付きの批判〕と、もう一つ。

創造的挑戦の所有者たちにむけた応援メッセージとして、今日は綴ります。

批判というものは、創造のためのスパイスであり、正しく利用しなければなりません。
そこで、批判をなんでもすぐに創造的思索の囲いの中にとりこむことなく、「門番」を置いてほしいのです。

そんな話を書きます。
  

創造的精神と批判的精神は大事なものです。
両方がつよくなければ、優れたものを生み出せません。

しかし、同時に使うと折り合いが悪く、早すぎる判断力の使用は、優れた可能性すらも、枯らせてしまいます。

自分の中に沸く批判でもその対処は難しいものですが、他者が投げかけてくる批判というは、さらに強い力をもち、影響してきます。


批判にも二種類があります。〔道理にかなっている批判〕〔思い付きの批判〕です。

(「道理にかなっている」は「筋の通った批判」という表現もありえるでしょう。辞書的には、同等ですから。)

当人以外の万人は、自分の創造的挑戦のオーナーではありません。

そうした人々の中でも、当人のためを考えて熟慮できる暖かい心とその挑戦に対する経験と知識を十分にもった人だけが、優れた批判を提供することができる可能性を持っています。

大学院のゼミなどで優秀な先人(教授など)が、熟慮された批判というものを、繰り出してくれた機会のある人は分かるでしょう。本当の良い批判というものを。

大辞泉を引くと、【批判】は、次の3つになっています。
  1. 物事に検討を加えて、判定・評価すること。「事の適否を―する」「―力を養う」
  2. 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の―を受ける」「政府を―する」
  3. 哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること。
本来、批判というのは、〔道理にかなっている批判〕でなくてはなりません。

〔思い付きの批判〕というのは、ぎりぎり甘めの判定にみて「項目2」をかすめている、といったところです。

批判=〔道理にかなっている批判〕、なのだとしたら
??=〔思い付きの批判〕なのでしょう。

大辞泉でそれらしい言葉を引くと、

【批難】=人の欠点や過失などを取り上げて責めること

が、隣接概念として浮かびます。

批判の項目2、と、批難、は、似ていますが「指摘し、正すべきであるとして論じる」vs「取り上げて責める」という点が違うことが分かります。

ここからわかるのは、その「欠点を言ってくれる人」との熟議により「正すべきもの」を見出せるか、どうか、が肝であること。

筋の通った批判、からは、それが展開できます。
発展の材料になるコメント、という性格も持っています。

思い付きの批判、からは、それは展開できません。
迷いの材料になるコメント、という性格も持っています。

批難、からは、それは展開できません。
消耗の材料になるコメント、という性格も持っています。


さて、石井の考えを一歩踏み込んで書きます。

あなたが創造的挑戦のオーナーであるならば、〔道理にかなっている批判〕をする人が周りに必ず現れてくれます。その人は、あなたを愛してくれている人でしょう。友人だったり師事するひとだったり。その人の批判からは熟議をして正すべきものを見出す、ということをするとよいでしょう。熟議といっても激論とかはしなくていいでしょうけれど、「なぜ?」「改善の手がかりは?」ということを共に紡ぎだせるはずです。

思い付きの批判、および、批難、については、「創造的思索な心の営み」の入口に「門番」を立たせておいて、入場まかりならん、と、ガードさせるべきです。

しかし、〔思い付きの批判〕については、うっすらとした可能性を気づいて教えてくれているシグナルが含まれていることもあります。それは捨ててよいのでしょうか。

私はこう考えます。それが時を経て発酵して中から良いものが出てくることもきっとあろう。しかし、それは今は食べられない渋柿。しばらく、門番エリアにおいて、天日にさらしておく。そのうち、いいものが香ってくるかもしれない。それまではほおっておく、と。中にはなにもでてこないものもある。(こっちが多い)

創造的思索の囲いの中に、挑戦の速度や感性のエッジを鈍らせるようなものを入れない方がいい。挑戦はサイクルを小さく早く回して、具体的に間違って発展するもの。そのサイクルの速度を迷いが下げるようならば挑戦の妨げです。

自分が、度量がむちゃくちゃでかい、という人は、重たい荷物も抱えたまま、創造と批判の乱気流の中を飛翔できるでしょう。そういう人は、いいんです。どうやっても行ける。

しかし、多くのわれわれ普通の人々が、まだ若く非力な想像の翼で高く舞い上がるときには、重たい荷物は少ないほうがいい。
そういう時には、迷いとなるものは、ひとまず、門番預かりで、いいじゃないですか。

・・・以上、石井の考えでした。

創造工学において、批判を思いっきり使うプロセスがあります。PPCOのCフェーズです。そこでは、思い付きの批判も大量生成をするわけですが、全部をそのあとのフェーズに持ち込みません。思い付きの批判はより到達点の高い批判の創出のための踏み台として、役目を終えて次のフェーズにはもちこませません。

創造と批判の両刀遣いにおいて、大事なことは、「〔発展に使う〕批判と〔要らない〕批判を見極める良き門番を育てておくこと」だと、思います。

石井自身が、人の発表をきいて厳しい視点でコメントを言わないといけない局面では、同時に心でそのようにも思っていますし、私がかつてビジネスプランコンテストに挑戦者として出場していた時期に、辛辣コメントに対して馬耳東風に涼しい顔をしているね、といわれましたが、僕の門番が強いので、有益なことは「発展のいい材料を聞いた」と思って取り入れ、一考に値しないコメントは門番あづかりのまま10年が過ぎました。

10年たって、そのコメントが本物だったか、偽物だったかを知る機会が、アイデアの専門家になった今、日々、分かる出来事にめぐりあいます。今だからわかるようになったことも1/1000ぐらいの確率であります。ですが、900/1000は間違った指摘でした。それに向き合って、道を変えていたら、今とは違っていたでしょう。
posted by 石井力重 at 00:08 | 研究(創造工学)/検討メモ&資料

2014年06月30日

「理論的飽和」要素収集を続けていくと、もうこれ以上新しいカゴが追加されない状態になる

ある領域で要素を集めていき、それらを似ているもの同士を同じカゴにーにいれていく努力をつづけていくと、ある時点で、もうこれ以上新しいカゴが追加されない(飽和)、という状態になります。

この”カゴ(認知できるカテゴリー)が飽和すること”ことについて、あるとき、とある先生が、私のプレゼン中に言及したその現象を受けてそれが”認知飽和”である、コメントをしてくれました。

私もそれに習って”認知飽和”という表現でこの現象をよんでいました。(しかし、認知飽和、という表現は、本もネットも探しても殆ど出てこず、何か、聞き間違えていたかもしれない、と思っていました。)

最近、ある研究発表を聞いていて、正しい呼び方と、理論的土壌にたどり着くヒントをもらいました。やはり、認知飽和、ではありませんでした。理論的飽和、です。過去の表現の訂正しつつ、理論的な情報をいくつかシェアします。

「研究テーマに関して,文献・面接・取材・自由記述等などの様々な媒体,あるいは単一の媒体からカテゴリーを抽出しカードなどの記録媒体に蓄積し,テゴリーのサンプリングを続けると,ある時点で,研究テーマに直結した新しいカテゴリに出会わなくなる(たとえば面接しても,新しい話があまりでなくなる)。この状態が近似的な理論的飽和である。」

早稲田大学 豊田秀樹先生のサイト
http://www.waseda.jp/sem-toyoda-lab/kyoshin53/ 

少し本格的に述べるならば、まずこの辺の話題のベース的な概念、「グラウンデッド・セオリー・アプローチ」から紹介したいところ。以下、引用します。

「グラウンデッド・セオリー・アプローチは,理論生成を目指すもの」

「社会に見られる諸事象を,何らかの共通性・類似性・関連性等をもとに,分類して(classify),グループ化したものは「カテゴリー」,ときに「クラス」(class),と呼ばれます(グループ化をカテゴリー化といったりします)。」

「事象を分類するだけの意味の「カテゴリー」を生成することは不十分であり,抽象化・概念化への強い志向があります.」

「「カテゴリーとは,データから引き出された概念であり,現象を表すものである.・・・現象とは,私たちのデータから出てきた,重要な分析上の考えである.『ここで何が起こっているのか?』という問いへの答えを与えてくれる.現象は,研究対象となっている人々にとって重要な問題,結果,関心,事柄を描写している」(ストラウス&コービン, 2004, p. 142)」

山口大学 関口靖広先生のサイト


そして、このGTA(Grounded theory approach)における”理論的飽和”について、冒頭の豊田先生の引用コメントを含んだ文章をもっとたくさん、以下に引用します。

「記述的なデータを使って量的なものに還元しにくい言語的・概念的分析を行う質的研究(qualitative research)は,これまで科学的なアプローチを重視してきた様々な学問分野で認知され,近年,注目を集めるようになってきた。

 量的研究が統計的サンプリングを利用するのに対して,質的研究ではその研究の過程において理論的サンプリング(theoretical sampling)を重視する。

理論的サンプリングを,グレイザー・ストラウス(1996)は"理論を産出するために行うデータ収集のプロセス"と定義する。理論的サンプリングはリサーチの開始時点でサンプル数を予めはっきり決めておくことは難しい。

 理論的サンプリングでは,研究テーマに関して,文献・面接・取材・自由記述等などの様々な媒体,あるいは単一の媒体からカテゴリーを抽出しカードなどの記録媒体に蓄積し,テゴリーのサンプリングを続けると,ある時点で,研究テーマに直結した新しいカテゴリに出会わなくなる(たとえば面接しても,新しい話があまりでなくなる)。この状態が近似的な理論的飽和である。

 能智(2004)は,"理論的飽和に達するまで,つまり,理論やモデルが形をなし,それを使えば新たなデータも説明ないし了解が可能になるまで,サンプリングは続けられることになる。もっとも「飽和」の判断はそれほど簡単ではなく,実際には,できあがったモデルの説得力や整合性などの基準をみたした時点で,サンプリングが終えられることが多い。その基準については質的研究の評価方法とも関わってくるだろう"と述べている。」

と展開されています。

この辺の話は、面白い話がいっぱいあるので、関連する情報をもっと調べてみたいと思います。

最後に、今日の学びをまとめます。

  • 新しい領域に入ると、次々、新しい要素が出てくる。

  • ある領域で要素を集めていき、それらを似ているもの同士を同じカゴにーにいれていく努力をつづけていくと、ある時点で、もうこれ以上新しいカゴが追加されない。これを、理論的飽和、という。

  • 質的研究においては、この方法は、グラウンデッド・セオリー・アプローチ、と呼ばれる。理論を生み出すための方法である。なお、この理論的飽和をいつそうなったと認識するかは、実際は難しいところ。(なお、引用の豊田先生は、新カテゴリーの出現率の低下から、飽和の度合いを表す式を提案されておられるように、(’講演参加者の方の)ブログから、読み取れました。)


より、適切な表現は、wikiのグラウンデッド・セオリーの項目にあります。ご参照ください。

(このブログのまとめに記した表現は、あくまでも、石井の口語体です。カゴという言葉は、普通学術では、使いませんし、分類の方法についても、本来は深い知的作業があります。)
posted by 石井力重 at 21:22 | 研究(創造工学)/検討メモ&資料

2014年05月31日

良いブレストは、啐啄同時が起こる

啐啄同時_良いブレスト.jpg


タイトルの啐啄は ”そったく” と読みます。

啐(そつ)は、さけぶ、という意味の言葉で、孵化する時に雛が内側から殻をこつこつとつつくさまを表し、啄(たく)はクチバシでつつく、という意味の言葉で、雛が内側からこつこつやりはじめたら、親鳥がつついて殻をわってやるさまをあらわします。同時とは、これが同時に行われることをさします。親鳥が先につついて割ってしまうと孵化の途中である命は死んでしまいます。遅くてもだめで、時宜を得た、まさに良いタイミングでなされることが必要です。

この啐啄同時のような相互関係は、良いブレストにおいても、アイデアの孵化のときに見られます。

誰かが、もやもやっとした直観から、未成熟なアイデアをいう。
他の人がそのアイデアの良い点に光を当ててコメントする。
その良い点を素材として使ってさらに発展したアイデアが出てくる。

そういう、生まれかけで、まだ力の無い、弱い存在に対して、ひっぱり出してやるようなブレストパートナーがいることで、たくさんの発想が表出化します。

良いブレスト(あるいは、アイデア・ラリー、といってもいいかもしれません)では、啐啄同時が起こるーー。

そんなことが、たくさんのアイデア創出の活動の中から透けて見えてきます。


なお、啐啄同時、ということばは過去にも見たことがあって知ってはいたのですが、最近、この言葉が心に留まった瞬間があり、覚えていて、ブレストの場で「あ、これは、相互関係のパターンとして、啐啄同時、だ。」と思い行ったのでした。

その心に留まった瞬間と言うのは、出張にでる前の夜、机の上に乗っていた、八木山南の事務局便り?的なもので、校長先生の一日が記されていたものでした。遅めの夕飯をとりながら、見るでもなく見ていると、最下部に校長先生のコラムがあり、そこで「啐啄同時」と言う言葉をつかって教育のまなざしを述べていました。

読みながら私は「なるほどー、弱い力の命が生まれようとするときに、外からつんつんつついて、生まれるのを助ける。そういう自然の摂理が実際にあるのかー」と印象に残りました。


ブレインストーミングにおいて、推奨したい心理様式(ルール、あるいは、ガイド)として、プレイズ・ファースト(アイデアの良い点に光を当ててコメントする)がありますが、これは、啐啄同時が起こる頻度を上げることをしている、とも、いえるでしょう。
 
posted by 石井力重 at 22:34 | 研究(創造工学)/検討メモ&資料



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