企業は永続することを期待される。その生産的な行為が社会にとって必要だと評価され続ける限りは。
しかし、人はいずれ寿命が来る。企業体の本質は、構成している人の労働で構成されている。どんな会社にも寿命があるのだ。人間というものが心臓部である限り。
もちろん、マインドを継承する、ということもなされるのですべての企業体に寿命があるとは言い切れない。
ただ、「プロの個人」として個人事業主を行う場合や小規模事業〜専門特化型中小企業という道を選択した場合、そのサービスがどれほど高いものを作り上げたとしても、それは、創業者の寿命とそう変わらずにその企業体は寿命を迎える。こちらはほぼ確実に、寿命のある存在である。
小さい企業の割合が増える
これから、世界経済は長期的に人口増加局面をいくが、日本は人口減少局面を非常にながく経験する。(研究機関の公表する予測では2100年頃の日本は江戸時代の人口に近い、とも)
その中では、企業が大規模・大量生産を主軸に成長を続けるトーンは弱くなり、一方で、小規模で少量の仕事でも収益の出せる小回りの利く企業体がより経済におけるプレゼンスを高める。
企業有限寿命の時代
その意味では、日本の企業体は、有限寿命の組織体である、というのが、これからの社会では当然と認識される可能性が高い。
(もちろん、現在でもそういう割り切りの考えの方もいるが、社会的には企業って、どういう存在だろう、ずっと続くものなんじゃないかな、という意識も現在の社会には少なくない)
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「事業の時間が有限である」
そういう意識を持つと、個人事業主で創業した私の場合は、体の健全性を保てると予測される60歳(2033年)まで、あと24年が、この事業体にあたえられた時間である、とわかる。
35歳で、プロの個人として創業した場合、
事業寿命は、24年しかない貴重な資産、なのだ。
自分で事業をする、ということは、
有限寿命である人の人生を生きることと
時間の制限がある存在という意味でほぼ同じだ。
貴重な有限の時間をもった人間が、
活き活きと生きるために
「メメント・モリ」という
いずれ来るべき終わりの時があるからこそ、
今を活き活き生きる。
考え方をもつ。
これからの企業体も、そう。
有限寿命である企業体もいずれ、その存在を終える時が来る。
だから、こそ、今を活き活きと生きる(事業をする)。
あと24年間しかない事業だからこそ、
まごまごなんてしていられないし、
今回は我慢しておこうなんて、していられない。
道がないから迂回する、と言っていられない。
進む先に常に道なんてあると思わぬタフさがあれば、
『作りながら道を行く』という思考様式になる。
もっといえば
『作りながら、その道を疾走していく』
24年という有限時間で、僕は誰よりも遠くまで
この道の先にあるものをみたい。
有限寿命の時代には、
メメントモリ、ということを意識した企業体が増える。
僕のような考え方の企業は増えるだろう。
そして、もし僕の仮説が正しいならば
彼らが、残したいと思っているものは
「企業」ではなく「意志」だろう。
僕はそれを「背中が残る」と、表現し、信じている。