2024年8月22日、奈良県の山奥、天川村(てんかわむら)にて、51歳の誕生日を迎えました。
源流に近い清流、みたらい渓谷には「みたらい休憩所」という有名な駐車場があります。その下に「ほどよく深さがあり、流れが緩く、下流へ流されない天然の止め石のあるエリア」があります。奈良県をよく知る友人に教えてもらい数年前に初めて行き、なんて気持ちのいい場所だろう、と。今回は一泊の旅程で来ました。ここからの一年間、51歳の展望を考えるために、夜になると何にもない山奥のこの村でゆっくり考え事をしよう、と。
ここへ行く道中の空路や、清流に潜ったり、川辺で青い空と森を見上げて考えていました。
いずれ来るリタイアする日。その時の自分に褒められる仕事をしたいな、と思いました。そして、創業した日に立っている自分が憧れるような仕事をしたいな、と思いました。
かつての私
どこまで行けるのかもわからない中で、がむしゃらに前だけを見て、走ってきました。
商社をやめ、大学院博士課程に進み、NEDOフェローとして大学ベンチャーに駐在し、アイデアプラントを創業した2009年4月1日、その日から、いったいいつまで、そして、どこまで進めるのかも分からず走り出したわけですが、当時は当時で40歳になる日までの自分の人生の地図を作っていました。今思い返すとそのころの描いたものが随分控えめであり、そこよりもだいぶ水準の高い仕事を、そしてすごい人たちと一緒にする仕事をしていくようになりました。
行く道の先
このままいくと、父がピンピンコロリとなくなった77歳ぐらいまでは現役で仕事をしていそうです。あと四半世紀。もしかしたらもっと良い医療とか思考力を補佐するバディーロボットが登場することで、もっと長い期間働けるのかもしれません。そこは分かりませんが、短い場合は四半世紀後、リタイアする日の自分がたっている場所から見て、51歳のころにした仕事を自分でほめてあげたいーーといわれるような仕事をしたいな、と思ったのです。
多分、志しの仕事、社会的価値を増やせるような仕事をする、そういうことができたときに石井翁は褒めてくれるんでしょう。
道を振り返る
そして、過去。30歳の創業した日。あの頃の自分がどんな仕事に憧れていたかを思い出してみようとするとちょっと記憶が遠くなっていました。青雲の志。それを忘れずにいようとしていたのですが、日々来る情報量の中で21年前のことはだいぶ遠くなっていました。大きな案件、知名度、高い報酬、なども憧れがあったのかもしれません。今となってはそこを切望することが希薄になっていて、ちょっとよくわかりません。しかし、わかることもあります。次々新しいものを生み出し、人々に創造支援を提供し続ける。そういう仕事ができる未来の姿に憧れがあったと思います。(訂正:創業は、35歳、2009年4月、16年前でした。)
アイデアプラントの製品をもっと作りたい。製品以外の「創造支援のもの」ももっと生み出していきたい。創業した日の自分はそういう力に憧れている気がします。
ということで、展望の文としてまとめますと:
リタイアする日の自分が褒める仕事、
創業した日の自分が憧れる仕事。
そういう仕事をしたい。
毎年、自分なりに微妙に(あるいは実に)達成の難しいことを言っています。今年も、達成するつもりで立てていますが、難しいことを含んでいます。
年齢的に、短期的なものの見方、動き方は、合わなくなってきました。
長い時間の流れを見据えて、「好きで得意で志しに叶うこと」を、この一年もしていこうと思います。
皆様どうぞこの一年もよろしくお願いします。