2017年08月22日

44歳の地図

(一か月バックデートで書いています)

毎年、8月22日のブログは、私の一年展望を表明する場にしています。

今日、8月22日、44歳になりました。

自分の中では、とても大きな節目として、走ってきた43歳を無事終えられてほっとしています。

そして、次の超長期展望を作るタイミングになりました。
 

 
追記:(9月22日、新大阪にて)


最初の地図を作ったのは、30歳の4月。

会社を辞め、大学院博士課程に進み、新学期の始まる前の三日間、図書館へ通い、10年の長期展望を作りました。
(それは公開していません)

2011年の大震災、その予想外の3年ものりこえ、30歳の私が描いた未来時点まで来ました。

8月22日から一か月間、次の13年、つまり、私が57歳になるころまでの人生の地図を、毎晩作ってきて、ようやく、完成しました。

自分が目指す場所はどこなのか。目指すのはなぜなのか。どのようにそこへたどり着こうとするのか。

44歳の今、57歳の未来の到達地点を描きました。
そして、削いで整理しました。

Map_44y.png

人に見られたらまずいわけではないのですが、「ほかの人には全然わからないけれど、自分には、くっきりと概念の輪郭が浮き上がるように言葉を削る」作業を経た地図なので、ぼかしてあります。

(だったら、ブログに書くな、とも思いますが、私は自分の一念表明するこの8月22日のブログを毎年振り返って、次の一年を考えるので、ブログに何らかしらのRecallトリガーが必要なので、記しています。8月22日のブログ記事だけは特別で、一年後の自分を読者として、書いているものなのです。)


いつの日か。

無名の石井翁は、自分の志を達成した世の中で、心豊かに暮らせていると、いいなぁと思います。

posted by 石井力重 at 23:59 | 8月22日

2016年08月22日

道を行くというのは『夜のベランダ』である。(『風立ちぬ』を読んで)

小説『風立ちぬ』を読んで、作品の主題とは違う部分かもしれませんが、深く印象に残った部分があります。

(補足:ジブリ映画の方は、小説のタイトルと冒頭シーンと登場人物名を借りていますが、内容は違います。小説のほうは、主要な登場人物の少ない、静かで、美しい風景描写と混ざりあった幸福と悲しさの話でした。)

物語の中でいろいろと展開があり、ラストに近いシーンで、彼(主人公)は雪山の小屋を借りて生活しています。
周囲の他の小屋には冬に滞在する人がないので彼の小屋だけに明かりがともっています。

彼が歩いて、夜、自分の小屋に向かう時に自分小屋の灯りが見えます。
その灯りが雪山を行く彼の周囲のものをキラキラと光らせています。(その描写はもっと秀逸ですが。)

どれほど広く谷を照らしているのだろう、と、小屋に戻り、ベランダに出て、今きた雪山の谷を見下ろします。
すると、灯りの届いている範囲なんて、とても狭いもので、小屋のベランダとその近くを照らしているぐらいでした。

このくだりをよんで、人がなすこと、というものは、こういうものかもしれない。としばし考えました。

  • いろんなタイプの何かを放っていく仕事、というのは、放っている側からしたらさほど遠くまで届いていないように見える。
  • しかしながら、闇の中からはそれの光が確かに見えるし、周囲の環境を実際に変化させている。

このシーンを私は、『夜のベランダ』と呼んでいます。

(ラストシーンを含む章の名前はあるのですが、ちょっと暗いトーンのもので印象がそっちに引きずられるので、それを記憶にとどめるのはやめて、自分の好きなように呼び名をつけました。作品としてのメッセージは、そちら側(章の名称)かもしれませんが。)


夜のベランダ、は、志した道を行く人が疲れたときにふと振り返りそのアウトカムの少なさに立ち止まりそうになるときに、背中を押してくれるものだと、私は思います。

  • 輝点に立つ人の感度でみれば、それはごく狭い範囲にしか届いてないよう見えるものだ。
  • しかし、あなたに見える範囲よりもずっと遠くにまで、あなたのなすことは届きそこの何かを確かに変えている。

と。


自分がじっくり考えたり、心の中に耳を澄ませる時間に気が付いたことを、いつか未来に立ち止まりそうになった時の自分のために記しておきます。



余談:

若いころから、43歳になるまでをフルスロットルでつき進む期間だと、考えていました。
42歳の終わりまでは、後先を考えないで惰性を振り切って無理してでも進もうと、してきました。

で、ついに今日、43歳になりました。
何か変わるわけではなく、丁寧に仕事をして日々幸せに生きていきます。
精進して、発想ツールをを作り続けていくことは続けます。

ですが、徐々に時間とリソースに余力を作り出すことをしようと思っています。

これまでに鍛えてきたもの・作ってきたものを、もっと活用することに、大きな関心をもって進んでいこうとおもいます。

毎年、8月22日のブログは、誕生日という節目で一年目標をつづっていました。
ことしは、とてもあっさりと、余談として、こんなスタイルで書きました。

余談の追記:

一言、例年の申し送りに対して回答しておきたいことを書き加えるならば、「ノンバーバルな、ブレインストーミング補助道具、出来つつあります。」

外国の市場に展開する布石、パートナー企業さんとともに、徐々に、進んでいます。
石井自体も、もっと市場可能性のある国を訪問して歩いてくことに、(時間を作って)もっと励まねば、と思っています。

posted by 石井力重 at 00:36 | 8月22日

2015年08月22日

42歳の目標:ブレインストーミングの補助道具を、小さく、たくさん作る。

8月22日。42歳になりました。

今年は珍しく仙台の自宅と書斎で誕生日を迎えました。過去の8月22日の記事を読み直し、今日からの一年の目標を心に浮かび上がらせていました。


ブレインストーミングの補助道具。あるいは、アイデア創出ツール。

これをつくることが、私の本業です。


2007年に誕生したブレスター以降、いろんなアイデアプラント製品が登場してきました。作りたい者はまだまだ山のようにあります。

しかし、最近は、旅仕事(これも使命の一つで、創造研修やアイデアワークショップのファシリテーションを各社各地でする仕事)に一年の大部分を費やしています。

結果として、開発の手が著しく停滞している、とはっきり認識しています。


ただ、最近、すこし変わってきました。

創造研修やさまざまな領域のアイデアソンをすると、「ブレストをもっと引き出す知見」が増えていきます。それらを受け止めるものを、ワークシートや、新しいブレインストーミング・スタイルとして、組んで、実戦投入して、さらに直して、というプロト&テストのサイクルを、仕事上で回せるようになってきました。

これまでは、提供するメソッドの深化を図ることに没頭していたのに対し、それを7割の部分で提供しきり、のこり3割に新しい実験的な発想スタイルを入れてみることができるように。

もちろん、企業さん向けの創造研修では、そうしたことはさすがにしません。単価の高い私にオーダーをくださる企業さんのイノベーションに向けて最適な知見を提供することで100%。

でも、学校系の仕事や、地域活性系の仕事で、取り組みに先鋭的な、実験的な要素を入れても構わないケースでは、積極的に、その3割で、試作投入と改良フィードバックをもらっています。

それが全くダメダメな水準であれば、受講者の時間を奪うばかりですが、いずれの場合でも、実験的な、まだ誰も経験していないスタイルの体験を通じて、受講者さんが多様なことを得て帰ってもらえっているので、このスタイルを行っています。(実験的なものから、受講者さんが得たというものは、回答内容が多様です。定番の発想メソッドに比べ。)


試作品(あるいは、未完成のアイデア発想メソッド)のほうが、時には、完成品よりも、学びとれることが多い。

そういうところが人にはあるんだなぁと、そういう場面でよく思います。なので、実験に付き合ってもらって悪いな、という気持ち100%だった時代から、そういうタイプの学び体験も、バラエティの一つとして入れよう、と力強く意思決定できるようになってきた、という状況です、今は。



さて話を、元の流れに戻し、続けます。

作りたかった、ブレインストーミングの補助道具、これをもっと、作ろうと思います。そして、使って直していく。

これまでは、かなりの仕上がりに到達して、かつ、テストプレイも専用の場をしっかり作って、という感じになってきていましたが、創業のころは、頻繁に思いついたものを、ラフにつくって使ってもらうことをやってきました。
その時代には、着想、試作、良点発見、製品化、というサイクルを、小さく、たくさんしていました。それらの超ニッチユーザへの一点突破の先に、広いユーザ層(全面展開)に波及していく、という展開でした。


いきなり全面展開を目指すことを、近年は考え続けて、アイデアの結晶化(製品完成)をすごく少なくしてしまっていました。成功した企業が徐々に、大きな市場を見込めないと製品投入できなくなっていく、いわゆる「成功経験の弊害」が、私の中にもあった、と正直に書いてしまいますが、そうだったと思います。

その結果、私のPCの中の「★開発」というフォルダーには、たくさんの製品アイデアが並んでいて、日の目を見ることを待っています。

没にしたなら、それでもいいのですが、「開発ストップ。理由は、市場が小さいから。」というアイデア群なので、一点突破型で、ごく小さい市場を目指していくならば、出したいものがいっぱいあるのです。


今年はそれ(小さい市場から初めて、いずれ全面展開)に、免罪符を与えて、作りたい限り、作り出してみようと思います。ブランドとか、コンセプトをぶれているものも、できれば、出してから淘汰されていくぐらいに、発芽の自由度を上げてみようと思います。


なお私のいう、ブレインストーミングの補助道具、というものには、AとBがあります。

A 「アイデア創出ツール」

発想法、というメソッド。
ブレスターや智慧カードのような、発想創出カードのセット。
廃版にはしましたが、ブレインストーミング専用ホワイトボード紙。
・・・などなど、アイデアを出すことを、真正面から、サポートするものです。

B 「ブレインストーミングの作業を、より円滑に、効果的にする道具」

含みのある書き方をしましたが、例えば、
「概念適用の柔軟さを上げるためのゲーム」とか「頭の回転数を上げる遊び道具」(発想力は、前面に出さないもの)もありです。
前に試作した、都道府県の要素を用いた遊び道具、とかも、これに含みます。
また、「ブレインストーミングの間のアイデアの記録と利活用をより良いものにするガジェット」もありです。
最近私はFitbitという活動量計リストバンドをつけているのでが、心拍数をずっと精度よくセンシングしてくれていて、行為や心理状態と照らし合わせてみると、心拍数の変動というのは、興味深い活用の可能性があると感じました。

専用のガジェットは作れる事業環境がありませんが、市販品の機能を組み合わせて、ブレインストーミング・極大点を検出することはできるでしょう。
その時の音声だけをクリップして、ランダム再生し、ブレスト後半側でアイデア・リコールを促す、なんていうことも、今の技術を組み合わせればできそうです。電球の色を変える、音楽を切り替える、などの「部屋レベルでムードに影響を与える」ということ範疇に入ります。


Bについては、居酒屋でブレストするときに、こういうものを昔はよく話したのですが、最近は、その頻度が減ったと、気が付きました。
昔より「先生」といわれて飲み会に参加していることが多く、各地で見聞きしたアイデアにまつわる話を紹介する、みたいな、先生っぽいことをして、時間の大半を使っていたなぁと、気が付きました。

「仮説として、こうだったらもっとアイデアを引き出せると思うんだけど、なにかいい具現化方法ないかな」という話、今年一年はもっとしようと思います。

昔から周りには優秀な人がいっぱいいましたが、その人数が飛躍的に増えています。アルコールブレストをもっともっと、アイデアツールの創造の場として、使っていこうと思います。

さらに言えば、一緒に作れるTech企業さんとつくって、アイデアプラント単独の製品ではなく、共同開発の製品も、目指してみたいなと思います。とはいえ、発想の道具というのは、そんなにたくさん売れるものでははないので、作ったものは、コンセプト品(広告的な製品)にはなるけれど、開発費の回収は期待できない、その前提に了解してもらえる場合にだけなので、かなり難しいことではありますが。


今年の目標の達成に向けてもっとも枯渇している資源は、時間です。

使える時間の大半を、旅仕事、すなわち企業さんでの創造研修やアイデアワークショップ各種に投入している現状。
これを変えるつもりはありません。
社会に求められて、好きで得意なことが喜んでもらえるならば、それは使命と決めた道だから、全力でやりたい、と。

なので、ブレストは、基本的に、飲み会の席を、アルコールブレストに。


それから、睡眠をもっと長くとって、頭の回転数を寝る直前まで下げずに使えるように。
そうすることで、時間かけるパフォーマンスの面積はもっと大きくなるだろうと思います。

頭の回復をまって、ぼんやりしている時間が長い、というのは、旅がちの日々で結構あります。

睡眠を長くすることで、時間がさらに無くなる感じですが、たぶん、逆に有効面積を増やせるのではないか、と思います。

(Fitbitの算出する熟睡時間が毎日4.5時間を超えることも、ミニ目標にしたい。)



43歳の自分への問い:

ブレインストーミングの補助道具(※A,B)を、小さく、たくさん作りましたか?

※A「アイデア創出ツール」
※B「ブレインストーミングの作業を、より円滑に、効果的にする道具」

A+Bの総計で、

  • デザインスケッチ:24枚(月に2枚)
  • ワーキングプロトタイプ:6つ(二か月に1つ)
  • 商品化:2つ(半年に1つ)

を数値目標と。

珍しく、数値目標をつけました。

一年後の自分が、夏になって、大慌てで、やろうとしている姿が容易に想像できます。

予想するに、達成に向けて最も大事なことは、お酒の場面を、アルコールブレストにすること。睡眠をよくとること。この二つを習慣にできれば、旅の日々でも、きっと作れる。そう思います。





最後に、昨年の問いに答えます。

固有の言語を超えて使えるブレスト道具を作っていますか?
(販売できる製品の形がベストだけれど、発想ワークシートやワークショップスライド、あるいは、なんらかの物体ではないもの(プロセスとか)でも、いいので、この一年間で作った?)

に対する回答:

今年は、ヨーロッパ(北欧、南欧、バルト地域)での海外のブレインストーミング事情の調査や、海外パートナーを見つける取り組みをしてきたので、全くやってないわけじゃないのですが、問いにYesと答えるには、足りていません。20%といったところ。

Quad-stormingを、開発チームでのディスカッションや試作を繰り返してきて、大量のテストユーザによる実用とフィードバックももらっていました。(200名を超えます。)。
ただ、これも、改良を繰り返して形は変わり、シンプルさを突き詰めていけばいったで、生まれる制限もきつくなり、アイデアのPivotを繰り返して、最適地を探し当てている努力の途中でした。

作っていますか?に対して、(結構)作っています、とは言えますが、完成はしていません。

特に、8月上旬、早稲田大学での夏季集中講義を終えて仙台の書斎にもどり、一人で過ごしているときに、昨年の目標を読み返して、大急ぎで取り組み、2つの形が見えてきました。

◎ IDEABOARD(アイデアボード)、ついに?

ブレスターをはじめアイデアプラント製品群は、グランドビジョンは、アイデアボード、というまだ存在しない「ブレストの補助道具」をベースにして生まれています。その初期のモデルはむちゃくちゃ複雑で、一度解体していますが、そのコンセプトを継承し、非常にシンプルなものが、Quad-stormingという種から、描き出せました。今は、ラフのラフ、といったレベルですが、光が見え始めました。
ノンバーバルなもの、とはなりませんが、固有の言語を超えて、どの国の言葉に翻訳するのも、さほど難しくない、シンプルなものが出来つつあります。
具体像にして、チームでディスカッションを早くしたいところ。自分が旅がちなのが恨めしいです。


◎ IDEAPLANT版、連想の6法則(ブレストの補助道具の一種)

ブレストにおいては、2つの営みがよく見られます。

  • 新規の要素を持ち込み、既存の要素に結びつけて、新しいアイデアを生み出す。
  • すでに出たアイデアの本質を土台にして別のアイデアを生み出す。

これらの作業を加速するには、インプット系メソッドや、アイデア発想メソッド各種、があります。

とっさのブレストでもすぐに使え、より根底に近い発想技法は「連想の法則」なのですが、ギリシャ時代に3法則、オズボーンにより4法則、となったものを、石井の分析で、6法則に、上げました。

正確な連想のパターン分類、とはいえませんが、アイデアを大量生成・多様展開するときに必要な、基礎的な頭の中の概念操作の全体を、連想の法則スタイルにあてはめなおすと、4では、どうしてもカバーしきれず、あと2つ、加えました。

6枚のカードはかなりPictogramっぽいので、かなり理想に近くはなりました。ブレスト中、アイデアの幅や多様性を作りたい時にそれらは、補助道具として機能してくれるでしょう。


どちらも、試作品とテスト利用の繰り返しをこれからしていく必要があります。

国内、可能であれば、多言語メンバーでやりたいところ。

今年の目標のとも一致するので、この道具も、どんどん育てていきます。


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蛇足:


posted by 石井力重 at 18:56 | 8月22日

2014年08月22日

国境を越えて多くの人とブレストしたい。(41歳の一年目標)

8月22日。仙台から名古屋に向かうフェリーの中で41歳になりました。



今年も一年目標をつづります。

例年と違い、今年は、シンプルに、結論から書きます。

国境を越えて多くのと人とブレストしたい。

これが今年の目標です。

(1)英語をもっと身につけてブレストをしにいく、というのも当然あります。

(2)ただ、発想ツール開発者(−だと自分では自分の仕事を規定しているのですが−)としては、「固有の言語を超えて使えるブレスト道具を作りたい」、というのが願いの真ん中にあります。英語の集団でも韓国語の集団でも使えるようなものを日本発で生み出したいです。

(国民性とCreative thinkingのスタイルには関連性があるので、ある国のブレスト道具はただ翻訳しても駄目なんです。でも、それを、のり越えた道具を作りたいのです。)

(3)もっと欲張った将来的な願いも書きますと、「言葉の通じにくいメンバー間でも、その道具を使うと、創造的な相互刺激を誘発しやすくなる。−−そんな道具」を生み出したいです。

この(3)について、少し長く描きます。ぼやっとしたイメージですが浮かぶものとしては、概念を極めて簡単にPictgram(概念絵)にする道具、です。

Pictgramをネットで辞書で引くと、「a pictorial symbol for a word or phrase」とあります。

さらに「Pictographs were used as the earliest known form of writing, examples having been discovered in Egypt and Mesopotamia from before 3000 BC. 絵文字は、書き込みの最古の形式として使用された、例は紀元前3000前からエジプトやメソポタミアで発見された。」とあります。

すこし、これに関してアイデアがあります。

人間がアイデアを出すときには
  1. Input (刺激や情報という材料を入れる)
  2. Operation (概念要素の操作をする。つまり、併せたり、削いだり、逆にしたり、突然の想起だったり、と「ズラシ」や「新概念の生成」をする。)
  3. Output (生み出された未成熟な概念をうまく言語で他者や違う時間の自分に伝える。)
があります。

ブレストの最中は、他者の「3」が、自分にとっての次の「1」になっていたりして、サイクルがくるくる回ります。

さて、言語が通じない相手とブレストをして困るのは、「3」(相手の言語で表現できない。とくに、閃いたばかりのあいまいなモノゴトほど。)です。そして、その相手も「1」(相手が言わんとすることが分からない)がネックに。

「2」というのは、「1」さえ済めば、内的な処理なので、自己完結します。

そういう構造である、という仮説を仮に正だとしたなら、「概念操作の諸作業を、Pictgramっぽくする」ことで、素材(情報)に、どういう処理をかけたかを、絵(もしくは、絵の連続体)で表現できるはずです。

精密さをもとめれば、こんなことじゃ伝わってなどいないってことにしかなりえないですが、「あー、そのInput(情報要素)を、逆にしたアイデアを出したのか、この人。」というのが薄ぼんやり分かるだけでも、「それって、〇〇みたいなアイデア?」とこちらからも聞くことができます。

41になった今、自分に向き合い、何を願うのかをじっと見てみたところ、心にすとんと落ちてきたのは、こんなところでした。

泳いでいなければ死んでしまう魚のように、作っていなければ精神が死んでしまうかのように試作品を大量に作り出していく一年を過ごしたいです。

(この記事は、23日の早朝、琵琶湖のほとりの宿で書いていたのですが、ちょうど、フィンランドのユッカ校長から、最近どうー?というDMをフェイスブックで貰ったところでした。偶然と言うか、年齢的な役回りとして、ポジションとして、この目標に取り組むときに差し掛かっているのかもしれませんね。 なお、ブログの日付は、将来の読み返しで混乱がないように、バックデートで22日付にしています。)

追記:

いつもは長々と冒頭と文末に「昨年目標の達成結果」「来年への問い」及び、「誕生日周辺で考えていた振り返り」を書いてきました。が、その形式は、いつも、一年後の自分が読みにくいなあ、とおもっていたので、今年はその形式を変えました。

その情報も、要らないわけではないので、以下に、それらの要素をつづります。


   (いったん、ここまで保存するために、公開します。8月22日)





8月31日:追記1


〜8月21日の夜のFacebookの日記を転載〜


船で不惑(40歳)の最後を迎えた。

kiso_kanpan_20140822_.jpg

◎本厄が終わった。

厄年の一年、体の故障頻発。対応するために、一気に旅仕事のコストが上がった。

◎震災が変わった。

終わらない。しかし三年=千日を経て、震災が自分の中でグリーフの後期に。

◎社会に返した。

早稲田大学と岐阜商(文科省スーパーハイスクールプログラム)、大学・高校、二つの学校の先生を拝命。仕事の繁忙期と被りまくって家族とひと月以上会えない旅の日々。でも、僕を育ててくれた多くの先人への恩を広く社会に返せた。まだほんのちょっとだけれど。

◎捨てはじめた。

よくも悪くも、手からこぼれるものは、増える一方。自分の道の上の物事を、確実につかむため、不義理のそしりを受けつつ、やれないことを削る覚悟をした。物理的荷物も、売却を徐々に。

◎お酒を、良く楽しむようになった。

前の飲み方は、0か100か。中庸はなかった。しかしアルコール・ブレストに真剣に向き合ったことで、お酒をほろ酔い水準で飲むコントロール力が出てきた。楽しいし頭がしゃっきりしている時間が長い飲み方に。

◎税理士についてもらった。

事業が伸び、処理が増えた。自分しかできないことに専念するために、専門家に任せた。

◎つながりはじめた。

過去のつながり同士がつながった。大企業の開発先端を渡り歩く仕事の身だから、花粉を運ぶことが自然と。守秘の外にある花粉だけ。

◎好みが、「白く」なった。

食べ物やお酒の好物がさほどそそらなくなり、なんでも楽しむようになった。好きな趣味、人、国、も。

◎娯楽の消費に飽きた。

与えられる娯楽は無限の無料であっても、あきはくる。新しい体験を常に得るように動く。その先には「自分が創る」があるようで。ライフワーク「発想ツール作家」に帰結して行く。発想ワークシートとかそんな小さいものだけれど。





8月31日:追記2

〜 昨年の問いに対する一問一答 〜

40歳のブログは、一年目標と十年目標を書きました。

その4つの問いについて、回答をします。

1「顧客への圧倒的な愛が、製品のフォルムに宿るような仕事をしていますか?」

うーむ。。。そうありたいと思いつつも、出来ていなかったかも知れません。製品と言う意味では新製品開発の進みは遅く、ワークショップの展開が圧倒的で、製品のフォルムに宿るーーという意味では、ワークショップのデザイン&ワークシートなどのデザイン、に限られています。

ただ、その観点では、各種の技法を1シート化を進めていて、かなり進みました。これによりユーザが学習の再活用性が高まったかもしれません。

でも、もっと、もっと、製品に顧客への愛が宿るような仕事、したいと思っています。


2「人々への愛を持って、道を極めていく努力を続けていますか?」

ワークショップの設計の力は伸びているように思います。より具体的にシュミレーションができ、多様な要望にもこたえられているように思います。基本の型に対しての深堀はどうかといえば、もっともっと、かけられる力と時間が、そこにはあるのではないかと、とも今思っています。


3「有限の時間の中で、多様な形で、社会的価値を提供する工夫をしていますか?」

この点は、どうでしょう。本を出すこと、ビデオを作って伝え残すこと、を意図していたと思うのですが、それについては、全く不十分であったとおもいます。(40歳のブログは)10年目標でもあるので、じっくり、でも、確実にやって行きたいと思います。


4「幸せな家庭を描き、自らその実践のために動いていますか?」

家族と一緒に過ごすーーと言う意味では、まったくNGかなと思います。年間で最低100日以上、ホテル住まいで、あまり家族イベントも充実していない、仕事が優先している日々だったと思います。これからもそういう感じになりそうです。ただ、遠い旅先からでも、家族に気持ちを向けて、連絡を入れたり、たまの仙台での休暇の時には、できるだけ、家族一緒に過ごしたいと思って、プライベートな日はオフラインで過ごしてみています。リビングで皆で一日読書をしてお茶を飲んで過ごす、という程度のことであっても、そういう一日を三ヶ月に一回は取れていたかなと。本当はもっと家族で旅行をしたり、ドライブしたり、したいところ。この辺は40代が終わることには、少し代わっているのかもしれません。


以上で、追記、終わります。




最後に:

DSCN6736.JPG

来年42歳になった自分への問い

「固有の言語を超えて使えるブレスト道具を作っていますか?」

(販売できる製品の形がベストだけれど、発想ワークシートやワークショップスライド、あるいは、なんらかの物体ではないもの(プロセスとか)でも、いいので、この一年間で作った?)

posted by 石井力重 at 23:59 | 8月22日

2013年08月22日

創流の十年(30代の終わりに考えていたこと、40代の10年に向けて考えていること)

2013年8月22日。旅先、岐阜県のとある施設で合宿しながら、40歳になりました。不惑、です。 
毎年、誕生日である8月22日は、一年を振り返り、一年後の自分に向けた問いを発しています。今年は40代に入るということで、十年を振り返り、次の十年後の自分に向けた問いを考えていました。誕生日のブログだけは、社会に開示しつつも、未来の自分に向けて綴ります。


まず、一年単位のもの。

昨年の自分の問い「学び続けていますか?」に対しては、はっきり自信を持ってYES、と言えます。

むしろやや学び過ぎたというぐらい、久々に深く没頭して学習するようなことをしていました。特に、5月6月は、仙台の書斎にこもって製品開発と同時並行して、新しい知見をずいぶん学習しました。その分野の第一人者とされる人に直接会い、指導を受けるに至るような展開をしていました。

これは、アイデアワークという仕事をするうえで、仕事の幅をずいぶん広げてくれました。

一年後の自分への問い、は、十年後の自分への問い、と兼ね、最後の方に記します。


今度は、十年単位のもの。

以下に長く綴りました。

長期的な展望に立ち、未来の自分に常に立ち返ってほしい、40歳の初心、を、できるだけ文字で、とにかく、編集なしで、この時の思考の香りまで含めて、表現してみました。

ここからしばらく、一人語りになります、文体も「だ・である」調と「ですます」調に揺れます。

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1.アイデアプラントは、クリエイティブ・リーダを助ける道具を作る組織

単純に表現すれば、ブレインストーミングの道具を作る組織である。

しかも、その使い手は、万人のだれでも、ではなく、クリエイティブ・リーダーとして、組織や集団を引っ張っていく人々である。

1-1 ”クリエイティブ・リーダー”

現在の役職名が、ということではなく、動き方や、生き方や姿勢のあり方が、クリエイティブ・リーダを規定する。かつ、創造的リーダーというのは、組織内でも大抵は非公式なものであり、そういうものは人事制度で冠することができるものとはやや違う。いつも、自然と皆が彼をそう位置づける。

本業がありつつも、創新に挑んでいる方々。自らが汗をかいて、未踏領域の闇を切り開いていく人の後ろには、人が集まる。何かが作り出されるとき、そこに人の密集が生じるけれど、それは、職場ヒエラルキーのパワーにではなく、熱に集まる。

もちろん、そうした人々の中には、CTO( chief technology officer )への道を駆け上がっていく事もあるし、生涯、現場において、有名無名のプレイヤーを続けることもある。また、組織の中にいるケースばかりではない。地域からいろんなものを生み出し行く地域プロデューサーのような役回りの人もいる。もっと小規模のケースもある。勉強会や新しい活動を企画し、運営していくような人もいる。

そういう役回りを自然とする人が、我々の言う、「クリエイティブ・リーダー」である。

平たく言えば、何か新しいことに情熱をもって取り組む人は、殆ど範疇に入る。

1-2 ”ブレインストーミングの道具”

ブレインストーミングの補助道具、は、ブレスターや、アイデアトランプ、といった「製品」を中心にしている。しかし、専門誌やメディアに連載する発想技法についての原稿も、補助道具の一つである。また、アイデアワークショップのプロセスを設計し提供していくことも、その一つである。

プロジェクトなどにおいて、ブレインストーミングのメンバーとして乞われてアイデア生成役として入ることもあるが、それ自体を中心的価値とせず、そうした「ブレストで自由にアイデアを出し始める原体験」を提供することを中心的価値とする。その共通体験がプロジェクトメンバーに生じることで、その後のクリエイティブな展開を引き出す。我々の提供するものは、常に「ブレインストーミングの道具」である、という原点に立ち返って価値や提供物を規定していきたい。


2.道具の作り手も、未踏の闇に進む覚悟を

創造学や認知心理学など、科学的な事実に準拠し続けていこう、という基本姿勢は常に持っておくが、一方で、未踏領域の闇を切り開いていく挑戦者たちの、

 「創造的な活動に対して、厳密な論理の段階に至らないような段階の「経験則やコツ」のようなものがあるならば、それを道具にして、目の前に迫る、明日のチャレンジに送り込んでほしい」

という声には、常に向き合っていきたい。

ビジネスの現場では次々と新しいアイデアを出さなくてはいけない。

10年後使える20年後も正しい、と言える「深考」タイプのものも常に意識しつつ、今すぐ効果のある「即効」タイプのものも、作り、世に送り出そう。

我々が、

 「科学的に100%正しいとは言えないから、この道具は創らない、世に出さない」

と考えて、手を拱(こまね)いているのは、挑戦するリーダたちに対する不義理をしていることでもある。

間違った道具を渡して迷走にしてほしくないならば、道具開発の腕を研鑽せよ。

そして、その時点のベストの力で生み出せるものは、迷うことなく、世の中に出せ。

それが、これまで、多くの人に与えてもらったもの(知識、教育、経験、開発協力)に、報いることであろう。


3.社会に広く返していく恩がある

エンジ(工学のMOT)とマネジ(経済の経営)の2つの博士課程(ともに単位を取りきって転籍・退学)で人々から受けた高い教育、フェロー時代に頂いた公的人材へのトレーニングや体験、その他もろもろ、自分には多くの恩をいただいた時代がある。

それを何十倍にして社会に返さなければ、いけない。

それが現代のNoblesse Oblige、である。(私見)

現代の日本には、生まれついての高貴な身分(ノブリス)というものは、そぐわない概念だが、努力によって、ある道のプロというレベルにたどり着いたならば、その道を行くプロとしてそこにたどり着くまでにもらった様々な糧に、それをくれた人々に、多くの恩義がある。

決して誰も、たった一人で、何かのプロにはなったりしない。孤独に取り組んだとしても、食事も衣服も、画材や道具や、いろんなものを使う。医療制度も使うし、道路も使う。そういったものがたくさんあって、その時にたどり着いている。ましてや、専門知識は先人たちの知恵の蓄積であり、高度な教育を享受することは直接的、間接的に、人々から、いろんなものをもらっている。

そういう中で、たどり着いたプロには、社会に広く返していくべき恩がある。

私利私欲でものを考えず、損得なしに「あなたしかできない仕事」と言われたら引き受けたい。


4.長く行くには、志しと高収益のバランスがいる

もちろん、人間の一日の時間は有限で、限りがある。また、仕事をするには、さまざまな必要経費もかかる。交通費、部材、道具、外注、もろもろ。

なので、世界中のすべてを幸せにしようという不遜な考えをもったり、継続性がないやり方でいつか破たんするような展開をしてはいけない。

未来の顧客へ誠実であれ。

未来において、時々、あなたのサービスが本当に必要だという人が現れる。その時に、その前につぶれてしまえば、顧客にはサービスができない。長く継続できるように、価値提供の仕方にも、デザインがいる。それを土台として持った上での、私利私欲におぼれるなかれ、という姿勢がいる。

信じた道を長くいくには、ハイ・プロフィットと志し、のバランスがいる。

価値創造の分だけ、或いは、「ありがとうと沢山言われた分だけ」、貨幣が回ってくる。沢山、価値を作り、健全な収益構造を作ることが、志しという器に、中身を沢山入れていくことになる。

沢山儲けて、いっぱい世の中の為に使う。

特に仙台においては、震災後の世界が日常生活と同居している。復興というのは一瞬のファッションではない。震災では遺児孤児も沢山生まれて、地域や社会が多層的に彼らを育む必要がある。沢山の税金、たくさんの私的な資金、そういうものがこれからもずっとずっと、必要で、一企業の中でのバランスだけで、トントンでよいかといえば、違う。天秤の志し側に乗るものは大きい。そのつり合いに向けて、プロフィットを生み出す流れもまた、大きいものがいる。

代表としては、それを作り出し、伸ばし続けることもまた、大きな社会使命の一つと考えよ。


5.有限の時間の中で、多様な形で、社会的価値を提供せよ

志しや、生涯直接会うことのできない潜在的なお客さんへの愛を、具現化するためにも、有限の時間の中で最大限に価値を提供できるように、生み出すものの形やスタイルにも工夫すること。



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6.一年後と十年後の自分への3つの問い

今年の誕生日(8月22日)のブログは、40代の10年の自分への問いかけ、という、長い視座が必要で、かなり長い時間をかけて考えました。

40歳を終える時の自分(2014年8月21日)と、
40代を終える時の自分(2023年8月21日)への3つの問い

  1. 「顧客への圧倒的な愛が、製品のフォルムに宿るような仕事をしていますか?」

  2. 「人々への愛を持って、道を極めていく努力を続けていますか?」

  3. 「有限の時間の中で、多様な形の形で、社会的価値を提供する工夫をしていますか?」

6-1. 一つ目の問いについて


この30代の10年を振り返り、最も、自分が情熱をもらった出会い、それは、私の中の”尊敬される企業”のモデル、中村ブレイスさんの訪問でした。。それ以降ずっと、仕事とはこうありたいと思った強い意思があります。それは、「顧客への圧倒的な愛があり、それが製品のフォルムに宿るような仕事」をしたい。と。

中村ブレイスで中村さんにお会いできた時のメモは、いまも、私が迷った時に、よりどころにしてきた大事なものばかりです。40代を終える時の自分が、よりどころにするものがあるとしたら、また違ったもの、あるいは、原典を忘れて自分の言葉として生み出しなおしているかもしれません。でも、その原点はここにある。といつでも戻ってこれるように、この節目にこの言葉を立てておきます。


6-2. 二つ目の問いについて


30代は、商社を卒業し、大学院博士課程に進み、独立行政法人のフェローに登用され、大学発ベンチャーに駐在し、二つ目の博士課程に進み、それらはすべて、アイデアプラントの事業の中核をなす経験として積み上がりました。そして、30代の後半5年間は、アイデアプラントの創業者として、いろんなビジネスパートナーとともに歩んできた日々でした。

30代後半の5年を振り返ると、ちょうど真ん中あたりで、巨大地震(東日本大震災)を、2011年3月11日に仙台で体験し、人々と乗り越えて、生きぬいていく日々を過ごしました。そこで私の役割に予想外の立場が生まれました。ファンドロイド・イースト・ジャパンの初代理事長です。震災後の東北のクリエータやエンジニアに、スマートフォンの開発の仕事を作り出そうとして、まだ強烈な余震の中で、面白法人KAYACさんの連携的な支援もいただき、ファンドロイドが立ち上がりました。2023年の自分から見たときには、「かつてファンドロイドとして立ち上がったそのコミュニティーは、現在の〇〇となっているものだ。懐かしいなぁ」というものかもしれません。

この30代の終わる最後の2年強を、震災からの復興として過ごす中で、自分たちが躍動感を持って、いろんなものを生み出したり変革したりしていくなかで、不遜な気持ちが生まれていなかったか、他人にはわからないけれど、自分の中で、手を抜いた仕事(=完全燃焼とは言えない仕事)をしていたのではないか、と。一日に何役もこなそうとすると、目の前の仕事に全力でぶつかって、その後、倒れるようにしてホテルに戻って眠る、ような仕事の仕方はできない、ということも震災直後の一年はありました。が、そのうちに、そういう仕事スタイルを是とし、道を究めるよりも、過去の資産(身に着けたこと)の中で仕事をしてしまおうとする、怠惰な気持ちが頭をもたげたのが、30代の終わりの自分の中の出来事でした。

今日が人生の最後でも悔いがない日を毎日送りたい。その言葉に偽りがある日を何度か、してしまったのも事実です。

40歳になる前後のワークショップが、人々の目に「いつも以上に、やっている石井」と映ったようですが、創業のころの自分は、毎回そうでした。終わったら、へとへとになるような、そんな仕事の仕方をしていました。

40代の10年間、自分がそういう仕事を、ずっとして、最長不倒距離を、30代の私よりも、更新してくれていたら、と思い、この節目にそれを書きました。


6-3. 三つ目の問いについて


40代の自分に、もっとも問いたい問いは、これです。40代の10年、仕事はますます忙しくなっているでしょう。(そうでなければ、いろいろと、まずいですが、多分、自分が自分である限り、そこは、大丈夫かと。)その中で、今以上に突き当たるものがあるはずです。それは、時間が有限であること。アイデアワークショップのような、直接的に提供できる価値提供の仕方は、30代の終わりごろ、年間50回強のワークショップをする状態で、上限が、うっすら見えています。

有限の時間の中で、出来るだけたくさんの価値を提供する。そのための工夫をする。そういう10年を過ごして50歳にたどり着いてほしいと強く願っています。そういう姿勢を続けない限りは、自分の道を更に極めていくことができないでしょう。多分、性格的に、現状維持だけで拡張性のない数年間を過ごすのはつまらなく感じるはずです。

年間で受けられるワークショップの数を上限いっぱいまで広げたとしても、せいぜい、90回。前後の移動を含めたら180日(=一年の半分)以上、ホテル住まいになりますが、さすがにその辺が、新しい価値を作り出すために時間を取りつつの仕事となれば、限界でしょう。新しい物事を作り出すためには、まとまった勉強をするための時間が必要で、その他にも、ワークショップというのは、設計や打ち合わせの時間もかなり掛かりますので。

だとすると、多様な形で、価値を提供する工夫、とは、何か。それは、ブレスターのように、自分が直接提供できない体験をユーザの懐で展開してくれるアイテム(製品)を作ること。これにより、いまよりももっともっと多くの人に何かを提供しているようになっていたいです。

また、アイデアワークショップにしても、それを、再現しやすいようなアプリや動画やキットの形にして、やりたい人が気軽に出来るようにしたり、或いは、人材育成講座のような形で、アイデアワークショップのできるファシリテータを育成する、という方向性もあるでしょう。

メディアや書籍において、アイデア発想ワークの実践に役立つ記事を沢山書く、というのも、一つの方向としてありかと思います。

時間は有限。その中で、おのずと直接的行動には、いずれ物理的限界が来きますが、それに全て費やして、継続できない状態にする、新しい知見の蓄積がおろそかになる、という状態にしてはいけない、といつも思います。年間に登壇できる回数が52回まで、と仮に自己規定するならば、それを超える分の依頼や要望に対して、効果的な打ち手をさまざまに展開していく、そういう、創造性の発揮をした10年だったと、振り返れると最高だなぁと、40歳になる自分は思います。

6-3.について、言葉を重ねます。

この3つ目については、すこし拡張して、社会における閉塞、自分の中での限界、という、「塞ぐもの」を壊さんとする10年でありたい、そのためには、多くの人が歩ける道を作り、次々と人が入っていけるような、流れを作るべきだ、と考えてもいました。「破塞創流」(ハサイソウリュウ:閉塞を突破し、流れを作り出す:造語です)。

そういう、創流、という立場に、立っていくのが40代の覚悟の一つかもしれない。そう思います。タイトルの”創流”、は、ここからとりました。


6-4. 四つ目の問いについて(3つの問いに対応しませんが)


”幸せな家庭を描き、自らその実践のために動いていますか?”

これは、私が30歳になった時に立てた4つの指針の一つです。30代の10年を振り返ると、そのための姿勢はあった。でも、家族との時間をゆっくりたくさん取れたかと言えば、年間で100日以上ホテルに泊まり、旅仕事。ひとたび仙台を離れれば、一か月以上戻れず、娘たちの授業参観や発表会に行けないことも多かったです。

40代を展望した時に、40代の終わりごろ、2021年(48歳になるごろ)、長女は大学受験の年で、翌年の49歳になった時には既に家を出ている可能性もあります。ざっくり言えば、家族全員が一緒に暮らせる時間は、残り3000日ぐらい。

50代になってから、余裕ができて、自宅に長くいられるようになってもその時にはすでに娘たちのいない家、かもしれません。その頃の自分にたどり着くまで、充分に、子どもを育てる・家族の時間、というものを楽しみたいし、妻や子どもたちにとって、幸せな家で過ごしたと思えるような日々を作れるよう、努力をしたいと思っています。と言いつつも、やはり旅仕事、出張がち、にはなるでしょうけれど。

それでも、姿勢や心意気としては、そう思いつづけている父でありたい、そう思うのです。

(いつか、大人になった娘たちがこのブログを読んだ時に「パパは全然そんなに家庭をかえりみてくれなかったヨー」と言われるのかもしれないけれど、それでも、姿勢としてはそう思っているんだよ。)



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7.最後に。もう少し長い、展望の届く先にある引退までの10,000日

自分の生涯を考えたときに、43歳ぐらいが1つの着地点で、これぐらいまでは全力疾走をしていくつもりでいます。

気が付けばそこまであと1,000日ぐらいのオーダーになりつつあります。

事業からリタイアする時期を想うと、父の体力から推定するに、70歳、あと30年。日数で言えば、365日×3×10≒10,000日ぐらいです。

あと、10,000日たつと、いまのような、事業の現場、現役の中で、自分が直接社会に価値提供できる時期が終わる。

それ以降は、どんなに望めど、いまと同じように、オンタイムで、リアルな価値生成と提供はできない時期になります。

20代の自分には永遠に思えた未来。
30代の自分には少し、人間は老いて終わりがあることを気配で知りました。
40になった今、まだ長い先を思えど、現役引退の日までの想像をするに至る段階に至りました。

そんな流れの中で今思うのは、70で引退する日、「私は、どんな世界の中で、どんな方向を向いて、ゴールテープを切るのだろう。」ということです。

2043年8月22日の70の石井翁は、父の姿とよく似た姿をしているだろうと思います。

多分、元気で、あれこれ企画して、損してもいろいろと、いろんな役回りを買って出ているのだろうと思います。

個人のレベルはそんなところだろうとして、さておき、30年後の未来において世界はどうあるのだろうとも、思います。

20年たつと子どもたちは、いまない職業に半分ぐらいの確率で就くと予測されていますが、その頃のアイデアプラント、というのは、極めてコモディティー化した事業なのか、或いは、創造やアイデアというのは、遠い未来においても、なおも、未踏の闇が深く、人間の試行錯誤であり、その活動を助ける仕事というのが、高い価値の仕事として存続するのか、その点もとても興味があります。

また、世界情勢はこれから、天下泰平を謳歌した日本に厳しい状況を作り出すだろうことも、予想されます。

また、日本は私のいきている間にも、阪神淡路大震災と、東日本大震災を20年スパンで経験し、次の20年、さらに次の20年、大きな自然災害に日本は見舞われていく可能性が高いだろうと思います。このブログを仮に70歳の自分が見たときに、”あれから一発の大きな地震も来なかった”と言える確率は、極めて低いはずです。国難と言えるようなダメージも受けつつ、さらには、人口が長期的に減少していく日本、その影響で、生産力の絶対値もさがり、経済的にシュリンクしていき、アジアの東の端にある島国の一つ、というプレゼンスの継続的な低下を甘んじて受け入れていく中で、それでも、この国はどういう文化や経済の積み上げ方をしているのか、という点も、とても興味があります。

2013年、40歳になった時の私は、30年後を想い、そんなことを考えていました。


(追記:今年の8月22日のブログは、当日が大忙しだったこともあり、9月1日の21時過ぎにようやく書き上げました。)

posted by 石井力重 at 06:00 | 8月22日

2012年08月22日

生涯、学び続けよ

本日、2012年8月22日、39歳になりました。
毎年、この日のブログは、特別版で、自分の一年前の問いに答えつつ、次の一年を見越したことを書いています。今年も、そうします。

39歳の私の問い

「多くの人を愛し、その人たちが幸せになるように、何かを作っていますか」

これについては、はい、とはっきり言えます。具体的には次のように答えることができます。


●アイデアトランプ(2012年3月14日、リリース)

・通常のアイデアプラント製品として、幅広い層へ(特に親子で使う事例も出てきました)
・被災地支援活動者への無償提供
・子供向けのワークショップ(東北大でのサイエンスデー等)

●アイデアワークショップを世界へ

・TRIZ Card(智慧カードの特別(他言語併記)版)
・IDEATRUMP(アイデアトランプの特別(他言語併記)版)
・Brainstorm Card(ブレスターを大幅に単純化して4枚のカードにしたもの。アイデアトランプのゲームの第二段階用として作った物で、簡易的なブレストのルール、のカードとして参加者にあげることも)

国際化の目的は、今後20年の変化を見越しての事です。
産業シフト、超少子高齢化、ITの発展による高度翻訳環境の充実に伴う日常的コミュニティーの広域化が、今より学校や職場をもっと国際的なものにすると予測しています。
アイデアプラントの仕事は、アイデア創出の支援です。ぶれずに続ける事業であり続けるには、予測される未来の社会に向けて、我々のあり方は常に変わり続ける必要があり、今は国際化のトレンド感に対して、実際に渡航して海外の創造的な営みに対する感覚をつかむ活動をしています。今は、純粋に開発投資となる渡航費用ですが、事業の5%ぐらいまでは、開発費としてむしろ使い続けるべきだろうと思っています。

●日経ビジネスONLINEにて、アイデアワークの連載(現在、連載進行中)

拙著『アイデア・スイッチ』では書けなかったアイデアワークの本格的な4つのフェーズ、および、創造的風土の要因について、つぶさに書いています。原稿は作品ではないでしょう、と指摘を受けそうですが、私には、それも一つの作品だと思っています。創造する組織や、現場で創造的努力をする人に、追い風を作るために、CEOやマネージャ層に届くような紙面(Webなので画面、というべきかもしれませんが)で、余すところなく書いています。

●各フェーズのパーツが整いつつあるアイデアボード開発プロジェクト

形になるにはまだまだ大きな努力がいります。今は各フェーズ(特に第0フェーズ「テーマ設定ワーク」)の知識要素の基本ができた段階であり、それを道具なり、ゲーム的教材にするなりにするにはこの先膨大な時間が要ります。知識のさらなる蓄積、モデル化とその実践の繰り返し、アイデアボードの開発メンバーとの構想ブレスト、アイデアを試作しテストプレイをすることを繰り返していく必要があります。最大のネックは、開発のコアメンバーがあまりに忙しくなってしまったこと。最近、震災後の復興の動きがひっ迫したものあり、ろくに会話をできていません。一番自分が大事にして、そして、一番楽しいとおもっている「作品開発のブレスト」を、後回しにしていたんだなぁと、今、振り返ると思います。

●大量の、ワークショップ

企業や組織に呼んでいただいてアイデアワークショップを行いました。毎回違う内容、時には全くゼロから、創りました。どうしても量が増えると、時間的に重なる依頼が出てきてお断りすることも出てきましたが、いつも断腸の思いでいて、何とかして受けられないだろうかと思っています。そうしているうちに、仙台の自宅を出たっきり半月近く、日本国内を行脚しているような仕事スタイルになっていました。

以上、39歳の私の問い、に対する自分なりの答えでした。



■ 震災から一年を迎えて

震災。そこからの復興。その後の社会のそのムード。
この一年でずいぶん変わりました。

2011年の暮れに向かってTVニュースは「A地区の被災地の避難所が解散となりました」と報じることが増え、ついには、全ての避難所がなくなり、それが”震災は終わった”という社会的ムードを作りました。

私は自宅は仙台ですが仕事柄、東京、関西、他の地域に滞在している時間が長いのですが、他の地域ではニュースが全く震災後の被災地の事をやらなくなったことも感じていました。

私自身は、親しい人の喪失という悲嘆にくれる心理からの回復をゆっくりたどり、津波でなくなったエリアを訪れる心構えができたのは今年(2012年)に入ってからでした。

年明けすぐの1月3日にようやく沿岸部へ行きましたが、閖上(ゆりあげ)、そして南三陸に行ってみると、荒涼とした風景が広がっていました。高台に上がってみると見渡す限り、家の有った痕跡(家の基礎ブロック)だけが残る風景がずっと遠くまで続く「更地の町」でした。

ニュースの報じた「避難所がすべて解消された」という言葉は事実で、沿岸部から遠い所では、復興がなされたかのようなムードが漂いました。しかし、それは、それは「避難所にいた人が元の生活に戻っていった」こととは全く違うのだ、と愕然としました。311から数日でもどれた避難者の場合は「避難所から元の生活にもどった」ケースが多かったでしょう。しかし、数か月過ぎて避難所にいた多くの人々は、住んでいた自宅に戻ることも出来ず今なお、冬は寒く街から遠い場所にある小さな仮説住宅にいます。”住宅”といっても、一戸建てのしっかりした家とは違います。まさに、仮の、住める箱、です。


震災から1年ちょっとがたった2012年5月、津波にのまれた南三陸(志津川)の友人が、DNA鑑定の結果発見された、との情報をうけ、7月末に納骨されている寺に手を合わせに行ってきました。

町は正月に来た時と同じ、更地の町のまま。経済的な要因もありますが、元の住民でも次の1000年を考えると、建設許可エリアの問題があり、家を底に立てることは、行政的な保留がなされている面もあるのかと思います(ニュースで聞いた建設許可保留エリアのある地域がここにもあたるのか、私はわかりませんので、断言は避けておきます)。


この震災からの復興というのは、一時の作業ではなく、20年30年というスパンで続いていく問題であり、特に、その中でも、遺児や孤児の問題が最も長く続くでしょう。家や道は、資金しだいでは形を戻すことはできる可能性がありますが、絶対に戻せないものがあります。はっきりと書けば「死んだ父母は未来永劫、絶対に元に戻らない」わけで、そうしたことを抱えた幼い子供たちは、平均寿命の観点から行けば、80年以上生きて、何%かの人は、22世紀を迎えるでしょう。悲嘆(グリーフ)というのは、忘れることができるタイプのものではなく、悲しみと同居していくことが、せめてできる唯一の事のようです。

この時代に、大人として同席したものとして、そうした数十年のオーダーで「震災からの回復の途上」が続くことを心に刻み、自分の立ち位置からできることをいつもしていこうと思っています。アイデアプラントという生き方を通じてそこからできていく作品として、そういうことをしてゆくのだと、肝に銘じています。ずっと続ける、とは、そういうことだから。

・・・



さて、この一年を見通し、どこを目指そう。

そう、昨晩からずっと、考えていました。

私たちのコンテンツは、2007年前から生まれはじめ、拡充してきました。
次にすべきことは2つ考えられます。

1)既存のコンテンツに新しい形を与える努力をする。

2)コンテンツの幅を広げる新しい学びを得る努力をする。


多分、記事を書く、というのは、1)の前段階である「今までしてきた暗黙知の形式知化」段階であると思います。そうしてふわふわしたものに一定の基礎となる足掛かりを作って、変化形を作ることができるのでしょう。

2)の方は、良く知っている専門知識に終始せず自分の知力の枠を拡げるために、学ぶに没頭する、ということで、来年は不惑(40歳)を迎える時に、「学びづつける姿勢を持っているか」ということがその先の40代の生き方を大きく変えるのでしょう。特に私のような仕事をする者にとっては。

アイデアボード開発プロジェクトのまい進もありますが、次の開発行動も見据えての今年一年を送れることが、このタイミングではとても重要だと感じます。


40歳の私への問い

「既存のコンテンツに新しい形を与えていますか?
学び続けていますか?」



・・・

今、39歳になった私が想起するシーンがあります。大学院博士課程(経済)で、単位は取りきったものの学位は取らず退学した日の事です。当時の私は「学び続ける姿勢が大事である」と先生から教えてもらったような気がしました。

 ”生涯、学び続ける姿勢を持つ、その心のありようが大事なのだ。

 そう、指導教官が、言外におしえて下さっていたことを、
 一生、忘れたくない、そう思うのでした。”

 http://ishiirikie.jpn.org/article/36791714.html (2010年4月1日のブログ)

・・・

posted by 石井力重 at 23:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 8月22日

2011年08月23日

海、眼鏡、足跡

若いころは、誕生日の日は、海の上にいようと思って船に乗ったり、なにかしら海に出ることをしていました。今年の8月22日もたまたまその日にいた場所が海に近い所だったので、少しぶらぶらしていました。

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見えている世界。本当の世界。

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海も砂浜も、人工物よりずっと、でかい。

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自然に任せてたどり着いた形が砂浜。大きなシステムの中で一部を変えてもやっぱり戻されちゃう。

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アシカのような流木。

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砂に磨かれ曇りガラスと透明ガラスが同居した瓶。もともとはどっち。

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猫か。

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塩だらけ、砂だらけ。それでも、生える。命は強い。

posted by 石井力重 at 13:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 8月22日

2011年08月22日

2枚のお札「戦略の本質は捨てるにあり」と「志ある所に道は拓ける」で不連続な時代を行け |

2011年8月22日。38歳になりました。

毎年書いている、「8月22日」(誕生日の日)のブログ。今年は、当日に書きあげられませんでした。この一年は、変化があまりに大きすぎました。しかし、やはり、書きます。

昨年の私が、38歳の私に投げかけた問いは、次のような物でした。

• 縮小社会において、チャンスとなる流れを見出していますか?
• 開発において、評価軸をもち、情熱的に動き、深い愛をもって仕上げていますか?
• 顧客が一点突破できるよう「創造支援」していますか?

珍しく、3つも問いがありました。

1つずつ、問いに答えてみます。

「縮小社会において、チャンスとなる流れを見出していますか?」

昨年、2010年8月22日に予想していたよりも、縮小社会のトレンドや経済のシュリンクは、大きな衝撃により加速されています。もちろん、逆のトレンドを短期的に取っているところもあります、復興で伸張している一部の産業です。総じていうと、人口面では縮小していくこの社会は若者の海外就職が顕在化する数年後にむけてより重要な問題になるでしょう。少子高齢化から、海外就職高齢化、に相当する言葉が出てくるはずです。

こういう局面というのはピークを過ぎた国には見られることで10−20年のスパンで見れば、今の産業伸張力のある国でも見られるはずです。それぐらいの長期でいうと日本はまた違った局面を迎えているかもしれない。そう思います。

縮小社会に突入してみて「チャンスとなる流れ」とはそもそも何か、それ自体の定義も難しいとはありますが、答えてみようと思います。

縮小社会が生み出す一つの流れは「自分で化」だと思います。

「社会で余剰な物」が、発展期と衰退期でまるで違います。前者はお金、後者は時間。今の社会では、可処分所得が減り、一方で時間は余ります(ただしポジションによっては過酷な労働環境にあり、必ずしもこの限りではありませんが)。

お金はなく時間が余る縮小社会のトレンドにおいては、「欲しいものを自分でつくる」「欲することを自分でやる」がよく見られます。個人では外食が昼食・手作り、になったり、完成品を買う代わりにDIYへシフトしたりしています。

企業内も「自分で化」が進みます。研修、人材育成、社内の制度設計などが、外注から内製へ流れが変わり始めています。大手コンサルに湯水のようにお金を払った時代から必要なパーツだけを社外に依頼し自分たちで人材を育むフレームワークを作るような傾向が強くなっています。成長期には営業代行のレップ制度が流行りましたが、現在は自社の力で売っていこうという傾向が再び強くなっています。大手企業の下請工場を訪問しても、その下請会社さんでしかできないこと以外はかなり少なくなっています。これはもはや下請けという業態ではなく、独自技術を提供する中小企業へと、強制的に転換を求められている社会になったということでもあります。(もちろん、これらのトレンドがすべてではありません。逆にやはりファブレス化を推進しているところもありますので)

なお、家庭にしても企業にしても、この「自分で化」は実は幸福度の増える可能性も含んでいます。今年の3月30日にこんなことを書きました。「人は手作りする機会が多く、お金を使う機会が少ない暮らし方をしている方が、幸福度が高い。という説があります。手作りでいろんなものを作る社会。それが復興後の「新しい発展」の1つの姿では」

創造力など、人材開発研修に役立つ道具を私たち(アイデアプラント)は創っています。これまで創造力などの人材開発の研修には、フルパッケージが好まれていたところがあります。ですが、近年、自分たちでそれをやろうとする動きも増えてきました。私たちの道具がそういう時の補助ツールになっていることも知りました。大手の研修機関のパッケージではカスタマイズはきいても、自社の思想をベースに研究プログラムをゼロ構築することができないため、自分たちでくみ上げてたりない所だけを探してきて適用する、そんなスタイルをよく見るようになりました。そういうトレンドを見ると、アイデアプラントとして社会に求められていることは、非常にたくさんあるなあ、と思っています。今は私の所には、ワークショップ込みで依頼される企業さんが多いですが、徐々に、道具の提供がメインになると考えています。それを踏まえて、既存製品の進化形も作っていきたいと思っています。

“縮小期の社会に出現するチャンスがある。”それはまだうまく見切れていないのですが霧の向こうに存在するのは感じています。自分の周りの事は見え始めています。でも社会の広いエリアではそれがなんであるのは、もう少し視力を上げてよく見ないと、いけないかもしれません。


「開発において、評価軸をもち、情熱的に動き、深い愛をもって仕上げていますか?」

評価軸)アイデアプラントの究極的な命題は揺らぎませんから、軸の点はだいたいOKです。ただ、具体的な適用のレベルになると、柔軟に開発の評価軸を再定義していく必要があるだろうことは、常に意識しています。先の所にも少し書いた通りです。もっというならば、IDEAPAPERのように、従来の開発思想には当てはまらなかった製品のヒットを受けて、私たちが取りえる選択肢には他にも可能性がある、と気づかされました。評価軸がぶれないということはかっこいいことのようでいて、長い時間スケールにおいては、功罪がある。究極的な命題は揺らがず、しかし、短期的な行動レベルでは、別の考え方を試したりするのは評価軸自体についても、そうなのだろう、と思います。ということで、具体レベルでの評価軸は、変えていくためにしばらくブラしてみようかな、と今の私は思っています。一言でいうならば、いろいろ作るためにいろいろ試そう。と。

情熱)常に情熱的に開発をしていたか、と言えば違うかもしれない、とも思っています。こども向け発想ツールを震災の避難先で作っていたことを踏まえれば、ここはYESでいいかもしれませんが、「頭をいつでも開発に向けていたか」といえばそうでない時期も結構あります。こども用ツールも、他の復興支援にかまけて、進捗を長らく停めてしまっています。情熱というのは時に、周辺の物をなぎ倒してまでまっすぐに突進していく巨大な鉄球のようなものだと思うのです。小器用に止まれたりハンドルを切れるものとは違う、そんな気がします。復興支援の展開が続く状況で、数か月、今しばらくは厳しいかもしれません。

愛)深い愛をもって仕上ているか、というと、自分に正直にいうならばNOかもしれません。時間の無さを言い訳に「形になる段階」を人にお願いしていることが結構あったことに気が付きます。それは自分が望む“ツール作家”としての生き方とは反していることに、いまここで気が付きます。使ってくれる人を見つめるまなざし、使っている人の手元でどうそれが、もってあそばれるか、をそれを何度も何度も見ようとする姿勢がどこまであったのかを、自問したいところです。ストイックかもしれないけれど、顧客への圧倒的な愛を持ち、その愛が製品のフォルムに宿る、僕は尊敬する企業を見てそういう仕事をしたいと強く思いました。それは変わっていくなかで変わらずにいること。今の私はそう思います。心に愛がなければ、お金というのは感謝の物質化したものじゃなく、労働力の物質化したものに成り下がります。アイデアプラントというのはそういう組織では、うまく物が作れなくなります。

職人のように、何度も使う人の動きを想像し、地道に時間をかけて丁寧に作る、そうありたいのです。


「顧客が一点突破できるよう「創造支援」していますか?」

これについては、心意気としてはYESと思っています。震災後、大量のアイデアワークショップをしました。企業向け、大学向けのも、かなり行いました。お客さんのことを本当に愛して、その人のために、と考えて、ワークショップを設計し、創造支援をできたか、と言えば、できたと胸を張りたいところです。

ただ、創造活動の組織的行動を設計する支援に関しては、もうすこし修行が要るなあ、と思うのです。もっとよい何かを提供できたのではないか、という可能性も、時折、感じます。


そんな感じに、過去の8月22日の日記を振り返ってみました。


・・・

さて、一方で、今の時点に戻ってみると、今年(2011年)は、不連続な未来にたどり着いたなあ、と思います。

なんと言っても、2011年3月11日。東日本大震災。我々は多くのモノも、仲間も、失いました。東日本で、親の一方をなくした子供が1200人規模。両親ともなくした子供が250人規模で、います。

地域の子供達が、未来に、もっとたくさんご飯が食べられ、もっと希望あふれる道をゆけるように、この時代に生き残った大人たちは、破竹の勢いで豊かな未来へ全力で進まねばならない。そう思うのです。

震災後一ヶ月は、皆、友人や故郷の街そのものを失ったショックで茫然自失の時間を生きていましたが、今の地域の空気は違います。復興への強い志し。渦巻くその気運は、人々に多様なチャレンジをはじめるエネルギー源となりました。個々人の生活が疲弊するようでは長続きしませんので長く続けられるようペース配分はいりますが、皆、120%出力で疾走しているようなところは、やはり今もあります。

今時期はお盆を過ぎたところです。今年は、新盆を迎える人(故人)が大量に出ました。悲しい現実。それを受け止める段階で張っていた気が緩む感じもあります。夏が過ぎ、秋風が吹いてくるころ、本物の志や情熱の人と、一過性の人が、分離していくと思われます。被災地以外からの支援に一足先にその現象は見られました。次はこの地域自体がそのフェーズを迎えるでしょう。だれも責めることはできないし、短期的にでも、志しに動いていた人々に感謝をしなければいけないと思います。あるいは、無理のある形から、長く続けられる形へ徐々に変わっていくことも皆が受け入れていく時期でもあるでしょう。

フェーズが変わる。本当に経済的な深刻さを迎えるのは、雪が降り始める前ごろからだ、と私は見ています。この予想を来年の私は“杞憂だよ、ばかだなぁ”と笑っていられればいいなぁと願うばかりです。今の私にできることはあまり多くないですが、その時期への備えとして、クリエータの仕事を作る活動に取り組んでいます。一年後の私にはそれがどう見えるのか、興味深い所です。

そして、もう一つ、時代の空気を語る要素があります。

“一度封印が解けたら御しきれない苛烈な龍を、我々は飼っている。”

放射能の長期的な拡散と電力に依拠する国内産業ダメージという経済的な懸念。これは国民の中でも、原子力発電所問題への姿勢を複雑なモノとしています。復興への見通しは希望の光と不信混乱の闇がマーブル模様のように混ざったものとして存在しています。

修士まで理論物理を専攻していた身として、科学と人類について最近、再びよく考えます。科学者の知性は時にブレークスルーを生む。しかし、我々人類はいつでも賢明であるわけでもない。利用できるが、出てくるものの有害さを消す事はできない。2011年のこの時代、我々人類の科学技術はまだずっと未成熟である。その事を謙虚に受け止めた上で資本主義経済を回すのでなければいけない。そう思うのです。

しかし、人間の強さを私は信じています。非常に困難な状況が来たとしても、人間は黙ってそれを受け入れはしない。きっと創意工夫がなされて、改善されていくものもかなりある。そう思います。医学の発達、排泄を促進する機能性食品の登場、新しい観点での健康診断、衣服の変化(よくある未来人のつるんとしたスーツというのは、花粉や放射性物質の付着を少なくし、エアによるパワーアシストをする良さそうな形にも思えますが)

・・・

いつもの、来年の自分への問いかけ。これは今年は悩みます。ことし達成したい目標を書いているのですが、果たして今年はなんだろう。この一年は、かなり踏ん張りどころになるだろうと思います。アイデアプラントの仕事が増えてきて時間的に非常に足りない中で、一つ一つ愛を持って仕事を仕上げていきたいし、新しい作品も作りたい。多くの人とかかわるプロジェクトの効果的な展開にもできるだけ、知恵を絞りたい。その意味では、この一年でどうしてもやり遂げたいことに、注力しそこで圧倒的によい仕事をする、ということなのかな、と思いつつあります。

「戦略の本質は捨てることにあり」と、かつて某先生が言っていました。そうなのかもしれません。何かを成し遂げるということは、捨てること・やらない事を決める事とも非常に密接な関係にあるのかもしれません。

一方で、「志あるところに道は拓ける」という言葉が、示すように、闇の中に道を照らすもの、それは、高い志し、ではないか、と思うのです。“捨てる“ということをやみくもに振り回すと、何も残らなくなります。とても素早く楽に行けるけれど、それは下り坂です。捨てる時には、聡明な判断をもって捨てるものを選ぶこと。

「戦略の本質は捨てるにあり」と「志あるところに道は拓ける」は、闇の中の時代を行く、二枚のお札。これをいつも胸ポケットにねじ込んでおいて、道を作りながらゆきたいです。



39歳の私への問いかけ。

39歳の私は「多くの人を愛し、その人たちが幸せになるように、何かを作っていますか


(幸せになるように、考えるだけじゃだめ。やっぱり、何か作ろう。それが自分らしいですよ)



過去の8月22日の記事(2006〜2010)
http://ishiirikie.jpn.org/category/792940-1.html
posted by 石井力重 at 23:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 8月22日

2010年08月22日

円熟は良い。しかし情熱と行動を。

本日、37歳になりました。昨年の誕生日、私が私に送った問い

37歳の自分へ

「お客さんへの圧倒的な愛が、
 製品のフォルムに宿る」
そんな仕事を出来ていますか?

について、しばし、考えていました。

多分、いつもいつも、そう考えている石井ではありますが、その思いの強さが弱いときや強いときがあるのも確か。それは例外なく心の中心においておくことではありますが、それだけでは、時々、突破口を穿つ槍の鋭さが、にぶくなっている気がしていました。それって何だろう。そんなことを夏の間思っていました。

最近、自分の心にあることを、ざっくり拾い上げてみました。

・流れを読めば機会あり

(日本社会は人口減少・経済縮小の中にあります。どの産業もしぼむビジネスにあえいでいます。閉塞感。そしてそれは長期にわたるもの。そんな大きなトレンド感をもっていると、創造的努力やそのベースとなる信念、意志の力、を沸き上がらせ難いものです。しかし、どんな時期にも、時流を読めば機会はあります。例えば、ある制度の導入が5年後に確定的、といわれているなかで、その研修キットを開発・製品化した事例が報じられました。なるほど、この事業はきっと一定規模の新規事業として立ち上がるだろう、と想像できます。時流を読めば、つねに変化はあり、そこに先回りして棹差せば、生まれる流れを自分に引き入れることは可能。変化のない社会では、新しい流れの誕生、という減少は乏しいですが、今は、変化が常につづきます。それが「下り坂」というものであって、人口の減少、企業の退場といった形で、変化が起こり続けます。それに伴い、「これから生まれる新しい流れ」をいち早く察知して、そこに先まわりして流れに掉させば、多くの水が流れ込んでくる。縮小社会も「新しい流れ」を生み出すエンジン。)

・残りの日の中で、一番若いのは今日である。大概の事もはじめるのにもっとも条件がいいのは今日だ。

(打てる手数がもっとも多いのは、時間が沢山あるときです。自分が生涯でもっている時間は、今日が一番多いです。なにか、新しい取り組みをするなら、今日、初めよ。”体制の整う時まで待とう”という台詞は、心理的惰性の産物。やたらと、とりあえず様子見、をつかうのは、バッターボックスでノーカウントからフルカウントにするようなもの。一打席目、一球目から、ふるぐらいがいい。若者特有の行動は、ワカモノでなくなる世代こそ、必要。)

・回転軸を作る人は一見、八方破れに見え、しかし、緻密。多くの人は逆だ。

(これは、京都のある産学連携の支援者を思い浮かべて書いたメモです。あまり熟した考えではないかもしれませんが、勢いや奇策の価値を忘れないために、やはりここに残しておきたい。力のある人が、全国から、彼のもとに一斉に集まる日があり、彼の作り出す回転軸の存在感を感じ取りました。神出鬼没な人ですが、そして内容も奇策といわれなくもないですが、それは成功するなら奇策ではなく、因習にとらわれない新しい戦略パターンが出来上がった瞬間である、とおもいます。奇をてらい失敗するのが「奇策」とのちによばれるのだと、私は思います。本質を強く打ち、しかも、その影響の及ぶ範囲を見通し、それらに細やかな配慮をしています。)

・捨て、一点を強く穿つ。そのベースには優先順位付け。そのベースには評価軸を明らかにする。がある。

(これは、 http://ishiirikie.jpn.org/article/40244426.html に詳しく書きました。新規事業創造の肝になる部分は、一点突破。そこにいたる活動になかなか口火をきれないでいるのは、根源的には「評価軸(あるいは価値観)が明確にできていない」こと。もし、評価軸があきらかになっていれば、優先順位がつけられる。優先順位がつけられれば、穿つべき一点をさらにしぼりこんで、すくない人材で十分に穴をあけられるほど、錐(きり)のようにほそく絞り込んで、一気に突破することができます。進入した暁には穴を広く開ける。それら事業創造・事業成長の大前提には「評価軸を明確にする」がある。新しい取り組みに、まごまごして、なぜか踏み切れないとき、仮説でもいいから、評価軸を作ってみる。具体的に評価基準を作ってみると、それが違っていたとき、人はそうと知ることができる。なので、仮で作り評価する。まずは、そこから回転しはじめます。)

・心豊かな社会への基点は「愛される経験を持つこと」にあり。

(心豊かな社会は、どうすればできるのか。ずっとずっと考えていました。仮説に次ぐ仮説をいくつもへていく論理展開なので、その確からしさは、石井の信念によるところ、としかいえませんが、私は次のような構造だと思います。
-人は誰かから愛される。
-愛される経験があるから人を愛するようになれる。
-人への愛が大きくなり、社会を愛し志しが生まれる。
-実現するために尊敬される企業ができる。
-尊敬する・される関係が沢山ある社会になる。
-その結果、心豊かな社会が生まれる。
最後の所は、もうすこし分解能を上げると、こうです。
心豊かな社会の本質は、物の財や飢えない食料の豊かさでは到達しない。尊敬する人が沢山いて、自身が尊敬される。そういう関係が織り成す社会が心豊かな社会の本質。)

・円熟は良い。しかし情熱と行動力への重しにしてはいけない。

(最近、思うのですが、すこし精神的な円熟味を帯びてきた気がします。自分でそういうことを言うのでまだまだ未熟であろうと、安心しますが、でも、他者への愛を常に考え続けると、次第に、安寧とか穏やかになり、なんというか、「情熱や行動力」のエンジンの回転数を下げるような影響もある、とふと感じました。これは二律背反ではなく、円熟かつ情熱、円熟かつ行動、というのは十分成立しえるのですが、ぼんやりとした心構えでいると、シーソーのように、他方があがれば他方が下がる、になってしまうところがある。そういう上手くないデザインではいけないわけです。創造には常に強い意志の力が要るし、情熱も大事です。円熟は、ブレスト的に言えば、後半側の「批判思考/ブレーキ/冷水」や「アイデアの強化部分」にあたる要素をたぶんに持っています。一方、情熱は、ブレスト的に言えば前半側の「創造思考/アクセル/熱湯」や「未成熟なアイデア(wild idea)の創出」にあたる要素をたぶんに持っています。両方大事。両方必要。ただし、時間で分けること。特に、いつも「冷水」は顔を出したがる。・・・そんな感じのことを、非言語的に考えていました。円熟という心理様式も、時には、すこし押さえてブレストする。荒れてもやってみる。それが大事だと思います。)


ことしの「8月22日の日記」は例年よりも、まとめられていません。しかし、それが今年の8月22日の事実の姿です。あえてそぎ落とさずに、このままのせます。


さて、最後に、38歳の私へのメッセージです。

・縮小社会において、チャンスとなる流れを見出していますか?

・開発において、評価軸をもち、情熱的に動き、深い愛をもって仕上げていますか?

・顧客が一点突破できるよう「創造支援」してますか?


(今年は欲張って、3つにしましたが、来年からは、絞った1つにするべきです。増やしたものを習慣にしてはいけません。贅肉と目標はほおっておくとおいたら増えて動きにくくなるもの。)
posted by 石井力重 at 23:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 8月22日

2009年08月22日

どれほど多くのものを、参加してくださる方に、渡せるだろうか

2009年8月22日。本日で36歳になりました。

石井力重_アイデア創出の技術

昨日の仕事中の一コマです。老舗の某メーカ企業さんの中で行った講義「アイデア創出の技術」をしている時の私です。
(参加者の方の肖像権に配慮して、すこし画像処理をしています)

このときの感想は、機会があれば、お客さんからいただければ、
差し支えない範囲で報告したいと思います。


いま、このブログを書いている場所は、
名古屋の東急ホテルの14階です。
エグゼクティブフロアー、といって
フロアーの入り口にセキュリティーのあるようなところです。

クライアントさんが用意してくださったのですが
今の私には、過ぎたる破格の待遇です。(ありがとうございます)

講義や創造工学ワークショップの仕事で、
私は全国を行きますが、非常に牧歌的な所に行った時は
一泊3000円もしない所に泊まることもあります。
セキュリティーどころか、鍵も怪しい、そんな宿も。
私の身の丈に合った宿はどちらかというと、
そういうところかな、とも。


全国で、いろんな人と出会います。

多くの人とは、人生においてたった1日だけしか接することが
できないわけで、私はその2時間なり一日で
「どれほど多くのものを、参加してくださる方に、渡せるだろうか」
と自分に問うています。

『伝えたい思いがある。』
という強い情念がなくなったら、
こういう仕事はできないと思うんです。

36歳の自分が未来の自分へ伝えたい今、とは、
そういう気持ちで仕事をしているよ、ということです。

毎年、誕生日は内省的なことや未来の自分へのメッセージを
書きますが、次の一年はどうでしょうね。

37歳の自分は、一年前の自分をどう感じるのか、分かりませんが、
願わくば、志しを極めて社会を豊かにする生き方をしていてほしい、と思います。

ちなみに「志しを極めて社会を豊かにする生き方」と書きましたが、
これが「私の考える”しごと”(志・極・豊)」であり、
「私なりのノーブレス・オブリージュ(プロは社会的であれ)」
だと思っています。



37歳の自分へ

「お客さんへの圧倒的な愛が、製品のフォルムに宿る」
そんな仕事を出来ていますか?




過去の8月22日の記事(2006,2007,2008,2009)
http://ishiirikie.jpn.org/category/792940-1.html
posted by 石井力重 at 06:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 8月22日

2008年08月22日

非才なるも「徹信」が一流を持たらす

才能がある人のことはよく分からない。
無い人の場合について考えた。

才能のない人は、一流になれるか、なれないか。


救われた命を奇跡を思い
自分の仕事を使命と信じたら
その人の仕事は、一流になる。


命すくわれる経験をしなくとも、
徹底的に信ずることができたら、
一流がもたらされる。

凡(非才)なるも、徹底的に信じる、が一流をもたらす。




今日、8月22日で、35歳になりました。
開発参考資料としていじっていた
ニンテンドーDS(13歳のハローワーク)の
画面を見つめながら思った
35歳の最初の感想でした。

いよいよ、30代が後半に突入しました。
「40代」を意識し始める初めての経験です。
精神年齢が子供のままなので、自分が30代であることに
やっと慣れてきたぐらいなのに、もうすぐ40代がくるんですね。
5年後くらいには「ちょいわるオヤジ」なんて言葉はなくなっていて
その時代なりの「40代・50代をエンジョイしよう」という
コンセプトがあるんでしょうね。
むしろそれを創造する側になっていたい、ふとそんな気もします。
そういうビジョンを思い描くと、歳をとるのも
なんだか楽しみなような気がします。
posted by 石井力重 at 02:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 8月22日

2007年08月22日

「覚悟」は「不安」の暴動を制圧する。

8月22日。今日は34歳の誕生日。はじめてブログを書いてからちょうど丸三年。

実家の母親に、ノルディックウォークのポールをプレゼントしました。足の負担が減って全身の運動量はむしろ増えるという、ウォーキングにとてもいい道具です。たまには、誕生日を「生んでくれた人へ感謝する日」と考えてみるのもいいですね。


さて、「不安」を無害化するための工夫、について書いてみたいと思います。「現代という不安を生きる」人々への、あるいは自分自身への、メッセージとして。


1.不確実要因(あるいは情報の無いこと)が不安をもたらす。

人間誰しも不安はあります。人間の社会には知らない情報や出来事が沢山あります。生きていくということは、そういう不確実の中で常に何かを選び取っていく(意思決定していく)行為の連続です。それはすなわち、絶対に100%と保障できる選択肢は本質的にない、ということ。

不安の要因は、いくつかあります。まず、「知らないこと」「持っていない情報」というのがあります。加えて更に大きいのは、「未来」です。未来という「不確実な状況」がいつも自分の少し先にあることです。「一年後」はいつでも誰にでも存在します。

2.経営・計画・予測は不確実要因を減らすが、完全には不安の無害化はできない。

未来を不確実な状況たらしめないように、人間はあれこれと努力もします。分析をして未来予測をします。一種の経営という行為をおこなってリソースの最適運用を行い、未来を計画的に作れる段取りもします。沢山勉強したり情報を集めて、極力、意思決定に不確実さがないように努力もします。

しかし、本質的に、未来とはは「まだ起こっていない状況」であり、多かれ少なかれ予想通りにならない可能性を必ず含みます。高い確率でうまくいくように計画された取り組みは、あくまで「高い確率」なだけです。情報収集もそうです。完全に100%の情報を集める、というのは不可能です。人間ができることは「なるべく100%に近づける努力」をすることだけです。

注:経営(あるいは計画性)や情報収集は、決して無駄なことではありません。むしろ必要なことです。不確実な要因をゼロには出来ないけれど、確度を上げることはできます。ここで言いたいのは、不安というものへの対処においては、計画をどれほど几帳面にしても、本質的に不安はぬぐい切れない、ということです。

3.不安の暴動は、誰にでも起こりうる。

人によって不確実性に対する受け止め方が結構違います。また、自分の置かれている状況、立場、直前の出来事、などによっても、不安を感じる感じ方は、大きく変化したりもします。誰しも不安になることは、やはりあると思います。



では、どうするか?

不安に対抗する充分に強い敵、つまり「不安の天敵」を心の中に飼って置くことで、不意に暴れだす不安に、とっさに抵抗が出来ます。

それは何か?

それは「覚悟」だ考えています。言い換えると、不安の暴動を制するのは、本人の心の有り様、意識の持っていき方だ、と思います。

覚悟という心のありようは、気概、気迫といったものを醸し出します。また、成功失敗五分五分の際に、意思決定しなければならない、そんなときに、えいっと決めて腹を括ることが出来ます。覚悟を決めて、あとは力強くその打ち手を実行することが出来ます。


人間は弱いものです。どんなによい考え方をしていても、計画性があっても、内外の様々な要因によって、一時的に、心の壁の一部が弱くなるときがあります。それは不意に起こります。一晩寝て、立て直せる人は幸運です。往々にしてそういうことは、嵐のような中でおこるので、そのもろい部分に物がぶつかったり、攻撃をかけられたら、普段は防げたレベルのものにもろくも崩れる。そんなことがあります。

そういうエマージェンシーのときに、直ぐにさっと、もろくなった心の壁を補強して、そこから崩れるのを回避するための、お守りとなるようなものを持っている必要があります。

私はそれが「覚悟」というものだと思います。不安は突如暴れだし、もろくなった心は簡単に崩れる。なので、いつでも心に「不安」の天敵である「覚悟」をかっていれば、いつ暴れだしても、心の壁がもろくなる前に、「覚悟」が「不安」の暴動を制圧するでしょう。強い覚悟を持っていればいるほど、強い不安が発生したときに、防御装置となるでしょう。

不安に心がもろくなりそうだ、と感じたときには、丹田(下っ腹)にぐっと力を入れて、覚悟に意識を注ぎ、心を強くする。そのために普段から覚悟をもって生きていたい、そう思います。






追記:一年後の私へ。

私は、一年後に誕生日のこの日記を振り返るでしょう。これまでそうしてたように。

35歳の石井は、覚悟を持って生きていますか?
posted by 石井力重 at 23:24 | Comment(1) | TrackBack(1) | 8月22日



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