2011年08月22日

2枚のお札「戦略の本質は捨てるにあり」と「志ある所に道は拓ける」で不連続な時代を行け |

2011年8月22日。38歳になりました。

毎年書いている、「8月22日」(誕生日の日)のブログ。今年は、当日に書きあげられませんでした。この一年は、変化があまりに大きすぎました。しかし、やはり、書きます。

昨年の私が、38歳の私に投げかけた問いは、次のような物でした。

• 縮小社会において、チャンスとなる流れを見出していますか?
• 開発において、評価軸をもち、情熱的に動き、深い愛をもって仕上げていますか?
• 顧客が一点突破できるよう「創造支援」していますか?

珍しく、3つも問いがありました。

1つずつ、問いに答えてみます。

「縮小社会において、チャンスとなる流れを見出していますか?」

昨年、2010年8月22日に予想していたよりも、縮小社会のトレンドや経済のシュリンクは、大きな衝撃により加速されています。もちろん、逆のトレンドを短期的に取っているところもあります、復興で伸張している一部の産業です。総じていうと、人口面では縮小していくこの社会は若者の海外就職が顕在化する数年後にむけてより重要な問題になるでしょう。少子高齢化から、海外就職高齢化、に相当する言葉が出てくるはずです。

こういう局面というのはピークを過ぎた国には見られることで10−20年のスパンで見れば、今の産業伸張力のある国でも見られるはずです。それぐらいの長期でいうと日本はまた違った局面を迎えているかもしれない。そう思います。

縮小社会に突入してみて「チャンスとなる流れ」とはそもそも何か、それ自体の定義も難しいとはありますが、答えてみようと思います。

縮小社会が生み出す一つの流れは「自分で化」だと思います。

「社会で余剰な物」が、発展期と衰退期でまるで違います。前者はお金、後者は時間。今の社会では、可処分所得が減り、一方で時間は余ります(ただしポジションによっては過酷な労働環境にあり、必ずしもこの限りではありませんが)。

お金はなく時間が余る縮小社会のトレンドにおいては、「欲しいものを自分でつくる」「欲することを自分でやる」がよく見られます。個人では外食が昼食・手作り、になったり、完成品を買う代わりにDIYへシフトしたりしています。

企業内も「自分で化」が進みます。研修、人材育成、社内の制度設計などが、外注から内製へ流れが変わり始めています。大手コンサルに湯水のようにお金を払った時代から必要なパーツだけを社外に依頼し自分たちで人材を育むフレームワークを作るような傾向が強くなっています。成長期には営業代行のレップ制度が流行りましたが、現在は自社の力で売っていこうという傾向が再び強くなっています。大手企業の下請工場を訪問しても、その下請会社さんでしかできないこと以外はかなり少なくなっています。これはもはや下請けという業態ではなく、独自技術を提供する中小企業へと、強制的に転換を求められている社会になったということでもあります。(もちろん、これらのトレンドがすべてではありません。逆にやはりファブレス化を推進しているところもありますので)

なお、家庭にしても企業にしても、この「自分で化」は実は幸福度の増える可能性も含んでいます。今年の3月30日にこんなことを書きました。「人は手作りする機会が多く、お金を使う機会が少ない暮らし方をしている方が、幸福度が高い。という説があります。手作りでいろんなものを作る社会。それが復興後の「新しい発展」の1つの姿では」

創造力など、人材開発研修に役立つ道具を私たち(アイデアプラント)は創っています。これまで創造力などの人材開発の研修には、フルパッケージが好まれていたところがあります。ですが、近年、自分たちでそれをやろうとする動きも増えてきました。私たちの道具がそういう時の補助ツールになっていることも知りました。大手の研修機関のパッケージではカスタマイズはきいても、自社の思想をベースに研究プログラムをゼロ構築することができないため、自分たちでくみ上げてたりない所だけを探してきて適用する、そんなスタイルをよく見るようになりました。そういうトレンドを見ると、アイデアプラントとして社会に求められていることは、非常にたくさんあるなあ、と思っています。今は私の所には、ワークショップ込みで依頼される企業さんが多いですが、徐々に、道具の提供がメインになると考えています。それを踏まえて、既存製品の進化形も作っていきたいと思っています。

“縮小期の社会に出現するチャンスがある。”それはまだうまく見切れていないのですが霧の向こうに存在するのは感じています。自分の周りの事は見え始めています。でも社会の広いエリアではそれがなんであるのは、もう少し視力を上げてよく見ないと、いけないかもしれません。


「開発において、評価軸をもち、情熱的に動き、深い愛をもって仕上げていますか?」

評価軸)アイデアプラントの究極的な命題は揺らぎませんから、軸の点はだいたいOKです。ただ、具体的な適用のレベルになると、柔軟に開発の評価軸を再定義していく必要があるだろうことは、常に意識しています。先の所にも少し書いた通りです。もっというならば、IDEAPAPERのように、従来の開発思想には当てはまらなかった製品のヒットを受けて、私たちが取りえる選択肢には他にも可能性がある、と気づかされました。評価軸がぶれないということはかっこいいことのようでいて、長い時間スケールにおいては、功罪がある。究極的な命題は揺らがず、しかし、短期的な行動レベルでは、別の考え方を試したりするのは評価軸自体についても、そうなのだろう、と思います。ということで、具体レベルでの評価軸は、変えていくためにしばらくブラしてみようかな、と今の私は思っています。一言でいうならば、いろいろ作るためにいろいろ試そう。と。

情熱)常に情熱的に開発をしていたか、と言えば違うかもしれない、とも思っています。こども向け発想ツールを震災の避難先で作っていたことを踏まえれば、ここはYESでいいかもしれませんが、「頭をいつでも開発に向けていたか」といえばそうでない時期も結構あります。こども用ツールも、他の復興支援にかまけて、進捗を長らく停めてしまっています。情熱というのは時に、周辺の物をなぎ倒してまでまっすぐに突進していく巨大な鉄球のようなものだと思うのです。小器用に止まれたりハンドルを切れるものとは違う、そんな気がします。復興支援の展開が続く状況で、数か月、今しばらくは厳しいかもしれません。

愛)深い愛をもって仕上ているか、というと、自分に正直にいうならばNOかもしれません。時間の無さを言い訳に「形になる段階」を人にお願いしていることが結構あったことに気が付きます。それは自分が望む“ツール作家”としての生き方とは反していることに、いまここで気が付きます。使ってくれる人を見つめるまなざし、使っている人の手元でどうそれが、もってあそばれるか、をそれを何度も何度も見ようとする姿勢がどこまであったのかを、自問したいところです。ストイックかもしれないけれど、顧客への圧倒的な愛を持ち、その愛が製品のフォルムに宿る、僕は尊敬する企業を見てそういう仕事をしたいと強く思いました。それは変わっていくなかで変わらずにいること。今の私はそう思います。心に愛がなければ、お金というのは感謝の物質化したものじゃなく、労働力の物質化したものに成り下がります。アイデアプラントというのはそういう組織では、うまく物が作れなくなります。

職人のように、何度も使う人の動きを想像し、地道に時間をかけて丁寧に作る、そうありたいのです。


「顧客が一点突破できるよう「創造支援」していますか?」

これについては、心意気としてはYESと思っています。震災後、大量のアイデアワークショップをしました。企業向け、大学向けのも、かなり行いました。お客さんのことを本当に愛して、その人のために、と考えて、ワークショップを設計し、創造支援をできたか、と言えば、できたと胸を張りたいところです。

ただ、創造活動の組織的行動を設計する支援に関しては、もうすこし修行が要るなあ、と思うのです。もっとよい何かを提供できたのではないか、という可能性も、時折、感じます。


そんな感じに、過去の8月22日の日記を振り返ってみました。


・・・

さて、一方で、今の時点に戻ってみると、今年(2011年)は、不連続な未来にたどり着いたなあ、と思います。

なんと言っても、2011年3月11日。東日本大震災。我々は多くのモノも、仲間も、失いました。東日本で、親の一方をなくした子供が1200人規模。両親ともなくした子供が250人規模で、います。

地域の子供達が、未来に、もっとたくさんご飯が食べられ、もっと希望あふれる道をゆけるように、この時代に生き残った大人たちは、破竹の勢いで豊かな未来へ全力で進まねばならない。そう思うのです。

震災後一ヶ月は、皆、友人や故郷の街そのものを失ったショックで茫然自失の時間を生きていましたが、今の地域の空気は違います。復興への強い志し。渦巻くその気運は、人々に多様なチャレンジをはじめるエネルギー源となりました。個々人の生活が疲弊するようでは長続きしませんので長く続けられるようペース配分はいりますが、皆、120%出力で疾走しているようなところは、やはり今もあります。

今時期はお盆を過ぎたところです。今年は、新盆を迎える人(故人)が大量に出ました。悲しい現実。それを受け止める段階で張っていた気が緩む感じもあります。夏が過ぎ、秋風が吹いてくるころ、本物の志や情熱の人と、一過性の人が、分離していくと思われます。被災地以外からの支援に一足先にその現象は見られました。次はこの地域自体がそのフェーズを迎えるでしょう。だれも責めることはできないし、短期的にでも、志しに動いていた人々に感謝をしなければいけないと思います。あるいは、無理のある形から、長く続けられる形へ徐々に変わっていくことも皆が受け入れていく時期でもあるでしょう。

フェーズが変わる。本当に経済的な深刻さを迎えるのは、雪が降り始める前ごろからだ、と私は見ています。この予想を来年の私は“杞憂だよ、ばかだなぁ”と笑っていられればいいなぁと願うばかりです。今の私にできることはあまり多くないですが、その時期への備えとして、クリエータの仕事を作る活動に取り組んでいます。一年後の私にはそれがどう見えるのか、興味深い所です。

そして、もう一つ、時代の空気を語る要素があります。

“一度封印が解けたら御しきれない苛烈な龍を、我々は飼っている。”

放射能の長期的な拡散と電力に依拠する国内産業ダメージという経済的な懸念。これは国民の中でも、原子力発電所問題への姿勢を複雑なモノとしています。復興への見通しは希望の光と不信混乱の闇がマーブル模様のように混ざったものとして存在しています。

修士まで理論物理を専攻していた身として、科学と人類について最近、再びよく考えます。科学者の知性は時にブレークスルーを生む。しかし、我々人類はいつでも賢明であるわけでもない。利用できるが、出てくるものの有害さを消す事はできない。2011年のこの時代、我々人類の科学技術はまだずっと未成熟である。その事を謙虚に受け止めた上で資本主義経済を回すのでなければいけない。そう思うのです。

しかし、人間の強さを私は信じています。非常に困難な状況が来たとしても、人間は黙ってそれを受け入れはしない。きっと創意工夫がなされて、改善されていくものもかなりある。そう思います。医学の発達、排泄を促進する機能性食品の登場、新しい観点での健康診断、衣服の変化(よくある未来人のつるんとしたスーツというのは、花粉や放射性物質の付着を少なくし、エアによるパワーアシストをする良さそうな形にも思えますが)

・・・

いつもの、来年の自分への問いかけ。これは今年は悩みます。ことし達成したい目標を書いているのですが、果たして今年はなんだろう。この一年は、かなり踏ん張りどころになるだろうと思います。アイデアプラントの仕事が増えてきて時間的に非常に足りない中で、一つ一つ愛を持って仕事を仕上げていきたいし、新しい作品も作りたい。多くの人とかかわるプロジェクトの効果的な展開にもできるだけ、知恵を絞りたい。その意味では、この一年でどうしてもやり遂げたいことに、注力しそこで圧倒的によい仕事をする、ということなのかな、と思いつつあります。

「戦略の本質は捨てることにあり」と、かつて某先生が言っていました。そうなのかもしれません。何かを成し遂げるということは、捨てること・やらない事を決める事とも非常に密接な関係にあるのかもしれません。

一方で、「志あるところに道は拓ける」という言葉が、示すように、闇の中に道を照らすもの、それは、高い志し、ではないか、と思うのです。“捨てる“ということをやみくもに振り回すと、何も残らなくなります。とても素早く楽に行けるけれど、それは下り坂です。捨てる時には、聡明な判断をもって捨てるものを選ぶこと。

「戦略の本質は捨てるにあり」と「志あるところに道は拓ける」は、闇の中の時代を行く、二枚のお札。これをいつも胸ポケットにねじ込んでおいて、道を作りながらゆきたいです。



39歳の私への問いかけ。

39歳の私は「多くの人を愛し、その人たちが幸せになるように、何かを作っていますか


(幸せになるように、考えるだけじゃだめ。やっぱり、何か作ろう。それが自分らしいですよ)



過去の8月22日の記事(2006〜2010)
http://ishiirikie.jpn.org/category/792940-1.html
posted by 石井力重 at 23:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 8月22日

2010年08月22日

円熟は良い。しかし情熱と行動を。

本日、37歳になりました。昨年の誕生日、私が私に送った問い

37歳の自分へ

「お客さんへの圧倒的な愛が、
 製品のフォルムに宿る」
そんな仕事を出来ていますか?

について、しばし、考えていました。

多分、いつもいつも、そう考えている石井ではありますが、その思いの強さが弱いときや強いときがあるのも確か。それは例外なく心の中心においておくことではありますが、それだけでは、時々、突破口を穿つ槍の鋭さが、にぶくなっている気がしていました。それって何だろう。そんなことを夏の間思っていました。

最近、自分の心にあることを、ざっくり拾い上げてみました。

・流れを読めば機会あり

(日本社会は人口減少・経済縮小の中にあります。どの産業もしぼむビジネスにあえいでいます。閉塞感。そしてそれは長期にわたるもの。そんな大きなトレンド感をもっていると、創造的努力やそのベースとなる信念、意志の力、を沸き上がらせ難いものです。しかし、どんな時期にも、時流を読めば機会はあります。例えば、ある制度の導入が5年後に確定的、といわれているなかで、その研修キットを開発・製品化した事例が報じられました。なるほど、この事業はきっと一定規模の新規事業として立ち上がるだろう、と想像できます。時流を読めば、つねに変化はあり、そこに先回りして棹差せば、生まれる流れを自分に引き入れることは可能。変化のない社会では、新しい流れの誕生、という減少は乏しいですが、今は、変化が常につづきます。それが「下り坂」というものであって、人口の減少、企業の退場といった形で、変化が起こり続けます。それに伴い、「これから生まれる新しい流れ」をいち早く察知して、そこに先まわりして流れに掉させば、多くの水が流れ込んでくる。縮小社会も「新しい流れ」を生み出すエンジン。)

・残りの日の中で、一番若いのは今日である。大概の事もはじめるのにもっとも条件がいいのは今日だ。

(打てる手数がもっとも多いのは、時間が沢山あるときです。自分が生涯でもっている時間は、今日が一番多いです。なにか、新しい取り組みをするなら、今日、初めよ。”体制の整う時まで待とう”という台詞は、心理的惰性の産物。やたらと、とりあえず様子見、をつかうのは、バッターボックスでノーカウントからフルカウントにするようなもの。一打席目、一球目から、ふるぐらいがいい。若者特有の行動は、ワカモノでなくなる世代こそ、必要。)

・回転軸を作る人は一見、八方破れに見え、しかし、緻密。多くの人は逆だ。

(これは、京都のある産学連携の支援者を思い浮かべて書いたメモです。あまり熟した考えではないかもしれませんが、勢いや奇策の価値を忘れないために、やはりここに残しておきたい。力のある人が、全国から、彼のもとに一斉に集まる日があり、彼の作り出す回転軸の存在感を感じ取りました。神出鬼没な人ですが、そして内容も奇策といわれなくもないですが、それは成功するなら奇策ではなく、因習にとらわれない新しい戦略パターンが出来上がった瞬間である、とおもいます。奇をてらい失敗するのが「奇策」とのちによばれるのだと、私は思います。本質を強く打ち、しかも、その影響の及ぶ範囲を見通し、それらに細やかな配慮をしています。)

・捨て、一点を強く穿つ。そのベースには優先順位付け。そのベースには評価軸を明らかにする。がある。

(これは、 http://ishiirikie.jpn.org/article/40244426.html に詳しく書きました。新規事業創造の肝になる部分は、一点突破。そこにいたる活動になかなか口火をきれないでいるのは、根源的には「評価軸(あるいは価値観)が明確にできていない」こと。もし、評価軸があきらかになっていれば、優先順位がつけられる。優先順位がつけられれば、穿つべき一点をさらにしぼりこんで、すくない人材で十分に穴をあけられるほど、錐(きり)のようにほそく絞り込んで、一気に突破することができます。進入した暁には穴を広く開ける。それら事業創造・事業成長の大前提には「評価軸を明確にする」がある。新しい取り組みに、まごまごして、なぜか踏み切れないとき、仮説でもいいから、評価軸を作ってみる。具体的に評価基準を作ってみると、それが違っていたとき、人はそうと知ることができる。なので、仮で作り評価する。まずは、そこから回転しはじめます。)

・心豊かな社会への基点は「愛される経験を持つこと」にあり。

(心豊かな社会は、どうすればできるのか。ずっとずっと考えていました。仮説に次ぐ仮説をいくつもへていく論理展開なので、その確からしさは、石井の信念によるところ、としかいえませんが、私は次のような構造だと思います。
-人は誰かから愛される。
-愛される経験があるから人を愛するようになれる。
-人への愛が大きくなり、社会を愛し志しが生まれる。
-実現するために尊敬される企業ができる。
-尊敬する・される関係が沢山ある社会になる。
-その結果、心豊かな社会が生まれる。
最後の所は、もうすこし分解能を上げると、こうです。
心豊かな社会の本質は、物の財や飢えない食料の豊かさでは到達しない。尊敬する人が沢山いて、自身が尊敬される。そういう関係が織り成す社会が心豊かな社会の本質。)

・円熟は良い。しかし情熱と行動力への重しにしてはいけない。

(最近、思うのですが、すこし精神的な円熟味を帯びてきた気がします。自分でそういうことを言うのでまだまだ未熟であろうと、安心しますが、でも、他者への愛を常に考え続けると、次第に、安寧とか穏やかになり、なんというか、「情熱や行動力」のエンジンの回転数を下げるような影響もある、とふと感じました。これは二律背反ではなく、円熟かつ情熱、円熟かつ行動、というのは十分成立しえるのですが、ぼんやりとした心構えでいると、シーソーのように、他方があがれば他方が下がる、になってしまうところがある。そういう上手くないデザインではいけないわけです。創造には常に強い意志の力が要るし、情熱も大事です。円熟は、ブレスト的に言えば、後半側の「批判思考/ブレーキ/冷水」や「アイデアの強化部分」にあたる要素をたぶんに持っています。一方、情熱は、ブレスト的に言えば前半側の「創造思考/アクセル/熱湯」や「未成熟なアイデア(wild idea)の創出」にあたる要素をたぶんに持っています。両方大事。両方必要。ただし、時間で分けること。特に、いつも「冷水」は顔を出したがる。・・・そんな感じのことを、非言語的に考えていました。円熟という心理様式も、時には、すこし押さえてブレストする。荒れてもやってみる。それが大事だと思います。)


ことしの「8月22日の日記」は例年よりも、まとめられていません。しかし、それが今年の8月22日の事実の姿です。あえてそぎ落とさずに、このままのせます。


さて、最後に、38歳の私へのメッセージです。

・縮小社会において、チャンスとなる流れを見出していますか?

・開発において、評価軸をもち、情熱的に動き、深い愛をもって仕上げていますか?

・顧客が一点突破できるよう「創造支援」してますか?


(今年は欲張って、3つにしましたが、来年からは、絞った1つにするべきです。増やしたものを習慣にしてはいけません。贅肉と目標はほおっておくとおいたら増えて動きにくくなるもの。)
posted by 石井力重 at 23:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 8月22日

2009年08月22日

どれほど多くのものを、参加してくださる方に、渡せるだろうか

2009年8月22日。本日で36歳になりました。

石井力重_アイデア創出の技術

昨日の仕事中の一コマです。老舗の某メーカ企業さんの中で行った講義「アイデア創出の技術」をしている時の私です。
(参加者の方の肖像権に配慮して、すこし画像処理をしています)

このときの感想は、機会があれば、お客さんからいただければ、
差し支えない範囲で報告したいと思います。


いま、このブログを書いている場所は、
名古屋の東急ホテルの14階です。
エグゼクティブフロアー、といって
フロアーの入り口にセキュリティーのあるようなところです。

クライアントさんが用意してくださったのですが
今の私には、過ぎたる破格の待遇です。(ありがとうございます)

講義や創造工学ワークショップの仕事で、
私は全国を行きますが、非常に牧歌的な所に行った時は
一泊3000円もしない所に泊まることもあります。
セキュリティーどころか、鍵も怪しい、そんな宿も。
私の身の丈に合った宿はどちらかというと、
そういうところかな、とも。


全国で、いろんな人と出会います。

多くの人とは、人生においてたった1日だけしか接することが
できないわけで、私はその2時間なり一日で
「どれほど多くのものを、参加してくださる方に、渡せるだろうか」
と自分に問うています。

『伝えたい思いがある。』
という強い情念がなくなったら、
こういう仕事はできないと思うんです。

36歳の自分が未来の自分へ伝えたい今、とは、
そういう気持ちで仕事をしているよ、ということです。

毎年、誕生日は内省的なことや未来の自分へのメッセージを
書きますが、次の一年はどうでしょうね。

37歳の自分は、一年前の自分をどう感じるのか、分かりませんが、
願わくば、志しを極めて社会を豊かにする生き方をしていてほしい、と思います。

ちなみに「志しを極めて社会を豊かにする生き方」と書きましたが、
これが「私の考える”しごと”(志・極・豊)」であり、
「私なりのノーブレス・オブリージュ(プロは社会的であれ)」
だと思っています。



37歳の自分へ

「お客さんへの圧倒的な愛が、製品のフォルムに宿る」
そんな仕事を出来ていますか?




過去の8月22日の記事(2006,2007,2008,2009)
http://ishiirikie.jpn.org/category/792940-1.html
posted by 石井力重 at 06:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 8月22日

2008年08月22日

非才なるも「徹信」が一流を持たらす

才能がある人のことはよく分からない。
無い人の場合について考えた。

才能のない人は、一流になれるか、なれないか。


救われた命を奇跡を思い
自分の仕事を使命と信じたら
その人の仕事は、一流になる。


命すくわれる経験をしなくとも、
徹底的に信ずることができたら、
一流がもたらされる。

凡(非才)なるも、徹底的に信じる、が一流をもたらす。




今日、8月22日で、35歳になりました。
開発参考資料としていじっていた
ニンテンドーDS(13歳のハローワーク)の
画面を見つめながら思った
35歳の最初の感想でした。

いよいよ、30代が後半に突入しました。
「40代」を意識し始める初めての経験です。
精神年齢が子供のままなので、自分が30代であることに
やっと慣れてきたぐらいなのに、もうすぐ40代がくるんですね。
5年後くらいには「ちょいわるオヤジ」なんて言葉はなくなっていて
その時代なりの「40代・50代をエンジョイしよう」という
コンセプトがあるんでしょうね。
むしろそれを創造する側になっていたい、ふとそんな気もします。
そういうビジョンを思い描くと、歳をとるのも
なんだか楽しみなような気がします。
posted by 石井力重 at 02:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 8月22日

2007年08月22日

「覚悟」は「不安」の暴動を制圧する。

8月22日。今日は34歳の誕生日。はじめてブログを書いてからちょうど丸三年。

実家の母親に、ノルディックウォークのポールをプレゼントしました。足の負担が減って全身の運動量はむしろ増えるという、ウォーキングにとてもいい道具です。たまには、誕生日を「生んでくれた人へ感謝する日」と考えてみるのもいいですね。


さて、「不安」を無害化するための工夫、について書いてみたいと思います。「現代という不安を生きる」人々への、あるいは自分自身への、メッセージとして。


1.不確実要因(あるいは情報の無いこと)が不安をもたらす。

人間誰しも不安はあります。人間の社会には知らない情報や出来事が沢山あります。生きていくということは、そういう不確実の中で常に何かを選び取っていく(意思決定していく)行為の連続です。それはすなわち、絶対に100%と保障できる選択肢は本質的にない、ということ。

不安の要因は、いくつかあります。まず、「知らないこと」「持っていない情報」というのがあります。加えて更に大きいのは、「未来」です。未来という「不確実な状況」がいつも自分の少し先にあることです。「一年後」はいつでも誰にでも存在します。

2.経営・計画・予測は不確実要因を減らすが、完全には不安の無害化はできない。

未来を不確実な状況たらしめないように、人間はあれこれと努力もします。分析をして未来予測をします。一種の経営という行為をおこなってリソースの最適運用を行い、未来を計画的に作れる段取りもします。沢山勉強したり情報を集めて、極力、意思決定に不確実さがないように努力もします。

しかし、本質的に、未来とはは「まだ起こっていない状況」であり、多かれ少なかれ予想通りにならない可能性を必ず含みます。高い確率でうまくいくように計画された取り組みは、あくまで「高い確率」なだけです。情報収集もそうです。完全に100%の情報を集める、というのは不可能です。人間ができることは「なるべく100%に近づける努力」をすることだけです。

注:経営(あるいは計画性)や情報収集は、決して無駄なことではありません。むしろ必要なことです。不確実な要因をゼロには出来ないけれど、確度を上げることはできます。ここで言いたいのは、不安というものへの対処においては、計画をどれほど几帳面にしても、本質的に不安はぬぐい切れない、ということです。

3.不安の暴動は、誰にでも起こりうる。

人によって不確実性に対する受け止め方が結構違います。また、自分の置かれている状況、立場、直前の出来事、などによっても、不安を感じる感じ方は、大きく変化したりもします。誰しも不安になることは、やはりあると思います。



では、どうするか?

不安に対抗する充分に強い敵、つまり「不安の天敵」を心の中に飼って置くことで、不意に暴れだす不安に、とっさに抵抗が出来ます。

それは何か?

それは「覚悟」だ考えています。言い換えると、不安の暴動を制するのは、本人の心の有り様、意識の持っていき方だ、と思います。

覚悟という心のありようは、気概、気迫といったものを醸し出します。また、成功失敗五分五分の際に、意思決定しなければならない、そんなときに、えいっと決めて腹を括ることが出来ます。覚悟を決めて、あとは力強くその打ち手を実行することが出来ます。


人間は弱いものです。どんなによい考え方をしていても、計画性があっても、内外の様々な要因によって、一時的に、心の壁の一部が弱くなるときがあります。それは不意に起こります。一晩寝て、立て直せる人は幸運です。往々にしてそういうことは、嵐のような中でおこるので、そのもろい部分に物がぶつかったり、攻撃をかけられたら、普段は防げたレベルのものにもろくも崩れる。そんなことがあります。

そういうエマージェンシーのときに、直ぐにさっと、もろくなった心の壁を補強して、そこから崩れるのを回避するための、お守りとなるようなものを持っている必要があります。

私はそれが「覚悟」というものだと思います。不安は突如暴れだし、もろくなった心は簡単に崩れる。なので、いつでも心に「不安」の天敵である「覚悟」をかっていれば、いつ暴れだしても、心の壁がもろくなる前に、「覚悟」が「不安」の暴動を制圧するでしょう。強い覚悟を持っていればいるほど、強い不安が発生したときに、防御装置となるでしょう。

不安に心がもろくなりそうだ、と感じたときには、丹田(下っ腹)にぐっと力を入れて、覚悟に意識を注ぎ、心を強くする。そのために普段から覚悟をもって生きていたい、そう思います。






追記:一年後の私へ。

私は、一年後に誕生日のこの日記を振り返るでしょう。これまでそうしてたように。

35歳の石井は、覚悟を持って生きていますか?
posted by 石井力重 at 23:24 | Comment(1) | TrackBack(1) | 8月22日

2006年08月22日

はじめに本物を与える。

本日、8月22日で33歳になりました。すこし私の価値観に関することを書きたいと思います。私は、教育においてははじめに本物を与えることはすごく大切だと考えています。

友人で、初めてのボーリングをプロに習った人がいました。そういう人のフォームは癖が無くってきれいな投げ方をします。実際にとてもうまいです。彼は、スキーは我流ですべっていました。あるときプロに見てもらってうまい滑り方をマスターしましたが、積み上げてきたものの軌道修正なのでぴたりと練習したとおりにばかりはいきません。

教育は、はじめに本物を与える。子供が生まれてから特にそう思います。いの一番に体験するものがその対象に対する基準をつくるとおもいますので、多少お金がかかったとしても、できるだけ本物を手にさせたいとおもいます。自分自身を教育する面においても同じです。映画プリティーウーマンのなかでリチャードギアが「オペラは最初に好きになれれば生涯の友になる。」といった趣旨のことを発言しますが、そのとおりだと思います。

本物は、必ずしもお金を潤沢にかけることだけではないとおもいます。本物の素材を手にする。本物の自然を体験しに行く。本物の「人物」に引き合わせる。本物というのはなにか、きちんと語れませんが、いわば見るものに、圧倒的な正道、を感じさせるようなもの、それは洗練されて、昇華していて、美しいもしくは感動的なもの、であることが多いような気がします。

私は、時折、講師をしたり、ワークショップを通じて学びの場を提供したりします。私が、その自分の規範で言う「本物」といえるとはおくびにもいえません。ただひとつだけいえることがあります。それは私が次のような価値観を持った人間である、ということです。私を通じてはじめて何かを学ぶ人には本物を提供したい。と。

来週には、学生団体VIASのビジネスコンテスト初日に、アイデア創出セミナーの講師をしにいきます。学生の皆さんのそのあとの数日間が最大限に楽しくなるような、そんな講義を提供したいものです。
posted by 石井力重 at 23:25 | Comment(2) | TrackBack(0) | 8月22日



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